前回の”その1”では、岸一族と安倍一族との”混ぜるな危険”的融合と、その苦難に満ちた船出と足取りを述べました。今日はその安倍一族の黒い栄光への道のりです。
前回と同様に「絶頂の一族」(松田賢弥著 講談社)からの紹介です。少し長くなりますが、一気に論破します。
母が見抜く?晋三の政治家としての資質
更に、母•洋子は晋三が幹事長に就いた時、彼の性格から政治家の資質を見抜いてた。
”主人はよく晋三を注意しました。晋三にも強情っ張りで頑固な所がありますが。気持ちの優しい、情に脆い面があります。
しかし難局にあたって、自分の信念を貫く為には、丁度父が安保の時に示した様な決断と勇気が必要になる。主人はそこを言いたかったのでしょう”
そういう彼女も、晋三の事を”政策は祖父似、性格は父似”と振り返る。その上、寛信と晋三の兄弟が成長するにつれ、”男は何かやるなら政治家。政治家になるなら総理を目指すべき”と、時に口にしていたという。
政策と言っても、金のバラマキだけが祖父似という事で、でも敵前逃亡の性格も祖父に似たんでしょうか。
晋三が初当選した93年の総選挙は、自民党が過半数割れで、社会党が減り、新生党と日本新党が躍進し、長年に渡った自民•社会主導の55年体制が崩壊した年だった。
その後、細川護煕を総理に仰いだ非自民連立政権が樹立されるも、采配を振る陰の主役は小沢一郎だった。
その小沢の師はあの田中角栄であり、角栄の肩越しに政治を見て育った政治家だ。かつて角栄の台頭を敵対視していたのが岸信介だった。洋子はこう記してる。
”私の知る限り、父は過去に2回だけ、見るに忍びない程に落胆した表情を見せた事があります。一つは安保改定の時に、アイゼンハワー大統領の訪日が中止になった時。もう一つは昭和47年の総裁選で福田赳夫が田中角栄に敗れた時です。
この総裁選は、叔父の佐藤(栄作)が兄弟宰相を実現し、7年8ヵ月の長期政権を担当した後でしたが、父は後継者の福田先生が勝つ事を信じていました。
〈総理というのは誰にでもなれるというものではない。田中は優秀な男だが、向き不向きがある。彼が総理になるようじゃ日本の国は大変な事になる〉と、父は言っておりました”
確かに・・でも・・アンタの親父が総理に返り咲いたから、大変な事になったんじゃないのか!親も親なら娘も娘だ!
角栄と岸の因縁の対決
岸信介と佐藤栄作という兄弟宰相を輩出した類稀れな閨閥(けいばつ)と、馬喰(ばくろ)の倅で尋常高等小学校卒業(中卒)の学歴しか持たず、総理にまで上りつめた田中角栄。
岸の輝かしい来歴からすれば、角栄は語るには論外の、ただの”一兵卒”の筈だった。
一方、岸の流れを汲む福田赳夫もまた、東京帝国大学法学部出のエリート官僚だった。その福田が総理の座を争って角栄に敗れ、その後政権を持ったものの、その任期が僅か2年に過ぎなかったのは何故か?
