”テンカウント”を聞いた筈のトランプが、リング上で仁王立ちになり、”オレこそが勝者だ、判定は間違ってる”と喚き散らす。
ボクシングでは、試合後の判定にイチャモンがつく事がある。最近では、明らかにおかしい判定には再試合が義務付けられる事もある。
昔はレフェリーが裁定してたが、負担を考慮してか、今では3人のジャッジメントが行う様になった。故に、際どい判定には必ずと言っていい程に割れる。但し、ボクシングにはドロー(引き分け)があるが、選挙にはそれがない。1票差でも勝ちは勝ちである。
だが、ボクシングも大統領選挙も異常なまでに過酷なファイトだが、最後はジャッジに委ねられるという点ではよく似ている。
”お前らこそが詐欺だ〜”に寄せられたコメントに”テンカウント”というのがあった。そこで今日は「テン・カウント」(F・X・トゥール著、東理夫訳)の紹介です。
ボクシング小説というのはボクシングの現実と同じで、常に暗い過去と明るい未来と破滅的な結末が同居する。
前半の「モンキー・ルック」と「黒いユダヤ」はボクシングものにしては珍しく、非常にユーモラス溢れる爽快なストーリーに仕上がってる。一方、「ミリオンダラー・ベイビー」以降の4作は、全く悲し過ぎる結末だ。
典型のアメリカ移民の闇の中の葛藤をダイレクトに曝け出す6つ短編は、ボクシング好きには必見だし、スポーツ好きには非情にも残酷にも映るだろう。
「モンキー・ルック」〜闘いの魔法
ファイティング(闘い)とボクシングの違いは、打つ事(ヒッティング)と殴る事(パンチング)の差である。つまり、ボクシングにおけるパンチは致命的な行為なのだ。
ボクシングは闘う男たちにとっての魔法であり、意志と技術と痛みとあらゆるものを掛けた魔法である。彼らは全ての為に戦う。しかし一方で、そこに魔法があるから闘うのだ。そして、それは知性の魔法でもある。
シャブ中でフェザー級王者のカットマンを務める老トレーナーは、このタフでイカれ野郎の巧みな裏切りを既に見抜いていた。そして逆に、まんまと王者を罠にはめる。
”酷い目にあわせてやると、わざわざ言い寄ってくるバカは好きじゃない”
全く、人を騙そうと思ってる奴ほど簡単に騙される。
ボクサーもトレーナーも高みに登る程に視野が広がり、相手の弱点も味方の欠点も自分の致命傷も見えてくる。そう、ボクシングはただ殴り合うだけのスポーツじゃないのだ。
「黒いユダヤ」
レジー・ラブは35歳だが、まだまだ衰え知らずのスーパーミドル級のハードファイターだ。
周りは、彼を”かませ犬”とみなしていたが、本人は冷たい眼で若き王者を殺すつもりでいた。実際、男は子供を弄ぶかの様に完膚なきまでに打ちのめした。
しかし、男には王者以上に大きな敵がいた。それは白いユダヤ人の腹黒いプロモーターだ。
”見下す野郎は誰であれ唯じゃ済まない”
悪徳プロモーターとの確執もファイトの一部なのだ。
このクラスは圧倒的に黒人が多い。そして、金狂いの白い悪徳プロモーターも多く群がる。しかし黒人ボクサーもそれ以上に金にはシビアであり、黒いユダヤ人が次々と生まれう様になる。
典型の”かませ犬”物語だが、腹黒いプロモーターを逆に”噛ました”ボクサーがいた。そ名はシュガー・レイ・レナード。彼は、デュラントの試合に、ドン・キングとボブ・アラムという2人のプロモータが割り込んできた。
そこで彼は言い放つ。
”おいおい喧嘩しないでくれ、その代り2人分のファイトマネーを頂こうか”
結局、このウエルター級のビッグマッチの値段は30億円を優に超え、”キンシャサの悲劇”と謳われたアリvsフォアマンを上回った。
「ミリオンダラー・ベイビー」
”ボクシングは金のゲームだ。タフかどうかは関係ない”
確かに、昨今のボクシングは命ではなく金を掛けたゲームに成り果てた感がある。
”ビルビリー・ギャル”ことアンダードッグのマギーと老トレーナーのフランキーで夢を掴む物語。
映画でも見てたので今更でもないが、映像よりも文章の方が心にも脳にも沁みる。現実にはこんな残酷物語は存在しない筈だが、魔法の様な残酷物語に人は酔いしれるのだろうか。
「フィリーでの闘い」
神様は腐ったお金が大好きだ。
ボクシングの世界は非常に危険すぎる、腐った特別な世界のだ。
老トレーナーのコン・フラッティ。彼がこの世界にいるのは、そのファイトの美しさ故であり、老いた男でも共に闘えるゲームだからだ。しかしボクシングの世界は、腐敗が先にあり、そこにカネが絡む。
八百長ゲームに勝ちを奪われた男たちの悔しさが、ここまで伝わってくる。
神様は誰の味方か?正義か金か腐敗か?それとも腐ったお金か?
