一昨日は動楽亭の昼席へ。
土曜日ということもあり、開場前に15人ほど並んでいた。
結局40から50人程度の入り。
「強情灸」(吉之丞):△
吉朝一門にしては、荒い口調の人だな。
マクラ、ネタともまあまあ。
灸の熱さを感じての転換が弱い。
悶絶する場面は短くて、それは悪くないが、
もう少し必死さが欲しいと感じた。
サゲを変えていた(「強情はやめる、灸がこたえた」みたいな話)が、
従来のサゲの方が「この程度では強情が直らない」根深さがあって
良いと思う。
「鷺とり」(佐ん吉):△+
少し喋ってネタに入る。
「鳥とり」、鶯はやらずに「さーぎー」をやって「鷺とり」。
ニワカはなし。
きっちり演っているし、受けにこの人のふわっとした面白さが出ていたが、
全体には淡々としており、少し眠くなった。
あと、全体に照れというか飽きがあり、
自己言及的なギャグでウケを取りにくるのはあまり好みではない。
「鳥とり」で、さのさの歌詞から欠伸になる流れが、自然で良いと思う。
「牛ほめ」(福矢):△+
テレビショッピングのマクラ。
ありがちな話ではあるが、面白いネタを見付けて丁寧に伝えながら、
強みのツッコミを入れる。
そのあたりがハマり、きっちりウケをとっていた。
ネタは、上下の振り方の荒さが気になる。
振るのに時間がかかるため、振りながら人物が替わっていることが多い。
喋り方にクセがあるが、そこはあまり気にならなかった。
池田で妙な仕草や喋り方のおかしさでウケていた。
あまり好みではないが。
「淀川」(円三):△
初めて見た。
何となく左南陵に似ている。
噺家ではなく講釈師のような、
しかも100%プロではないような喋り口。
手首に数珠を巻くのは止めた方が良いと思う。
マクラは「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」の意味の話。
恐らく如何にも噺家、のホラだが、あまりウケてもいない。
店を近所の連中が取り巻いて主人にいろいろ喋っている様子は、
何となく市井の日常が垣間見えて悪くない。
ただこのネタ、具体的な捌く様子などを見せると
子どもをまな板の上にあげるところやサゲが生臭くなり、
たださえ笑いづらいこのネタが、さらに笑いづらくなるように思う。
また、子どもを上げるに到る会話もくどく感じた。
あと、鰻の値段を言われた時に「よそでその値段を出したら買える」てなことを
言っているのだが、
この坊さんは生臭ではなかろうから、
鰻の値段やそれを買う、といった科白は入れない方が良いと思う。
地の部分の多いことや、
いろいろな部分で設定の詰めの甘さ、
雑さを感じる。
「親子酒」(竹林):○-
身辺の話や車内での話、ネタになっている話をしてネタへ。
江戸風の「親子酒」で、これはこれで面白い。
親子で禁酒の決めをする場面は少しくどいかなあ。
もっとあっさり決めてしまって良いと思う。
独り父親がうだうだ喋るところで、
以前は妙な時事ネタが入っていて浮いていたが、
この日は古風な感じで良かった。
父親の、理屈が通っているような通っていないような酒のねだり方が楽しい。
酔っ払いは決して上手くないが、
酒好きな親子の雰囲気が出ていて良かった。
「文七元結」(ざこば):○-
メクリが逆さまになっており、
あおばが直そうとするところを制して出てくる。
確かに落語ファンにしろ、そうでない客にしろ、
皆がざこばを知っている訳だからメクリに拘る必要はないわな。
韓国の話、カジノの話をしてネタへ。
ネタ下ろし、とのこと。
さすがに人名などで少し詰まるところはあったが、
左官の辰五郎(江戸では長兵衛)にざこばの気が入っていて悪くなかった。
個人的には、お光の父親に対する訴えかけが強いかな、と感じる。
「身を売ろうとする」ような自己犠牲と、
父親への訴え掛けの強さの整合性がとれないのでは、と思う。
「娘が売れる」と辰五郎が言うのはイマイチ。
