象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

魅惑的だった筈のフィリピンパブ〜衰退への必然で悲しい道のり

2024年09月25日 06時04分36秒 | アジア系

 Gooブログのテーマに”休日の理想的な過ごし方は”とあった。
 私は嘘偽りなく、”南の島で褐色の肌をした女と戯れ、酒を呑み干す”と書いたが、未だに、永井荷風の小説に出て来る酒池肉林の様な色気と欲情に満ちた舞台に憧れる。
 但し、”酒池肉林”とは酒や肉が豊富で豪奢な酒宴という意味で、肉欲の意はなく、女に囲まれての宴会というのは誤用とされる。
 そんな荷風も晩年は、ストリップ小屋で独り寂しく酒を飲んでたそうだ。

 そこで今日は、コロナ渦で崩壊しつつある夜の街の話題ですが、昭和の1つの時代を支えたフィリピンパブについてのお話です。
 因みに、ピンパブとかピーナパブとかの言い方もありますが、誤解をなくす為にフィリピンパブで通します。


ホステスはレスポンスで決まる

 私は”夜の女”を性格や教養ではなく、見た目やレスポンス(ノリ)で判断する癖がある。
 勿論、日本のホステスにも美人は多いし、スタイルがいい女もいる。しかし、大体において人気のホステスは魅惑的というより、レスポンスがよく、会話上手でもある。
 沢木耕太郎さんの「深夜特急・第2巻」では、ペナン島での若い娼婦との会話がユニークに思えた。
 ”日本ではお酌をするだけでウン万も稼げるんでしょ?だったら私を日本に連れてってチョウダイ”と、娼婦にしては美人で若い女が沢木氏をしつこく悩ます。
 確かに、美人度と性の成熟度で言えば、日本の女性は(ホステスと言えど)どうしても差をつけられる。同じアジアの国々でも礼儀と正座が伝統の日本では、どうも性的アピールは控えめで、脚の形もお尻の形も(お世辞にも)いいとは言えない。

 私がスナックやクラブよりも外人パブを好む様になったのは、80年代末に久留米駅でトップモデルかと思える程のフィリピン美女を見かけたのが一因だった。
 今から思うと、彼女は白人との混血だったのだ。彼女らは日本よりもアメリカで稼げるインポートモデルの道を選んだのだろう。イイ女は殆どがアメリカへ移住した様にも思う。
 私が夜の街で遊び始めたのは90年代後半で、もうその頃はフィリピンパブは数多く乱立してはいたものの、実質のピークは過ぎていた。勿論、今とは異なり、若い娘が大半だったが大半は農村出身で、スタイルも頭も??ってのが多かった。
 それでも彼女たちは少なくとも魅惑的だったし、そう思える様に必死に努力してたのかもしれない。フレンドリーだったからそう思えたのだろうが、私には彼女たちの貧しさから来る覚悟と潔さが相まって、とてもエキゾチックに映ったし、とても身近に思えた。
 しかし、これは彼女たちの強かで巧みな戦術でもあったのだ。


魅惑のフィリピーナ

 フィリピンパブの最盛期は2004年とされ、この年は何と8万人以上ものフィリピン人が興行ビザで日本に押し寄せた。そんなフィリピンパブに群がったのが50〜60代の男性で、(キャバクラや高級クラブでは相手にされ難い)地元の商店主や下請け会社の社長など金銭的にそこそこ余裕があるオジサンたちだった。
 ”ピーナパブは安いし、歳食っててもモテるから・・・”
 それ程までに彼女たちは、夜遊びが不慣れなオヤジ相手に気持ちよく接客してくれた。常に陽気絢爛で、どんなに年が離れててもクリっとした黒真珠の様な瞳で愛想よく振舞う。
 それに比べれば、日本のクラブはどうしても敷居が高く、冷たくシビアに映ったもんだ。
 以下、「昔流行ったフィリピンパブ」から一部抜粋です。

