お彼岸のお中日、弟夫婦、妹たちと5人でお墓参りしました。
このお寺は桶狭間古戦場跡のまん真ん中に位置しています。
「うつけ者」と言われた信長が、狭間ですからこのせまいところに目を付け奇襲の地と決めて
今川軍に大勝利を治め天下に名を轟かせました。「うつけ者」ではなかった。
義元公首実検跡
実は桶狭間合戦の進撃ルートや合戦跡地のことでここ地元(名古屋市緑区)とお隣の豊明市が
長年揉めているそうです。私から見れば何百年も昔のこと、もめなくてもと思うのですが?
↓ 最近建った永代供養塔
子孫がいなくなったり、遠くてお墓参りができなくなった人が多くなったからのようです。
これも時代を反映していると言えましょう。
お寺への道路は行楽客か?渋滞していましたが、お寺は閑散としていました。
これまた時代を反映していると言えるかも。
曇り日でしたが、暖かくて良い日でした。