象が転んだ

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数学を読む事で理解し、数学は文学の様にあるべきだ〜数学嫌いにオススメの2冊

2025年01月18日 16時05分08秒 | 数学のお話

 文学にも純文学を始め様々なジャンルがあるように、数学も代数・幾何・解析などの昔ながらの純粋数学を始め、微分方程式論や確率論に解析学などの応用数学を含めると、恐ろしい程の雑多な領域に分かれる。が、これから文学の世界も同様で、推理小説やSFなどの大衆文学を含めると数多くのジャンルになる。
 それによく考えると、数学と文学いや、公式と文法は非常に類似してるし、まるで数式は文法の上位互換の様でもある。

 例えば、積分や関数を文法と見れば、公式は記号を法則的に成立させるルールであり、数式は公式を支える専門用語でもる。故に、現在は実践及び日常の領域で当り前の様に用いられる”積分”や”微分”という数学の領域は、それを活かせる最適な場面がなければ、ただの公式に過ぎず、その威力は受験や学習以外には殆ど発揮できない。
 つまり、ニュートン力学を起点とした応用数学の中核となる微積分だが、そのルールとも言える公式(微分方程式)を実践の場で使えなければ、苦労して理解しても全くの無駄となる。
 要するに、ややこしい数式や関数等式をある種の数学的文法上の構文として分類すれば、見えない部分(本質)が見えてくる筈だ。つまり、微分は微細な増減を、積分は完全なる総和を意味する様に・・である。

 例えば、我らがよく知るニュートンの運動方程式やマックスウェルの方程式に、波動方程式やアインシュタイン方程式などの微分方程式は、公式という関数等式のその先に自然と本質を表す。
 だが、人類がこうした難しい公式や法則を身に付けなくとも、AIが全ての公理や定理を実装し、場面に適した”文法”として自在に最適解を導けるのなら有り難いが、そこまで現代数学は甘くはない。それは、現代数学が”拡張”の学問だからである。
 以上は、「意味と構造がわかるはじめての微分積分」(蔵本貴文 著)を大まかに纏めたものだが、数学の公式も意味と構造を理解する事で、日常においても大きな武器となる。つまり、AIに頼らなくとも、文学小説を読み解く様に数学を理解すれば、人類はもっと積極的に数学と対峙できる筈だ。


数学は拡張と一般化の学問である

 一方で、数学は”拡張”の学問だとされる。つまり、何でもかんでも”一般化”しないと気が済まない学問なのだ。言い換えれば、一般化する事で現代数学は大きく発展し、繁栄した。
 確かに、”拡張”と”一般化”とは一見相容れない気もするが、数学を拡張する事で一般化するが故に、とても複雑にややこしくなる。
 つまり、拡張する度に現代数学は非常に抽象的になるのは避けられない。多分、AIはこうした深遠で複雑多岐に渡る数学の抽象性には、先ずはついていけないだろう。
 例えば、電磁気学のマックスウェルの方程式は微分形はシンプルで、積分形は微分形より情報量が多くなる。両者共に同じ事を言ってるのだが、公式で見れば、理解し易いのは積分形だが、好まれるのは(判り難いが)情報量の少ない微分形である。故に、AIがどの様に判別できるかは甚だ不透明だろう。

 この様に本質的には同じ意味を表す微分と積分でも、情報量の多さで積分の方が毛嫌いされる。積分の方がずっと強力なツールになりうるし、使い勝手があるのに・・である。
 次に、多くの高校生が苦手とする、sinxのマクローリン展開も項数が増えるとその展開式は複雑になるが、sinxにより近づく(図1)。故に、情報が多く公式が複雑になる程に展開式の本質は顕になる。
 また、微分を複素関数の領域に広げて考えれば、公式による”一般化”の威力は大いに発揮される。例えば、複素関数では複素平面上の複素数の点z₀に近づく経路が多数考えられ、1つ1つ経路の長さ(=z₀+Δz)を調べる必要がある(図2)。だが、”コーシー=リーマンの公式”を使えば、簡単に計算出来てしまう。
 というのも、複素関数f(x+iy)=u(x,y)+iv(x,y)がfの領域で正則(複素微分可能)である為には、上の公式(∂u/∂x=∂v/∂y,∂u/∂y=−∂v/∂x)を満たす事が必十条件だが、正則か否かを調べる事でΔzを求める事が可能になるからだ。

