今日は、シカゴ郊外北、バッファロー・グローブの町誕生50周年記念の派手なパレードに、地元のリトルリーグBGRAの代表として、下の息子が、仲間たちと町の中心地を行進した。
今日は華氏90度近くまで上がったであろうかと思わせるほどの炎天下。12時半にクーパー・ミドル・スクールからでている道、インディアン・ヒルに集合とのBGRA首脳からの指示。息子のリトルのチーム、インディアンズの監督コーチ・アルが言うには、「俺たちはインディアンズだから、やはりインディアン・ヒルに集まるのかあ!」などとわけのわからないことを言っている。
毎年レイバーディ・ウイークエンドのこの時期は、どの地域でもお祭りが行われている。バッファロー・グローブも「バッファロー・グローブディズ」というお祭りで、町の中心地、レイククック・ロードとラップ・ブルバードあたりに、ミニ遊園地が設置され、近所の人々でごったがえす。しかし、今年は、町誕生50周年というだけあって、パレードがド派手だ。というかいつもパレードってあったっけ?BGRAがパレードに参加するというのも近年ではないらしい。
私は、アーリントン・ハイツに住んでいるのだが、息子たちのスポーツ活動がバッファロー・グローブであるため、夕方はいつもこの地域をドライブしている。小学校、野球場、体育館など施設がとても充実している。
自然環境ものどかで、緑が多く、ゆったりとしている。バッファロー・グローブロードを北上し、アプタキシック・ロードまで来ると、パンプキンファームで有名なディディエ・ファームという広々とした美しいファームも見られる。(全日校3年生が9月に遠足で行く所)つまり、バッファロー・グローブは田舎ってこと。今のように開けてきたのは、ここ10数年ぐらいのことらしい。昔は何もないド田舎だったという。しかし、スティーブンソン高校の学区もあるため、各小・中学校の教育水準も高く、よって住宅物件も高い。ジュイッシュ系の人々が多くすんでいるため、教育ないし、スポーツ熱心。すべて平等の精神で、人種差別はない。よって、私たちはバッファローグローブで活動していて、いつもみんなからよくしてもらって、居心地がよかった。仲のいいアメリカ人の友達も多くできた。今日もパレードに参加していると、あちこちで何人もの知り合いに出会い、ハグしながら、「いつ(日本に)帰っちゃうの?」と聞かれた。
さて、下の息子は、パレードの前には、BGRAの首脳秘書係のアランから、パレードをするにあたっての注意を聞かされた。
パレードをしながら、キャンディを配るのだが、小さな子供たちには危ないので投げずに手渡すこと。子供たちが行進する後ろから、車がついてくるので、くれぐれも注意すること。インディアンズからは、息子、コーチアルの息子のジャスティン、ジャシュとたった3人の参加。参加する子供達も全員ではそんなに多くなかった。高学年や中学生たちは、車に乗って参加。息子たちは、久し振りにチームのメンバーに会ったので、うれしくて、待っている間、じゃれあって、遊んでいる。
久し振りにBGRAのドン、プレジデントのキースと彼の奥さん、キャロルに会う。この2人は、20年以上も彼らの子供たちとともに、BGRAの活動をささえてきたという。
去年からキースがプレジデントになり、シーズン中のコンセッションスタンドでは、夫婦でお店をいつも切り盛りし、メンバーのボランティアワークをしきる。私も売り子のボランティアの当番のときは、キャロルにいろいろやり方を教わった。キャロルは病院のX線の技師でフルタイムで働きながら、ずっとBGRAのボランティアワークもこなしているというから、忙しい。しかし、全然苦には感じないという。キースは、BGRAのことはすべて把握していて、なるべくみんな親たちはBGRAの活動にかかわるようにと言われた。
私が、「息子の去年と今年のBGRAのリーグでの公式記録を日本の高校受験に必要だから、作ってほしい」とキースに頼んだら、今手配してくれている。BGRAは、各試合の選手個人の細かいさまざまな記録からリーグ全体の個人の順位まですべて網羅している。息子は今年のシーズンは、打率が6割9分近くまで上がっているので、リーグでもトップレベルである。アメリカでの野球活動の記録は、きっと日本の野球の盛んな高校を受験するときに、きっと役に立つに違いない。キースにもそのことを説明して、理解してもらったので、きちんとしたものをだしてもらえそうだ。このように積極的に熱心にBGRAにかかわってきたキースとキャロルは、夫婦そろって、地域のリトルリーグを心底愛しているのだろう。
キャロルたちは、うちのようにアーリントン・ハイツに20年以上住みながら、BGRAに参加してきたという。キャロルの3人の子供たちは今は20代だが、その子供たちが小さいころは、BGRAのメンバーの数がかなり多く、なかなか入れなかったという。今ではリクルートしなければならないほど減ったという。現在、BGRAは約2000人のメンバーをかかえる大きな組織だが、お金さえ払えば、必ず誰でも入れる。野球をする子供たちの数が年々減っているのだろうか。