 フィリピンパブで働く彼女たちは、半年の”興行ビザ”でタレントや歌手、ダンサーとして入国する。しかし、その多くが貧困層出身の若い女性たちだ。
 元々、ハワイやグアムと並ぶ観光立国だったフィリピンだが、80年代に入るとマルコス政権が戒厳令を敷き、外国人観光客は激減。更に、当時横行してたフィリピンへの買春ツアーに、国内外で批判が高まる。
 追い詰められた国内のエンタメ業界だが、1982年にフィリピン政府は”海外雇用庁”を設置し、出稼ぎ労働の動きを加速させていく。
 ただ当時は、興行ビザとは名ばかりで、殆どは見た目だけで女性を選別し、日本へ送り込んだ。

 フィリピンパブ全盛の2004年、アメリカ国務省は、興行ビザで入国している外国人女性は”性的搾取による人員売買”であり、日本は”被害者である外国人女性を全く保護していない”と非難を浴びせた。事実、買春行為を強要する悪質なプロモーターも一部にはいた。
 これに対し、日本政府は興行ビザを厳格化する。というのも日本には当時、”安全保障理事会入りを目指す”という外交的な駆け引きがあった。この2年後の06年には興行ビザの発給件数は10%まで減少し、多くのフィリピンパブは廃業に追いやられる。
 以上、(株)ケイエスケイからでした。

 確かに、政治的な理由や外交的な駆け引きもあったであろう。が、フィリピンパブが衰退したというよりも、それ以上に日本が日本人が衰弱したというべきであろう。
 ”性的搾取”や”人員売買”を言うのであれば、アメリカはもっと酷い筈だ。”買春行為を強要”と言うが、もっと稼ぎたいと肉体を売りたがるフィリピン娘もいた事だろう。
 つまり、フィリピンパブにおいて”興行と性”とは紙一重。性があるから興行が成り立つし、興行こそが性を商売として成り立たせる。
 そんな彼女たちが日本で長く働く為には、日本人と結婚して滞在許可を得る他ない。仕方なく、好きでもない高齢で年金暮しのオヤジと結婚し、お陰で離婚率は60%を優に超える。 
 それに、80年代の日本とは大きく様変わりしてしまった。彼女らにとって”夢の国”だった筈のニッポンは、今やアジアの貧乏国の1つに過ぎない。
 そんな島国のオヤジが貧しいフィリピン娘にとって魅惑に映る筈もない。かつてはお互いが魅惑的に映ってた筈だが、今となってはお互いが幻滅を感じ取っている。


異国の美女戦士たち

 フォロワーの記事にもある様に、彼女たちは南国の密林からそのまま抜け出てきた野生が醸し出す妖精でもあった。
 猫の様な真ん丸の黒眼(まなこ)で見つめられ、褐色の肌と熟れた肉体が私の性欲を全て支配する。安っぽい香水の刺々しい香りとねっとりとした汗と体臭が、更に私の欲情を包み込む。
 ココナッツみたいに小さく妖艶な頭蓋からは、日本とは異世界に住む、もう1つの強かな素顔を垣間見る事ができる。もっと言えば、真っ白に塗り重ねられた不器用なメイクは、彼女たちの本性を隠す盾なのかもしれない。
 そう、彼女達は動物的本能とハングリー精神を頼りに、”円を狩りに南シナ海を渡ってきた、陽気で美しき女戦士”だったのだ。教育水準は低いかもしれないが、彼女達はバカじゃない。時代と顧客に甘やかされた日本のホステスとは根本的に異なるのだ。

 神様が与えた魅惑的な肉体と艶やかでコンパクトに纏まった容貌。タイトな超ミニから覗くスラリと伸びた2本のチャコール色の美脚。それを眺めてるだけで、神秘な酔いに浸ったもんだ。
 ”アナタ、フィリピンに来る?”
 ”いや、来ないね”
 ”なぜ?私のことキラい?”
 ”好きとか嫌いじゃなく、ずっとこのままでこうやっていたいんだ”