角栄が”闇将軍”と畏れられたのは、自民党内でも群を抜く数とカネで形成した権力を持っていたからだ。
しかし、それだけで人心は掴めるものではない。角栄は料亭に出向くと運転手•仲居•下足番に至るまで、分け隔てする事なく心づけを欠かさなかった。
”権力とカネだけではダメだ。こういう細かい気遣いが必要なんだ。特に弱い立場の人は大事にしなくちゃいかん”と、周りに言い聞かせていたのだ。
世間の裏や暗さの辛酸を舐め、人生の術を独学で習得し、地べたから這い上がってきたからこその口をついて出る言葉だ。
角栄の人間性と人を惹きつけてやまない人との紐帯はそこに窺える。閨閥や学閥だけで仰ぎ見られる存在だった、岸信介や福田赳夫には掴みとれない、角栄独自の人間性がそこにはあったのだ。
そこに岸•福田が角栄に敗れた理由の一つがあった様に思える。
一方で、岸と角栄には政治の世界以外に、実は女を巡る因縁があった。
角栄の愛人に、神楽坂の”売れっ子”芸者だった辻和子がいて、角栄との間に二男一女をもうけていた。持ち前の美貌と才覚は多くの大物政治家を惹きつけたが、岸信介もその一人だった。
岸は絵画を一枚贈り、彼女に言い寄った。”オレの女にならないか”
彼女は断った。”冗談じゃないわ、絵一枚で口説くなんて”
自民党の転落と安倍一族の冬の時代と
一方、政界の一線から退いた福田は、岸の娘婿である安倍晋太郎を総理総裁候補に担ぐ。しかし、晋太郎は志半ばでガンに倒れた。
福田が旗揚げした派閥•清和会が独自に政権を獲るには、2001年の小泉純一郎の登場まで35年も待つ必要があった。そして小泉は、まだ49歳の晋三を自民党幹事長に指名し、総理(06年9月)にまで引き上げたのだ。
という事は、安倍晋三の後継者は、小泉進次郎で決まり?という事ですかな。
しかし、松岡農林水産大臣とその後継大臣の赤城らの”政治とカネ”の問題が響き、07年の参院選で自民党は27議席も減らし、惨敗。
最終的には潰瘍性大腸炎?を理由に、晋三は総理を退いた。つまり、”心が折れました”という事。
その後の総選挙では、小沢一郎率いる民主党に敗北(09年)し、政権交代が引き起こされた。
岸信介の孫•晋三と角栄の秘蔵っ子として、長い間政権を牛耳ってきた小沢との因縁の対決は、とりあえず小沢が制した形となる。
小沢一郎の転落と安倍一族の復活
ところが舞台は再び一転する。2012年7月、消費税増税を巡り、小沢は時の野田佳彦政権と対立。小沢は彼に同調する約50名を引き連れて離党し、民主党は分裂した。
この分裂劇の狭間で世に出たのが「週刊文春」(12年6月号)に載った”小沢一郎〜妻からの離縁状”だ。政権交代の立役者だった小沢は、和子夫人が綴ったこの”離縁”により、一気に窮地に陥る。
小沢の愛人である料亭の元女将に、20歳を過ぎた小沢の隠し子が存在した。それを巡って小沢から、”アイツ(元女将)とは別れられないが、お前とならいつでも離婚してやる”などの言葉を投げつけられ、一時は自殺まで考えた事などが、そこには綴られていた。
その上、小沢が東日本大震災の被災地となった故郷•岩手の人々を顧みず、それどころか原発事故による放射能被害を怖れ、東京から真っ先に逃げ出そうとした姿にも触れた。敵前逃亡という点では安倍と同じですが。
”こんな男を国政に送る手伝いをしてきた事を深く恥じています”と、小沢の妻は赤裸々に告白した。
40年近くも連れ添った妻が、小沢という人間の本性を白日の下に晒したのだ。
小沢の虚像は剥げ落ち、陰の主役の座から滑り落ちた。それは”自壊”と言うべきものだった。元妻が放った”絶縁”の一矢は、ギシギシと音を立て、歴史の歯車を回した。
確かに、歴史の歯車って一度動き出すと個人の力ではどうにもなりませんね。
民主党分裂と小沢の瓦解。その敵失に乗じ、安倍晋三を総裁に仰ぐ自民党は総選挙(2012)で圧勝し、政権交代劇は僅か3年3ヵ月で潰えた。角栄の軛(くびき)は、岸の孫•晋三の代で小沢が瓦解する事で解かれたのだ。
やってる事は今の安倍と変わんないのに、野党が失敗するとボロクソですね。
母が晋三に託した亡き父の無念とは?
