秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年09月08日 | Weblog

愛犬「ゴン」と毎日散歩を楽しむ。というより、義務のようになっている。私の体力が主人にフラれてから、めっきり落ちた。体内にミミズか、モグラが寄生しているのではないかと思う位、太陽が苦手になった。雨の日が嬉しい。夕方になると、ホッとする。日が短くなった。「ゴン」と毎日歩いていると、移り変わりをライブで実感できる。
県道は、昔に比べれば随分と広くなった。四十年前は、この道を父のリヤカーを押して歩いた。リヤカー一台がやっとだった道も、今ではトラックが悠々と走れる。いつもの道。未来の貴重な救世主。
近所の子供に会う。子供は正直だ。私をおばちゃんと呼ぶ。気に入らないが、取り敢えず柔らかい笑顔で、返事をしてあげる。子供は杉林の方角を指さしながら、汗をかきかき私に言った。
「おばちゃん、あっちに猿がいっぱいおったよ!危ないよ~」
私は、やはり優しい百万ボルトの笑顔で、返事をした。
「ありがとう。大丈夫。この歳になると、怖いものが、なくなるのよ」
子供は、一瞬化け物をみるような目で私を見た。
そうなんです。私のこの世で一番怖いものは、白バイと取り締まり、白黒のパトカーのみ!制限速度で走っていても、あの白黒の車輌を発見したら、思わず急ブレーキを踏んでしまう。この急ブレーキで、何回助手席の主人の眠りを妨げたことかー。本能で踏んでしまうのだ。私が悪い訳ではない……と思う。
あれは26年前、免許を取って三ヵ月位して、初めて村から出て、挑戦した徳島市!助手席には免許を持たないイケイケギャグ。彼女の目的の場所にいざ、出陣。「なんじゃーこの訳、ワカらない道路~どこを走ればいいの!道がイッパイ、標識がイッパイ~」
全身が大泣きしていた!助手席の友人が、「この信号、左」とシレーと指さす左に急ハンドルをきった!今に思えば左横に車がいなかった事が、何より。イヤーな予感を感じながら、路地に入った。「ギャー、パトカーなんでやねん」友人は一瞬、他人の顔になった。警察屋さんが、棒らしきものを手に提げて、私を見て合図した。初対面だったが、私に何か言いたいことがあると、すぐに察知できた。私は鋭い勘の持ち主。
「ここ、一方通行ですよ~あちらの車線に渡ってあそこの警察署に来てくれるで~、わたしらが、こっちの車止めておくけんなー」警察屋さんは、優しいおじさんだった。友人は隣でひたすら私に謝っている真っ直ぐにさえ走れないのに、バックで広い車線にでて、あっちに移れなんて、なんと恐ろしい事を!訳がワカラナイという言葉は、こんな時に使うのだと、学習した。
訳のワカラナイままに、ギアーをバックにする!「オーライ、オーライ」おじさんが車線に出て、誘導してくれている。一瞬、記憶が曖昧?ドーンと鈍い音が、した。「あれ?」と思って後ろを見ると、警察屋さんが腰を押さえて、痛がっていた。私は優しい警察屋さんを敷き殺す!ところだった。
警察署の中で書類を書かされた。私は主張した。「祖谷には、あんな標識ありません。初めて見ました。大事な標識なら、もっと大きくして下さい」
警察屋さんは、少し同情してくれた。そして私に言ってくれた。
「頼むから、運転が上手になるまで、祖谷から出んとってくれるで。まだ、腰痛いわ」
あれから、白黒が恐怖になった。取り締まりは、背中から不意打ちに合うようで、気持ちが悪い。警察と私のレーダーとの戦いだ。
信号のない道を、今日も愛犬と歩く。緑のトンネル、葉っぱの傘、おかっぱ頭の、どんぐり発見。贅沢な風景に感謝! 合掌

