Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

アメリカ人のキュートなファミリードクターに感謝!

2008-09-11 | 病院
先週の木曜日からひいた風邪をこじらせ、昨日はついに病院へ。もうすでに山は越し、快方に向かっているとのこと。ほっとする。最近、近所にアメリカ人の友達ティムの紹介で病院を紹介してもらい、いいドクターを見つけた。ドクター・ミチェルというとても可愛らしいファミリードクター。30代後半ぐらいの年齢だろうか。

会うと、いつもとびきりの輝くようなグレートスマイルで、「どうしたの?」「大丈夫?」と優しく語りかけてくれる。症状を言うと、「まあ、かわいそうに!」ととても悲しそうな顔をして、患者の気持ちに寄り添ってくれる。念入りにさまざまな場所をチェック。胸の音は、時間をかけて、ゆっくりみてくれる。ミチェルに診てもらうと、なんだか安心して、すぐに治ってしまうような気がする。昨日は、お互いの子供たちの話など、私たちの帰国の話、ここでの日本人駐在員の話までしてしまった。

下の息子のアレルギーの咳が止まらなかったときに、じっくり診断してくれた。英語なので、医学の専門用語がわからなかったので、聞き返すと、一語づつ紙に書いて、すべての意味を徹底的に説明してくれた。私の質問も和英辞典を引きながらだったが、じっと待っていてくれた。各薬の用法や副作用の説明も一から丁寧に説明してくれた。そして、「なるべく抗生物質は使わない方向で、すませたい」との彼女の方針も言ってくれたので、納得。すべて、論理的にわかりやすい。こんな女ドクターだったら、大人も子供も喜んで通いつめるだろう。

先日、このドクターなら信頼できると判断し、初めて乳がんの触診と子宮がん健診をやってもらった。とても手際が良く、やはり女のドクターだとこういうややっこしい婦人健診も受けやすいということがわかった。結果やその後の相談などもEメールでやりとりができるシステムだ。

この病院は、エバンストン・ノースウェスターン・ヘルスケアというメディカルグループの病院。シカゴ郊外北の地域に4箇所ある。私が通っているのは、バッファロー・グローブの分室で、83・マクヘンリーロード沿いのエスケープのモールの北隣だ。(カルバースの隣の建物)どのドクターでもみんないい感じで、信頼できるようだ。紹介してくれたティムの話によると、ティムのうちのドクターは、どんな時間に電話してもすぐに電話をおりかえしかけてくれて、徹底的に診てくれるという。

家からもこの病院まで車で10分かからない。予約もすぐとれ、時間帯も曜日によってさまざまにあり、ミッチェルがいないときは、他のドクターが診てくれる。病気の体にはとても楽。

うちは、眼医者もアーリントンの近所でとてもいいドクターを見つけた。ドクター・ウッズという、とても感じのいい男性のドクターなので、こちらも家族全員でお世話になっている。子供たちもこちらに来てすぐでも、英語での目の健診は、とくに問題なかった。みんなアメリカ人のドクターだと英語が通じなくて・・・と心配して、遠くの日本人のドクターにかかるようだが、以外と子供たちは大丈夫なもの。


Evanston Northwestern Healthcare Medical Group 847-520-9424

400 McHenry Rd. Buffalo Grove, IL 60089

注意:うちが入っているPHCS(プライベート・ヘルスケア・サービス)というニッセイの保険はどのドクターもきくし、かなりの種類の保険のネットワークに各ドクターは入っている。必ず自分の保険に入っているか確認してから、予約を入れてください。







下の息子、レイク・ズーリックで、人気DJキャシーの息子と同じ野球チームに!

