「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山節)読了。
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第1章から第3章は、著者の体験をベースにした話。
第4章、第5章は観念的、或いは思想ベースの話。
で、第6章で纏める、という構成。
なのだが、纏め切れていない印象。
竜頭蛇尾っちゃ竜頭蛇尾だが、
実際難しい課題であり、
このような纏まり方がリアルなのかも知れない。
第4章、第5章は特に目新しい理論を展開している訳ではないが、
現代思想や歴史観について整理されており、分かりやすい。
個人的には「理性」「事実」しか広汎なコミュニケーションの共通基盤にならないと思うので、
言っても仕方がないと感じる。
アンチテーゼとして評価する余地はあるが、
主旋律にはならないし、
学問を宗教にしてしまうからするべきでもないと思う。
あと、「キツネにだまされる」のは農村の物語であり、
都市化する中で消失していく物語なのでは、と感じた。
「王子の狐」なんか代表的だが、
都市では早い段階で「狐が人を騙す」素朴なイメージを
茶化す感覚が生じているのではないか。
この本は農村ベースで書かれているので全く触れられていないが、
そのあたりに不足感はある。
ただ、この本を読んでいろいろ感じたこともあり、収穫はあった。
一つは、落語の演じ方で特に近年、
科学的、というか理屈っぽくなっている感覚があったのだが、
その裏付けのようなもの。
私は「竹の水仙」のような左甚五郎ものが好きなのだが、
例えば「新しい竹は水を吸うから」といった理由付けが為されることがある。
でも個人的には、
左甚五郎は名人だから、という理由だけで、
作ったものが水を吸って花を咲かせたり、動き出したり、妊娠させたりする、
で良いと感じている。
そのあたりにギャップがある。
そこに理由が求められるのは、「理性」に絡め取られた一つの現われなのかな、と感じた。
でも理由付けに拘り過ぎると、
「ウッソだあ」と思われるようなネタが出来なくなる自縄自縛に陥ると思うのだが。
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第1章から第3章は、著者の体験をベースにした話。
第4章、第5章は観念的、或いは思想ベースの話。
で、第6章で纏める、という構成。
なのだが、纏め切れていない印象。
竜頭蛇尾っちゃ竜頭蛇尾だが、
実際難しい課題であり、
このような纏まり方がリアルなのかも知れない。
第4章、第5章は特に目新しい理論を展開している訳ではないが、
現代思想や歴史観について整理されており、分かりやすい。
個人的には「理性」「事実」しか広汎なコミュニケーションの共通基盤にならないと思うので、
言っても仕方がないと感じる。
アンチテーゼとして評価する余地はあるが、
主旋律にはならないし、
学問を宗教にしてしまうからするべきでもないと思う。
あと、「キツネにだまされる」のは農村の物語であり、
都市化する中で消失していく物語なのでは、と感じた。
「王子の狐」なんか代表的だが、
都市では早い段階で「狐が人を騙す」素朴なイメージを
茶化す感覚が生じているのではないか。
この本は農村ベースで書かれているので全く触れられていないが、
そのあたりに不足感はある。
ただ、この本を読んでいろいろ感じたこともあり、収穫はあった。
一つは、落語の演じ方で特に近年、
科学的、というか理屈っぽくなっている感覚があったのだが、
その裏付けのようなもの。
私は「竹の水仙」のような左甚五郎ものが好きなのだが、
例えば「新しい竹は水を吸うから」といった理由付けが為されることがある。
でも個人的には、
左甚五郎は名人だから、という理由だけで、
作ったものが水を吸って花を咲かせたり、動き出したり、妊娠させたりする、
で良いと感じている。
そのあたりにギャップがある。
そこに理由が求められるのは、「理性」に絡め取られた一つの現われなのかな、と感じた。
でも理由付けに拘り過ぎると、
「ウッソだあ」と思われるようなネタが出来なくなる自縄自縛に陥ると思うのだが。