あるフォロワーの記事で知ったが、”21歳の6割が全く本を読まない”事が文科省の2022年の調査で明らかになったという。
若者も含め、日本人の活字離れはSNSの普及による世界的な傾向とも言えなくもない。が故に、取り立て驚く程の事でもない。
それ以上に、”増える図書館、活性化の核に〜高知の施設は100万人集客”という記事(日経オンライン)が気になった。
全国的に図書館が増加傾向にあり、年100万人超が訪れるテーマパーク級の集客力を誇り、地域活性化に繋がってるという。
高知県の山あいにある梼原町立「雲の上の図書館」(上図)は世界的な建築家・隈研吾氏が設計を手掛け、建設費約12億円で18年に開館。地元産木材を使った内外装が特徴で、同館をコースに加えたツアーも人気があり、週末は台湾の団体客らも目立つ。人口約3000人の同町唯一のホテルは、22年の宿泊客が17年比4割以上増えた。
総事業費約146億円をかけて18年にオープンした高知県・市共同運営の図書館を核とする複合施設「オーテピア」(高知市)は、障害者向けの図書館やプラネタリウムがある科学館を併設。県民の知的好奇心に応えようと、19年度の来館者は100万人を突破し、蔵書は160万冊超と西日本トップクラスを誇る。お陰で、高知県は貸出冊数を10年間で84%伸ばした。
高知県梼原町のケース
確かに、流行りのカフェの様なオシャレで斬新なデザインの図書館が増え、地域活性化に繋がるのは嬉しい事だし、利用頻度も増えるだろう。全ては良い事ずくめの様にも思える。
しかし、地域の財政的な”費用対効果”ではどうなんだろう?
因みに、梼原町の人口は約3000人で年間貸出冊数が18100冊って事は、町民1人当り年間たったの6冊。月1冊も読んでない計算だ。
これは、税金の使い方としてはどうなの?ってなる。多額の税金を使って作ったのなら、もっと本を借りてもらわないと、図書館の存在意味がない。
図書館の本質は”本を借りて読む”所で、子供や大人の遊び場じゃないし、少なくとも(建築家の自己満足で作られた)遊園地やテーマパークでもない。キツく言えば、居心地のいいソファに寝そべり長々と時間を潰す空間でもない。
それに、長い時間、図書館で勉強をする輩をよく見かけるが、勉強は自分の部屋で独りで励むものだと思うのだが・・・
そんな私も、無職の時期に図書館で勉強してた頃があるが、今から思うと殆ど身についてはいない。つまり、行く所がないから図書館に屯してただけである。
読書も勉強も精神を落ち着かせ集中し、始めて知の向上を促す。少なくとも、レジャーやファッション感覚で行うのは如何なものか。
一方で、新たに図書館を作る事で”古本屋や書店を潰すのでは”という声もある。
確かに、タダで新刊が読めれば、本屋はいらない。しかし、図書館で借りて、本定めをしてから新書や中古本を買うという事も多々ありうるし、専門書なんか特にそうだろうか。
私なんか後者の典型だが、そういう意味では図書館と言えど、地域住民の知能を健全に保つ為にも、ある程度の本揃えは必要とも言える。
市町村の立場からすれば、道路のインフラや修繕などで税金を使うより、”オシャレな図書館”を建設した方が評価されやすい。地元住民としても、オラが村にオシャレな図書館ができれば悪い気はしない。
そういった理由から、図書館が増える理由は納得はできる。がしかし、特に人口が少なく税収が低い地方に、負債を背負ってまでも豪勢な図書館を作る必要があるのか?
一方で、収益を生まない図書館の存在意義ってなんだろう?図書館にオシャレや流行や最先端のデザインは必要なのだろうか?
