林芙美子の紀行文、満州編を読むうちに連想しました
南京の中心街「新街口」
母は和服姿で妹をおぶっている。
後ろに従う私、学校へ迎えに来てくれたらしい。
ここは芙美子の紀行文中の満州の都市と同じです。
長衣(支那服)の男性が写っている。
当時出掛けるときは、馬車、洋車(人力車)を使った。
通学手段は覚えていない。
城内とは言え、治安に全く問題なかったわけではなく
1人通学ではないはず、スクールバスも記憶にない。
馭者の隣は父と妹
妹は馬が可哀そうだから、乗らないと言う
父は多分こう言ったはず「馬はお仕事、誰も乗らなかったら
餌も食べられず、そのほうが可哀そうなんだよ」と。
↑ 妹と母 ↑母、私、妹
人が引く人力車は可哀そうと言ったかどうか覚えていない。
紀行文中、満州編の描写でおもわぬ昔のこと思い出しました。