「売りたくない」思いがベースにあって改心する、という作りの方が
クサいが分かりやすいと思う。
金を与えるところ、
上方の人間には分かりづらい心意気か、とも思っていたが、
その点ではそう違和感もなく聞けた。
上方・江戸の違いより、「職人である」ハラが強く作れていれば
特に問題もないのだろう。
最初に「50両盗られた」文七の話を聞いて、
自分は盗られていないか、と辰五郎が自分の懐を探ってみるのは自然で良い。
ただ、投げ与えるところのポイントとなった文七の科白や設定は
よく分からなかった。
また、一度出した財布をまた仕舞ったり、値切ったりするのは、
ウケにはつながるが個人的には好きではない。
誰かが通ってくれれば、と思ったり、
自分が時間潰ししてから通れば良かった、と嘆くのはあまり気にならない。
「飛び込んで向こうの岸から上がったら」は興味深いところ。
このあたり、自分が主体的にどうこうできる部分について触れると、
何となく違和感を持ってしまうのだろう。
一度投げ与えた後、文七が追いかけてくる。
その追いかけてくる文七に対して、娘のことを言って祈ってくれ、と言う流れ。
間違えたのかも知れないし、文七が放心している方が自然だとも思うが、
橋の上で言うのも妙なところがあるので、
これはこれであり得るかも知れない。
金を文七にやった後も、文七の店の話には戻らず、かみさんとの口論。
ここに主と文七が入ってくる形。
歌舞伎っぽいのかな。
新町のお茶屋の件を巡るちょっとしたウケ所はないが、
辰五郎が徹底されるので、この作り方も悪くないと思う。
「百両を返す」ところ、一度断っておかみさんに言われて返してもらう流れだが、
ここはやはり納得しづらいところ。
お光が入ってくる場面も、やや盛り上がりに欠けた。
少し照れがあったのかも知れない。
特にサゲはつけずに、客席に喋って終わり。
辰五郎に感情移入して喋れるので、
ざこばに合ったネタだと思う。
土曜日ということもあり、開場前に15人ほど並んでいた。
結局40から50人程度の入り。
「強情灸」(吉之丞):△
吉朝一門にしては、荒い口調の人だな。
マクラ、ネタともまあまあ。
灸の熱さを感じての転換が弱い。
悶絶する場面は短くて、それは悪くないが、
もう少し必死さが欲しいと感じた。
サゲを変えていた(「強情はやめる、灸がこたえた」みたいな話)が、
従来のサゲの方が「この程度では強情が直らない」根深さがあって
良いと思う。
「鷺とり」(佐ん吉):△+
少し喋ってネタに入る。
「鳥とり」、鶯はやらずに「さーぎー」をやって「鷺とり」。
ニワカはなし。
きっちり演っているし、受けにこの人のふわっとした面白さが出ていたが、
全体には淡々としており、少し眠くなった。
あと、全体に照れというか飽きがあり、
自己言及的なギャグでウケを取りにくるのはあまり好みではない。
「鳥とり」で、さのさの歌詞から欠伸になる流れが、自然で良いと思う。
「牛ほめ」(福矢):△+
テレビショッピングのマクラ。
ありがちな話ではあるが、面白いネタを見付けて丁寧に伝えながら、
強みのツッコミを入れる。
そのあたりがハマり、きっちりウケをとっていた。
ネタは、上下の振り方の荒さが気になる。
振るのに時間がかかるため、振りながら人物が替わっていることが多い。
喋り方にクセがあるが、そこはあまり気にならなかった。
池田で妙な仕草や喋り方のおかしさでウケていた。
あまり好みではないが。
「淀川」(円三):△
初めて見た。
何となく左南陵に似ている。
噺家ではなく講釈師のような、
しかも100%プロではないような喋り口。
手首に数珠を巻くのは止めた方が良いと思う。
マクラは「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」の意味の話。
恐らく如何にも噺家、のホラだが、あまりウケてもいない。
