昨日は「らくご道」へ。
少し早く着いてしまったので、例によってジュンク堂で時間つぶし。
圓生の「寄席切絵図」などに軽く目を通した。
この本はまた買うかも。
「前説」(生喬)
マフラーの話、新派の公演を見に行った話など。
自分の趣味の話を自分のペースですることが多いな。
面白かったが。
「佐々木裁き」(こごろう):△
自分の子どもの話をマクラに振ってネタに入る。
子どもは生き生きして良いのだが、
覗いている奉行・侍はもう少しおさまっている方が良いと思う。
「お奉行事」ごっこは、本当に喧嘩をしていたところを
四郎吉がお裁きするようにやっていた。
喧嘩した2人の子どもを「泣く子」「憎たらしげな子」として詳しく描いてウケをとっていた。
この作り方は初めて見たが、これはこれで良いな。
帰ってきて「葬式事」を具体的に描写していたのが面白い。
「商売物の桶を棺桶に使っている」など。
「佐々木信濃守」を四郎吉が言って桶屋が止める訳だが、
少し「佐々木信濃守」と何度も言わせ過ぎかな、と思った。
父親として、もう少し早めに止めるだろう、と思う。
お裁きの場面、あまり演っていないネタらしく、全体に流れがちだった。
子どもの可愛らしさとこまっしゃくれた感じのバランスは悪くないが、
やはり奉行の重々しさ、尤もらしさが弱く、
そんな奉行が子どもにやり込められることやその繰り返しによるウケが弱かった。
やり込められ続けたり、色々言われ続けることによる奉行の変化を
もう少し付ける必要があると思う。
テキストとして「一本取られよった」といった地の文が多いので、
なかなか全体的な流れを作りにくいのかも知れない。
このあたりが講釈っぽく、あまり落語的でない印象。
地の文は少なく、できるだけ描写で奉行の変化を描き、
「とかく銭のある方に傾くわ」だけ地の文にして強調する、
くらいのバランスで良いかも。
「替り目」(生喬):△+
「上方亭で○かじりの会」の話、
「怪談猫魔寺」の話から市楼の話、酒の話、
「日か月か」の小咄を振ってネタへ。
松枝から習ったらしい。
俥屋に対する「あっちぃ行けぇ」や「バカモノ」など、
松枝っぽいフレーズ・動きが多い。
テキストとしてあまり好みではない。
科白の多いところ、理屈っぽいところが少し鼻に付く。
酔っ払いの作り方、
口調は作られており、表情付けもまあまあなのだが、
姿勢がずっときっちりしていることに違和感を持った。
酔っていない人(おかみさん・うどん屋)とそこは違うと思う。
おかみさんへの感謝は、
何となく思っていることがふっと出て、ぼそぼそ喋っている感じが良かった。
ここで切らず、うどん屋の件りに入る。
後の対談で「切ることはほとんどない」と言っていた。
「上燗」の話で軽く「替り目」という言葉を出していたが、
サゲの「替り目」とは意味が異なるように感じた。
松枝っぽい科白が気になることはあったが、
酔っ払いの雰囲気は出ていて良かった。
ここでも友達の娘の話をいろいろ言うところ、
酔っ払いの陰の部分が出ている、と感じた。
独り喋りの時にもあったのだが、
「自分に子どもがいない」ことへの感慨が科白に出ていた。
酔っ払いのベースにこの意識があるという作りは初めて見たが、まあ、あり得るかな。
少し重くなるきらいがあるので、良し悪しとは思うが。
対談「夕焼け日記」(生喬・こごろう)
「佐々木裁き」「替り目」の話から、松枝の(酔態を中心とする)いろいろな話、
こごろうの南天襲名に向けて?の独演会などのネタに関する話。
考えたら「七代目に松葉」指名の時、生喬は当然入門していたんだな。
そんな話が出た忘年会の後で
酔い潰れていたという松喬も凄い、と思った。
