前回「その5」では、イデアル類群Cₖ={Pₖ,P₀Pₖ}を2次体K=Q(√(−5))を例に挙げ、イデアル類群の前身となる「ラグランジュの定理」(1773)について説明しました。
因みに、イデアル類群Cₖの位数|Cₖ|を類数と呼びますが、イデアル類群の発見より以前に、2元2次形式に対する同値類(同値関係を満たす元の集合)の数として、その類数(イデアル類群の位数)は研究されてはいた。
つまり、素数pは2元2次形式で表せるが、”その形は2つのパターンに分かれる”というのが「定理」の主張である。これはその主張を”イデアルP∈CₖがP∈Pₖ又はP∈P₀Pₖのどちらかである”と見れば、イデアル類群の位数(類数)が2である事と深く関係する事が、大方理解できる筈だ。
こうした同値類の数が群になる事はガウスにより示され、実際、この同値類と群は2次体のイデアル類群に対応する。
そこで前回は、長々と「ラグランジュの定理」を証明した訳ですが、ガウスの円分体の研究を引き継いだクンマーは、”ノルム”の概念を使い、イデアルの世界に切り込んでいきます。
例えば、2次体K=Q(√(−5))の整数環Oₖは𝑍[√(−5)]となるが、6=2⋅3=(1+√(−5))(1−√(−5))となり、通常の整数の様に一意的に素因数分解出来ない事は、既に何度も述べましたが、2,3,1+√-5,1-√-5は何れも𝑍[√(−5)]の”素元”にはなり得ないが、単数(±1)以外の数では割り切れないので、整数環Oₖ上の素数となる。
故に、整数環Oₖ上に素元ではないが素数である元が混在したら、数学の世界ではとても困るのだ。そこで、クンマーは”ノルム”(距離)という概念を使い、”素因数分解の一意性”に似た概念をもたせ、架空の理想複素数(後の理想数=イデアル)を発明し、素因数分解の一意性の問題にケリをつけます。
前回のおさらい
クンマーは最初に、素数lと原始l乗根αに関する円分体Q(α)の整数環における素因す分解の問題に取り組んだ。彼は膨大な計算により、”p≡1(modl)を満たす素数pはQ(α)の整数環O'(=Z[α])の中で素元の積として一意的に表せる”と主張します。しかし、ヤコビがl=23の時の反例を示した事で、クンマーはZ[α]におけるpの”素元分解の限界”を再度思い知る事となる。
そこで彼は、Z[α]でpがどの様に素元分解できるか?を模索し、lが奇素数の時、p=f(α)f(α²)…f(αˡ⁻¹))を満たすf(α)∈Z[α]の”ノルム”(距離)という非負整数に注目した。結果、ヤコビの反例を”l=23の時、素数p=47はノルムにならないので素元分解はできない”と結論づけたが、ここでノルムの限界に突き当たる。
そこでクンマーは”架空の複素数”を導入し、代数体の素元分解を可能にする。
例えば、通常の複素数では、3=(1+√(−2))(1−√(−2))と素数は更に分解できる様に、架空の複素数を使えば、整数環上の素数は更に一意的に素元(素イデアル)分解できると考えた。
事実(「その4」で見た様に)、1+√(−5)=(2,1+√(−5))(3,1+√(−5))において、1+√(−5)は整数環Oₖ上の素数であり、(2,1+√(−5))と(3,1+√(−5))は素イデアルとなる。更に言えば、架空の分解はノルムのお陰で判別でき、素元分解を完全(可能)にした。
但し、素数と素元の違いだが、元が属する環によって異なる。例えば、通常の整数Zでは素数の2は素元であるが、ガウス整数環Z[i]では、2=(1+i)(1−i)となり、2は右辺のどの因子も割り切らないので、素元とならない。
そこでクンマーは素元分解にて、素元の不足を理想数(イデアル)で補う事で、更なる分解を考え、素イデアルによる完全な分解に至ったのだ。
こうしたクンマーのアイデアを一言で言えば、”数の計算では一意的に素数分解できないので、イデアルの計算に全てを置き換えよう”というものである。
