さて、日枝神社のすぐお隣にあるのが水天宮です。そこで、日枝神社水天宮といい、江戸時代には上中下清戸村の鎮守社であったといいます。明治時代に入り水天宮の分霊を勧請して境内に奉斎したそうです。また、ここは日本橋にある水天宮様と同様に、地元では大変親しまれていて七五三のお祝にはみなさんこぞってお参りする場所になっています。
狛犬さんもいらっしゃいませと吠えています。それでは周りを見て見ましょう。
小さなお社が並び、その一つの八雲神社です。
ここは少し高台にある御嶽社といいます。
たくさんの灯篭が立っていますね。もう一度おさらいをして見ます。
一基高さ171㎝、寛文四年(1664年)造立銘 一基高さ164㎝、宝永七年(1710年)造立銘二基の石燈籠は参道の両側に向い合って建てられ、竿は六角柱でそれぞれに「見ざる」「聞かざる」「物言わざる」の三猿が彫刻されています。日枝神社は山王様と呼ばれて人々に親しまれ、猿は山王様のお使いと信じられていました。燈籠の竿部に「山王開闢天正七天(1579年)中嶋筑後守信久開之」と彫られ、さらに寛文四年造立の燈籠には山崎傳七良以下、下清戸村11名が、又宝永七年造立のものには中清戸村小寺字佐衛門尉重政の名が刻まれており、中世末から近世にかけて、清戸の開発を知る貴重な手がかりとなっています。日枝神社水天宮所蔵の文化財としては、日枝神社三猿の石燈籠(清瀬市指定文化財)日枝神社本殿(清瀬市指定文化財)日枝神社不動明王立像(清瀬市指定文化財)日枝神社のスギ(清瀬市天然記念物)清戸の獅子舞(清瀬市指定無形民俗文化財)などがあり、貴重なものがたくさんあります。さて、次に進みましょう。
少し先に行くと、右手に入ったところに、こんな小さな地蔵堂があり入って見ると、
お墓のようですが、六地蔵もいや八地蔵かな?
休心庵というお寺のような場所でした。しかし、お寺のようにも見えませんでした。
おわり
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