BGRAのリクルートの紙がついたキャンディを子供たちはもらい、自分たちの帽子に入れる。これを配って、BGRAをアピールするというわけ。息子は、あとから来た同じクラスのタイガ君とそのキャンディをなめ始めている。ウーン、大丈夫かいな。
さて、1時をかなりまわって、かなり遅れてBGRAのパレードが開始。なんと42番目だというから、すごい数の団体のパレードだ。3人の子供たちが、BGRAの横長の旗を持って、大々的にアピール!その後ろにBGRAの首脳とユニフォームを着たリトルリーガーたち。そして、車が続く。息子たちは、必死でキャンディを配る。あっという間に紙のついたキャンディはなくなり、次から次へと袋からキャンディをだして、配りまくる。大人も子供もみんな大きな袋をかかえて、待っている。
沿道は、近所の人々でぎっしり。イスをだして座っていたり、アプタイザーやビールをテーブルにだして談笑している人も。多くの人たちが、うれしそうに私達に手を振って、励ましてくれた。息子たちも誇らしそうに行進する。こういう風景がアメリカらしい。
私たちの後ろは、バッファローグローブ高校のマーチングバンドだ。一番前でリードするお姉さんたちが美人でカッコいい!地元のボーイスカウトやガールスカウトのグループ。議員の宣伝カー。消防車も繰り出す。しかし、炎天下で、頭がくらくらするほどの暑さだ。子供たちは、キャンディを配る面白さで、文句も言わず、黙々と歩く。私は、写真も必死でとりまくっているせいか、疲れてふらふら。のどもカラカラ、「まだかいなあ!」と叫ぶ。途中で、水のシャワーも浴びながら、なんとかラップ・ブルバードの最終地点までたどりつく。
やれやれ・・・と思いきや、車がないじゃん!また、来た道をもどらなければならない。普段車で数分の道なのに、なんて長いのか!何百回と往復したバッファロー・グローブ・パーク・ディストリクトのあるバーナード・ドライブだが、こんな風にじっくり歩いたのは初めてだった。パレードは、見るよりも参加するのが面白い。アメリカのコミュニティの一員だと自覚できて、地元の人々ととけあっている実感!でも、でも、疲れたあ!帰ってからは、バタンキューで、シャワーを浴びたら、横になって、しばらく寝ていた。
では、また写真をすこしづつアップしていきますので、またこの投稿をのぞいてみてください。多くの写真をアップするのは、おそろしく時間がかかる。引越し準備もしなくてはいけないので、忙しい身であります。
今日は華氏90度近くまで上がったであろうかと思わせるほどの炎天下。12時半にクーパー・ミドル・スクールからでている道、インディアン・ヒルに集合とのBGRA首脳からの指示。息子のリトルのチーム、インディアンズの監督コーチ・アルが言うには、「俺たちはインディアンズだから、やはりインディアン・ヒルに集まるのかあ!」などとわけのわからないことを言っている。
毎年レイバーディ・ウイークエンドのこの時期は、どの地域でもお祭りが行われている。バッファロー・グローブも「バッファロー・グローブディズ」というお祭りで、町の中心地、レイククック・ロードとラップ・ブルバードあたりに、ミニ遊園地が設置され、近所の人々でごったがえす。しかし、今年は、町誕生50周年というだけあって、パレードがド派手だ。というかいつもパレードってあったっけ?BGRAがパレードに参加するというのも近年ではないらしい。
私は、アーリントン・ハイツに住んでいるのだが、息子たちのスポーツ活動がバッファロー・グローブであるため、夕方はいつもこの地域をドライブしている。小学校、野球場、体育館など施設がとても充実している。
自然環境ものどかで、緑が多く、ゆったりとしている。バッファロー・グローブロードを北上し、アプタキシック・ロードまで来ると、パンプキンファームで有名なディディエ・ファームという広々とした美しいファームも見られる。(全日校3年生が9月に遠足で行く所)つまり、バッファロー・グローブは田舎ってこと。今のように開けてきたのは、ここ10数年ぐらいのことらしい。昔は何もないド田舎だったという。しかし、スティーブンソン高校の学区もあるため、各小・中学校の教育水準も高く、よって住宅物件も高い。ジュイッシュ系の人々が多くすんでいるため、教育ないし、スポーツ熱心。すべて平等の精神で、人種差別はない。よって、私たちはバッファローグローブで活動していて、いつもみんなからよくしてもらって、居心地がよかった。仲のいいアメリカ人の友達も多くできた。今日もパレードに参加していると、あちこちで何人もの知り合いに出会い、ハグしながら、「いつ(日本に)帰っちゃうの?」と聞かれた。
さて、下の息子は、パレードの前には、BGRAの首脳秘書係のアランから、パレードをするにあたっての注意を聞かされた。
パレードをしながら、キャンディを配るのだが、小さな子供たちには危ないので投げずに手渡すこと。子供たちが行進する後ろから、車がついてくるので、くれぐれも注意すること。インディアンズからは、息子、コーチアルの息子のジャスティン、ジャシュとたった3人の参加。参加する子供達も全員ではそんなに多くなかった。高学年や中学生たちは、車に乗って参加。息子たちは、久し振りにチームのメンバーに会ったので、うれしくて、待っている間、じゃれあって、遊んでいる。