そもそも本を借りるという事と本を読むという事の境界とは何だろう?その境界線は図書館が引いてきたのではないのか。
結論として、図書館という箱モノ(建物=ハード)より、中身(蔵書=ソフト)を充実させ、予算を最低限に抑える。極論を言えば、建物(ハード)はプレハブでも構わない。
つまり、箱モノに無理な予算をバラ撒き、多額の負債だけが残る事だけは決して許されない。最悪、地域活性どころか自治体が衰退し、消滅しかねない。
これから日本は(我々が想像する以上の速さで)どんどん貧しくなるし、多くの地方都市では次々と過疎化が進むだろう。そんな中、侘しい税収でやりくりするには、税金の使い方の優先順位を明確に正確につける必要がある。売上を生み出さない公共物件は特にである。
少なくとも、ドンブリ勘定では地方の破綻は目に見えている。
TSUTAYA図書館の弊害と矛盾
因みに、”ツタヤ図書館”と呼ばれる佐賀県の武雄市図書館(下図)も大きな問題を抱えている。
2018年は過去最高の年間107万人を記録したが、この値は図書館を利用せず書店&カフェだけ使う人も含む。故に、図書館自体の実質の利用者はずっと少ない。
図書館利用の実質の指標として、図書貸出利用数と図書貸出数がある。ただ来ただけじゃなく、何人が本を借り、何冊の本が借りられたかという数字。
これを見ると、18年度の図書貸出利用数=14万5千人は、実はオープン1年目と比べて2万2千人も減っている。同様に、図書貸出数も減少傾向にある。つまり、過去最高の来館者数=過去最高の利用数ではない。
今では、図書館入り口(左)にあったTSUTAYAレンタルは撤退したものの、書店ゾーンとカフェ、奥に進むと図書館という様に3in1の施設になり、図書館と営利を追求する書店とカフェがごっちゃになった空間である。但し、この空間の中核はスターバックスカフェにある。
つまり、カフェを楽しむ為に図書館へ行く。
これはこれで構わないとは思う。
しかし、人気が高い本やニーズが大きい新刊本は売り物の側に多く配置され、図書館に配置されるのは古本ばかりという(大方予想はされてたが)笑うに笑えない最悪の事態が、海老名市と同様に報告されている。
これじゃ誰も本を借りる人はいなくなる。新刊や人気本が借りれなければ、図書館の存在価値はない。新刊を借りてスターバックスカフェを楽しむというのが理想のコンセプトではなかったか?
私も何度か、この武雄市図書館に通った事がある。人口5万人に満たない小さな市に、こんな豪華な公共施設が必要なのか?と衝撃を覚えたと同時に、少なくとも(スターバックスはともかく)書店やツタヤレンタル店は必要ないのでは?と疑惑の気持ちがすぐにぶり返した。
事実、オープン後数年で様々な問題が発覚し、当時の市長はリコール(解職請求)を受けた。
確かに、地域住民にとっては(外観を含めた見た目は)斬新で革新的にも思えたろうが、図書館の本質からは大きくかけ離れている。
”本を貸し出す”という図書館本来の機能よりも、見かけの集客数(来館者数)を狙った空間演出に傾斜する。そんな視点で見れば、スターバックスも余計で浮いた存在に思える。
何度も言うが、図書館は本を借りる所であり、コーヒーを飲んで長々と寛ぐ所ではない。シャレた建築物を見たければ、美術館に行けばいい。人の多い所に行きたけりゃ繁華街へ行けばいい。
つまり、図書館そのものを娯楽の空間にすべきではないと思うのだが。
最後に〜箱モノよりも蔵書
そういう私にとって理想の図書館は、福岡県立と佐賀県立の様な図書館で、建物はとても古く洒落っ気もないが、手の届く程の高さの本棚が所狭しと立ち並び、専門書や一般図書や資料・辞書類が非常に充実している。
特に佐賀県は、数学に関する新書が数多く揃ってるが、ハードに殆どお金を掛けないからできる賜物でもあろう。更に、洒落た娯楽スペースがないから、とても静かで本を読んで借りるのに丁度いい(欲を言えば、学習室や自習室も禁止してほしいものだが・・)。
コーヒー類は自動販売機のみで、流石に昔ながらの食堂はなくなり、(カフェに変わり)メニューが多くなり値段が高くなったのは残念だが、それでもシンプルで余分な装飾は一切ない。