2008-09-09 | リトルリーグ
昨日は、澄み渡った秋空の下、下の息子は、レイク・ズーリックの秋のリーグのチームに滑り込みで入れ、初めてバッファロー・グローブ以外の地域の新しいチームで、試合を楽しんだ。

秋のリトルリーグのプログラムがある地域というのが、まことに少ない。バッファロー・グローブのパーク・ディストリクトは毎年あるのだが、11歳以上。下の息子は10月で9歳なので、チャンスはない。しかも、今年のパーク・ディストリクトのプログラムは、人数が集まらず、キャンセルになってしまい、レジストしていた上の息子たちはガックリ!

私は、ネットでさまざまなプログラムをリサーチしまくった。ウイーリング、プロスペクト・ハイツなどなど。あきらめずに、一つ一つチェックしていったが、どこも秋の野球のプログラムはない!万事キュースか!と思いきや、ふと何年か前にアメリカ人のお母さんが言っていたことを思い出した。レイク・ズーリックで、下の子のサッカーのチームの友達のお兄ちゃんが秋の野球をやっていると。

そうだ!レイク・ズーリックだ!ネットで探し出し、各リーグの担当者に即電話。その人に聞くと、レイク・ズーリックの住民しか登録できないだろうとのこと。すかさず、バッファロー・グローブの友達が登録できたことを言う。秘書担当にメールして聞けとのこと。サイトでチェックしても、メールアドレスがわからないまま、レジストの期日がせまっていたので、えいやっ!とチェックをそえて申し込んでしまった。

この貴重な情報を数人の野球少年を持つ友達にも教えると、2人の友達も半ばやけくそで申し込んだ。そして、必死で、秘書のアドレスを探し出し、メールを入れる。すぐに返信は来た。住民が登録してから、8月22日過ぎに入れるかどうかわかるという。しかし、22日過ぎてもまったく連絡は無かった。9月に入ってあきらめて、下の息子はバスケットのクラスをレジストして、とる予定にしていたら、9月4日にいきなりチームのコーチから連絡が入り、下の息子はチームに入れたという。上の息子たちのコルツ・リーグは、またしても人数が集まらずキャンセル。残念!しかし、下の息子だけでも入れてよかった。だめもとでやってみるものだ。このプログラムに2人の息子たちのレジストをした近所のミヤタさんちも兄弟で下のシンジ君だけ入れたという。

今回のことで、やはりあきらめずにいろいろと手を尽くしてやってみることが一番だということがわかった。このプログラムは、週1回の試合のみで、練習もなく、10月半ばの短い期間行われる。私たちのように帰国をひかえて、忙しい身にはまことにありがたい、貴重なプログラムだ。

さて、土曜日にチームのメンバーの顔合わせと練習が2時間ほどあり、チーム名はメジャーリーグのチームではない「セインツ」で、白の可愛らしいユニフォーム。番号のみで、名前は入らず、いたってシンプル。帽子は、ブルーで、レイク・ズーリックの「LZ」のイニシャルが入っている。

レイク・ズーリックは知らない土地なので、知っている子はいないだろうと、メンバー表を見たら、なんと息子がメダリオンという幼稚園時代の友達、「ザンダー」の名前があった。ザンダーは、ラジオのFMの地元シカゴの代表局、101.9のミックス・ステーションの朝の人気番組、「エリック・アンド・キャシー・ショー」の有名DJキャシーの息子。ちょっとハスキーボイスで、軽快なエリックとの掛け合いが毎朝ラジオを通して流れる。テレビのWGNとミックス・ステーションが提携しているため、WGNの朝のニュースにもたまに出演したり、ダウンタウンを走るバスの看板や53の高速沿いの大きな看板にもよくキャシーの顔が写っているほどの有名人。


DJキャシーと夫のバート、その子供たち (月刊誌「Chicago Parent」2007年1月号より)

ザンダーは、幼稚園時代、とてもアクティブな子だった。当時、息子は、ザンダーの妹アニカと同じクラスだったが、隣のクラスのザンダーとも仲良く、誕生会にも2人をよんで、キャシーが連れてきてくれた。アニカと息子が同じ時間にジムを取っていたのもあって、その間、多忙なキャシーとも私は話す機会に恵まれ、キャシーの気取らない人柄を知ることができた。キャシーの夫は、バートで、空手の先生。その幼稚園にもときたま教えにきてくれていたし、バッファロー・グローブに空手道場を持っている。1回うちにもキャシーが2人を連れて、遊びに来てくれたし、ザンダーの誕生会には、うちの息子たちを招待してくれた。