それから2年経った14年11月。安倍晋三は衆議院の解散に踏み切る。その後の総選挙で、政権与党の自民291議席と公明35議席の計326議席と、定数の2/3(317)を上回る議席を獲得。
しかし国会による憲法改正の発議には、衆参両院で2/3以上の賛成が必要だ。自公で衆院は3分の2を維持したが、参院の2/3(162議席)には28議席足りない。
安倍晋三は総選挙投開票の夜、TV東京の番組に電話出演した。池上彰が”憲法改正が視野に入ってくる。やはりご自身の手で成し遂げたいか?”と問うと、こう答えた。
”国民的な理解が必要です。2/3の勢力をつくったとしても、国民投票で過半数の支持を得なければならない”
池上が再び、”憲法改正に向け、一歩一歩進めていくと?”と質す。
晋三は、”そういう事です”と応じた。
祖父から孫に引き継がれる念願の憲法改正。国が岐路に立つ時に、岸信介を意識する晋三を見てると、彼の心の拠り所には波瀾に富んだ岸信介の生涯とそれを伝承する生き証人の娘•洋子の存在が重きをなしてる様に思える。
つまり憲法改正は、母•洋子が晋三に託した亡き父の無念の思いなのかもしれない。
でも、日本の将来を一族の歪んだ幻想と浪花節的恩情で決めつけられても、トバッチリを受けるのは日本国民なんだ。
岸信介の無念とは
晩年、御殿場に居を構えた岸は、「岸信介証言録」の中で、”もう一度総理大臣をやりたいとはお考えになりませんでしたか”と問われ、こう答えた。
”いやぁ、そりゃあね。もう一度私が総理になって、憲法改正を政府としてやるんだと考えた事もあったよ。
私が総理を辞めて、あまりにも池田(勇人元総理)や私の弟(佐藤栄作元総理)が、憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらんとか言ってたんでね。
私が戦後の政界に復帰したのは、日本立て直しの上において、憲法改正が如何に必要かという事を痛感しておった為だ。だから、この改憲気運をもう少し盛り上げる必要があった。
今の憲法がどの様にして出来たのか?その内容がどういうものであるのか?国民は関心がないというより、知らないんだよ。
この憲法があれば戦争がないのだと思ってるが、そんなものではない。憲法を改正したら戦争になるというのではないんだ”
そうアンタの言う通り、国民の殆どは、アンタが”超A級戦犯の首領”とは知らなかったのだ。
憲法第9条(平和主義)の第1項”戦争の放棄”と第2項”戦力の保持、交戦権の不認”を軸にした改憲に、岸は並々ならぬ意欲を抱き、その志を遺していった。
東京永田町の議員会館の晋三の部屋に置かれた屏風に、「逢龍」という墨書がある。2012年辰年の初頭、洋子がわが子の晋三に”昇り龍に会える様に”と筆を取ったものだ。
その年の師走、晋三は2度目の総理に就いた。未完で終わった岸信介の憲法改正を洋子は息子の晋三に託そうとしている。
一方で、洋子を中心軸に、岸から晋三に繋がる脈々とした血族の傍流というべき存在が、安倍晋太郎、安倍昭恵、岸仲子(岸信介の長男の妻)らの様に思える。
3人とも、岸が頂点の閨閥の流れから見れば他人だ。そこには彼らのもう一つのドラマがあったのだ。そのドラマとは?
以上、”gendai Is Media”からでした。
政財界を牛耳る安倍一族
岸家と佐藤家と安倍家の家系図を見れば、現在の日本の政界、いや自民党を牛耳っているのが、明治以来の長州閥である事は自明だ。
このファミリーの中には、吉田茂や麻生太郎も見える他、安倍昭恵夫人の父親は森永製菓社長で、晋三の兄••寛信夫人はウシオ電機社長の娘である。
これでは政財界が癒着するのも無理はない。因みに、安倍洋子の兄•信和は西部石油の会長だが、妻の岸仲子とは後に離婚。その上、岸一族の家系からは消されてる。
3歳の時に小児麻痺を患い、夫婦には子供が出来ず、晋三の弟•信夫を養子にした。劣性遺伝は血統から外すって事か?
かつて優生保護法(1948-1996)ってのがあったそうだが、政界でも使われたのだろうか?
”ファザコン”の母•洋子の怨念にマインドコントロールされた、素直な”マザコン”息子の晋三と血脈の情念で塗り固まった政治信念。
血脈こそが真の生き物で、個人はその保全と再生産の手段に過ぎない事を、この一族は示唆してる。
父•晋太郎は、常に”岸の後継”でいる事を求められる安倍家の中や、妻洋子の前では決して得られなかった安息を、愛人の秀美(仮名)と過ごす時間にだけは見出していた。
多分、晋太郎は”岸を追いかける”事が単なる幻影である事が、最初から判ってたのではないか。闘いたくても闘えない葛藤がそこにはあった筈だ。
一方、晋三は、乗り越えるべきものが父親(晋太郎)ではなく、祖父の岸信介になってしまったという、致命的な倒錯を背負い生きてきた。
一見、坊っちゃん風の仮面の裏に隠された人間存在の深淵と、安倍晋三の人間的浅薄さを覗いたかの様な気分になる。
2度にわたり総理を務めた晋三には、”俺は総理になれなかった父(晋太郎)を乗り込えた”と思っているフシがある。
晋三が父の晋太郎よりも、祖父の岸信介に自身を重ね合わせ様とする理由の一つは、そこにある。
しかし、母•洋子は明らかに晋三の事を、”父•岸信介を越える器”とは見ていない。
これには私も同感だ。安倍晋三は岸に比べれば”雑魚”に過ぎないと見てる。事実、何ら1つも成果を挙げてはいない。逆に、ロシアや韓国や北朝鮮の反発や反感や嘲笑を招いてるだけだ。
こういう無能なボンボンで総理が務まる今の生温い政界を、母•洋子はどんな目で見つめてるのだろうか。少なくとも、60年の安保闘争の時に眺めた父•岸信介とは、全くの別物に映ったであろう。
最後に〜安倍一族の陰謀はなおも続く?