しかし、これが両者ともに市立図書館となると、派手な外観とデザインだけで中身は如何わしい。まともな蔵書は少なく、お陰でスポーツ紙や三面記事を読み漁る輩らの溜まり場になりつつあるから、施設内も汚いし、風紀も雰囲気も空気も宜しくない。
もっと言えば、建物は簡素な作りのプレハブでもいいから、その浮いたお金で優良な蔵書を数多く揃えるべきだろう。
例えば、(数学が苦手な人でも読める様な)大数学者のシリーズを全巻揃えるとか・・そういうのでも図書館の充実度は全く違ってくる。
つまり、借りられた予算内での地域住民の贅沢とはそういうもんではないだろうか。少なくとも世界的建築家のデザインやスターバックスのコーヒーやTSUTAYA書店でないのは明らかだろう。
それに書物は古くなると倉庫裏の書庫に隠されるが、専門書や古典文学や純文学は古くなっても価値は変わらないので、自習室を犠牲にしても閲覧室に堂々と陳列すべきだとも思う。
限られた予算で作られた地域の地域による地域住民の為の図書館に、ウケのいい贅沢や陳腐な娯楽を持ち込むべきではないし、余計な税金を注ぎ込むべきでもない。
日本人は今、本を読む事の大切さと図書館の本来のあり方を、今一度見直す時に来てるのではないだろうか。
が、これは図書館の問題のみでなくネット時代になって、国民が本を読まなくなったことが一番の原因だと思います。
良いことが書かれてあったからコメントつけさせていだきましたが、このコメントは非公開で結構です。
過去の記事にも書いたんですが
日本人自体が元々”本を読む民族ではない”という事も一理あると思います。
事実、欧米ではネット社会になり、逆に活字が復活しつつあります。
長編本はすぐさまロングセラーになり、特に彼ら彼女らの長編好きには舌を巻く程です。
そういう意味では、日本も図書館のあり方を見つめ直し、老若男女を含めた活字離れを防ぐ必要があると思います。
こうした純粋に記事に対するコメントなら大歓迎ですよ。
2013年にオープンしたTSUTAYA武雄図書館も、郷土資料廃棄問題から始まり、中古本大量選書、装飾用ダミー高層配架、Tカード個人情報流出疑惑、TSUTAYA式書店分類による混乱など、それらに怒った市民によるたび重なる住民訴訟など、物議を醸した事件ばかりである。
2015年の神奈川県海老名市も運営費は倍増し、<効率の良い官民連携>とはほど遠い。更に<公務を受託する資格がない>と失格のレッテルを貼られた。
そんな中、<沖縄に20年契約のツタヤ図書館が誕生>というニュースには目を疑う。
結局は、図書館も政府のオモチャなんだろう。
最悪の結果を招くと判ってても
図書館を核とした複合施設を、官民一体で作り上げるというプロジェクトは聞こえはいいけど、明らかな矛盾も多く含みます。
政治家やゼネコンからすれば、図書館も箱モノという”カネの成る木”だったかもですが、今や箱モノが負債にしかならないという時代に、敢えて税金を投入する。
この手のプロジェクトには黒い資金が色々と噂されてますが、このままで行くと地方は消滅しますね。
まさに、”貧しいニッポン!箱モノばかり作って何になる”って感じです。
わが石川県内も「オシャレ図書館」が増えています。
老若男女が集い、一種の遊び場のよう。
悪い事ではないのですが、個人的には馴染みませんね。
図書館の理想像として、貴兄の意見に大賛成です。
本は文字・文章を読み解き、思考し、想像する一種のエンタメ。
それが廃れるのは寂しい限りです。
では、また。
オシャレ過ぎる図書館ですよね。
我が柳川市の場合、パッとしない建物ですが、それでも昔と比べたら随分とオシャレですかね。それに本館と分館を含め、人口6万人ほどの田舎に7つもあるんですよ。
これってどーかなとも思うんですが、緊急避難センターに使ってるという話も聞かないし・・・
若者や女性や子供らをターゲットに無理に集客しようとするから、色んな矛盾や問題が起きるんでしょうが、先ずは活字離れを何とかしないと・・・
図書館は頭の中で”想像するエンタメ”
まさにその通りです。
このままで行くと、全国の地方図書館は一気に空洞化するでしょうね。
コメントありがとうです。