「前半」では、議会制民主主義の歴史と各政党の公約について、書きました。
正直、議会制とは名ばかりで、当初の民主的理念は守られる筈もなく、(世界にも稀な)70年近くも続く自民党の独裁政権でしかない。
それに、各政党の特徴も属性もほぼ横並びで、”寄らば自民の陰”状態である。事実、各政党の公約も(優先順位は違えど)似たり寄ったりで、決め手となるものはないが、強いて言えば、立憲の”政治を正さねば日本はよくならない”とは全くの正論であり、自民党の”ルールを守る”よりもずっと説得力がある。
更に、れいわが積極経済を第一の公約に挙げたのは新鮮に映ったし、参政党の食料自給率の倍増とコロナワクチン接種推進策の見直しも、現実路線で共感するものがある。
一方、小泉選対委は”裏金問題に決着をつける”と吠えたが、その舌も乾かぬ内に自民党による2000万円助成の”偽装非公認”疑惑が暴露し、過半数どころか、第一頭の座も危うくなってきた。全く、世襲のバカが上に立つと”現場はナメた事をする”の典型だが、これに関しては一番最後で補足する事にする。
多くのメディアは決まった様に”与党か?野党か?”の2極対立の構図で騒ぎ立てるが、それだけに国民の関心が集中すると大きな落とし穴にハマる危険性も無視できない。
つまり、近未来の民主主義は、多数派ではなく少数派でも実現可能かつ的格で効果的な政策を提示できる政党が、政府の中核を担う時代になる。つまり、”アリが巨象を飲み込む”様なものだが、現行の選挙制度は多数決の論理で、国民の真意の多くはかき消される。
従って、様々な政党がバラつく程に、政策を決定する議論はより深く広く充実し、その末に決まる政策の精度も向上する。言い換えれば、数の論理ではなく、政策の有効性で議論が成され、議会政治が正しい方向に向かえば、民主主義は矛盾と限界を打破し、大きく成長する筈だ。
そこで今日は、日本の議会政治が国民の声を拾い、正しい方向に進む為に、現行の衆議員選挙制度、特に小選挙区の課題と将来について述べたいと思います。
衆議院総選挙の矛盾と限界
衆議院議員総選挙(以下、衆院選)が近づいてきたが、新聞や雑誌、ウエブやSNS等で議席予想や当落予想が行われるが、なかなか当たらない。その主な理由として、衆院選で採用される”小選挙区・比例代表併用制”の下では、政党支持率が必ずしもストレートに獲得議席数へと結びつかない事にある。
まずは、衆院選のベースとなる”小選挙区制”にはどんな特質があるのか?投票の際に何を基準にすればよいのか?
以下、「衆院選の当落予想はなぜ当たらない?」を参考に大まかに纏めます。
現行の選挙制度では、全国289の(自治体ベースの)選挙区から1名ずつ選出する”小選挙区”制と、全国を11ブロックに分けてブロック毎に政党の得票数に応じて議席数を割り振る”比例代表”制の2本立てとなる。
つまり、小選挙区では選挙区の立候補者名を、比例代表では政党名を記入し投票する。但し、小選挙区で敗退した候補者も(惜敗率が高ければ)比例代表で復活当選できる事がある。因みに、衆議院議員の定員は465名(小選挙区=289、比例代表=176)で、小選挙区により多くの議席が配分される。
小選挙区にては、得票の過半数を占めた候補者が選出され、大政党の候補者が当選し易く、小政党の候補者は当選し難くなる。つまり、二大政党制に繋がり易くなるとの欠点がある。
一方、小選挙区のメリットには、第一に政権が安定し易く、政権与党への支持率は全選挙区で大きく変わる事はないので、同じ傾向の結果が出易くなる。
第二に”選挙にお金が掛からない”。理由として、同政党の候補者同士による戦いがなくなり、大選挙区や中選挙区に比べ、小選挙区制では1選挙区から1人が選出され、政策本位の選挙になり易い。
例えば、参院選で見られる中選挙区制では、同政党の候補者が議席を奪い合う”同士討ち”が発生し、大政党の場合は派閥が大きな影響力を持ち、そこにカネの問題が絡む。更に、派閥は大臣ポストの配分にも大きな影響力を持ち、お金や権力が派閥に集まる構造ができ上がる。
これじゃアカンという事で、1993年に自民党が下野して細川連立内閣ができた時に現在の選挙制度に改められた。小選挙区が導入された事で買収が減ったのも事実で、派閥も以前程の影響力を持たなくなった。
他方で、小選挙区では”民意が的確に反映されない”との批判が根強い。最大の問題点は得票率1位の候補者のみが当選し、2位以下の候補者への投票は死票になる事だ。
理想の選挙制度とは?
