今度は、小城山観音堂というお堂へ来ましたよ。
ここでも、地元の方たちが熱い信仰心を持って大事にされているんですね。きれいにお花が活けてありました。
豊島南長崎郵便局の2つ先の区画にあるお墓。コンコン通りという通りの入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓です。伊佐家は今も存続していて、この近所に在るそうですが、個人宅なので特定するのは遠慮しておきます。現在は鳶職を仕切っていて、東長崎の駅前商店街・長崎銀座に年末に商店街に出る〆飾りの露店はこの伊佐さんのお宅が引き受けているそうです。そんなことから、ここ南長崎地域では昔から影響のあった家なんだろうなということは伺い知れ、神事の一端を担っているということで長崎神社(五郎久保神社)の氏子の中でも古参だそうですね。
ここが、その昔は「長崎神社」と呼んでたそうですが、正式名称は「五郎久保神社」。この「コンコン通り」という名称から、ここのご神体はお稲荷さんなんでしょうね。そのコンコン通り入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓です。五郎久保稲荷神社は、豊島南長崎にある神社で、南長崎三丁目南部、四丁目、五丁目は、五郎窪と呼ばれていたことから、五郎久保稲荷神社と命名されました。全国でも数少ない北向の稲荷神社で、北向稲荷とも呼ばれていました。
何やら子どもの乗り物も並んでいますよ。ここは子どもの遊ぶ広場として開放しているようですね。
正面の別社は、榛名神社ということだそうです。それでは、駅へ向かいここから大泉学園方向へと行きます。
つづく
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