手術が、あっけなく終わりました。
手術中は全身麻酔がかかっているのでもちろん、術後酸素マスクと点滴に繋がれてしんどかった時間も
過ぎてみれば一時のこと。
起きられて、動けるようになると、もう遥かかなたの出来ごとになりつつあります。
のど元過ぎれば熱さを忘れる、の典型ですかね?
麻酔から目が覚めた時にまず湧きあがってきた感覚は
「ああ、久しぶりにぐっすりよく眠ったなあ」
という、爽快感でした。
その後、麻酔が覚めるに従って痛みが襲ってきましたが…
手術に入る前、手術台に移されて、いろいろな装置を取りつけられている最中に考えていたことは
「執刀医の先生って、偉そうなモノだなあ」
という不謹慎なことでした。
麻酔医や看護師さんが忙しく術前の準備をしている最中に、時々指示をしながら悠然と待っていた
執刀する外科医の人たちの姿が、とても面白く感じたのです。
その後はあっという間に麻酔がかかってしまいましたので、残念ながら知りませんが、出来れば彼らの動きをずっと見ていたいと思いました。
さて、手術が終わって、
体の一部分が摘出されて、なにか欠落感が湧くのか?
多くの人の手で、自分の命が救われたことに、深い感謝の気持ちが湧くのだろうか?
生き延びた自分自身や、これからの人生に新たな決意や愛おしさが湧くのか?
そんなことを考えていましたが、
本当のところは、残念ながらそんな殊勝な心持には一切なりませんでした。
唯一感じ入ったことは、
「人間の体というのは、本当に精緻にできた精密機械なんだな」という実感でした。
いろいろな機材や、人工呼吸器や、酸素マスクの大きな機械に繋がれているのに、その機械が補っているのは
人体の機能のほんの一部分でしかなく
この人体がいかに素晴らしい機能で構築されたものなのだ、という驚異の感覚を持ちました。
そして、この程度の手術を受けた程度では、自分の中身は変わらないものだ
ということを発見したのでした。
ヒトの思考や価値観は、そう簡単には変わらないものなのだ、という
若干予感していた結果が待っていました。
手術後、病棟のベットで、今度はしきりに今後の仕事のことばかり
あれもこれもやっていない、こんなことをしよう、今後の方針はこうしよう
そんなことばかりが浮かんできました。
早速感覚はすっかり現実世界に戻っているようです。
そして、手術前より、自分自身はなるべく人の手を借りずに
自立してしっかり生きて行こうという思いが更に強くなりました。
結局、何が起こっても、最後は自分自身次第なのだ、
そういうことを確認した経験だったような気がします。
ただ、病気の治療についてはこれからのほうが大変なのかもしれません。
放射線や化学療法、投薬と検査が、長い期間続くのです。
その過程でまた何か思うことがあるのかもしれません。
手術中は全身麻酔がかかっているのでもちろん、術後酸素マスクと点滴に繋がれてしんどかった時間も
過ぎてみれば一時のこと。
起きられて、動けるようになると、もう遥かかなたの出来ごとになりつつあります。
のど元過ぎれば熱さを忘れる、の典型ですかね?
麻酔から目が覚めた時にまず湧きあがってきた感覚は
「ああ、久しぶりにぐっすりよく眠ったなあ」
という、爽快感でした。
その後、麻酔が覚めるに従って痛みが襲ってきましたが…
手術に入る前、手術台に移されて、いろいろな装置を取りつけられている最中に考えていたことは
「執刀医の先生って、偉そうなモノだなあ」
という不謹慎なことでした。
麻酔医や看護師さんが忙しく術前の準備をしている最中に、時々指示をしながら悠然と待っていた
執刀する外科医の人たちの姿が、とても面白く感じたのです。
その後はあっという間に麻酔がかかってしまいましたので、残念ながら知りませんが、出来れば彼らの動きをずっと見ていたいと思いました。
さて、手術が終わって、
体の一部分が摘出されて、なにか欠落感が湧くのか?
多くの人の手で、自分の命が救われたことに、深い感謝の気持ちが湧くのだろうか?
生き延びた自分自身や、これからの人生に新たな決意や愛おしさが湧くのか?
そんなことを考えていましたが、
本当のところは、残念ながらそんな殊勝な心持には一切なりませんでした。
唯一感じ入ったことは、
「人間の体というのは、本当に精緻にできた精密機械なんだな」という実感でした。
いろいろな機材や、人工呼吸器や、酸素マスクの大きな機械に繋がれているのに、その機械が補っているのは
人体の機能のほんの一部分でしかなく
この人体がいかに素晴らしい機能で構築されたものなのだ、という驚異の感覚を持ちました。
そして、この程度の手術を受けた程度では、自分の中身は変わらないものだ
ということを発見したのでした。
ヒトの思考や価値観は、そう簡単には変わらないものなのだ、という
若干予感していた結果が待っていました。
手術後、病棟のベットで、今度はしきりに今後の仕事のことばかり
あれもこれもやっていない、こんなことをしよう、今後の方針はこうしよう
そんなことばかりが浮かんできました。
早速感覚はすっかり現実世界に戻っているようです。
そして、手術前より、自分自身はなるべく人の手を借りずに
自立してしっかり生きて行こうという思いが更に強くなりました。
結局、何が起こっても、最後は自分自身次第なのだ、
そういうことを確認した経験だったような気がします。
ただ、病気の治療についてはこれからのほうが大変なのかもしれません。
放射線や化学療法、投薬と検査が、長い期間続くのです。
その過程でまた何か思うことがあるのかもしれません。