 因みに、整数を拡張したものは複素数で”ガウス整数”とも呼ばれるが、虚数iという架空の数を用いて(虚軸と実軸を用いた)ガウス平面座標上で表す事で一般化し、整数論が大きく飛躍した事も覚えとくべきだろう。
 更に言えば、整数を拡大した有理数を拡張する事で無理数が定義でき、連続体という実数の確立に大きく貢献した。例えば、π(円周率)=3.1415926535…=3+0.1+0.04+0,001+0.0005+0.00009+⋯と、有理数列が無理数へと向かう無限の収束列とみなす事が出来る。
 我々が実数を数として当り前の様に扱えるのも、有理数を拡張し、一般化した先に無理数を含めた実数が定義できたからである。

 それ以外にも、変数xだけの定積分∫[a,b]f(x)dxでは面積しか求まらないが、変数xとy毎に積分する2重積分∫[c,d]∫[a,b]f(x,y)dxdyに拡張すれば、体積を求める事が可能になる(図3)。勿論、その分、公式は複雑にはなるが・・
 ”偏微分”と”全微分”の関係も、例えば、xy平面上の曲面である多変数関数z=f(x,y)の増分をdzと考えた時、其々の増分である∂z・∂x/∂xと∂z・∂y/dyを偏微分をみなせば、全微分はdz=∂z・dx/∂x+∂z・dy/∂yと簡単に表される(図4)。勿論、理解するに少し抽象的になるが、当然であろう。

 以上の様に、数学を一般化する学問としてみれば、リーマンの素数公式はガウスの素数定理をリーマン予想を使って一般化したものであり、フェルマー予想も整数論上の初等的な等式の矛盾をモジュラー定理で一般化したものである。更には、アインシュタインの重力方程式も、ガウスの曲率を元にリーマン(曲率)テンソルを使って一般化した相対性理論とも言える。
 もっと言えば、ポアンカレ予想も未解決の位相空間論を微分方程式を起点としたペレルマン-ハミルトン・プログラムで一般化し、解決に漕ぎ着けた。
 一方で、実社会に目を移せば、ミルトン・ハーシーは当時は非常に高価だったチョコレートをミルクチョコレートとして一般化して大量生産し、庶民に格安で提供して、巨大なチョコレートの街を作り上げた。レイクロックもハンバーガーをファーストフードとして一般化(定着)させ、世界中の胃袋を満たしたのである。


最後に

 以上の様に、産業革命以降の世界と大衆を牛耳る巨大産業らも、自ら編み出した商品を一般化する事で、莫大な利益と巨万の富を築いたと言える。
 つまり、人類はあらゆる事象や物事を一般化し、それらを理解し咀嚼する事で文明や文化を築き上げ、生き延び繁栄してきた。
 また、現代社会を支配するモバイルツールであるスマホも電子計算機を小型にし、PCの機能を埋込んで一般化したものだ。まさに、”全ての道は一般化に繋がる”と言い切れるのではないだろうか。

 これと同じ様に、数学も文学小説に(上位互換でもいいから)一般化出来れば、大衆はもっと抵抗なく数学と向き合えるかもしれない。
 つまり、すべてが一般化出来るのなら、不可能ではない筈だ。まさに、問題を解く学問から読む学問へ、現代数学は今や大きな帰路に立たされている。

 「高校数学からのギャップを埋める大学数学入門」(蔵本貴文 著)を読むと、そういう事の重要性が十全に理解できる様に思える。
 本書の解説にもある様に、高校まで数学が得意だったのに、大学の数学になった途端に躓いてしまう。事実私がそうだった。なぜか?数学にどう取り組めば、すんなりと馴染めるのか?
 そうした疑問を現役のエンジニアライターである著者が紐解いてくれる。
 これからは数学が必須の時代がやってくる。いや、既にそういう時代に突入している。一例を上げれば、私たちの周りは全てが有限の世界であり、無限なんて現実には存在しないが、無限の概念こそが有限の世界を証明するツールとなりうる。
 それは、有限を無限に拡張、いや一般化する事で我らを取り巻く有限の世界を公式化でき、手足の様に扱う事が出来るからだ。

 また、高校で学ぶ三角関数もまた大きな壁となるが、波や周期(関数)と捉える事で色んな景色が見えてくる。例えば、フーリエ変換は複雑な関数を周波数成分に分解して簡単に記述する事を可能にし、音・光・振動・CGなど幅広い分野で用いられている。
 同じく高校で学ぶ、指数・対数関数は気が遠くなる様な巨大な数や極小な数を簡単に扱う為に考え出され、我ら人類はマクロとミクロの世界を自在に行き来できる様になる。例えば、電卓に”4.057971…e−46”と表示された時、これは4.057971…×10⁻⁴⁶を意味し、直感でとても小さな数字だと判る。
 この様に実数部(eの前の数)と指数部(eの後の数)に分ける事で、どんな天文学的桁の数でも簡単に表せる。つまり、こうした代数を超えた三角関数や指数・対数関数は我々の日常で様々に役立ってるのだ。
 勿論、それらを超越関数として拡張&一般化する事で大きな飛躍を遂げたのだが、関数という概念がない時代に”超越”と名付けたオイラーの天才にも頭が下がる。 