「凍らせた水」
ディンジャーは、ビルビリー系白人の単純むき出しの一発屋で、全くの不器用だが、魂は本物だ。一方、シャワレルは強力な左右のフックを放つ典型のニガーハードだが、肝は小さくまともなファイトは出来ない。
シャワレルは無理矢理ディンジャーをリングに上げ、リンチを食らわす。止めに入ったトレーナーにも殴り掛かり、逆に強烈な左を喰らい、ボクサー生命を失う。
タフなハートがなければファイトすらままならないが、ハードな魂があってもクレバーに振る舞わなければ大怪我をする。ハードなファイトが出来たからとて、誰もがチャンプに慣れるとも限らない。
「ロープ・バーン」
若きスター候補のプディンと老トレーナーのマック。
この作品群の中ではメインイベント的な存在で、”愚かな暴力とその結末が生み出す悲しみ”を露骨に描くが、黒人と白人の織りなす友情の物語でもある。
ロドニー・キング事件(1991年3月)以降、黒人は1つにまとまり、黒人地区の中での白人に対する怒りが再燃し、ロス暴動(1992)へと繫がった。
”怒りで正気を失った時、闘う者は敗れる”
つまり、パンチのある相手にはボクシングをし、逆にボクサーにはパンチで対抗する。
このロス暴動のどさくさに紛れたチンピラ4人組は、まず若きプディンを始末し、日頃彼が懇意にしてたメキシコ人が経営するレストランを脅した。復讐に燃える老雄マックは果敢にも、悪のニガーに立ち向かう。
愚かな暴力が哀しみを生み出し、その悲しみが憎しみを生み出し、その憎しみが再び暴力を生み出す。
負の連鎖と言えばそれまでだが、アメリカの様々な移民たちが、未だに憎しみと悲しみと孤独を背負いながらアメリカという夢の大国を支えてる事自体、奇妙な感傷に浸らないでもない。
最後に
個人的には、「モンキー・ルック」と「凍らせた水」が印象に残った。「ミリオンダラー・ベイビー」以外の3作は、私には少し酷過ぎたか。
著者のF・X・トゥール氏はトレーナーやカットマンとしてボクシング業界では知られ、バーで働いた事もある。3度の離婚を経験し、50歳近くなってからボクサーを志すが挫折、トレーナーに転じてボクサーを育てる側にまわった。70歳にして本書で作家デビューを飾る(Amazonより)。
お陰で、ボクシングの表と裏を知り尽くしたきめ細かい描写に、新鮮味を感じた。
止血剤がアドレナリン0.1%溶液という事も初めて知ったし、その止血剤もすぐに腐るが故に、使い方次第では止血どころか流血剤となる。
「モンキールック」では、そこら辺の描写が実によく描かれてる。わざと腐らせた止血剤を使い、王者の傷口を拡げ、出血多量によるドクターストップにする。名カットマンを敵に回したら、勝てる試合も勝てない。
ボクシングは孤独のリングで闘うが、チームスポーツでもある。
人生も同じで、人は孤独な生き物だが、支え合う生き物でもある。憎しみで敵対する一方で、悲しみを共有する不思議な生き物だ。
今のアメリカは分断の危機にある。誰が勝者になろうと、その先には暗い未来が待っている。
今までアメリカは、常に明るい未来を世界中に向けて描いてきた。アメリカの自由は世界の憧れであり、アメリカの民主主義は世界の理想でもあった。
それが今や、破滅的な結末を迎えようとしている。言い換えれば、今のアメリカの自由は世界の破滅であり、アメリカの民主主義は世界の破壊でもある。
”テンカウント”を聞き、リング上に這いつくばるアメリカを誰が想像できようか。
何だか逆に興奮して出血しそうですが
そう言えば、トランプは未だアドレナリン出まくりです。
コロナ対策に集中すべきなのに、考えてることは自分のメンツだけ。
こういう時にこそ弾劾というものがあるはずなんですが、腹黒いユダヤ人そのものですよね。
今こそ最高裁もトランプにテンカウントを聞かせるべきですよ。
トランプはイラン攻撃をしようとして
副大統領らの側近に止められたらしい。
ペンスやポンペイオらの幹部らは
イランの核施設への軍事攻撃は
今後大規模な衝突に発展する可能性がある
として反対したとされる。
10カウントは聞いたんだから
トランプも引き下がるべきなんだよ
各国の首脳も世界の世論も
バイデンの勝利を祝福してんだから
そうしないとアメリカこそが10カウントを聞くことになると思うね。
元々合衆国憲法自体がいい加減なもので、一番最初に上陸した白人移民に全て有利になるように作ったものです。
選挙も裁判も腹黒い白人が有利に出来てるんでしょうね。
たとえ敗北を認めたとしても、アメリカを追い出されることもあり得るような気もします。