 そう、私にとって魅惑のフィリピーナとは、異国の美女を狩る場ではなく、エキゾチックな幻想にどっぷりと浸る為の贅沢な時間と貴重な空間なのである。
 それが今や、全てが幻滅になりつつある。それでも微かな妄想を抱いて、あの頃の何かを求め、縋る様な気持ちでフィリピンパブを覗く。
 心なしか”いらっしゃいませぇ〜”という乾いた声が沈んで聞こえる。悲しいかな、そこに存在するのは魅惑ではなく、フィリピンパブの本質を見失った眩惑である。
 そして今、時代を支えた夜の娯楽が1つ、そして1つ消えていく。

 ”終わりは全ての始まり”だと言う人がいる。しかし、”終わりは全ての終わり”でしかない。
 やがて、昭和の夜を賑わせた日本の歓楽街は陥落街となり、逆に日本の若い女性が東シナ海を渡り、タイやフィリピンに出稼ぎに行く時代が来るかもしれない。
 その時、現地のオヤジらは彼女たちをどう扱うのだろうか。キャバ嬢の様にチヤホヤしてくれるのだろうか?それとも単なる性のオモチャとして粗末に扱われるだけなのだろうか?
 少なくともフィリピーナ嬢みたいに、妖艶な女戦士にはなれる筈もない。ホルマリン漬けの標本みたいに、”夜のかませ犬”として白くブヨっとした脂肪の塊になるのがせいの山かもしれない。

 それでも、あの頃のフィリピンパブが頭を離れない。廃れたと判りきってても覗きたくなってしまう。あの頃の何か一部が、い〜や残骸の欠片がどこかに残ってるかもしれない。勿論、何も残ってないのに・・・


補足〜売春大国のニッポン

 昨今、ハワイやラスベガスやLA、NYに売春を目的として出稼ぎに行く、若い日本女性が急増してるという。
 東南アジアがアメリカになっただけで、全くの予想通りになった訳だが、こうした”海外出稼ぎ”の問題はアメリカでも大きく取り上げられ、マサチューセッツ州連邦検察当局はアジア系の高級売春ネットワークを摘発した。
 当局によると、そこで働く殆どがアジア系の女性で、顧客は政治家・医者・軍人など数百人に及び、1時間で最高600ドル(約9万円)が支払われてたという。
 勿論、彼女らの多くは強制送還されるが、日本人女性も例外ではない。だが、一般の観光旅行者にまで被害が及ぶのも、深刻な問題ではある。

 円安により、海外で売春稼ぎを希望する日本女性が急増し、売春エージェントがSNSで”出稼ぎ”を募ると簡単に集まる。
 確かに、バブルの頃の日本なら、海外から”ジャパ行きサン”と呼ばれた出稼ぎ労働者らが大挙して日本に入国してた時期もあったが、今は”逆ジャパ行きサン”の時代である。
 これこそが貧しい日本の現実なのだが、露骨な差別と銃社会のアメリカで出稼ぎ売春をやるのは、日本でホステスやデリヘルとして働くのとは大きく異なるだろう。勿論、身の安全の保証は全くないし、金銭や暴力トラブルがあればエージェントは姿をくらますだろうが、彼女らは一発で強制送還となる。
 その前に命があればの話だが・・

 何時の世も貧しさが性的欲望を呼び覚まし、更に性ビジネスは繁栄し、最後には夜の街と共に商売女も死滅する。
 勿論、出稼ぎ嬢たちに魅惑があれば、一時的に夢を与える事は可能だが、明らかに限界はある。花の命が短い様に、商売女の命はもっと短い。
 つまり、衰退への必然で悲しくも厳しい道のりは既に始まっていたのだろう。そして、これからも・・・



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