秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ・短編小説(初夏にて)

2012年06月13日 | Weblog
彼女に初めて会ったのは、一年前の春。
彼女の家は、山の中腹に立ち、周りは穏やかな山々に囲まれていた。
彼女の家の、石段を少し下りた場所に、畑があった。

彼女は いつもその場所で、地を這うように、肩で息をしながら
ひたすら 野良仕事に励んでいた。

訪問すると、彼女はテーブルの上に、郵便物を広げて、必ず私に見せる。
『妙なのいっぱい送ってくる、これは大事なもんかえ?』
人目でわかるそれは、
〈メール便〉の健康食品のサンプルが、数粒入っているものだった。

「おばちゃん、これな、どこの家にも送られてきとるよ。健康食品の会社からよ」
『大事なものじゃないんじゃの、誰がどうやって住所、調べるんだろ
うちは気持ち悪いわ、こんがなのは…』「心配ないよ、押し売りではないよ
捨てて大丈夫じゃけんな」

こんな会話が、度々続いた。彼女の家に届く、郵便物と言えば
公的機関の手続きの必要な書類か、メール便くらいなものだった。

16才を過ぎた頃から、この家に嫁ぎ、毎日朝夕は、畑に出ながら
60才位まで、土木作業員として働いていた。ご主人は一年前、先に逝き
一人で姑の介護をして、身体はボロボロになり
無理が祟って二年前、初めて倒れた。

息子は、一人っ子
都会にでて、家族を持って年に一度だけ、故郷に帰ってきていた。
たわいのない話しを、するときの、彼女の表情は、とても穏やかで、あれは、初夏の頃だった。

「うちのが、元気な時に、いっぺんだけ一緒に山へ行ったんじゃ~
うちんくの、山にはしらんまに、きれいな花、咲いとっての、それは、キレイなかった…
わたしゃ、おぶけたわ。あんな花、どこっちゃあで見たことなかったけん」
『旦那さんは、山に何回も登ったん』

冷めた湯呑みのお茶を、少しずつ口に運びながら、私は尋ねた。

「うちんくのは、死ぬ一年前くらいだっつろか、山へまたいたんじゃ、
水の元も見とかないかんての…ほんで、もんて悔やんだわ、
一年たったら、あのキレイな赤い花、無しんなっとるって…
ほんで、ようけ人が踏んで、踏んでしとったって…なんで、人が入ってきとんだろ…
うちんくの山や、なんちゃあ無いただの山ぞよ」

『花が見たかったんじゃなあ』
「だれぞに連れていてもろて、場所わかるんだろか
わたしは、うちんくのに、連れて行ってもろたきんの」

『おばちゃん、今の時代は、インターネットって言うのが出来てな
いっぺんに何でも広まるんよ。旦那さんは、それきり、山には行けだったん?』

「そうよ、あれが最後じゃ、爺さんと一緒に、炭焼きもしたし、炭焼いて
しもへ持って行って、米と換えた時もあったわ。昔は難儀ばっかり、しよったわ」

16で嫁ぎ、姑の世話、土木作業、野良仕事に追われ
何の道楽もせず、彼女は八十年近く、生きてきた。
ただ、毎日、鍬を杖がわりにして、生きてきた。

一年後
彼女の訃報が 私に届いた。
その日は、どんよりとした、曇り空だった。
彼女は 早朝から畑に出て、苗を植えていた。家の前の庭に、差し掛かる石段に
背中をもたれて、そのまま、息を引き取っていた。
彼女の死を
見つけた人は
一通のメール便を届けた、郵便配達の若者だった。

彼女が生涯
愛した山々の風景と
風に抱かれながら、
声もなく 呆気なく逝った。

おばちゃん
長い間 お疲れ様…
おばちゃん
赤い花の名前はね、
「ベニバナヤマシャクヤク」なんだよ。
きっと…
合 掌