もっとも選挙制度も完璧はあり得ないが、憲法では議会制民主主義を採用し、憲法43条では国会議員を”全国民の代表”と定めている。一例を上げれば、”民意を可能な限り、正確・公正に国会に反映させる事を要請する”と解釈と出来る。つまり、衆議院と参議院をそれぞれ”民意の縮図”にする。
その点、小選挙区制は(仕組み上)大政党を過剰に代表させ、中小政党を過少に代表させる事になる。これでは、議席構成にて多様な民意を正確・公正に反映できないので、議会制民主主義に反すると言える。それ故に、日本では政権交代が阻まれてきた現実がある。
また、選挙区の区割りが市区町村を基礎として決められ、”投票価値の平等”が犠牲になり、”一票の格差”問題も引き起こす。
そうした観点から言えば、得票率に応じて議席が公正に割り振られる”比例代表制”こそが、少数派も含めた多様な民意を国会議員の構成に反映す出来、議会制民主主義に最も相応しい制度と言える。
が難点として、1つの政党が過半数の議席を獲得するのが難しくなる事が指摘されるが、小選挙区の(仕組みとして)過半数の得票がない政党に過半数の議席を与え、民意とは真逆の政治が強行される危険性がある事の方が重大な問題だろう。
つまり、民意を可能な限り正確・公正に国会に反映させ、議会制民主主義を実現する為には、無所属の候補者の立候補も保障した”完全比例代表制”を採用すべきである。
以上の様に、小選挙区制を中心とした現行の選挙制度には長所と短所の両方が指摘される。特に、死票の多さと一政党が実際の得票率を大きく超える議席を獲得する可能性(危険性)がある事は、心に留めておく必要がある。
一方、民主主義の本質は多数決だけではない。そこに至る過程で充実した議論が行われる事が大前提となる。つまり、多数派が正しく、少数派が間違ってるとは限らないし、課題毎に多数派と少数派が入れ替わる事もある。
従って、互いの言い分を解析し、其々の本質を抽出する事で一致点(最適解)を見つけ、物事を決める。つまり、議論による議会制民主主義とはそうあるべきだ。
自分がいつ少数派になるか分からないのが世の中で、利害関係が複雑化するからこそ、常に多数派と小数派が入れ替わる事を自覚する必要がある。故に、 “議論”によってよりよい結論を求め、少数派にも配慮する。それによって民主主義は強くなる。多数派が独善的になり、少数派をギロチンにしてたら民主主義がどうなるかは、歴史が証明している。
報道では”与野党の対立”ばかりが誇張され、分断が深刻化してる様に見えるが、実際はそれ程でもなく、多くの課題については議論して一致点を見つけ出し、物事を決める傾向にある。
では、誰にどの政党に投票すればいい?
以上を前提として、現行の小選挙区・比例代表並立制の下では、どの様な投票をすべきなのだろうか?
