小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

資本主義を変えるのは、政治家には無理だ

2021年10月12日 | エッセイ・コラム

百代目首相の「新しい総理」岸田文雄氏が「新しい資本主義」を打ち出した。その舌の根が乾かないうちに、「成長なくして分配できるとは思えない」と述べたという。
「所得倍増」や「金融所得課税の強化」も棚上げしたとのことで、こんな調子では「新しい資本主義」はとうてい覚束ないだろう。
そもそも「新しい資本主義」のコンテンツについて何も知らされていないし、それにツッコミを入れる経済評論家はじめマスメディアにしても、鋭い批評ネタや経済学的な論拠の持ち合わせようがない。

この国の「経世済民」は、相変わらず表層を論議するだけの政治談議でおわってしまう。
小生、総裁選挙のときから首班指名は岸田氏の一択だった。自民党の改革なんて幻想だ。岸田新総理は、自民党存続(=既得権益層)の本命的安全パイとして見做されていただけのこと。

「新しい資本主義」云々は後から聞いたが、土台「新しい」というコンセプトだけじゃ、竜頭蛇尾の尻すぼみになるのは想定済み。それにしてもあっけないほどの方針転換で、あまりに情けないカッコエーシーといえる。

まあ、小石河連合政権になったとしても、その勢いは半年ぐらいで混乱域に突入すると考える。万が一安倍関連の法務&財務がらみの真相解明に着手したとしても、お茶を濁す程度で終わり。コロナ対策や経済復興の抜本的なてこ入れも中途半端な気がする。

一方、野党はどうかといえば結果は期待薄である。官僚からそっぽを向かれたらこの国は二進も三進もゆかないからだ。

さて、「新しい資本主義」について引きつけて考えたいことがあり、良いめぐり合わせだと思い、資本主義の未来形について考えてみたい。まあ、乏しい知見からしか資本主義の行く末を想像するだけだが・・。

この先、SDGs&DXに本気に取り組むとすれば、2,30年先を見据えたプログラムが必要であるし、自前の「AI開発」を国家事業の根幹に据える体制がないと達成できない。もちろん、省庁再編と同時に脱炭素化へのエネルギー体制再編は同時に実施される。とうぜん私たちの生活もパラダイムが変換するぐらいの大きな意識変化、働き方の改革が求められる。

ただし、団塊世代をふくめ私たち高齢者が漸次この世から退場してゆくので、社会保障費などの負担も和らいでいく。
この辺のデータサイエンスはたぶん管理され、見通しは立っているはずだが、財務省当りが財政の勘所、手の内を見せないのは織り込み済み。国民の税負担を軽くしよう、なぞという腹積りはさらさらないだろう。

北欧のように一国の総人口が1000万人ぐらいだったら、抜本的な社会変革は可能だが、日本のように1億人を超える大国だと鈍くなる。格差や分断を調整するだけで、多大な労力と時間を要する。AIの次なる進化段階までいかないと達成できないし、多国間とのギャップを埋めるのも大きな課題だ。

これらを織り込んだ制度設計は、既得権益保持者たちとの血で血を争う抗争もあろうし、明治維新の時のような無知序的な混乱が生じないかぎり、なんら変革への機運は生じない。残念だが、すべてはアメリカにおんぶにだっこというか、アメリカのそれを見て、都合のいいように収束にもちこむ感がある。

最後に「新しい資本主義」とはなにがどうなるのか・・。

マルクスの時代のそれが、古典的資本主義だとすると、二つの世界大戦の戦禍を経験して、金融優先資本主義へ移行した。IMFや世界銀行の創出もその一環だ。その後、ヨーロッパ統合があって「リベラル型効能」資本主義が北欧で生まれた。英独仏もそれに続くはずだったが、ISのテロ&難民問題によって挫折。

資本主義そのものは、本質的には金融資本(暗号資産を含む)に左右されない、データサイエンス指向の実体経済をめざしていると思われる。

今後、金融バブルとか核戦争(生物兵器を含む)、あるいは異常気象による災厄など抜きして考えるとすれば、緻密なデータサイエンス指向の堅実な実体経済に即したグローバルな枠組みをつくるのが理想となる(だからAIが必須なのだ)。

