先週木曜は例月の如く、「らくご道」へ。
少し早く着いたので、
下のジュンク堂で「んなあほな」と京須偕充の本を購入。
文枝・文紅・染語楼・吉朝が今年7回忌なんだなあ。
京須本は、また読んでいこう。
落語会の入りはほぼ例月どおりかな。
冷房が効き過ぎ、ちと寒かった。
前説(こごろう)
動楽亭の客の入りや、近くで飲んでいた時の話。
面白いネタを抽出して、その面白さをきちんと伝えてくれる。
生喬ほど落語界の中の話ではないのだが、
ある程度噺家の名前などを知らないと伝わらない話なのかも知れないな。
この会では当然ウケるのだが。
「兵庫船」(生喬):△+
マクラはタバコを買いに行った話と、生寿の結婚式の話。
タバコの話は別にどうってことはない。振らなくても良かったと思う。
結婚式の話は面白かった。
やはり演り慣れていないネタらしく、
微妙にリズムが狂う。
間がちょっと空いたり。
私が聞き慣れているものより、遊びが多い印象。
所を尋ね合う時の「川尽くし」や
謎掛けで「ネズミ尽くし」が入っている。「ネズミ尽くし」はいろいろ変えていた。
珍しいものを聞けた、とは思うが、
少し全体の流れとしてはタラタラした気がする。
もう少し余裕があれば、
穏やかな海路、穏やかな風や陽光、
そこで時間つぶしにうだうだ言っている連中、といった
のんびりした空気が出るのかも知れない。
いろいろギャグを入れていたが、
やはりベースとなるリズムに不安なところがあったので、
ウケが重なっていく状況にはならなかった。
少し自己言及的な科白もあり、そのあたりもあまり好みではない。
喜六を少しクサ目に作っており、そこは悪くなかった。
「愛宕山」(こごろう):○
軽くマクラで季節の話を振ってネタに入る。
ネタは枝雀ベース。
旦那は「京の人間」を鼻に掛けたり、威張ったりすることのない、
ごく丁寧で親切な人間。
蝶々を捕まえるところ、
最初に1羽に目を付けてそれをずっと追い回す。
動きが大きくて悪くない。
「梅にも春」「愛宕山坂」はあまり上手くない。
邦楽には聞こえづらいな。
まあ、どうでも良いところでもあるが。
山登りは、やはり傾斜が強くなっていく感じが弱い。
これがあった方が、山登りの大変さ、
次第に息が切れていくところがリアルになると思う。
倒れるところは少しいきなりだったかな。
そのあたりを除けば、気が入っていて悪くなかった。
上がって食べるところ、茶店の会話はまあ普通に。
旦那と茶店のおばんの会話で
以前から知り合いである描写があるのだが、
個人的には別にどちらでもいいかな、と思う。
旦那がかわらけに風切りを作るところ、
今までみたものよりもけっこう大きく欠いていたように見えた。
確かに風を受けることを考えると、その方が良いか。
投げるところも楽しげに。
一八が仰向けに投げてしまった後で
「分かってまんがな」と旦那には言いつつ
「うつぶせ」と言って引っ繰り返す、といった小ギャグも自然で良い。
旦那が小判を出してきたところで
「いつ」「誰が」「何を」を繰り返す。
まあウケるけど、若干掴み込んでいる感じがして、あまり好みではないな。
旦那は小判を的に向けて投げる。
キレて引っ繰り返すよりも、その方が好み。
個人的には、もう少し旦那が悠々と的を狙う様子を見せて、
それに対して一八が徐々に焦っていく部分との落差を明確にする方が良いと思う。
「落差」の部分は弱く、徐々に焦っていくところ、
「的はこちらです」と言って旦那にアピールするあたりがメインになっていた。
確かにその後飛ぶに到る「金が欲しい」感情作りにはつながってはいるだろうから、
難しいところではあると思うが。
飛ぶところはもう少し「飛びたい」思いが盛り上がっていく感じが欲しい。