ノルムの定義として、「その4」で書いた様に、2次体K=Q(√m)の任意の数をα=a+b√mとすれば、イデアルA=(α)のノルムは、N(A)=αα’=(a+b√m)(a−b√m)=a²−mb²で表せる。故に、Q(√(−5))の元:a+b√(−5)のノルムはa²+5b²となる。
一方でノルムの定理に”αがβで割り切れるなら、N(α)はN(β)で割り切れる”がある。
故に、整数環Oₖの元である6=2⋅3=(1+√(−5))(1−√(−5))は一意分解整域ではなく、(上述した様に)2,3,1+√-5,1-√-5は何れも𝑍[√(−5)]の素元にはなり得ないが、整数環Oₖ上の素数となる事は、イデアルのノルムの定理を使って確認できる。
つまり、イデアルを理解するには、イデアル類群の仕組み、言い換えれば、単項イデアルとそうでないイデアルとの距離(=ノルム)を知る事で、見えないイデアルの世界を判別する事が可能となる。
そこで今回は再度、代数的整数論からイデアル論の流れを振り返り、高木氏の類体論に繋げたいと思います。
再び、代数的整数論からイデアル論へ
「その2」ではガウスの研究を起点とした代数的整数論について触れましたが、起源は有理数解を求める方程式を研究した3世紀のアレクサンドリアの数学者ディファントスにまで遡る。その後、フェルマーによるい受け継がれ、360年間未解決だったフェルマー予想(1637~1995)は、19世紀の代数的整数論の発展と20世紀のモジュラー性定理の証明を刺激する事になる。
一方でガウスは、自著の「アリトメチカ」(1801)に整数論の結果をまとめ(1798)、自身による重要な新しい結果を加えた。やがて、この著はクンマー、ディリクレ、デデキントら、19世紀の数学者たちの研究の開始点となる。
その後、ヒルベルトは代数的整数論の分野を1897年の論文「数の報告」で統一する。一方で彼は、類体論に関する一連の予想(絶対類体)をたて、その結果は高木貞治による研究の後、1930年までに殆ど証明された。
そこで、この代数的整数論を厳密に言えば、従来の数の枠組み、即ち、有理数を含む実数、更に実数を含む複素数の集合という枠組みではなく、”有理数を代数的に拡大した数の集合である代数的数体(代数体)を考え、従来では解明できなかった有理係数のn次方程式を考察する事を目的として生まれた分野”となる。
まずは、上述の”代数的数体”の原点に戻りますが、”代数的数”とは、有理係数aᵢのn次方程式:aₙxⁿ+aₙ₋₁xⁿ⁻¹+⋯+a₁x+a₀=0、aₙ,aₙ₋₁,…,a₀∈Q(有理数)の解αをn次の代数的数と呼ぶ。但し、αがどのn-1次以下の方程式の解にならないとの条件に留意する。
例えば、2−√3という数は2次方程式x²−4x+1=0の解であり、且つ有理数を係数に持つ1次方程式の解にはなれないから、”2次の代数的数”となる。次に、”n次の代数的数体”だが、αを代数的数とする時、αに加減乗除を何回も施して得られる数の全てからなる集合Kを、αにより生成される代数的数体(代数体)と呼んでQ(α)と書き、これを代数体K=Q(α)とする。
このQ(α)は有理数Qの集合を含むが、”代数的整数”を含む事も判っている。但し(以下でも述べるが)、代数的整数とは、最高次係数が1となる様な整数係数方程式の解となる複素数の事である。
K=Q(α)の中の全ての代数的整数からなる集合をOと置き、K上の”代数的整数環”をOₖと書く。故に、代数的整数論とは、”代数的数体だけではなく、代数的整数を研究する分野”とも言える。
通常の整数と同じく、2つの代数的整数の加・減・乗の結果は代数的整数となるが、除の結果は必ずしも代数的整数にはならない。故に、整数には”環”(加・減・乗を満たす数の集合)と呼ばれる冠がつく訳だ。