しかし、その時のバースディ・パーティは、すごかった。なんと爬虫類パーティーだった。3匹もの大きなワニ、大きな亀、何十メートルもある白ヘビなど。バートの空手道場にこれらの爬虫類がわんさかいたのだ。子供たちはそれらに触ったり、上にのったりとすごい状態だった。キャシーの思いつきだったようだが、上の息子はさすがに辟易して、その日の夜はなかなか寝れなかったようだ。その時、バートに聞くと、キャシーは親戚をよぶパーティーにもラクダを連れてきたりと、「まったく(この業界の人たちは)クレージーなんだよ!」とぼやいていた。

さて、昨日の試合は、7つのフィールドがあるレイク・ズーリックの大きな公園、ステイプル・パーク。さまざまな広さのフィールドを持ち、きちんとしたコンセッション・スタンドもある。ここなら、兄弟でチームに入っても、あちこちのフィールドに親が車で連れて行かなくてもすむ。

下の息子のセインツの試合は、ウルブスと対戦で、小ぶりのフィールド#4で、バッファロー・グローブの息子が属していたBGRAの今季のファームリーグが使っていたフィールドよりかなり小さい。ピッチャーとバッターの距離も短い。去年の息子が属していたピントリーグぐらいか、それより短いかも。地域によってこんなにも違ってくるとは!

コーチの雰囲気も穏やかで、コーチの数もたったの2人。今までは、コーチが5、6人と多く、それ以外のお父さんたちもコーチと一体になって、子供たちを教えていたから、ベンチはお父さんだらけだった。早速、監督のケビンが、うちの主人を見つけて、1塁ベースコーチをやってくれとの指示。初めて参加するんだけど・・・土曜日の練習で手伝ったらしいから、早速あてにされたのだろう。



試合前の練習も淡々とのんびりしたムード。子供たちの野球技術もBGRAに比べて、そんなに高くなさそう。おっとりした息子でもここならバッチリだ。いきなり、1番バッターで、起用され、守りもセンター、3塁、1塁、キャッチャーといろんなところをまわしてくれた。1塁やキャッチャーの守りはやったことがない息子にとって、いい経験だ。BGRAではみんな数箇所の守りを固定だったから、そんなチャンスがなかった。こちらは、打順も守りも完全に公平にまわしていくというから、上手い子もへたな子も関係ない。

バートが、BGRAは、コンペティティブで、ザンダーにはあわないから、こちらでやっていると言う。確かにその通りだ。しかし、ザンダーは、しっかりきれいなヒットを打ち、いいバッティングを見せる。あくまでも小さな頃から上をめざし、コンペティティブな環境で、必死に子供たちをきたえる親もいれば、バートたちのようにあえて、それを避け、慎重に楽しくスポーツができる環境を選ぶ親もいる。

息子は、1回目の打席はかなりスピードのあるピッチャーのため、三振。(うちのチームそのあと2者連続三振)こういうピッチャーもいるのか!あとの打席は、全部フォアボールで出塁。チームの初得点も踏み、息子気分は上々。


優しそうな監督のケビンと、息子ホームをうかがう


息子、キャッチャー姿で相手チームとハイファイ

ここのプログラムでは、フォアボールのあと、2回コーチが投げ、それを空振りしても、塁にでれるという不思議なルール。勝敗もうちのチームは、負けたようだが、スコアラーがいないので、(相手チームはスコアラーがいた)何対何かで終わったのかもわからない。アバウトな感じ。横のフィールドで同じく試合でプレーしていた4年生のシンジ君は、初試合で、3打数3安打の猛打賞デビュー。監督から一番活躍したごほうびのシールをもらって、帽子にはってうれしそう。



