毎日の様に、"馬鹿ほど出世する"ブログにアクセ頂いて有難うです。そこで、”バカほど出世”で検索したら、偶然私めの記事がトップにあった。そこで偶然目にしたのが、2015年の記事だが、非常に興味深く映った。
そこで今日は、tose77.comさんの”愚か者ほど出世する”を紹介です。哲学的な見地から書かれてあり、とても勉強になります。
ヒトの知能の限界
哲学の基本思考に、私たちの過去は暗躍だったが、未来は輝かしい希望が見え隠れする。旧石器時代より、(サルよりも)脳を有効に使い身体的には弱い動物であったヒトは、知恵を出し合いここまで来たとある。
しかしこの地球上で生き残るに法則は、”数か力”であり”数と力”ではない。ライオンは数は少ないがサバンナでは最強だ。ガゼルも食われるが数が多いので種は救われる。つまり少数者は力を持ち、弱者は数を持つという事。そして我らサピエンスは、この法則を破る新たな”知能”という武器を持った。
この知能という武器は並外れた力を発揮し、地上の他のあらゆる種の運命を支配し、知性は人間を絶滅から救い、現在の私たちが存在する。
しかし今では、人類の進化が始まった時と状況が全く異なる。多数の種を絶滅に追い込み、人間の多すぎる数と能力が、地球という複雑かつデリケートなシステムに脅威を与えている。
地球を1つの生命体とみなした生態学者ジェームス・ラブロック(英)は、地球は人間に滅ぼされるより前に、人間をシラミの様に除去するかもしれないと言う。
フランスの哲学者レーモン・アロン(1905〜1983 イラスト左下)は、”人類にとって危険とは滅びる事ではなく、数が増える事、つまり成長し過ぎる事だ”と言う。力においてもアロンの”数と爆弾”は健在なのだ。
つまり、知性はもう役目を終えた?という事。人間の能力は、①ひたすら成長するか②何時までも存在するか③もっぱら知能を存続させ、たとえ我々がいなくても、コンピューターや他の生命形態で存続するのか。
”悪貨は良貨を駆逐”する
19世紀のある学者が、ある村に愚か者や、無学で酒好きでケンカ好きの100人のアイルランド人や、同数の教養があり、礼儀正しく穏健なイングランド人を一緒に住まわせたら、数世代後には何千人かの粗野な人間だけで”紳士”はいなくなると語った。
意地悪な喩えではあるが、ある意味当ってると思う。今のアメリカをトランプを見れば一目瞭然だ。僅か2世紀半弱で、戦争好きな粗野な国家に成り下がったのだから。
つまり、性格が選択・継承される時、他を制するのは最も悪い性格であり、遺伝的資質にてもグレシャムの法則の”悪貨は良貨を駆逐する”が通用するのだ。これは倫理や審美感などの価値観を持たないで理解してほしいと。これには全く同感ですな。
因みにこの”グレシャムの法則”だが、16世紀の英国王財政顧問トーマス•グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し”イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪の為である”と進言した事に由来する。これを19世紀に英国の経済学者ヘンリー•マクロードが自著の[政治経済学の諸要素]で紹介し、グレシャムの法則と命名、以後この名称で呼ばれる。
まさに、バカは知能を駆逐する。
故に、人類の存続に必要なのは、”量であり質ではない”という考えを受け入れる必要があるのかもしれない。全く中世の時代から、ヒトの欲ってもんは変わっちゃいないんですな。
知性は排除せよ?
また我らサピエンスは、他の動物にはない特別な本能を持つ。それは同種間の攻撃性と仲間に向ける獰猛な破壊力。
この同類を殺し合う程の、攻撃性の強く深い狂信的な衝動はどうして働くのか?知性に秀でたギリシャ人がなぜ、全ヨーロッパを植民地化しなかったか?
ホメロスによれば、戦いに参加したのは、選ばれし、強く心身に優れた者たちが戦地に赴き亡くなったからだと。犠牲になったのは全て高貴で知性ある人々だったのだ。
戦争は知性の絶対量を激減させたともいえる。君主制・民主制・独裁制だろうと常に人間の社会は、知性とその現れに抵抗する方向へ進む。権力は強くなった途端、書物を焼き、書いた人間を殺し、危険分子の無差別な粛清をする。
スペインがあれだけ世界を制覇して驚くほどの後退をした原因を、ダーウインは以下の様に語った。
”教皇庁の異端審問所は最も勇気ある開放的な人々を念入りに選び出し、焼き殺し牢獄に繋いだ。スペインでは、傑出した人々つまり疑ったり問題提起をした人々(疑問がなければ進歩しないんだが)が3世紀に渡り、年に千人の割合で排除された”と。
カンボジアでも、学位がある外国語を理解するなどの理由で、およそ200万人のインテリや民間人がポル・ポトにより虐殺された。
スターリンはポーランドの知識人を一掃する為、カチンの森で虐殺し(その数22000人とも)、その上自国のインテリも平然と虐殺(大粛清の数786098人)。ヒトラーしかり、毛沢東しかり。
権力者はまるで、”知性は破壊せよ”という衝動に従っている様だ。以上、主観と愚痴をを交えた紹介を終ります。
最後に
こうしてみると、我らサピエンスって単なる殺戮のバカかと思ってしまう。人間の歴史ってそのまま殺戮の歴史ですもんね。革命という言い訳も成り立たなくもないが、サピエンスの狂気と衝動を抑えるには殺戮と暴力しか他にないのかって。
バカほど出世するというより、バカほど殺戮を繰り返すと言えなくもない。全く笑えない話だが、これからも殺戮は延々と続くのか?殺戮は人類の美徳である筈の知恵と勇気と節制を駆逐し、これからも神の権化として君臨し続けるのか。いや殺戮こそがサピエンスの象徴であり、権化であるのか。
嗚呼、書いてて嫌になる(だったら書くな)。
次回は、大量殺戮を繰り返した”独裁系バカ”について述べたいと思います。
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