 応用数学で言えば、数学的確率と統計的確率を独立して考える事で、一見無作為に思える膨大なデータを正確に解析でき、日常生活に活かす事が可能となる。また、ベクトルをスカラー(大きさ=量)と向き(角度)で一般化し、座標上に拡張すれば、ベクトル量は変位や速度や加速度、力や圧力などを示し、物理学の世界では強力な武器となる。
 「意味と構造がわかるはじめての微分積分」と「高校数学からのギャップを埋める大学数学入門」の2冊の本を大まかに紹介しましたが、とても読み易い内容に仕上がってるので、現代人が今に読むべき数学本とも言える。



4 コメント

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AIは数学には (UNICORN)
2025-01-19 12:43:23
向かないみたいですが
数学は一般化する程に抽象化するので、0と1で判別するAIには当然だが大きな壁となる。
抽象化は我ら人間も不得手なので、どうしても数学嫌いとなる。
抽象化の先には公理や定義などの具象化が存在し、我ら人類はアイデアを具現化する事で更に数学を拡張し、一般化していく。
でも単純計算とか数値解析なんかの気の遠くなるような作業は、AIの独壇場とも言える。

本来なら、人類とAIは混じり合うものではないが、逆に混じり合うことでAIが次の段階に拡張できれば、AIが現代数学の片腕を担うことも可能だろう。 
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UNICORNさん (象が転んだ)
2025-01-19 14:42:01
私も同感です。
今はまだAIが数学の抽象性に慣れるには、人類と同様に時間が掛かりそうですが
抽象的思考に長ける数学者がAIをプログラムすれば、数学とAIの融合は可能だと思います。
とにかく計算や解析などは徹底してAIに頼るべきですよね。
言い換えれば、現代数学の新たなる進化はAIにかかってると言えるでしょうか。
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正則とは (腹打て)
2025-01-19 19:39:31
複素領域での全ての点で微分可能という性質で、正則な複素関数はその導関数(微分)も正則であり、微分が無制限になされることを可能にする。
これは実関数のように導関数が微分不可能となる事は起きず、実関数よりも複素関数の方がずっと使い勝手がいい。
また、複素領域での正則函数は解析的であり、複素解析における正則関数は何回でも微分可能だから冪(べき)級数に展開できる。
故に複素関数では正則と解析は同義であり、解析接続により特異点を含まない領域へ一意的に拡張できる事も知られている。
従って、複素関数→正則関数→解析関数と拡張することで、現代数学は大きく羽ばたいたとも言える。
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腹打てサン (象が転んだ)
2025-01-19 22:38:34
一般化で言えば
複素平面の全域で正則である複素関数は”整関数”と呼ばれ、正則関数の商として得られる関数は”有理型関数”と呼ばれます。
私は、もうこの時点で殆どギブアップですが(悲)、一般化と抽象化は切り離せない関係にありますよね。
でも、コーシー=リーマンの公式で複素関数の正則性を一般化した事で、実関数よりも使い勝手のいい複素関数が様々な場面で使われる様になりました。

この公式は、実2変数の実数関数のu(x, y)とv(x, y)に関する2つの偏微分方程式の連続性と微分可能性と合わせたもので、複素関数が正則(=複素微分可能)である為の必十条件をなします。
これは、u,vの偏微分∂u.∂vが存在し、f=u+ivが複素微分可能な事と、u,vの偏微分が公式を満たす事が同値な事を言います。
ですが、偏微分∂u.∂vの存在だけでは複素微分可能とは言えず、u,vが実微分可能である事を言う必要がある。
つまり、偏導関数:∂u/∂x.∂v/∂y,∂u/∂y.∂v/∂xが存在し、公式の中の2つの偏微分方程式を満たす必要があります。
故に、複素関数f(z)を実部uと虚部vに分け、偏導関数を求め、公式を使って複素微分可能か否かを調べる事が簡単になる。
つまり、コーシー=リーマンの公式は複素関数の微分可能性を探る判別式とも言えますね。
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