小選挙区制だからとて、過度に戦略的な投票を心がける必要性はない。死票が多いとの欠点もあるが、その弊害を緩和する為に比例代表制が(議席数が少ないとの指摘もあるが)並行して採用される。また、小選挙区の立候補者が比例代表選挙区に重複立候補している場合、得票率によっては復活当選の芽もある。
”死票になるのを避けたい”などと考え過ぎすに、自分の政治的信条に忠実に投票する事が大切である。
その上で、2つの”評価軸”が重要となる。
第一は、自分が大切に思う政策とのマッチ度という評価軸で、選挙公報や各候補者のHPや街頭演説での発言内容などをチェック出来る。
第二に”この候補者だけは絶対嫌だ”という評価軸で、その候補者の政策が自身の政治的信条と真っ向から反するとか、過去の言動や不祥事が許せないとか、どうしてもその候補者を当選させたくないのなら、最も有力な対立候補に投票するという選択肢も有り得る。
18世紀、啓蒙思想家のルソー(仏)は、大英帝国が世界に先駆けて採用した代表民主制の欠点を、皮肉を込めて鋭く喝破した。
”英国民は自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは議員を選挙する間だけの事で、議員が選ばれてしまうと彼らは奴隷となり、何者でもなくなる。つまり、自由であるこの短い期間に彼らが自由をどう用いているかを見れば、自由を失うのも当然と思われる”
この指摘は、「社会契約論」が刊行された1762年から約260年を経た現在でもなお当てはまるが、代表民主制は完全な制度ではないからこそ、国民の不断の努力が求められる。
私たち国民が政府の奴隷とならず、自由を維持し続けるには、選挙権を効果的に行使し、国会議員に”全国民の代表”としての自覚と職務にあたらせる必要がある。
以上、JP弁護士編集部のコラムから長々とでした。
最後に〜それでも選挙には行くべきか?
ハッキリ言って、ここまで書いても、誰にどの政党に投票するか迷っている。
確かに、小選挙区制の欠点と理想の選挙のあり方は理解できたが、(”選択公理”の矛盾でもないが)どの政党を選択(投票)すれば正解なのか?という難問だけが残る。
勿論、選択公理では選択候補の無限性が問題となるが、仮に有限であっても(極論を言えばだが)蛇とワニから1人を選べと言うもんだ。
”寄らば大樹の陰”で自民党に投票するか?負けると判りきってて、少数派でも自分の考えと一致する政党に入れるか?
それとも、”偶然に依る最高の選択”を期待してサイコロで決めるか?勿論、選挙を放棄するという選択も残されてはいる。
かつて、16世紀の哲学者であるコペルニクスは、宗教上の理由で天動説を否定した。
そこには明確な理論や根拠はなかったが、後のガリレオやケプラーがその考えを受け継ぎ、最後にはニュートンが重力を発見した事で、地動説は決定的となり、それまで長年続いた天動説を支持するカトリックの支配を終わらせたのである。
少数派で異端に過ぎなかったプロテスタントが生き延びれたのは、こうした数学の論理の力による。今やその少数派は自由を重んじる民主主義となり、地球の半分を支配する。
だが、その民主主義も矛盾と限界が露呈し、我ら民主主義国家の民は政治の奴隷になりつつあるし、選挙に足を運ぶ程に奴隷に近づいてる様にも思える。
だったら、選挙を無視すれば政府の奴隷から開放されるのか?その答えすら見いだせない自分がいる。
だが、ケプラーやニュートンが導き出した答えは、私が迷ってる問題よりもずっとずっと難解なものであった筈だ。つまり、迷いながらでも現行の選挙制度の中に答えを見出し、投票に向かうべきなのだろうか。
勿論、迷った挙げ句に出した答えが自民党になる筈もないが、今回もまた(惨敗すると判ってて)超の付く少数派の政党に投票しようとする私がいる。
政治理念が一致する政党ほど、多くの国民の支持を得られないというのも、議会制民主主義の限界と矛盾なのだろう。
日本という農耕族の島国で、農民を支配する自民党は絶対なのである。かつて、天動説を信じたカトリックの世界が絶対であった様に・・・
それでも私は、選挙には足を運ぶ。
そう、私は民主主義とその上に立つ政治と選挙に失望し続ける、哀れな日本人に過ぎないのだ。
補足〜ヤッパリ選挙には行くべきだ
巷では、自公民の過半数割れの声が多いが、農民票がどう揺れるかで勝敗を決する様にも思える。つまり、私らが思ってる以上に農民票は強いのだ。