DJのキャシーとは「久し振り!」と挨拶し合う。3月に養子にしたアランという9ヶ月の黒人の可愛らしい赤ちゃんを抱っこしていた。ここでは、キャシーも騒がれることなく、普通のアメリカ人のお母さんとして、ザンダーを激励!3人目の赤ちゃんをかかえて、超多忙な毎日だろうが、ザンダーがプレーする試合はみのがさず、また会えそうだ。

昨日の試合で、アメリカのリトルリーグもいろんな場所で、まったく違うルールが適用されているんだとわかった。古巣で友達がいるプログラムが子供にとって居心地がいいのかもしれないが、新しい場所でプレーすることも本当にいい経験になる。息子は、このプログラムを終えて、まったく環境の違う日本のリトルリーグに挑戦する。親はドキドキである。

井口選手パドレスからフィリーズへ!~「タグチとイグチの違いをわかって!」田口選手の願い

2008-09-07 | メジャーリーグ
今週の始め、アメリカの邦人にとって衝撃的なニュースが走った!「井口選手がパドレスから戦力外通告を受けた」というのだ。その一文が朝日のオンラインに流れたのを見た瞬間、私は「ナニー!!」とあまりのショックで、手が止まってしまった。その日は、家事も手につかず、オロオロ・・・(もともと家事は手抜きだけど)その夜は、主人と井口選手のビデオを見ながら、井口談義で夜がふけた。

私たち家族は、井口選手が、ホワイトソックスにいる頃からの大々ファンで、ずっと応援してきた。息子たちは、2年前、シカゴ日本人学校で井口選手の野球教室を受け、同じ時期に主人の所属する日本人ソフトボールチーム、マリン・ジェッツは井口選手のチーム、ゴールデン・ソックスとダブルヘッダーで対戦してもらっている。私たちのアメリカ生活の最大の思い出=井口選手。よって、私たちにとって、井口選手は日本人メジャーリーガーの中で特別な存在なのだ。絶対にアメリカにいてもらって、活躍し続けてもらわないといけない!

今季1年契約でフィリーズからパドレスへ移籍した井口選手は、せっかく調子がでてきたとき、6月5日のメッツ戦の右肩鎖骨負傷で2ヶ月も戦列を離脱、その後調子がもどらず、パドレスも最下位に低迷しているため、こういう結果になったと報道されている。

何処の球団に行くのか、日本にもどってしまうのか、私たちファンはとてもやきもきした。私はとくに井口選手のご家族のことが一番心配だった。現在9月だから、新学期が始まったばかりで、井口選手には小学校に通う娘さんがいる。シカゴから引っ越して、井口選手の奥さんとともにサンディエゴの環境に慣れてきた頃だろう。こういうことがあるから、メジャーリーガーの奥さんは精神的にさぞや大変だろう。

しかし、昨日のニュースで、フィリーズが井口選手の獲得を発表したとある。井口選手の公式サイトにもすぐに報告があり、「フィリーズと契約をして明日から合流することになり、荷物をまとめてこれからNYに行ってきます。昨年も7月の終わりにフィリーズにトレードとなり、最後にメッツ追い抜き地区優勝したので、今年も同様に優勝できるように何か貢献できればと思います。」との強い決意が書かれていた。



私たちもそれを読んで、ほっとした。やれやれ。よかった、よかった。その前の井口選手の公式サイトの戦力外通告の報告では、なんとなく無念さがただよっていたが、さすが井口選手、すぐに気持ちを切り替えて、前進あるのみという感じ。サンディエゴからすぐにニューヨークへ飛び、もしかすると別のポジションを守るかもしれないという過酷な仕事に挑戦する。真のメジャーリーガーとは、かくあるべきか。井口選手は、一日本人メジャーリーガーとして特別視されず、メジャーリーガーの一人という感じだ。