初秋

2007年09月07日 | Weblog
屹立す 天狗仰ぎて 露の玉

晴れ、曇り、霧と変わり行く天気のもと
朝露を踏みしめて誰にも遇わず、ただひとり
黙々と稜線を歩くのみ。

地蔵の頭に鎮座するお地蔵さん、久保名の銘があり
昔の久保名の人達が担ぎ上げてお祀りしたのであろう。

しばしお参りして心を休めると清々しい気持ちになる

露の身や 地蔵の諭 清々し

菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年09月06日 | Weblog
お茶
太陽が西の方角に、ゆっくりと沈んでいく。山々の稜線は、一本の筆を滑らせたように、静かにその形を浮き上がらせている。傾斜のきつい斜面に建つ農家の周りは、今の季節、日没まで人影が途切れない。草刈り機の音が山々に響きわたる。高齢の方々は、カマを使い家の周りの雑草を刈り取っていく。黙々とひたすらに、刈り取っていく。主人の遺した名言の『冬になったら枯れる』の言葉などは、通用しない。祖谷に生まれ、祖谷に嫁いだ女は、草と結婚したのではないかと、私は確信している。冬の季節を除いては、その季節の大半を草と戦う。主人の贅沢病の証明とも呼べる「別荘」がある。標高800メートル。主人が幼い頃育った場所に古くから残っていた離れを、主人は改築した。もちろん、一人で行動を興す訳がない!いつも、私の仕事が休みの日、もしくは夕方。大工仕事に付き合わされた。トタン切りから始まり、すべての重労働。親バカならぬ、夫バカだった私は、ひたすら主人の贅沢に付き合った。一年一年が、約束されない事を判っていたから、眉間にシワを殖やしながらも、夫バカを続けた。そして完成した別荘。廻りは見事に雑草のオンパレード。茅が波打っていた。一年に三回位、別荘の廻りの草との戦いが始まった。とにかく、面積かひろい。親戚から泊まると連絡を受ければ、予定を変更して、草刈りの作業に充てる。夕方2時間位、草刈り機をひたすら使う。ナイロンの手袋は汗でビショビショになる。蜂も大敵だった。イノシシの掘った穴も、要注意だった。突然、足元をすくわれて、草刈り機を握りながら、ハラハラしたこともある。草刈り機は、長時間使用すると、モーターが回らなくなる。その時が、丁度休憩タイム。今降りて来た草むらを、重い草刈り機を提げて、別荘の方向に上がって行く。ここまで読んで、「あれ???」と思って下さった方々、ありがとうございます。そうです!主人はどこで登場するのか、心配は要りません。主人はここから登場するのです。
汗をタオルで拭いながら、別荘の縁側の方角を見る。翌桧の木の間から、主人が見えた。縁側で座って、何か小さな部品をいじくっている。こんな書き方は、仏様に失礼だ。縁側に座って、高度な機械部品を修理しようと、全身全霊を捧げていた。私が主人に、へとへとの声で、言う。
「父さん、休憩にするわー、お茶飲もう~」主人は、私に気が付き、声を発する。
「おー、休むかー」
私は、汗でくっついた長靴を縁側にひっかけて、無理矢理脱ぐ。冷蔵庫のドアを開け、ついでにヒタイを近付ける。縁側にペットボトルのお茶を運び、グラスを二つ。一気にお茶を注ぐ。喉はカラッカラッ。冷たいお茶を一気に飲む。私は向かいの山に向かい、一声!「あー、生き還った。美味しい!」
主人が隣で、お茶を飲み干す。じっくりと言う。
「おー旨いのーヤッパリお茶が一番じゃー」「ハア???」
主人は、マイペースだった。が、協調性はあった。確かに私の休憩に、見事に寄り添っていた。優しい人?だった。今になって思えば、草刈りに費やした時間は、何だったんだろう?とふと考える。私が「何だったんだろう」と想う時間が、今の祖谷の風景になっている。不思議な感じ。
本日も、終了。夏がゆっくりと秋とハイタッチしていく。蝉の声とコオロギの鳴き声。今は何の季節?取り敢えず、明日も庶民の気持ちに寄り添う為に、仕事に行ってきます。
合掌

初秋

2007年09月05日 | Weblog
刈り萱の 合間に聞きし 祖谷の唄
夜仕事や 納屋の灯りに 農夫おり

草刈作業は昔から重要なもので、畑の肥料作りに盛んに行われている
刈った草は所謂「くろ」にされて翌年の春まで乾かされ肥にする。

肥くろは中央に棒を立て草束を巻きつけて、水が入らないようにする
「くろまき」も経験の要る仕事であり、合間に鼻歌で草刈節を唄う人もいる。

<ヨイショヨイショで今日の日も暮れた 明日もヨイショで暮れりゃよい
お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで>

