ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

もう、後戻りはできない?

2011-07-20 20:10:02 | 生活改善プロジェクト
省エネを今までより強く意識するようになって
いろいろな我慢をしています。

エアコンはあまり入れないように、暑いな、と思っても扇風機に当たりつつ汗をふきふき

電子レンジをなるべく使わないで料理をしようと工夫したり

移動は自転車や、歩く範囲をを広げてみたり

欲しいと思っても、買うのはちょっと待って、本当に欲しいか考えたり

あるものは使う、今あるもので代用できるものは、代用する工夫をしたり

いろいろあります。

我慢と言えば我慢なのですが

暑い中汗をかくことも体には自然なこと、慣れるとクーラーに当たり続ける方がかえって体に辛いと感じたり

電子レンジを使わない調理法が美味しいこともあったり

歩く事を増やして運動不足を解消したり

無駄遣いが減って、お金の節約になったり

家に増え続けるモノが、少しは減って行ったり

あまり使ってないのにもったいないなあと罪悪感を感じ中ら捨てることが減ったり


悪いことばかりじゃなくて、いい発見もある。

そんな
省エネルギーを実行して、少し便利に慣れすぎた生活の針を戻して行こう
と思って行動するとき、それは本当に「いいこと」なのかな?と心に引っかかる点が2つあります。

一つは、特に家事に関して、手間や時間がよりか掛かること(エネルギーを使って便利ならないと)
は、自分のような家事も仕事もしなくてはならない女性は、
家事家庭に縛りつけられることにならないか、ということ。

もう一つは、便利を享受しなくても、自分で何でもできること、を大前提としてしまうと、

「自分ではできないひと」障害があったり、病気や年を取って体力が無くなっている人
社会的弱者と言われる人たちにとって、この便利さが
健康に自由に楽しく生きていくために
どれほど役立っているのだとう、ということ。

便利になることは、自由が増えるということだと思います。
時間や労働から解放されて、自由な行動が出来る範囲が増えるということ。

人はだれもが、義務としての労働から解放されて、自由に好きなことをしていたい
と思っているでしょう。

だから、みんなお金がほしい。
お金は、自由を、好きを、買うために必要なのです。

だから、国は経済的発展をしなければならない
経済的発展をしつづけるということは、常に新しい商品やシステムを作って売っていくということ
常に新しく、常に多くのモノを作り、多くのものを消費すること。

しかし、いつまで発展すればいいのだろう、どこまで行けばいいのだろう
このまま進んだ先は本当に人間にとっていい未来が待っているのだろうか。
そんな不安と疑問を多くの人は薄々感じているのだと思います。

その一方で、弱い人たち(女性を含め)が、より自由に楽しく生きるためには
社会全体が豊かに成らなければならない、後戻りはできない…のでしょうか。

やはり私は、自由競争と自己責任社会であり続けることが、恒常的に経済的豊かさを追及しなければならない
大元だと思うのです。

強くとも弱くとも、同じステージで競わなくてはならない
私自身も、そんな社会が平等で自由であるべき形なのだと、
若くて自分は何でもできると信じていたころは、そう思っていました。

しかし、今は少し変わりました。
元々強い人もいる、弱い人もいる、それが社会です。
社会の多様性を認めるということは、すべてが自己責任で弱いものは淘汰されることとは違うはず。
弱い人にも楽しく生きる場がある、それが多様性を内包する社会ではないのでしょうか。
弱い人には弱い事情や理由があるし、強い人にも理由があるのです。
強い人は、能力を最大限発揮して、弱い人が出来ないことに手を差し伸べる社会
様々な能力や事情をもつひとが、自分を生かすべき場所がある社会、を目指したい、と思います。



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