井口選手は、去年7月急遽ホワイトソックスからフィリーズへトレードされたが、見事に故障した2塁手アットリーの代役を果し、逆転地区優勝に貢献した。今年もフィリーズ優勝のために、井口選手がどうしても必要とされたのだろう。フィリーズのMLBの5日付けのニュースサイトにもマニエル監督の井口選手に対する大きな期待が報道されている。

そして、私たち日本人にとって楽しみなのは、井口選手と田口選手が同じチームでプレーする姿を見れることだろう。田口選手は、早速自分の公式サイトの9月5日付けの日記にその喜びをこう書いている。

初の日本人チームメイトです。
ああ、これでやっと、クラブハウスで日本語が話せる。
合流は明日。今から楽しみに再会を待っています。

しかし、これで名前を間違えられるのはもう決定的。
ただでさえこのチームにやってきた時から、
「イグチー!」とファンに声をかけられてきたのです。
子供たちは親しみを込めて、僕に「タダヒトー!」と呼びかけます。
俺は、タグチ、やねん。しかも名前は、これ以上簡単にできないくらい
簡単。「タダヒト」が覚えられるのに、なぜ「ソウ」が覚えられない?

フィリーズファンにとって、井口選手は去年、チェイス(アトリー・二塁手)の
怪我という窮状を救ったヒーローです。明日からますます「イグチ」に
間違えられそうな予感。
せめてどちらかがしょうゆ顔だったらまだよかったのに・・・。

ペンシルベニア州フィラデルフィアにて 田口壮 (田口壮オフィシャルサイトより)

田口選手がそんなに名前のことを気にしていたなんて知らなかった。井口選手の公式サイトの2006年11月26日の投稿に、田口選手のユニフォームを製造会社が間違えて、「TA]を「I」にしてしまい、「IGUCHI 99」になったカーディナルスのユニフォームを紹介していた。井口選手がお茶目にユニフォームを着ている写真がかわいい!こういうこともあったからだろうか。

著書「タグバナ」でその底抜けに明るい性格をだしている田口選手。MLBのニュースサイトで、似ている名前で混乱することを心配しながらも、「大丈夫だろう」「だって僕達は二人共グッドルッキング(イケメン)だから!」とのたまったのだ。ウーン、まじめな野球専門ニュースであるMLBにこんなコメントを英語で放ち、(田口選手は英語が堪能)それがそのまま報道されるとは?!

きわめつけは、最後のマニエル監督のコメント「もう1人アジアの選手からほしい」「僕は(日本のホームラン王である)サダハル・オーがほしい!」だってさ。


追伸 井口選手の公式サイトの写真は、今までの所属のバドレスのユニフォームを着ていない。それまでは、ホワイトソックス、フィリーズとユニフォーム姿で写っていた。まるで、あたかも今回のような非常事態に備えたかのようだ。

上のベースボールカードは、最近ディックスで手に入れたもの。今年入った選手のカードはなかなか手にはいらない。よって、去年のものになってしまう。私が手に入れたのは去年のフィリーズのときの井口選手のカードだったが、とてもかっこよかったので、「うちの宝にしよう!」と思っていたら、こういう結果になって、本当にうれしい!井口選手、フィリーズで田口選手と共に大活躍を祈ってます!


井口資仁公式サイト http://sports.nifty.com/tadahito-iguchi/

田口壮オフィシャルサイト http://www.taguchiso.com/index.htm


シカゴの中2は、男女で仲良くゴルフ!~日本との違いはいかに?!