東祖谷の古い里唄の幾つかを紹介しよう

小島峠で菅生見ればヨ あいも変わらぬ徳島よエー
粉ひきばあさんよ お年はいくつよ
私しゃひき木と おない年よ

嫁じゃ嫁じゃと 嫁の名をたてるなよ
かわいいわが子も 人の嫁よ

菅生よいとこ 一度はおいでよ
底のない田で 米とれるよ

いやと云わずに また来てたもれよ
打って進んじょう 祖谷の蕎麦よ

粉ひけ粉ひけと ひかせておいてヨー
あらい細いと なじょたてるよ

あらい細いは 臼もとのからじょよ
私しゃ相びき そりゃ知らんよ

臼よはよまえ はよもうてしまえよ
門に立つ人 待ちかねるよ

都おもえば 月さえ曇るよ
飛んでいきたい あの空へよ





初秋

2007年09月03日 | Weblog
秋九月 三嶺の木にも 次郎にも
秋の宵 地酒すすみし 山家かな

初秋 色ずき始めた木々、風は透明な涼しさ
気持ちよい山歩きはあくまでもゆっくりと。

虫の輪唱を聞きながら杯を重ねる山家はしずかに。

菜菜子の気ままにエッセイ   SANE著

2007年09月02日 | Weblog
九月一日
私には、カンケイ無いと言いつつも、ついつい見てしまう。そう、世界陸上!ヤッパリスプリンター魂が、うずいてしまう。それにしても、織田裕二があんなに陸上が好きだとは、知らなかった。私は織田さんとは何の面識もないが、織田さんが選手の事を、みんな知り合いのように、応援している!外国の選手の名前を、友達のように応援してる!私は、外国選手、特にケニアの方々などはみんな同じ顔に見える。何を特徴にしてよいのか、さっぱり判らない。でも名前を覚えてみても、明日からの生活の糧になる訳でもないので、無駄な努力はしない。
今日は九月一日。主人の「燈籠上げ」そして十ヵ月の月命日。八月一日からお仏壇の横に吊してあった燈籠を、九月一日の夕方、河原や、お墓の傍で燃やす。祖谷地方では、一年吊したり、二年吊したり、まちまちだ。例の如く、夕べお坊さんに電話をした。何年吊したら一番良いのか、知りたかった。お坊さんは、「一年吊したら、燃やしていいんですよ」と教えて下さった。今の私には、お坊さんの言葉は竹野内豊の存在以上に、重い。教え通りに、夕方お墓で燃やした。燈籠は、プラスチックも混じっていて、少し摩訶不思議な気分だった。燈籠の由来を、詳しく知りたかった。何時の頃から、人工的になったのか…。ヒトツキの間、共に手を合わせてきた燈籠。燃えカスの中から、細い番線が浮き上がってきた。丁度全てが燃やし終わった頃、ぽつんぽつんと雨が、降り出した。主人のお墓の前に、座っていた八十四歳の私のおばさんに、空を見上げながら私が、言った。「火の始末、心配しなくていいね。丁度、雨降ってきたわー」おばさんがこちらを見て、言った。「雨、降らんけん、カラダがだるいわー」 ヤッパリ、会話が成立しなかった。ガックリ。最近、特に感じる。お正月に、親戚の家で雑談で、話した内容がふと、ヨミガエッテきた。私がおばさんに聞いた。「去年のレコード大賞、誰だったっけ?」おばさんが、答えた。「猫舌か、猫舌は痛いわ」おばさんは、まだ耳が遠くなっていることを、自覚していない?でもそんなこと、自然の事で当たり前。めちゃくちゃ変換される、会話も愛おしい。夕暮れの視界の中に、そばの小さな花のじゅうたんが白く拡がってくる。柔らかな花が、群れをなして拡がる。遠い昔から、受け継がれた険しい斜面の、光景。土地が枯れる事を、命より重く生きて来たで在ろう。祖先の魂が、息付いている。生きる為に、鍬を打つ。土地を守り続けて来た。白黒の世界に白の点が拡がる。九月一日終了。後一時間で明日。相変わらずイッコウに減らなかったお供えを、私の口に押し込みながら、主人との一身同体をかみ締めている。

初秋

2007年09月01日 | Weblog
祖谷の里 そばの花咲く 九月かな
穏やかに 二百十日も 過るかな

そばの花咲く祖谷の里も穏やかに一日が暮れてゆく

初秋に思うことは春から夏の花々が受難の道を歩んでいること
数年前からのネットによる影響でわっと押しかけて踏み荒らす

花や風景を見て癒されて帰り、仕事に頑張れる事は良いこと
人は自然、花に癒され、元気を貰うが、その自然、花が悲鳴を
上げているのに労わりの行動さえ起こさない。

数年間休ませてあげれば元気を取り戻すのに、
貰うことは欲張って貰うが、与える事は何もしない
悲鳴をあげている自然や花に暫くそっとしますから
元気になってくださいというお返しさえしない
山歩きの方がそれでいいのだろうか、理解に苦しむ。