ここは「盛り上がる」のを見せるために、
もう少しクサ目に「見せる」意識で作った方が良いかも知れない。
飛んでいる時、もっと強く傘を握った方がいいかなあ。
強く握るからこそ、
「飛んだかよ」「怪我はないか」は、
旦那や芸者・舞妓連中と繁八で言い方が違う。
繁八の必死さが良い。
木の根元で小判を見つけた時の「根っこに小判」は
自然だし、爆発力のあるギャグでいいなあ。
上がってくるところの「ただいま」が割と冷静な感じがする。
これはいろいろな人の「愛宕山」で感じるのだが、少し引っ掛かる。
おそらく、その後の旦那の「上がってきよったで」の調子が上がるので、
その落差のために調子を落としているのかな、と思うのだが、
実際には「戻ってきた」喜びがあるだろうから、
もう少し調子を上げた方が良いのでは、と思う。
旦那は「で、小判は?」ではなく、
「20両はお前にやるぞ」と言って
サゲの「忘れてきた」につなげる。
そもそも旦那は、一八が小判を忘れて上がって来たことに気付いているのか、
というところ。
露骨に出すべきではないが、
ハラとしては持っておく必要があると思う。
旦那が気付いていないのだとすると、
この振りの方が旦那の台詞として自然だろう、と感じる。
対談「夕焼け日記」
「兵庫船」の難しいところ、
「愛宕山」をやる時に見台を置くか袴を履くか、
「愛宕山」や「野崎詣り」の伝わったラインの話やネタの「熟成」、
何故か弓の話など。
「兵庫船」がある種難しい、という話は
いろいろなところで聞くなあ。
確かに、個人的には「損なネタ」のイメージがある。
早い段階に落語のリズムや間を身に付けるためのネタなのだろう。
「気」という言葉が多く出てくる。
私が「落語はこうするべきだ」と感じるものと似ているから、
私はこの会に通っているのだろうな。
少し早く着いたので、
下のジュンク堂で「んなあほな」と京須偕充の本を購入。
文枝・文紅・染語楼・吉朝が今年7回忌なんだなあ。
京須本は、また読んでいこう。
落語会の入りはほぼ例月どおりかな。
冷房が効き過ぎ、ちと寒かった。
前説(こごろう)
動楽亭の客の入りや、近くで飲んでいた時の話。
面白いネタを抽出して、その面白さをきちんと伝えてくれる。
生喬ほど落語界の中の話ではないのだが、
ある程度噺家の名前などを知らないと伝わらない話なのかも知れないな。
この会では当然ウケるのだが。
「兵庫船」(生喬):△+
マクラはタバコを買いに行った話と、生寿の結婚式の話。
タバコの話は別にどうってことはない。振らなくても良かったと思う。
結婚式の話は面白かった。
やはり演り慣れていないネタらしく、
微妙にリズムが狂う。
間がちょっと空いたり。
私が聞き慣れているものより、遊びが多い印象。
所を尋ね合う時の「川尽くし」や
謎掛けで「ネズミ尽くし」が入っている。「ネズミ尽くし」はいろいろ変えていた。
珍しいものを聞けた、とは思うが、
少し全体の流れとしてはタラタラした気がする。
もう少し余裕があれば、
穏やかな海路、穏やかな風や陽光、
そこで時間つぶしにうだうだ言っている連中、といった
のんびりした空気が出るのかも知れない。
いろいろギャグを入れていたが、
やはりベースとなるリズムに不安なところがあったので、
ウケが重なっていく状況にはならなかった。
少し自己言及的な科白もあり、そのあたりもあまり好みではない。
喜六を少しクサ目に作っており、そこは悪くなかった。
「愛宕山」(こごろう):○
軽くマクラで季節の話を振ってネタに入る。
ネタは枝雀ベース。
旦那は「京の人間」を鼻に掛けたり、威張ったりすることのない、
ごく丁寧で親切な人間。