2008-09-06 | アメリカ生活雑感
昨日は風邪で1日ダウンしていた!このところ引越しの準備でやることが多く、心労多し。荷物を見にきてもらう予定だった友達、ごめんなさい。また企画しますので、皆さん見にきてください。

月曜日は、レイバーディで祝日だったが、シカゴ日本人学校全日校の創立記念日。なんと今年で30周年。このシカゴの地で、さまざまな苦労を乗り越えて、今の地域に根ざし、アメリカ人たちからも一目おかれるほど評価が上がってきた日本人学校がある。先人たちのご苦労に感謝するのみである。

火曜日は、その振り替えの休日。上の息子のクラスの中2のメンバーは、すさまじい暑さの中、午後から男女仲良く、ゴルフとしゃれこんだ。場所は、うちのそばのアーリントン・ハイツではおなじみの二コル・ノールという9ホールの規模の小さなゴルフ場。各ホール距離が短いので、初心者にはうってつけ。参加したのは、男子6人、女子3人なので、3つのグループに分かれ、女子が1人づつ3人の各グループに入った。

このゴルフ場では、12歳以上なら、親なしで回れるという。1人たったの8ドル。中学のクラスのメンバー、男子と女子とで、ゴルフを気軽にできる(学校から車で数分の場所)という誠に贅沢な環境。日本では考えられないこと。息子は、いつものように数本のクラブをかついで、歩いてでかけた。ゴルフ場まで、歩いて10分かからない。2回のサマーキャンプで何回もこのゴルフ場は回っているから、親も安心。

あとで遅れて私が行くと、母親たちは、クラブハウスでのんびりおしゃべりしていた。様子を聞くと、各グループ初めてゴルフをやる女子には、経験者の男子がいろいろと教えていたという。フーン、なかなかいい雰囲気だね。このくらいの年齢だと、日本では男女仲がむつかしいらしいから、シカゴにいるから、子供本来の素直ないい感じになれるのだろう。

さて、息子のグループは、40分遅れで出発したので、かなり遅れて終わった。みんな暑さのため、顔が真っ赤。息子のグループは、ムラキ君と初めてゴルフをやるアリサちゃん。初めてやるというので、私もかなり心配していたが、息子いわく、「(アリサちゃんが、グループで)一番うまかった!」なんだー、心配する必要なしねえ。

こんなにのんびりでいいのだろうか。今週、日本の友達に息子が編入するさいたま市の公立の中学の様子を電話で聞いた。中2は、1クラス40人で、6クラス。市内でも規律が正しいことで評価を受け、先生たちの生活指導は厳しいらしい。よって、ひどいなりの子はいない。しかし、いつもかなり引き締められているので、教室では暴れる子もいて、授業を聞いていない子も多いらしい。万引き、飲酒はそろそろでていて、まあそれは、公立の中学では普通。その中学は一番ましで、他はかなりひどい状況だという。ほっとするが、シカゴ日本人学校とのあまりの違いに・・・言葉を失う。

制服もボタンがとれていると注意されるという。詰襟の制服、3ウエイとよばれる学校指定のカバン、体育着、上履き(これも学年ごとに違う色が入る)、名札などなど、いろいろと用意しなくてはいけない。これらが今までまったくの自由だったわけだから、まさにカルチャーショック。日本人学校は、規律がきちんとしているとはいえ、やはりアメリカナイズされ、自由な雰囲気もあるわけだと気付く。

息子に、日本の中学のクラスの状況を言ったら、「面白そうだなあ!そういうすごいのを見てみたい!」などとうれしそうに言う。国立の中学も調べたのだが、中2は15名定員いっぱいで入れないという。その学校は、息子が小学5年生のときに受験するつもりで、説明会に行ったのだが、生徒たちがきちんと私たちにも挨拶をして、シカゴ日本人学校と似た雰囲気を持った学校だという印象で、息子も気に入っていた。また、しかたがない。

主人の意見では、昔からの友達がいる公立の学校が絶対いいと言う。5年生のときに、1週間体験もしたから、みんな覚えているだろう。毎年一時帰国のたびに会う友達も息子が帰ってくるのを待っている。また、さまざまな家庭環境の子供たちを見るいいチャンスだ。高校に入ると選別されるから、その前にそういう機会があってよかったと思う。私も息子も「清水の舞台から飛び込む」心境。6年半前に住んでいた日本とはいえ、新しい環境で、新しいものにチャレンジする気持ちだ。

野球で、ずっとアメリカ人の子供たちや親たちとうまくやっていった適応能力、柔軟性をバネにできあがった息子の図太い神経を信じよう。

リトルリーグBGRA、バッファロー・グローブの50周年パレードに参加する!

