Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

早川俊二展開催!~長野の北野カルチュラルセンターにて~その1

2015-06-10 | アート
週末長野の北野カルチュラルセンターでの「早川俊二 遥かな風景の旅」展に友達と行ってきました。

なんて表現したらいいのでしょうか・・・

早川絵画から生み出される不思議な力強い磁力によって、私たちの身体と心が美術館の空間と一体化し、目に見えない風となり、それが小さな竜巻のごとく体中を駆け巡っているような感じ。
しばらく足が宙に浮き、体がフワフワしていたような高揚感。
とにかく言葉が見つからないほどよかった・・・



今まで数年おきに狭いスペースのアスクエア神田ギャラリーでの作品発表で、そのたびにファンが広がり、コツコツ実績を積み上げてきたパリ在住の作家が早川俊二。
決して既存の美術団体には所属せず、日本での商業主義的なものから離れ、パリに住み続けて40年という独立独歩の道を選ぶ。



24歳で渡欧し、本場のミケランジェロやダビンチの西洋絵画の名作に衝撃を受け、黙々とデッサンに励み、20代はデッサンを確立するのに費やす。
自分なりの絵具の色を探し求めて、その色を探求し続けた30代。
その後もとほうもない時間を美の普遍性の創造に費やしてきた。
私たちには想像もつかない40年間の日々の努力の成果がこの回顧展には結実しているといえよう。
この展覧会は、3年前に長野で生まれ育った早川氏の同級生が中心となって、全国のファンを中心とした人々に呼びかけ、500人もの市民の協賛金や作品のカレンダーやハガキなどの収益金で開催された。
市民による手作りの稀有な展覧会であるといえる。

さて、展覧会の会場である北野カルチュラルセンターは、善光寺境内の参道から続く道に位置し、和情緒溢れる環境の中、3階建のクリーム色のモダンな建物が人々の目を引く。
この建物の1階から3階までのスペースが早川氏の人物画の大作や静物画の小品で埋め尽くされ、日本でのデビュー以来の63点もの作品が展示されるという贅沢な異空間となっている。



1階はデッサンの大作や1997年の名作「アフリカの壺」を含む初期の作品で始まり、私が1992年ジャパンタイムズの取材で取り上げた「右向きのアトランティック」という作品に23年ぶりに再会した。
水色を基調とした厚いマチエールでアトランティックという少女を立体的にテンペラ画風に重厚に描かれた作品は衝撃的だった記憶がある。



23年もの月日が経っても今だに変らない存在感を感じさせるこの少女とひとしきり対話でき、ある種の懐かしさを覚えた。

2009年の前回のアスクエア神田ギャラリーでの個展では、神々しい女性像の大作群が反響を呼び、読売新聞や月刊美術などでも大きく取り上げられ、私もUS新聞にインタビューを含む長い展覧会レビュー記事を書いた。その時の大作が1階と2階に数点展示されている。
人物像から発する神秘的な光によってか、風景へと通じる宇宙観も感じられる。
みずみずしい透明感に満ち、聡明できりりとした女性像と宗教画に出てきそうな穏やかな表情の女性像の対比が私たちを惑わせる。



その横には、早川夫妻の愛猫が愛らしくまどろんでいる。



年々早川氏の絵画技術は向上しているのだろうが、2009年の個展以前の作品も秀作ぞろいだ。

一緒に観ていた女友達と私が一致して気に入ったのが、1998年の「着衣するVera ・ Ⅱ」という幻想的な作品。



夢の中でゆらめく女性像が私たちの心の奥にしまっておいた母性のような何かを解放し、引き出してくれる。
たおやかな女性像は観るものの心に自然に同化し、私たちの心身をすっぽりと包みこんでいく。

一つの宇宙観を奏で、空気感をはらむ静物画も私たちの気持ちを落ち着かせる強い魔力を持つ。
そして、早川俊二の作品を観た者は、自分の精神を解放し、自分なりの解釈を考え、それぞれの言葉を紡いでいく。
そう、誰もが自分の感性を研ぎ澄ませた詩人にもエッセイストにもなれるのだ。
それが早川絵画の最大の魅力ではないだろうか。

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