つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

困ったことに、馴れません。

2009年01月08日 | Weblog
言うと笑われそうだけれど、
一人で食べる晩御飯のこと。

私の晩御飯はいつも誰かと一緒だったから。
家族みんなで食卓を囲んだ晩御飯が
物心ついてから、結婚して家を出る時まで続きました。
大学の頃は実習のせいで、時間がずれたのですが、それでも母親が側に。

結婚してからは夫(楽しい楽しいという風ではなかったのです、二人と帰宅が遅くて・・・)
やがて子どもたちが加わり、
そして
帰宅が遅くなった夫が間に合わなくなり、
塾に行き始めた息子が欠け、
夫がいなくなり・・・。

介護を必要とする母と二人。

娘が家をでて、
大学生になった息子が突然料理を始め、
私は作ってもらう身分になったのでした。
4年ほど続いたそんな身分も、ある時を境に消えてしまいました。

一人のことが増え・・・。
夜も外出が多くて、つい外食を。

病気に襲われた昨年は、全くのイレギュラー。
記憶喪失に陥ったように思いだせないのですが、
ず~と一人ということではなかったように思います。
(記憶が飛んでしまっているのは困ったことです)

朝や昼は全然気にならないのですが、
とっぷりと日が暮れた夜、
し~んとした部屋の中は妙に広くて・・・。

意外にも自分が料理が好きなのだということを発見したのですが、
気分が乗って作るときもあれば、乗らないまま~だったり。

でも今夜のおかずは調理人は3人です。
自作のおかず、友人が分けてくれたおかず、
そしてとある理由でお詫びにと中華料理店がお土産に持たせてくれた餃子。

同じ一人でも意外に食が進みました。
食べきれないと思って、よけておいた餃子までペロリ。

気持ちが爽やかな日は、一人晩御飯でも全然気にならないのは不思議です。

どうして爽やかかって、それは次回に。
ヒントは禅とモダンアートの融合、それに不思議な縁とでも言っておきましょう。

こんなことってありかしら!

2009年01月07日 | Weblog
*(驚き)**(驚き)**(驚き)*

青天の霹靂って、こういうこと。

書きたいと思ったけれど
もしかして迷惑がかかる人が出るかもしれない。

残念だけど書けません。今は。

個人的なことだけれど、
*(ショック)**(ショック)**(ショック)*

下降気味だったテンションが一気に高まって、
緊張感に溢れるというのはあることなのですね。
我ながら不思議です。

大変だった一日。

2009年01月06日 | Weblog
今日は午前の10時から3時過ぎまでサークル仲間のお相手をしていました。

書いてみた原稿を見て欲しいと来られたのです。
今わが市で問題になっている小中一貫校について、情報誌に載せる原稿を一度見て欲しいというのです。

暮れ以来、何かというと小中一貫校の話題です。
わが市で15億もかけて、近接する小・中学校を連結して小中一貫校にするという事態が現実化してきたのです。
この3月には予算が議会に提案されるそうです。

4月以来入退院を繰り返していた私に原稿をと言われても???。
事態の把握をする資料がそろっていません。
資料調べから始まり、書いてこられた原稿を読んで・・・、結局かかった時間が5時間。

この小中一貫校、教育内容もこれまでの小中学校とは明らかに異なっています。いってみれば義務教育における格差拡大のエリート校の設立です。
かたや他の小中学校の体育館の耐震工事は放置されたままです。他校の施設の修繕費も削減され、壁や床は穴が開いたまま。
それに就学援助費の削減や下水道の値上げなど市民負担の増加を伴う中での巨額の税金の投入です。
税金の使い方おかしくないですかと言う疑問ももっともです。
あまり言いたくないのですが、全国学力テストで最後に近い成績をとった市でもあります。(言いたくないのは、私自身学力テストについて価値を置いてないからなのですが。)
そのあたりにも、設立の動機が見え隠れします。

わが市も、国と同じく自公市政です。

自分で書くほうが余程楽だったような。
書いてきた人の気持ちになって書かなくてはいけないので大変です。
短い字数に書き込むが難しい内容でした。

うっかりどうぞと言った私が迂闊でした。

これでいいのかしら?

2009年01月05日 | Weblog
今日は仕事始めの日、
でも私には関係なくなってしまった。

テレビや新聞を通してみている世の中。
日比谷の派遣テント村が再三放映された。
信じられないほど困窮している人たちばかり。所持金が1000円を切っている、
中には残金数十円でトイレで寝泊りしてきたという。
歩き続けてやっとたどり着いてそのまま救急車で病院へという人も。
 
年末に首を切られた派遣労働の人たちのために、動いたのは日比谷の派遣テント村に代表されるように、NPOもやいの会、全労連の組合や弁護士、ボランティアの人たち。

彼らの真摯な取り組みがこの派遣労働者の実態を、大企業の非道さをマスコミに載せたのだと思う。
本当にご苦労様と思う。

「私も何か?」といったら、
側にいた息子に「今のあなたに何が出来るの?」と冷たく言われてしまった。

おかしいことばかりだけれど、
私は薬の後遺症で痛む足に気をとられるばかり。
これでいいのかしら???と。
今日も外に出たのは新聞取り込みとごみだし位。

でも何時までたっても解散しない麻生首相だけれど、あの労働者派遣法という悪法に賛成したところは支持しないからねといったら、「その位はね~」息子も同意していた。


あっという間の三が日。

2009年01月03日 | Weblog
今年のお正月はこれまでになく出遅れました。
といっても年賀状の話ですが。
印刷を始めたのは、結構早かったのですが、宛名書きに入る時間をうまく作れませんでした。

宛名を手書きにしたので、今日やっといただいた方へのお返事がほぼ書けて、
たった今郵便局に出して来たところです。

これから出したい方への年賀状に取り掛かります。
何とか今日のうちに終わらせたいと思っているところです。

今年のお正月は珍しく子どもたちが大晦日からいました。
大晦日は久しぶりの年越しそばを食べ、
元旦はお雑煮と続きました。

私のお雑煮は、関西風というか京都風というのか母親譲り。
だしは昆布と鰹節(もしかすると母は鰹節だけだったかも)
野菜はほうれん草だけ、肉は鶏肉 後は紅白のかまぼこ、なると。
味は味醂に、お酒に、お醤油。
夫が作ったお雑煮は東京風の薄味の野菜の具沢山。
でも子どもたちに人気がなくて1回で終い。関西風が定着しました。

午後には家族に私の友人が加わって4人でお節で飲み始めました。
お節は某和食のお店の手作り品。
ちょっと懐に響きましたが、前回食事に行った時に、つい乗りで頼んでしまったのでした。
もち論初めてのこと。

あまりの豪華さに、娘は写真に撮って携帯ブログに載せるのだとか。

でも効果抜群、なんとこのお節を肴に延々と宴が続きました

最初にダウンしたのはわが娘、ついで息子。
いずれも前日までの睡眠不足が祟ったのでしょう。
そしてついには友人も。

ほんの少しだけしかのまなかった私だけは目がパッチリ。
仕方なく別室にて休憩しながらサッカーの天皇杯を。
応援していたガンバ大阪が勝ってご機嫌でした。

目を覚ました3人はまたそれから宴を再開。

でも振り返ってみれば殆どは友人の独り舞台だったようです。
それにしても「面白かったね~」と子どもたち。

実ににぎやかでのんびりとした大晦日から元旦でした。