店を近所の連中が取り巻いて主人にいろいろ喋っている様子は、
何となく市井の日常が垣間見えて悪くない。
ただこのネタ、具体的な捌く様子などを見せると
子どもをまな板の上にあげるところやサゲが生臭くなり、
たださえ笑いづらいこのネタが、さらに笑いづらくなるように思う。
また、子どもを上げるに到る会話もくどく感じた。
あと、鰻の値段を言われた時に「よそでその値段を出したら買える」てなことを
言っているのだが、
この坊さんは生臭ではなかろうから、
鰻の値段やそれを買う、といった科白は入れない方が良いと思う。
地の部分の多いことや、
いろいろな部分で設定の詰めの甘さ、
雑さを感じる。
「親子酒」(竹林):○-
身辺の話や車内での話、ネタになっている話をしてネタへ。
江戸風の「親子酒」で、これはこれで面白い。
親子で禁酒の決めをする場面は少しくどいかなあ。
もっとあっさり決めてしまって良いと思う。
独り父親がうだうだ喋るところで、
以前は妙な時事ネタが入っていて浮いていたが、
この日は古風な感じで良かった。
父親の、理屈が通っているような通っていないような酒のねだり方が楽しい。
酔っ払いは決して上手くないが、
酒好きな親子の雰囲気が出ていて良かった。
「文七元結」(ざこば):○-
メクリが逆さまになっており、
あおばが直そうとするところを制して出てくる。
確かに落語ファンにしろ、そうでない客にしろ、
皆がざこばを知っている訳だからメクリに拘る必要はないわな。
韓国の話、カジノの話をしてネタへ。
ネタ下ろし、とのこと。
さすがに人名などで少し詰まるところはあったが、
左官の辰五郎(江戸では長兵衛)にざこばの気が入っていて悪くなかった。
個人的には、お光の父親に対する訴えかけが強いかな、と感じる。
「身を売ろうとする」ような自己犠牲と、
父親への訴え掛けの強さの整合性がとれないのでは、と思う。
「娘が売れる」と辰五郎が言うのはイマイチ。
「売りたくない」思いがベースにあって改心する、という作りの方が
クサいが分かりやすいと思う。
金を与えるところ、
上方の人間には分かりづらい心意気か、とも思っていたが、
その点ではそう違和感もなく聞けた。
上方・江戸の違いより、「職人である」ハラが強く作れていれば
特に問題もないのだろう。
最初に「50両盗られた」文七の話を聞いて、
自分は盗られていないか、と辰五郎が自分の懐を探ってみるのは自然で良い。
ただ、投げ与えるところのポイントとなった文七の科白や設定は
よく分からなかった。
また、一度出した財布をまた仕舞ったり、値切ったりするのは、
ウケにはつながるが個人的には好きではない。
誰かが通ってくれれば、と思ったり、
自分が時間潰ししてから通れば良かった、と嘆くのはあまり気にならない。
「飛び込んで向こうの岸から上がったら」は興味深いところ。
このあたり、自分が主体的にどうこうできる部分について触れると、
何となく違和感を持ってしまうのだろう。
一度投げ与えた後、文七が追いかけてくる。
その追いかけてくる文七に対して、娘のことを言って祈ってくれ、と言う流れ。
間違えたのかも知れないし、文七が放心している方が自然だとも思うが、
橋の上で言うのも妙なところがあるので、
これはこれであり得るかも知れない。
金を文七にやった後も、文七の店の話には戻らず、かみさんとの口論。
ここに主と文七が入ってくる形。
歌舞伎っぽいのかな。
新町のお茶屋の件を巡るちょっとしたウケ所はないが、
辰五郎が徹底されるので、この作り方も悪くないと思う。
「百両を返す」ところ、一度断っておかみさんに言われて返してもらう流れだが、
ここはやはり納得しづらいところ。
お光が入ってくる場面も、やや盛り上がりに欠けた。
少し照れがあったのかも知れない。
特にサゲはつけずに、客席に喋って終わり。
辰五郎に感情移入して喋れるので、
ざこばに合ったネタだと思う。