線路沿いに西荻窪方向へと進んで見ましょう。
商店街を通り抜けて、線路に沿って進みます。
しばらく行くと、お寺らしき門構えが見えて来ました。
光明院というお寺だそうです。どんなお寺なんでしょうね、案内版を読むと次のようなものでした。真言宗豊山派寺院の光明院は、慈雲山荻寺と号して創建年代は不詳ながら、行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、荻の草堂を作って仏像を安置、当寺を創建したと伝えられ、草創は南北朝時代ではないかといいます。かつては荻が鬱蒼と繁り、荻寺とも呼ばれていたといいます。本尊の千手観音は南北朝期の作であり、また境内から本尊と同時代に作られたとみられる五輪塔や室町期の板碑などが出土しており、当寺の開創は南北朝にさかのぼるものと考えられます。
相当古い時代に遡るお寺なんですね。今も寺の周辺に残る「四面堂」「堂前」の地名も、当寺の御堂に起源をもつといわれています。本尊の千手観音像は、俗に「荻窪の観音様」の名で近在の人々に親しまれ、大正時代までは本尊の写し観音が地域を巡業する行事が行われ、信仰を集めたといわれています。
なお、嘉永3年(1850)再建された本堂は現在の位置よりも西南側にありましたが、明治21年(1888)甲武鉄道(現中央線)建設のため、現在地に移されました。
寺宝もいろいろある見たいですよ。
お地蔵様も、こんなに並んでいます。
境内のいろんな場所に、まだまだ仏像があります。
これも、歴史を語る石仏像なんでしょうね。
多くのお寺では、弘法大師像が建っていますが、ここでは珍しいことに弘法大師碑という石碑が建ってます。
これは梵鐘堂です。
本堂へやって来ましたが、質素で静かな雰囲気です。境内にある数多くの石仏に囲まれていたお寺にしては意外な感じでした。でも、歴史が古く地域とのつながりも深いものがありましたね。四面道という道路が通ってますが、ここの四面堂が起源だとは初めて知りました。
つづく
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