2008-09-01 | リトルリーグ
今日は、シカゴ郊外北、バッファロー・グローブの町誕生50周年記念の派手なパレードに、地元のリトルリーグBGRAの代表として、下の息子が、仲間たちと町の中心地を行進した。



今日は華氏90度近くまで上がったであろうかと思わせるほどの炎天下。12時半にクーパー・ミドル・スクールからでている道、インディアン・ヒルに集合とのBGRA首脳からの指示。息子のリトルのチーム、インディアンズの監督コーチ・アルが言うには、「俺たちはインディアンズだから、やはりインディアン・ヒルに集まるのかあ!」などとわけのわからないことを言っている。

毎年レイバーディ・ウイークエンドのこの時期は、どの地域でもお祭りが行われている。バッファロー・グローブも「バッファロー・グローブディズ」というお祭りで、町の中心地、レイククック・ロードとラップ・ブルバードあたりに、ミニ遊園地が設置され、近所の人々でごったがえす。しかし、今年は、町誕生50周年というだけあって、パレードがド派手だ。というかいつもパレードってあったっけ?BGRAがパレードに参加するというのも近年ではないらしい。

私は、アーリントン・ハイツに住んでいるのだが、息子たちのスポーツ活動がバッファロー・グローブであるため、夕方はいつもこの地域をドライブしている。小学校、野球場、体育館など施設がとても充実している。

自然環境ものどかで、緑が多く、ゆったりとしている。バッファロー・グローブロードを北上し、アプタキシック・ロードまで来ると、パンプキンファームで有名なディディエ・ファームという広々とした美しいファームも見られる。(全日校3年生が9月に遠足で行く所)つまり、バッファロー・グローブは田舎ってこと。今のように開けてきたのは、ここ10数年ぐらいのことらしい。昔は何もないド田舎だったという。しかし、スティーブンソン高校の学区もあるため、各小・中学校の教育水準も高く、よって住宅物件も高い。ジュイッシュ系の人々が多くすんでいるため、教育ないし、スポーツ熱心。すべて平等の精神で、人種差別はない。よって、私たちはバッファローグローブで活動していて、いつもみんなからよくしてもらって、居心地がよかった。仲のいいアメリカ人の友達も多くできた。今日もパレードに参加していると、あちこちで何人もの知り合いに出会い、ハグしながら、「いつ(日本に)帰っちゃうの?」と聞かれた。

さて、下の息子は、パレードの前には、BGRAの首脳秘書係のアランから、パレードをするにあたっての注意を聞かされた。



パレードをしながら、キャンディを配るのだが、小さな子供たちには危ないので投げずに手渡すこと。子供たちが行進する後ろから、車がついてくるので、くれぐれも注意すること。インディアンズからは、息子、コーチアルの息子のジャスティン、ジャシュとたった3人の参加。参加する子供達も全員ではそんなに多くなかった。高学年や中学生たちは、車に乗って参加。息子たちは、久し振りにチームのメンバーに会ったので、うれしくて、待っている間、じゃれあって、遊んでいる。

久し振りにBGRAのドン、プレジデントのキースと彼の奥さん、キャロルに会う。この2人は、20年以上も彼らの子供たちとともに、BGRAの活動をささえてきたという。



去年からキースがプレジデントになり、シーズン中のコンセッションスタンドでは、夫婦でお店をいつも切り盛りし、メンバーのボランティアワークをしきる。私も売り子のボランティアの当番のときは、キャロルにいろいろやり方を教わった。キャロルは病院のX線の技師でフルタイムで働きながら、ずっとBGRAのボランティアワークもこなしているというから、忙しい。しかし、全然苦には感じないという。キースは、BGRAのことはすべて把握していて、なるべくみんな親たちはBGRAの活動にかかわるようにと言われた。

