時里二郎の詩集『石目』の装丁をした柄澤齊の個展が開かれているので、銀座に行ってきた。ついでにというわけではないが、建石修志の新作展も銀座の島田画廊でやっていたので合せて鑑賞した。
柄澤齊の作品世界および美術技法については、時里二郎のブログ『森のことば、ことばの森』に詳しく、詩論のように格調高い文章だ。是非ともそちらに・・。⇒https://loggia52.exblog.jp/27548599/
▲村越画廊 並木通りにあるが、この齢になっても何かときめく場所だ。
▲案内状を見開くと・・
木口木版画の制作を専らとした柄澤は、新たな技法を確立した。和紙に墨や煤を使った水墨画風のイメージ画を描き、それに幻想的な人物、動物、事物などのミニアチュールを配置した、いわばコラージュである。精緻で細密な作風はこれまで通りで、作品はすべてダンテの神曲(天国篇は除く)をモチーフにした神秘的なイメージ画、総タイトルを『Comedia』としている。
小さいものは10㎝四方ほどで、近づき目を凝らさないと、コラージュされた人物が判然としない。濃淡のある水墨画はまさに宇宙を思わせ、仔細に観ると、そのなかの5ミリ弱の人物が今にも動きだすかのような気配を漂わせる。凄い発想だ。原題『神聖喜劇』のなかの世界観が、この小さな画に凝縮されている。極小のなかの「漆黒の宇宙」が果てしなく広がっていく錯覚さえも覚える。
一つひとつの作品タイトルも『煉獄篇』『地獄篇』から引用されている。受付にカバーのない岩波文庫の『神曲』がおいてあり、どのページから引用されたか分かるように付箋がつけてある。その書きこみもまた柄澤らしい端正なもので、芸術家としての人柄が伝わってくる。
それとは別に、会場の片隅に柄澤齊が所有する、大正6年(!)に洛陽堂が発行した『神曲』の三部作がさりげなく置いてあった。これは稀覯本というより文化財といっていい。革の装丁で、値段をみると壱円九拾銭とあった。写真を撮らせてもらったが、残念ながらピンボケだった。その代りといってはなんだが、彼の著書を載せる。
▲やっと手にした『銀河の棺』、彼の文章もまた精緻にして流麗である。
▲小説家としての顔をもつ柄澤齊。『ロンド』は「このミス、凄い!」でランクインした。
途中、三愛ビルのリコーでテラウチマサトの写真展『フィンセント・ファン/ゴッホ ほんとうのことは誰も知らない』を覗いてきた(存じあげない写真家で、ニューヨークを拠点に活動しているらしい)。
アルルなどゴッホにちなむフランス、ドイツの各所を訪ね、現在の風景、建築物を撮影した美しい写真がならぶ。ヨーロッパの田舎は、現在にいたってもその景色を変えていない。少なくとも、ゴッホが生きていた時代の森、田園、建物はそのまま変わりなく、そこに現存しているに違いない。
一昨年にみたゴッホの実写アニメーション映画を再び見たくなった。
最後に、3丁目の青木画廊、建石修志展「肖像から表層へ」に行く。この人は柄澤と同じく、方法は違うが、幻想かつ眩惑的な絵を描く人で、特に美青年の肖像画には定評がある。
▲過去の建石修志の作品
かつて、詩人高柳誠の詩集三部作があり、柄澤齊・建石修志・北川健次がそれぞれ装丁を担当したことがあった。
高柳誠については、別に稿を立てて書いてみたいことがあり、いつかアップしたい。
久しぶりの銀座であったが、行き交う人の半分が外国からのツーリストで、大半が北京語を話していた。約20年後の2040年には、一人当たりのGDP、中国人のそれは日本人をやや上回る。つまり、14億人の人口を擁する中国の国力は、日本の10倍以上になるという(現在は、日本の2倍だが、20年前には日本の1/4だった)。そのことを予感させるほどに、彼らは自信に満ちた表情で、銀座のあちこちを闊歩していた。