ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

手術後に変わったこと

2011-12-08 12:32:23 | 生活改善プロジェクト
手術が、あっけなく終わりました。
手術中は全身麻酔がかかっているのでもちろん、術後酸素マスクと点滴に繋がれてしんどかった時間も
過ぎてみれば一時のこと。
起きられて、動けるようになると、もう遥かかなたの出来ごとになりつつあります。
のど元過ぎれば熱さを忘れる、の典型ですかね?

麻酔から目が覚めた時にまず湧きあがってきた感覚は
「ああ、久しぶりにぐっすりよく眠ったなあ」
という、爽快感でした。

その後、麻酔が覚めるに従って痛みが襲ってきましたが…

手術に入る前、手術台に移されて、いろいろな装置を取りつけられている最中に考えていたことは
「執刀医の先生って、偉そうなモノだなあ」
という不謹慎なことでした。
麻酔医や看護師さんが忙しく術前の準備をしている最中に、時々指示をしながら悠然と待っていた
執刀する外科医の人たちの姿が、とても面白く感じたのです。

その後はあっという間に麻酔がかかってしまいましたので、残念ながら知りませんが、出来れば彼らの動きをずっと見ていたいと思いました。


さて、手術が終わって、

体の一部分が摘出されて、なにか欠落感が湧くのか?
多くの人の手で、自分の命が救われたことに、深い感謝の気持ちが湧くのだろうか?
生き延びた自分自身や、これからの人生に新たな決意や愛おしさが湧くのか?

そんなことを考えていましたが、

本当のところは、残念ながらそんな殊勝な心持には一切なりませんでした。

唯一感じ入ったことは、
「人間の体というのは、本当に精緻にできた精密機械なんだな」という実感でした。
いろいろな機材や、人工呼吸器や、酸素マスクの大きな機械に繋がれているのに、その機械が補っているのは
人体の機能のほんの一部分でしかなく
この人体がいかに素晴らしい機能で構築されたものなのだ、という驚異の感覚を持ちました。

そして、この程度の手術を受けた程度では、自分の中身は変わらないものだ
ということを発見したのでした。
ヒトの思考や価値観は、そう簡単には変わらないものなのだ、という
若干予感していた結果が待っていました。

手術後、病棟のベットで、今度はしきりに今後の仕事のことばかり
あれもこれもやっていない、こんなことをしよう、今後の方針はこうしよう
そんなことばかりが浮かんできました。
早速感覚はすっかり現実世界に戻っているようです。

そして、手術前より、自分自身はなるべく人の手を借りずに
自立してしっかり生きて行こうという思いが更に強くなりました。

結局、何が起こっても、最後は自分自身次第なのだ、
そういうことを確認した経験だったような気がします。

ただ、病気の治療についてはこれからのほうが大変なのかもしれません。
放射線や化学療法、投薬と検査が、長い期間続くのです。
その過程でまた何か思うことがあるのかもしれません。