久し振りにBGRAのドン、プレジデントのキースと彼の奥さん、キャロルに会う。この2人は、20年以上も彼らの子供たちとともに、BGRAの活動をささえてきたという。
去年からキースがプレジデントになり、シーズン中のコンセッションスタンドでは、夫婦でお店をいつも切り盛りし、メンバーのボランティアワークをしきる。私も売り子のボランティアの当番のときは、キャロルにいろいろやり方を教わった。キャロルは病院のX線の技師でフルタイムで働きながら、ずっとBGRAのボランティアワークもこなしているというから、忙しい。しかし、全然苦には感じないという。キースは、BGRAのことはすべて把握していて、なるべくみんな親たちはBGRAの活動にかかわるようにと言われた。
私が、「息子の去年と今年のBGRAのリーグでの公式記録を日本の高校受験に必要だから、作ってほしい」とキースに頼んだら、今手配してくれている。BGRAは、各試合の選手個人の細かいさまざまな記録からリーグ全体の個人の順位まですべて網羅している。息子は今年のシーズンは、打率が6割9分近くまで上がっているので、リーグでもトップレベルである。アメリカでの野球活動の記録は、きっと日本の野球の盛んな高校を受験するときに、きっと役に立つに違いない。キースにもそのことを説明して、理解してもらったので、きちんとしたものをだしてもらえそうだ。このように積極的に熱心にBGRAにかかわってきたキースとキャロルは、夫婦そろって、地域のリトルリーグを心底愛しているのだろう。
キャロルたちは、うちのようにアーリントン・ハイツに20年以上住みながら、BGRAに参加してきたという。キャロルの3人の子供たちは今は20代だが、その子供たちが小さいころは、BGRAのメンバーの数がかなり多く、なかなか入れなかったという。今ではリクルートしなければならないほど減ったという。現在、BGRAは約2000人のメンバーをかかえる大きな組織だが、お金さえ払えば、必ず誰でも入れる。野球をする子供たちの数が年々減っているのだろうか。
BGRAのリクルートの紙がついたキャンディを子供たちはもらい、自分たちの帽子に入れる。これを配って、BGRAをアピールするというわけ。息子は、あとから来た同じクラスのタイガ君とそのキャンディをなめ始めている。ウーン、大丈夫かいな。
さて、1時をかなりまわって、かなり遅れてBGRAのパレードが開始。なんと42番目だというから、すごい数の団体のパレードだ。3人の子供たちが、BGRAの横長の旗を持って、大々的にアピール!その後ろにBGRAの首脳とユニフォームを着たリトルリーガーたち。そして、車が続く。息子たちは、必死でキャンディを配る。あっという間に紙のついたキャンディはなくなり、次から次へと袋からキャンディをだして、配りまくる。大人も子供もみんな大きな袋をかかえて、待っている。
沿道は、近所の人々でぎっしり。イスをだして座っていたり、アプタイザーやビールをテーブルにだして談笑している人も。多くの人たちが、うれしそうに私達に手を振って、励ましてくれた。息子たちも誇らしそうに行進する。こういう風景がアメリカらしい。
私たちの後ろは、バッファローグローブ高校のマーチングバンドだ。一番前でリードするお姉さんたちが美人でカッコいい!地元のボーイスカウトやガールスカウトのグループ。議員の宣伝カー。消防車も繰り出す。しかし、炎天下で、頭がくらくらするほどの暑さだ。子供たちは、キャンディを配る面白さで、文句も言わず、黙々と歩く。私は、写真も必死でとりまくっているせいか、疲れてふらふら。のどもカラカラ、「まだかいなあ!」と叫ぶ。途中で、水のシャワーも浴びながら、なんとかラップ・ブルバードの最終地点までたどりつく。
やれやれ・・・と思いきや、車がないじゃん!また、来た道をもどらなければならない。普段車で数分の道なのに、なんて長いのか!何百回と往復したバッファロー・グローブ・パーク・ディストリクトのあるバーナード・ドライブだが、こんな風にじっくり歩いたのは初めてだった。パレードは、見るよりも参加するのが面白い。アメリカのコミュニティの一員だと自覚できて、地元の人々ととけあっている実感!でも、でも、疲れたあ!帰ってからは、バタンキューで、シャワーを浴びたら、横になって、しばらく寝ていた。
では、また写真をすこしづつアップしていきますので、またこの投稿をのぞいてみてください。多くの写真をアップするのは、おそろしく時間がかかる。引越し準備もしなくてはいけないので、忙しい身であります。
うちの方の国立は定員15名いっぱいで、はいれませーん。よって、公立中学に編入予定。詳しくはまたブログに書きますが、地元の友達の話によると、かなり手ごわそうですが、息子は、かなり面白がって、入る気満々。久し振りの日本の学校にうずうずしているようです。
まちこさんちの3人の子供たちがどう日本にアジャストしていくか、興味津々。また、書き込めしてください。待ってます。