今年の仕事も終えて、年末恒例の大掃除をしています。
台所の油汚れを、ゴシゴシ拭き、居間の家具や床拭き、溜めこんだ書類の整理、窓ふき…
とひたすら手と体を動かしますが、
あまり考える作業でもないので、考え事をするのにとてもいいのです。
今この時期に考えること、といえば
今年一年を振り返ること。
いろいろな事を思い出しましたが
今年一番大きな出来事は、やはり私にとっても多くの人と同じように
東日本大震災でした。
地震当日の混乱のこと
テレビやネットで何回も見て、その度に心潰れる思いのする、津波が押し寄せる様子
原発が爆発したこと
首都圏からも水やモノが無くなったこと
震災のこと、と一言で括りきれない、様々な困難が次々と起きて
そのたびに動揺し右往左往し、腹をくくろうとおう心境にたどりつきました。
でも、東京に住む私自身は、直接の大きな被害があったわけでもなく
徐々に普段の生活に戻り
震災の恐怖は、遠い東北での出来事、になっていくのです。
そんなふうに、この大震災への心の距離が段々とフェードアウトしていくことに
違和感を感じるのです。
だって、被災した人たちはまだまだ困難な生活の真っただ中にいて、亡くなった家族への思いも整理できずに
悲しみの中で今日も生きているのです。
何よりの違和感は
震災の被災地が、今回は東北で東京ではないことが単に神のみぞ知る偶然だということで
私自身が何もかも失う被災者ではない、ということが単なるたまたまで、
たまたま被害のなかったワタシ、たまたま被災者になった東北の人
その「たまたま」に対する不条理だという思いです。
その思いは、たまたま被害のなかった私ではなく、被災した人のほうがもっと強く思っているだろうということ。
だから私はこの震災を他人事のように忘れて行ってはいけないのだと思うのです。
被災した人の悲しみと苦難を忘れないために、
同じ被災国に生きる同邦人として出来ること何か、ずっと考えてきました。
何年も忘れずに、自分の身に起こったこととして感じて行けることを、行動としてしていきたい
と思います。
何か、行動として長い時間継続できることをしたいと思いますが
もうひとつ、手段が見つかりました。
寄付という、ある意味安直な手段ではありますが
岩手県の「いわて学びの希望基金」への寄付を10年続けようと思いました。
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=33420
私が、両親に一番感謝していること
それは、大して勉強をしていたわけでもないのに、高校、大学へと進学させてくれたことです。
おまけに大学は、高校生の時あまりに勉強をしなかったので、一年浪人までさせてもらっています。
特に大学では、それまでの人生では想像がつかないほど深い知の世界が存在していること
知の世界への扉はすべての人に開かれていて、自分自身が叩けばいつでも誰でも踏み入れることが出来るということ
そして
その世界がとてもワクワクする楽しい世界だということを
教えてくれたところなのです。
自分の知らない世界がたくさん存在していて、どの世界も恐ろしく奥の深い迷宮だということ
そのことを垣間見たことが、私の人生をとても面白くしてくれたと思っています。
なので、進学をさせてくれた両親に本当に感謝しています。
おまけに私の母校は、個性的な人が平然と存在する雑多なところだったので
高校までは自分がちょっと変わった性格と嗜好の高校生だったことに居心地の悪さを感じていたので
この雑多なところに放りこまれたことで、やっと自分の居場所を見つけたように思いました。
この大震災で、心ならずも進学を断念せざるを得ない多くの子供たちがいることを残念に思います。
私の出来る寄付はとても微力で、どれだけの役に立てるのか?とは思いますが
学びたい、進学したい、と望んでいる子供の希望をかなえるお手伝いをしたい
と思います。
そんな形で、自らの意思で子供を持たなかった私の、社会的責任を、ちょっとだけ
果たせれば…と思います。
台所の油汚れを、ゴシゴシ拭き、居間の家具や床拭き、溜めこんだ書類の整理、窓ふき…
とひたすら手と体を動かしますが、
あまり考える作業でもないので、考え事をするのにとてもいいのです。
今この時期に考えること、といえば
今年一年を振り返ること。
いろいろな事を思い出しましたが
今年一番大きな出来事は、やはり私にとっても多くの人と同じように
東日本大震災でした。
地震当日の混乱のこと
テレビやネットで何回も見て、その度に心潰れる思いのする、津波が押し寄せる様子
原発が爆発したこと
首都圏からも水やモノが無くなったこと
震災のこと、と一言で括りきれない、様々な困難が次々と起きて
そのたびに動揺し右往左往し、腹をくくろうとおう心境にたどりつきました。
でも、東京に住む私自身は、直接の大きな被害があったわけでもなく
徐々に普段の生活に戻り
震災の恐怖は、遠い東北での出来事、になっていくのです。
そんなふうに、この大震災への心の距離が段々とフェードアウトしていくことに
違和感を感じるのです。
だって、被災した人たちはまだまだ困難な生活の真っただ中にいて、亡くなった家族への思いも整理できずに
悲しみの中で今日も生きているのです。
何よりの違和感は
震災の被災地が、今回は東北で東京ではないことが単に神のみぞ知る偶然だということで
私自身が何もかも失う被災者ではない、ということが単なるたまたまで、
たまたま被害のなかったワタシ、たまたま被災者になった東北の人
その「たまたま」に対する不条理だという思いです。
その思いは、たまたま被害のなかった私ではなく、被災した人のほうがもっと強く思っているだろうということ。
だから私はこの震災を他人事のように忘れて行ってはいけないのだと思うのです。
被災した人の悲しみと苦難を忘れないために、
同じ被災国に生きる同邦人として出来ること何か、ずっと考えてきました。
何年も忘れずに、自分の身に起こったこととして感じて行けることを、行動としてしていきたい
と思います。
何か、行動として長い時間継続できることをしたいと思いますが
もうひとつ、手段が見つかりました。
寄付という、ある意味安直な手段ではありますが
岩手県の「いわて学びの希望基金」への寄付を10年続けようと思いました。
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=33420
私が、両親に一番感謝していること
それは、大して勉強をしていたわけでもないのに、高校、大学へと進学させてくれたことです。
おまけに大学は、高校生の時あまりに勉強をしなかったので、一年浪人までさせてもらっています。
特に大学では、それまでの人生では想像がつかないほど深い知の世界が存在していること
知の世界への扉はすべての人に開かれていて、自分自身が叩けばいつでも誰でも踏み入れることが出来るということ
そして
その世界がとてもワクワクする楽しい世界だということを
教えてくれたところなのです。
自分の知らない世界がたくさん存在していて、どの世界も恐ろしく奥の深い迷宮だということ
そのことを垣間見たことが、私の人生をとても面白くしてくれたと思っています。
なので、進学をさせてくれた両親に本当に感謝しています。
おまけに私の母校は、個性的な人が平然と存在する雑多なところだったので
高校までは自分がちょっと変わった性格と嗜好の高校生だったことに居心地の悪さを感じていたので
この雑多なところに放りこまれたことで、やっと自分の居場所を見つけたように思いました。
この大震災で、心ならずも進学を断念せざるを得ない多くの子供たちがいることを残念に思います。
私の出来る寄付はとても微力で、どれだけの役に立てるのか?とは思いますが
学びたい、進学したい、と望んでいる子供の希望をかなえるお手伝いをしたい
と思います。
そんな形で、自らの意思で子供を持たなかった私の、社会的責任を、ちょっとだけ
果たせれば…と思います。