例えば、1次方程式x−3=0の解は3で、最高次数の係数が1でない既約方程式の解は整数でなく、有理数となる事が判る。
そこで、次数nが1より大きくても最高次の項の係数が1である整数係数の方程式f(x)=0の解となる複素数を"代数的整数"と呼ぶ。例えば、√2は無理数だが、x²−2=0の解により代数的整数となり、虚数iもx²+1=0の解で代数的整数となる。
更に、x²+x+1=0の解-1±√3iも複素数だが代数的整数という事になる。故に、通常の整数を代数的整数論で言えば”有理整数”と区別する事にする。
つまり、”a+b√2、a,b:整数”の形の数の集合Q(√2)は全て代数的整数となり、”最高次の係数が1”の方程式:x²−2ax+a²-2b²=0の解となる事が判る。
再び、クンマーのアイデアと理想数
一方で、代数的整数の世界では、通常の整数と異なる厄介な性質が幾つか存在する。
その1つが、”任意の整数は一意的に分解される”との性質が”代数的整数では必ずしも成り立たない”という事である。
例えば、通常の整数の範囲を代数的整数の範囲まで広げると、6=2×3=(1+5i)×(1−5i)とも表せる。つまり、”一意的に分解出来ない”事が判る。
この数学的大問題をクロネッカーは複雑だが、鮮やかな方法で克服した。そして、この同じ困難を更に鮮やかな方法で提示したのがクンマー(1810-93)である。
彼は”理想数”と呼ぶ新しい数を導入し、代数的整数環における”素因数分解の一意性”の様なものを得た。
クンマーは、これは代数的整数の分解が十分でない為に起きる問題であると考えた。
例えば、通常の整数Zにて、12=3×4=2×6の様に、分解が十分でなければ2通りに分解できるので、12=2×2×3と完全に分解すべきである。
以下同様に、K上の代数的整数環Oₖ=Z[√5i]={a+b√5i|a,b∈Z}においても、より根元的な分解6=A×B×C×Dが存在し、2=A×B,3=C×D,1+√5i=A×C,1−√5i=B×D―①となろうというのが、クンマーの発想である。
勿論、A,B,C,Dは整数環Oₖの元ではない。だがクンマーは、x²+1の分解には虚数i=√(−1)を含む、より広い複素数の領域が必要な様に、Oₖの元が上の様に完全に分解される為のより広い理想数の領域が存在すると考えた。
そして、このA,B,C,Dの様な”理想的分解”を与える因子を”理想(複素)数”(ideale complexe zahl)又は”理想因子”(ideal primfactor)と名付け、理想数の理論を築いた。
この結果、ガウスの平方剰余の相互法則を代数的整数に対して拡張し、フェルマー予想の部分的解決にも成功する。
以上を、現代のイデアル論(環論)の言葉で説明する。
上の例における6=A×B×C×Dとの分解に対するクンマーの理想数は、(判り易い様に)Oₖ=Rと置けば、A=2R+(1+√5i)R,B=2R+(1−√5i)R,C=3R+(1+√5i)R,D=3R+(1−√5i)Rとすれば、①により、6R=A×B×C×Dであり、2R=A×B,3R=C×D,(1+√5i)R=A×C,(1−√5i)R=B×D―②となる。
即ち、6という元の素因数分解を考えるではなく、6により生成されるイデアルの”素イデアル分解を”考えるのである。
これだけでは少し解り辛いが、前回「その5」では、6により生成される単項イデアル(6)を考え、このイデアルの素イデアル分解を考えました。
事実「その4」で見た様に、P=(2,1+√(−5)),Q=(3,1+√(−5))の共役をそれぞれP’=(2,1−√(−5)),Q’=(3,1−√(−5))とおくと、PP′=(2,1+√(−5))(2,1−√(−5))=(4,2(1+√(−5)),2(1−√(−5)),(1+√(−5))(1−√(−5)))=(4,2(1+√(−5)),2(1−√(−5)),6)=(2)(2,1+√(−5),1−√(−5),3)=(2)(1)=(2)と計算できる。
