草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

徳田八十吉さんが亡くなった

2009年08月27日 | 日記
人間国宝でもあった九谷焼の徳田八十吉さんが亡くなったね、とみず姫からメールが入った。

昨日の夜遊びがたたって2度寝をしていたのでニュース類を全く知らなかったのでYahooで確認した。

はるか30年以上前にイギリスで知り合った当時美大の女の子がその後、陶芸家になって言っていた。かなり有名人らしいので名前を書いちゃうけど徳田明美さんと言います。

一昨年北陸に旅をすることがあったので事前にメールをしてみたが、お返事もなくて、電話も通じなかったので期待もしていなかったが、小松の松井秀樹野球記念館に行くときのタクシーの運転手さんに何気なくそんな話をしたら、意外や意外「明美ちゃんは小さいころからよく知っているよ」ということだった。

徳田と言う苗字は九谷焼の方に多いようだが、特に八十吉さんと親戚というわけでもないらしいが、地元の出身なのでどこかでつながっているのかもしれない。

大学生時代だったが、美大生という人種とは初めての付き合いで、話が面白くて全く違った感覚で寝る間も惜しんでおしゃべりをしたりした。

「うち、靴が好き!」だから「靴屋でバイトしている」だから「イタリアに行ってみたい」という具合。

ええっ?当時テニスしか能のない田舎の大学生はびっくりでございます(@_@;)

ちょうど焼き物を始めた頃だったらしく、とても熱く語っていた。

「こうなってほしいと思って原型を作っても、焼くとどうなるかわからないところが神秘的だし、面白いしわくわくする」みたいなことで、日本に帰ったら九谷焼に弟子入りすると言っていた。

エロティズムとか言うような言葉を遣う人って珍しかったのでひたすら感激して聞いていた。恋愛トークも強烈で(笑)芸術家!オーラてこれだったかも?

日本に帰っても連絡をとっていたので、一度京都の鞍馬山辺りを旅行して、流しそうめんを一緒に食べた覚えがある。

いちいち言うことが大人だけど自由奔放でこれが芸術家なんだなと思っていた。

結婚して横浜に住み出したころに遊びに来てくれて、なんだかの賞をもらって、本に載ったというので一緒に、馬車道の有僯堂でその本と手にとって見たが、作品はなんだか大きな球体が台に載っていたもので、???だった。

確かお土産にぐい飲みを焼いて持って来てくれたような気がするが、、

その後私も子育てやら転勤やらで音信が途絶えていて、2000年くらいから東京ドームで「テーブルウェアー展」などがあった時に、九谷焼のブースを訪ねたら徳田明美さんは、、と説明をしてくださる方がいて、ちゃんと仕事にしているんだなと嬉しかった。

小松の運転手さんにも、「会う機会があったらよろしく」とお願いしたが、明美ちゃんももう覚えていなのかもしれないな。私にとっては超強烈な個性人間で忘れられないけど。

書きながら思ったけど、この方も私の周りの手芸(芸術)の達人ジャン!と

一方的だけどちょっと自慢しちゃう。

今後また金沢に行くことがあったらしつこく尋ねてみようかな。なんだかこのまま思い出だけにしておくには惜しい気もする。
コメント (1)
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