蝶々を捕まえるところ、
最初に1羽に目を付けてそれをずっと追い回す。
動きが大きくて悪くない。
「梅にも春」「愛宕山坂」はあまり上手くない。
邦楽には聞こえづらいな。
まあ、どうでも良いところでもあるが。
山登りは、やはり傾斜が強くなっていく感じが弱い。
これがあった方が、山登りの大変さ、
次第に息が切れていくところがリアルになると思う。
倒れるところは少しいきなりだったかな。
そのあたりを除けば、気が入っていて悪くなかった。
上がって食べるところ、茶店の会話はまあ普通に。
旦那と茶店のおばんの会話で
以前から知り合いである描写があるのだが、
個人的には別にどちらでもいいかな、と思う。
旦那がかわらけに風切りを作るところ、
今までみたものよりもけっこう大きく欠いていたように見えた。
確かに風を受けることを考えると、その方が良いか。
投げるところも楽しげに。
一八が仰向けに投げてしまった後で
「分かってまんがな」と旦那には言いつつ
「うつぶせ」と言って引っ繰り返す、といった小ギャグも自然で良い。
旦那が小判を出してきたところで
「いつ」「誰が」「何を」を繰り返す。
まあウケるけど、若干掴み込んでいる感じがして、あまり好みではないな。
旦那は小判を的に向けて投げる。
キレて引っ繰り返すよりも、その方が好み。
個人的には、もう少し旦那が悠々と的を狙う様子を見せて、
それに対して一八が徐々に焦っていく部分との落差を明確にする方が良いと思う。
「落差」の部分は弱く、徐々に焦っていくところ、
「的はこちらです」と言って旦那にアピールするあたりがメインになっていた。
確かにその後飛ぶに到る「金が欲しい」感情作りにはつながってはいるだろうから、
難しいところではあると思うが。
飛ぶところはもう少し「飛びたい」思いが盛り上がっていく感じが欲しい。
ここは「盛り上がる」のを見せるために、
もう少しクサ目に「見せる」意識で作った方が良いかも知れない。
飛んでいる時、もっと強く傘を握った方がいいかなあ。
強く握るからこそ、
「飛んだかよ」「怪我はないか」は、
旦那や芸者・舞妓連中と繁八で言い方が違う。
繁八の必死さが良い。
木の根元で小判を見つけた時の「根っこに小判」は
自然だし、爆発力のあるギャグでいいなあ。
上がってくるところの「ただいま」が割と冷静な感じがする。
これはいろいろな人の「愛宕山」で感じるのだが、少し引っ掛かる。
おそらく、その後の旦那の「上がってきよったで」の調子が上がるので、
その落差のために調子を落としているのかな、と思うのだが、
実際には「戻ってきた」喜びがあるだろうから、
もう少し調子を上げた方が良いのでは、と思う。
旦那は「で、小判は?」ではなく、
「20両はお前にやるぞ」と言って
サゲの「忘れてきた」につなげる。
そもそも旦那は、一八が小判を忘れて上がって来たことに気付いているのか、
というところ。
露骨に出すべきではないが、
ハラとしては持っておく必要があると思う。
旦那が気付いていないのだとすると、
この振りの方が旦那の台詞として自然だろう、と感じる。
対談「夕焼け日記」
「兵庫船」の難しいところ、
「愛宕山」をやる時に見台を置くか袴を履くか、
「愛宕山」や「野崎詣り」の伝わったラインの話やネタの「熟成」、
何故か弓の話など。
「兵庫船」がある種難しい、という話は
いろいろなところで聞くなあ。
確かに、個人的には「損なネタ」のイメージがある。
早い段階に落語のリズムや間を身に付けるためのネタなのだろう。
「気」という言葉が多く出てくる。
私が「落語はこうするべきだ」と感じるものと似ているから、
私はこの会に通っているのだろうな。