同様に、QQ′=(3,1+√(−5))(3,1−√(−5))(9,3(1+√(−5)),3(1−√(−5)),6)=(3)(3,1+√(−5),1−√(−5),2)=(3)(1)=(3)と計算できる。
但し、2,1+√(−5),1−√(−5),3は共通の約数1を持つ(互いに素)ので、(2,1+√(−5),1−√(−5),3)=(1)となるが、こうしたイデアルの掛け算は独特なので慣れるしかない。
以上より、ノルムの判定法からもPとQが素イデアル事が判る。
一方で、1+√(−5)=(2,1+√(−5))(3,1+√(−5))=(6,3(1+√(−5)),2(1+√(−5)),(1+√(−5))²)となり、ここで6=(1+√(−5))(1−√(−5))より、=(1+√(−5))(1−√(−5),3,2,1+√(−5))=(1+√(−5))(1)=1+√(−5)=PQを得る。故に、PQは素イデアル分解を成し、PQの共役はP’Q’=1−√(−5)となる。
つまり、単項イデアル (6)=(2)(3)=(1+√(−5))(1−√(−5))=PP′QQ′と、4つの素イデアルP,P′,Q,Q′に一意的に分解できる事が判る。
従って、P=A,P′=B,Q=C,Q′=Dとすれば、(6)=ABCDと②の形に表せる事が判る。
最後に
但し、現代の環論(イデアル論)では、2,3,1+√5i,1−√5iは、整数環Oₖにおいては6の素因数ではなく、”これ以上分解できない元”であり、これを”既約元”と呼び、素数の一般の概念である素元(素イデアル)とは厳密には区別する。
つまり、 2,3,1+√5i,1−√5iは、代数的整数環Oₖ=𝑍[√5i]の素元ではなく、一方で単数(±1)以外の数では割り切れないので、Oₖ上の素数となる事も理解できる。
以上で見た様に、(a),(b)に対し、その積(ab)も再び単項イデアルとなり、単項イデアルの全体PₖはP₀Pₖの部分群となる。この時、剰余群P₀Pₖ/Pₖをイデアル類群Cₖと呼び、Cₖ={Pₖ,P₀Pₖ}とも書ける。
また、イデアル類群Cₖに属する同値類Pは、「ラグランジュの定理」から、Pₖ又はP₀Pₖのどちらか2つの集合の要素となり、K=Q(√5i)で言えば、単位類(1)とP=(2,1+√5i)の同値類の2つとなる。つまり、代数的数体(代数体)K=Q(√5i)の類数は2となる。
故に、冒頭で述べた様に、イデアル類群の位数(類数)が2である事が判る。
従って、素数pは2元2次形式で表せ、”2つのパターンに分かれる”との「ラグランジュの定理」の主張と密な関係を持つ事の理解はそう難くない筈だ。
クンマーの理想数のアイデアは、フェルマーの定理の”理想の素数”上での証明にも大きく寄与したが、”理想の素数”が全ての素数を無限に渡る事は、未だに証明は成されていない。
前回「その5」、前々回「その4」とダブる所も多かったのですが、イデアル論を基本に戻って復習するには、丁度いい機会かもです。
次回は、高木貞治氏とその時代を簡単に振り返る事にします。
何とか判別できるけど
素イデアルとなると、目には見えない架空の数だから、クンマーはこのインビジブルな要素(因子)を使い、分解の一意性の未解決問題に決着を付けた。
まるで「透明人間」の世界だが
クンマーの発想とアイデアはSF映画の領域の次元にあったのだろう。
元々、代数的整数論は実数を複素数の範囲にまで広げて成し得る理論ですから
クンマーはその複素数を目に見えない世界にまで拡張する事を思いつきました。
言われる通り、数学の世界に”透明人間”が居たらって発想です。