ただし、GAFAMはじめ超富裕層、権力者たちの御用経済学者が時折、数理モデル先行のアクロバティック理論経済を提唱し、どういうわけかそれに振り回される歴史を繰りかえしている。ので、アメリカ発信のその手の学説は、ほんとに要注意だ。

ちなみに「新しい資本主義」にかわるネーミングとして、今のところSDGs型と脱炭素型に大きく分けられる。「□□□□資本主義」のように「□□□□」に代わる言葉として「循環型」「ドーナツ」「サスティナブル」「脱成長」「グリーン」「再生可能」などの挙げられている。いずれもコンセプトは似たり寄ったりで、論者の多少の力点が違うだけの命名だとおもう。

その他に個人的に注目しているのは、「監視型資本主義」や「倫理資本主義」などのように社会学や哲学の概念を援用したもので、今後さらに進・深化系の学問が期待されている。

個人的には端的な「AI型資本主義」を待望している。シンギュラリティ(今のところ2045年想定)以降、つまり「AIが新たなAIをつくる」時代になると、人種や地域、さらにアイデンティティやジェンダーなどの格差はなくなり、所得格差の不満も解消される社会が到来すると考える(能力差、個人の努力差もAIによって理想的に判断される)。まあなんとか、未来は捨てたもんじゃないといえる時代が来る。能天気な戯言と断じられても甘んじて受け入れよう。

 

 黄昏があれば夜明けもある。万物は流転する。なんの不足もない。

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
新しい資本主義 (rakitarou)
2021-10-16 07:34:16
面白いテーマですね。BSNHKで放送された「欲望の資本主義・特別編」でも小寄道様が注目される「倫理」を重視して宇沢弘文氏が提唱した「社会共通資本」を大切にする考え、「資本主義を飼いならす」といった表現が使われていました。
資本運用による実利益を追求するのが本来の姿ですが、それが行き詰った現在やはり新しいやり方が必要と思います。共産主義を見直すという動きも出ています。私としてはあまりAIには期待していません。AIを作り、動かすのは神ではなく所詮人間なので。
返信する
孫たちに明るいなにか (小寄道)
2021-10-16 19:58:47
コメントありがとうございます。
なぜかブログを楽しく書けない昨今、記事を少しでも目にとめてもらい、コメントを寄せていただく。ありがたく、感謝の言葉しかありません。

私とて内心は、AIにすべてを託したいとは考えていないのです。ですが、これからの地球環境と人間の活動を考えるとき、資本主義経済のダイナミクスはまず先細りが目に見えます。
成長する分野は限られ、資本や利益の再配分は偏りがでる。人々へのBIで、市場は活況を呈すでしょうか?

以前ハラリの『ホモ・デウス』を読み、AIをはじめビッグデータやテクノロジーを駆使して、われわれ人類は神になるべく道をたどるとありました。
ですが、ハラリはたぶん苦々しい思いで、人類による制御は不能にならざるをえないと、予言するしかなかった。
そうです、人類がこの地球を制御できると考えるのは不遜です。
神にちかい存在ならましですが、ヒットラーよりも倫理的で、誰もが納得する独裁者が現れたら、人々は盲目になるんじゃないでしょうか。
その結果はたぶん、目が覚めればポピュリズムは暴走し、独裁者は強く反動するしかない。歴史の反復。

そんなこんなで極めて短絡的ですが、AIがより進化して次なるAIを創造する時代になれば、少なくと一日3時間週休3日ぐらいの労働でみんな仲良く生活できるのではないか、と。
これぐらいのお気楽で明るい未来を、2050年以降に生まれる子供たちに語りたいなと・・。
もちろんアルゴリズムは人間が日々進化させなくてはなりませんが、税金の運用や資本の再配分ぐらいAIに任せた方が平等だし、問題が少ないのじゃないかと・・。
ほんと、この楽観さは自分でもなんとかしたいですけどね。妄言多謝
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。