私が、「息子の去年と今年のBGRAのリーグでの公式記録を日本の高校受験に必要だから、作ってほしい」とキースに頼んだら、今手配してくれている。BGRAは、各試合の選手個人の細かいさまざまな記録からリーグ全体の個人の順位まですべて網羅している。息子は今年のシーズンは、打率が6割9分近くまで上がっているので、リーグでもトップレベルである。アメリカでの野球活動の記録は、きっと日本の野球の盛んな高校を受験するときに、きっと役に立つに違いない。キースにもそのことを説明して、理解してもらったので、きちんとしたものをだしてもらえそうだ。このように積極的に熱心にBGRAにかかわってきたキースとキャロルは、夫婦そろって、地域のリトルリーグを心底愛しているのだろう。

キャロルたちは、うちのようにアーリントン・ハイツに20年以上住みながら、BGRAに参加してきたという。キャロルの3人の子供たちは今は20代だが、その子供たちが小さいころは、BGRAのメンバーの数がかなり多く、なかなか入れなかったという。今ではリクルートしなければならないほど減ったという。現在、BGRAは約2000人のメンバーをかかえる大きな組織だが、お金さえ払えば、必ず誰でも入れる。野球をする子供たちの数が年々減っているのだろうか。

BGRAのリクルートの紙がついたキャンディを子供たちはもらい、自分たちの帽子に入れる。これを配って、BGRAをアピールするというわけ。息子は、あとから来た同じクラスのタイガ君とそのキャンディをなめ始めている。ウーン、大丈夫かいな。

さて、1時をかなりまわって、かなり遅れてBGRAのパレードが開始。なんと42番目だというから、すごい数の団体のパレードだ。3人の子供たちが、BGRAの横長の旗を持って、大々的にアピール!その後ろにBGRAの首脳とユニフォームを着たリトルリーガーたち。そして、車が続く。息子たちは、必死でキャンディを配る。あっという間に紙のついたキャンディはなくなり、次から次へと袋からキャンディをだして、配りまくる。大人も子供もみんな大きな袋をかかえて、待っている。

沿道は、近所の人々でぎっしり。イスをだして座っていたり、アプタイザーやビールをテーブルにだして談笑している人も。多くの人たちが、うれしそうに私達に手を振って、励ましてくれた。息子たちも誇らしそうに行進する。こういう風景がアメリカらしい。

私たちの後ろは、バッファローグローブ高校のマーチングバンドだ。一番前でリードするお姉さんたちが美人でカッコいい!地元のボーイスカウトやガールスカウトのグループ。議員の宣伝カー。消防車も繰り出す。しかし、炎天下で、頭がくらくらするほどの暑さだ。子供たちは、キャンディを配る面白さで、文句も言わず、黙々と歩く。私は、写真も必死でとりまくっているせいか、疲れてふらふら。のどもカラカラ、「まだかいなあ!」と叫ぶ。途中で、水のシャワーも浴びながら、なんとかラップ・ブルバードの最終地点までたどりつく。

やれやれ・・・と思いきや、車がないじゃん!また、来た道をもどらなければならない。普段車で数分の道なのに、なんて長いのか!何百回と往復したバッファロー・グローブ・パーク・ディストリクトのあるバーナード・ドライブだが、こんな風にじっくり歩いたのは初めてだった。パレードは、見るよりも参加するのが面白い。アメリカのコミュニティの一員だと自覚できて、地元の人々ととけあっている実感!でも、でも、疲れたあ!帰ってからは、バタンキューで、シャワーを浴びたら、横になって、しばらく寝ていた。

では、また写真をすこしづつアップしていきますので、またこの投稿をのぞいてみてください。多くの写真をアップするのは、おそろしく時間がかかる。引越し準備もしなくてはいけないので、忙しい身であります。