さて、7日の砂丘館での早川俊二ギャラリートークを振り返ってみよう。
早川俊二氏は、「昨日ここに入って日本家屋に合うかすごく心配だったが、ぴったりだったので、40年やってきてよかったと自分自身で感動している」と目を輝かせながら挨拶をした。
砂丘館始まって以来というほど大勢の観客が詰めかけていて、その反響の大きさを感じる。
冒頭大倉宏館長がこの砂丘館で早川俊二展が開催されたきっかけをこう説明した。
6年前、東京在住コレクターの山下透氏のコレクション展を開催した。
山下氏のコレクションはルオーを始め現代の日本画家の作品で、そこから選りすぐった30点から40点を展示。その中の1点が早川作品だったという。
その後2、3年前に山下氏から長野で大きな早川展をやり、他へ巡回するので、砂丘館でもできないかと持ちかけられた。1点しか観ていない大倉氏は迷ったが、山下コレクションが素晴らしかったので、展覧会を開催することにしたという。
そして、大倉氏が今年の6月の早川俊二長野展を観に行ったとき、「90過ぎた早川さんのお母さんに観てもらいたい」という同級生の強い志にもとづいて、主に同級生でなる実行委員会が3年かけて準備した手作りの展覧会に改めて感動したという。
ここから大倉氏が聞き手となって、今の早川絵画がいかにしてできてきたかの長い道のりの話が始まった。
長野の山の中で生まれ育った早川氏が画家になろうと思ったのは中3のときで、高校時代は朝一番に学校に行って9時まで描き、お昼休みに1時間、夕方4時から暗くなるまで毎日絵を描いていた。
その時代に、「切り通しを見て、向こうの村の家々との距離を見て、なんとなく距離感が見えた。というか空間が見えた」と現在の巧みな空間表現の原点を告白してくれた。
「高校当時、暗いうちに家を出て、写生する場所に行くと、だんだん明るくなってくる。瞬間瞬間の色調がどんどん変わってくる…まだ空間なんていう意識なかった。光の調子がもっとも美しい時期かな。光が強くなってしまうと色がでてきて全体が見えるというよりか物の色が見えてくるでしょ。それよりももっとこう世界全体が見えるような感じだった。いまだにあのとき(の経験が)基本かな」と当時の状況を昨日のことのように振り返る早川氏。
とこんな感じでギャラリートークは流れていく。
受験のためにデッサンに励み、絵画技法を習った創形美術学校時代を経て、渡欧。
パリで巨匠の作品に打ちのめされ、ボザールの彫刻家マルセル・ジリ氏のもとで徹底したデッサンにこだわる。
その後の絵の具との格闘。
と、ここで全部書いてしまうわけにはいかないので、ここいらで休憩します。 ~続く~
写真もいれます。
早川俊二氏は、「昨日ここに入って日本家屋に合うかすごく心配だったが、ぴったりだったので、40年やってきてよかったと自分自身で感動している」と目を輝かせながら挨拶をした。
砂丘館始まって以来というほど大勢の観客が詰めかけていて、その反響の大きさを感じる。
冒頭大倉宏館長がこの砂丘館で早川俊二展が開催されたきっかけをこう説明した。
6年前、東京在住コレクターの山下透氏のコレクション展を開催した。
山下氏のコレクションはルオーを始め現代の日本画家の作品で、そこから選りすぐった30点から40点を展示。その中の1点が早川作品だったという。
その後2、3年前に山下氏から長野で大きな早川展をやり、他へ巡回するので、砂丘館でもできないかと持ちかけられた。1点しか観ていない大倉氏は迷ったが、山下コレクションが素晴らしかったので、展覧会を開催することにしたという。
そして、大倉氏が今年の6月の早川俊二長野展を観に行ったとき、「90過ぎた早川さんのお母さんに観てもらいたい」という同級生の強い志にもとづいて、主に同級生でなる実行委員会が3年かけて準備した手作りの展覧会に改めて感動したという。
ここから大倉氏が聞き手となって、今の早川絵画がいかにしてできてきたかの長い道のりの話が始まった。
長野の山の中で生まれ育った早川氏が画家になろうと思ったのは中3のときで、高校時代は朝一番に学校に行って9時まで描き、お昼休みに1時間、夕方4時から暗くなるまで毎日絵を描いていた。
その時代に、「切り通しを見て、向こうの村の家々との距離を見て、なんとなく距離感が見えた。というか空間が見えた」と現在の巧みな空間表現の原点を告白してくれた。
「高校当時、暗いうちに家を出て、写生する場所に行くと、だんだん明るくなってくる。瞬間瞬間の色調がどんどん変わってくる…まだ空間なんていう意識なかった。光の調子がもっとも美しい時期かな。光が強くなってしまうと色がでてきて全体が見えるというよりか物の色が見えてくるでしょ。それよりももっとこう世界全体が見えるような感じだった。いまだにあのとき(の経験が)基本かな」と当時の状況を昨日のことのように振り返る早川氏。
とこんな感じでギャラリートークは流れていく。
受験のためにデッサンに励み、絵画技法を習った創形美術学校時代を経て、渡欧。
パリで巨匠の作品に打ちのめされ、ボザールの彫刻家マルセル・ジリ氏のもとで徹底したデッサンにこだわる。
その後の絵の具との格闘。
と、ここで全部書いてしまうわけにはいかないので、ここいらで休憩します。 ~続く~
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