国家そして国民は、安倍一族の所有物ではない。一族の野望を実現する為には、国家を国民を危険に晒しても構わないという一族の奢りこそが、安倍晋三が突き進める憲法改正とダブってる様に思えなくもない。
しかしかつて、祖父の岸信介は日本国を自分の所有物にしてしまった。同じ様に”ゴッドマザー”と称される母•洋子も父•岸信介の幻影に踊らされ続けたモルモットなのかもしれない。
全ては、岸信介が作り出した「絶頂の一族」の幻影である。
満州国が岸が僅かな期間で作り上げた幻想上の”偽国家”であったように。
つまり、母•洋子が支え、息子の晋三を中心とする安倍一族は岸信介が作り上げた”インスタントな幻想”に思えてならない。
晋太郎も晋三も祖父(安倍寛)を見習い、地方議員でいたら、凄い政治家になってたと思う。ペットと同様に、世襲政治家には奇形や奇行が多いのも頷ける。
ただ、安倍晋三の神がかりな強運は、祖父の安倍寛の血脈から来ている。今の追い詰められ過ぎた安倍政権はそれだけが頼みだが、既に限界に来てるようだ。
絶頂から絶望へ、岸信介が作り上げた”妄想一族”は一体どこへ行く?
辞職せずに政界最大派閥の清和会に君臨するとの噂だが、戦略的退陣との声も一部にはある。これが本当だとしたら、安倍一族の陰謀と繁栄はこれからも続くのだろうか。
が、細かいことですが、
>因みに、安倍洋子の兄信介は西部石油の会長だが、
の部分は、「兄寛信は」ですか?
実は岸一族の家系から岸信介の長男•信和は消されてんですよ。彼は3歳の時に小児麻痺を患い、子供が出来る見込みがなかった。
当然、岸信和夫妻には子供がいないから、晋三の弟•信夫を養子にするんですが、不幸な結果に終わります。
晋太郎も晋三も祖父(安倍寛)を見習い、地方議員でいたら、凄い政治家になってたと思います。ペットと同様に、世襲政治家に奇形が多いのもそのせいでしょうか。
ただ、安倍晋三の神がかりな強運は、祖父の安倍寛の血脈から来てると思います。今はそれだけが頼みですかね。
極論を言えば、政治家なんて税金を盗んでるだけですモン。
安倍一族も大きく膨張しすぎて、色んな派閥が群雄割拠しそうな勢いですが。これから先はどうなるんでしょう。
第三段として、安倍晋三の父方の祖父の安倍寛に関しても長々とブログを立てるつもりですが。何だか今までの政治観がひっくり返りそうな勢いですね。
誰が総理になっても一緒かもですが、やはり誰かが建て直さなきゃならんのです。その誰かが何処かにいる筈なんですが。
見事にまとめてきましたね。しかしこれだけ政財界の重鎮を即席に掻き集めた家系ってのも、中世のヨーロッパ貴族も真っ青ってところかな。
お陰で色んなこと考えました。
明治時代の政治家は誇りがあり、人格者だったから、何ら革命もなく民主主義国家に移行できたんですが。2つの大戦で全てが変わったんですかね。
コメントどうもです。
敗戦を目の前に見た岸信介は
悲しい現実を追ってたかもしれないけど
娘の岸洋子やその息子の安倍晋三も
単なる悲しい幻影を追ってたんだ
安倍晋太郎がそこら辺を見抜いてたら
少しは変わったろうけど
愛人に愚痴を零すのが精一杯
親の安倍寛が偉大すぎたからな
晋三の父晋太郎も最初は立派な意思を持って政界に踏み込んだ訳ですが、親父(寛)とは違い過ぎましたね。
政治は中央よりも地方の方がずっと難しい。それが解らないで政界の中枢に構えた事が安倍一族の失墜の始まりですね。