少し早く着いてしまったので、例によってジュンク堂で時間つぶし。
圓生の「寄席切絵図」などに軽く目を通した。
この本はまた買うかも。
「前説」(生喬)
マフラーの話、新派の公演を見に行った話など。
自分の趣味の話を自分のペースですることが多いな。
面白かったが。
「佐々木裁き」(こごろう):△
自分の子どもの話をマクラに振ってネタに入る。
子どもは生き生きして良いのだが、
覗いている奉行・侍はもう少しおさまっている方が良いと思う。
「お奉行事」ごっこは、本当に喧嘩をしていたところを
四郎吉がお裁きするようにやっていた。
喧嘩した2人の子どもを「泣く子」「憎たらしげな子」として詳しく描いてウケをとっていた。
この作り方は初めて見たが、これはこれで良いな。
帰ってきて「葬式事」を具体的に描写していたのが面白い。
「商売物の桶を棺桶に使っている」など。
「佐々木信濃守」を四郎吉が言って桶屋が止める訳だが、
少し「佐々木信濃守」と何度も言わせ過ぎかな、と思った。
父親として、もう少し早めに止めるだろう、と思う。
お裁きの場面、あまり演っていないネタらしく、全体に流れがちだった。
子どもの可愛らしさとこまっしゃくれた感じのバランスは悪くないが、
やはり奉行の重々しさ、尤もらしさが弱く、
そんな奉行が子どもにやり込められることやその繰り返しによるウケが弱かった。
やり込められ続けたり、色々言われ続けることによる奉行の変化を
もう少し付ける必要があると思う。
テキストとして「一本取られよった」といった地の文が多いので、
なかなか全体的な流れを作りにくいのかも知れない。
このあたりが講釈っぽく、あまり落語的でない印象。
地の文は少なく、できるだけ描写で奉行の変化を描き、
「とかく銭のある方に傾くわ」だけ地の文にして強調する、
くらいのバランスで良いかも。
「替り目」(生喬):△+
「上方亭で○かじりの会」の話、
「怪談猫魔寺」の話から市楼の話、酒の話、
「日か月か」の小咄を振ってネタへ。
松枝から習ったらしい。
俥屋に対する「あっちぃ行けぇ」や「バカモノ」など、
松枝っぽいフレーズ・動きが多い。
テキストとしてあまり好みではない。
科白の多いところ、理屈っぽいところが少し鼻に付く。
酔っ払いの作り方、
口調は作られており、表情付けもまあまあなのだが、
姿勢がずっときっちりしていることに違和感を持った。
酔っていない人(おかみさん・うどん屋)とそこは違うと思う。
おかみさんへの感謝は、
何となく思っていることがふっと出て、ぼそぼそ喋っている感じが良かった。
ここで切らず、うどん屋の件りに入る。
後の対談で「切ることはほとんどない」と言っていた。
「上燗」の話で軽く「替り目」という言葉を出していたが、
サゲの「替り目」とは意味が異なるように感じた。
松枝っぽい科白が気になることはあったが、
酔っ払いの雰囲気は出ていて良かった。
ここでも友達の娘の話をいろいろ言うところ、
酔っ払いの陰の部分が出ている、と感じた。
独り喋りの時にもあったのだが、
「自分に子どもがいない」ことへの感慨が科白に出ていた。
酔っ払いのベースにこの意識があるという作りは初めて見たが、まあ、あり得るかな。
少し重くなるきらいがあるので、良し悪しとは思うが。
対談「夕焼け日記」(生喬・こごろう)
「佐々木裁き」「替り目」の話から、松枝の(酔態を中心とする)いろいろな話、
こごろうの南天襲名に向けて?の独演会などのネタに関する話。
考えたら「七代目に松葉」指名の時、生喬は当然入門していたんだな。
そんな話が出た忘年会の後で
酔い潰れていたという松喬も凄い、と思った。