クンマーの理論を見ても解るんですが、数学と言えど如何にアイデアが重要なのかを思い知らされます。
いつもコメント有り難うです。
”見えざる手”というのがあるけど
それぞれが自己利益を追求すれば
見えざる手に導かれて
適切な資源配分が成され
社会の繁栄と調和に繋がるってことなんだけど
クンマー先生の"見えざる数"に導かれれば
理想の数も一意的に分解されて扱いやすくなる
ってとこでいいのかな(^^;
見える(通常の)整数の世界では、分解の一意性が成り立たないという壁が存在します。
そこでクンマーは、整数環における根源的な分解、つまり素イデアル分解という目に見えない理想数の分解を考えました。
つまり、全ての数を見えない理想数に置き換えれば、いろんな世界が導けると考えた。
アダムスミス的に言えば、”見えざる数”により様々な数の繁栄と調和に繋がるとなる。
クンマーの理論は非常に抽象的で困難なものでしたが、デデキントは理想数をイデアルに置き換える事で、理想数の理論を容易に理解できる様に平坦化しました。
事実、記事に書いた様に、理想数の分解を素イデアル分解で考えると理解しやすいですよね。
小難しい記事に、コメント関心歓心です。
そこで素元について少し補足しますが、まず一意分解整域とは(通常の整数みたいに)各元が素元の積に一意に表せる分解環の事で、整域とはab=0⇒a=0又はb=0をみたす乗法単位元をもつ可換環です。
つまり、一意分解整域だと”既役元=素元”となりますが、整域だと”素元⇒既役元”となるが、逆は成り立たない。
まず素元の定義ですが、素元p∈R(整域)とは(p)が素イデアルである事を言い、ab∈(p)⇒a∈(p)又はb∈(p)を満たす。つまり、素元のイデアルが素イデアルとなります。
次に既約元x∈Rとは、x≠0かつx∉R’で、x=ab⇒a∈R’又はb∈R’をみたす。R’はRの単元(可逆元=逆元が存在)全体の集合です。
つまり、xが2つの元の積ならば一方は単元(可逆元)となります。
以上より、素元は素数の概念に対応し、既約元は”これ以上割り切れない”との既約の概念に対応します。通常の整数では両者は同じですが、整域だと違ってきますね。
証明は省きますが、通常の整数では同じものが整域にまで踏み込むと違ったものになるというお話でした。
記事でも、通常の整数Zでは素数の2は素元となるが、(一意分解環=UFDである)ガウス整数環Z[i]では、2=(1+i)(1−i)となり、2は素元とならないと書きましたが、これは1±i∈Z[i]にて、2=(1+i)(1−i)と素元の積に書け、Z[i]では1±iは素元でも2は素元でない事から判ります。
そこで、K=Q(√(-5))の整数環Oₖ=Z[√(-5)]では素元の定義により、6=2×3で2が素元であれば、6=(1+√(ー5))(1−√(ー5))∈(2)と出来るが、一方で1±√(ー5)∉(2)より、(2)は素イデアルでない。故に、2はOₖ上で素数であっても素元ではない事が判ります。
更に、2=(a+b√(ー5))(c+d√(ー5))として、この両辺共役:2=(a−b√(ー5))(c−d√(ー5))を掛け合わせ、a+b√(ー5),c+d√(ー5)が単元(=積における逆元)ではないと仮定し、掛け合わせた等式の矛盾を導けば、2は既約元になる事が証明できます。
つまり、2はOₖ上で既約元となるが素元とはならない。これは整数環OₖがUFDではない事からも明らかです。
他方で、2,3,1+√-5,1-√-5は何れも整数環Oₖ=𝑍[√(−5)]の素元ではないが、単数(±1)以外では”割り切れない”ので、整数環では素数となる事にも注意が必要ですが・・クンマーは整数環の中に素数と素数が混在してはアカンと考え、素元の不足を理想数(イデアル)で補う事で整数環上での”完全なる分解”にこぎ着けます。
全く、抽象的になりすぎて自分で書いてて混乱しますね。