確かに、日本は典型の農耕島民だから、農民を支援し、味方につけた自民が強い。それは自民党独裁の70年近い歴史が証明している。自民が減反廃止という農政改革に踏み込めなのも、農民票が揺れるのを恐れての事だ。
事実、自民が減反に拘りすぎたが為に、コメ価格が急騰し、逆にコメ農家の信頼を失うとしたら?いや、自民が補助金や概算金を担保にして、コメ農家の票をかき集めるやり方に疑問を感じてるすれば、これほどの皮肉もない。
そうこう思ってる内に、自民党派閥裏金事件で非公認となった候補が、自民党から選挙活動費として2000万円を支給されてた事が共産党(赤旗)により明らかにされた。
野党からは”事実上の公認だ”と批判され、巷では早くも”偽装非公認”と揶揄されている。
自民党は”ルールを守る”を第一公約に掲げ、小泉選対委は”裏金問題に決着をつける”と吠えたが、まっ先に約束を破ってしまった。これじゃ、過半数割れどころか、第一党すらも危うくなってきた。
我ら自民をよく思わない有権者にとって、これ程の屈辱もないし、逆にこれ程の朗報もない。僅か2000万で、70年近く続いた自民の独裁が崩れるのなら、これ程の安上がりもない。
一方、自民の派閥裏金問題で仮に自公民が過半数割れした場合、国民民主党が連立政権に加わる可能性について、玉木代表は”ない”と明確に否定した。維新が自民寄りだとは聞いてたが、これで自公民は国民民主党も維新も手放す事になるだろう。
結果的に、自民は衆院選の直前に地雷を踏んだ訳だが、これにより、130年の歴史を持つ日本の議会制民主主義が真っ当な方向に進めば、国民にとってこれ程のご褒美もない。
憶測に過ぎないが、衆院選の勝負のカギを握るとされた、小選挙区の4割弱の浮遊票が自公民以外に傾くのは明白で、優勢とされた110の選挙区も大きく目減りするだろう。更に、激戦とされる40以上の選挙区も野党に傾く。
また、比例区も60前後と予想される自民の議席も大きく目減りするだろう。
つまり、机上での計算で言えばだが、自民党は敗れる可能性が出てきた。勿論、国民の多くが選挙に行けばの話だが・・・
但し、自民党が敗れ去ったとしても、日本の議会政治そのものが大きく変わる筈もない。それは歴史が証明しているが、少なくとも自民という政界内に長く深く広く溜まってた汚物が洗い流される事だけは確実である。
小選挙区では自民優位は序盤の102人から87人に減少。接戦も118から133に増えた。比例では前回21年の72から50にまで落ち込むと予想する。
結局、多く見積もって小選挙区での接戦の半分を獲得したとしても、203程で公示前の247議席はおろか、自公民での過半数の233議席獲得も不透明になってきた。
そこで仮にですが
今回の自民党の偽装非公認疑惑で、接戦の全ての議席を落としたとすれば、137議席となり、立憲に第一党の座を明け渡す公算が高くなる。
勿論全てを失うはずもないが、自民と立憲で接戦となる構図は避けられない。
どっちにしようかと迷ってる4割弱の有権者にとって、選択の判断基準は各党の公約よりも金権政治壊滅の本気度に絞られてきた様な気がします。
今回の衆院選でこれまでと違う所は、自民優勢だった地区の自民離れに注目が集まります。
一方で、公明も現状維持は難しく、自公民の過半数割れが現実のものとなってきました。
かつての”自民vs社会”と言った2大政党の時代に戻るのか?自民がバラバラに分裂し、色んな政党が乱立する戦国絵巻になるのか?
個人的には政党乱立による完全比例代表制の時代が来る事を強く望みます。
今回は急遽、衆院選が決まったので、裏金問題のみが焦点となりました。
ですが、石破としては作戦が裏目に出ましたね。
各政党もこれといった決め手となる公約がなかっただけに、”偽装非公認”疑惑は野党にとって大きな追い風となりそうです。
呉越同舟の如く、自公民が過半数割れしたとても、維新と国民民主を囲もうとするでしょうから
それでも、改憲を通す為の2/3議席には届きそうにもありません。
勿論自民の圧力が弱まっても、アメリカの圧力が強まるでしょうから、仮に政権交代が成されたとしても、日本政府の基本路線は変わらないでしょう。
一昔前は、政治家が平和な日本を作ってくれたのだと私達は信じてきましたが、実際には危うい土壌の上での平和であり、日本の経済力に見合う豊かさを実感する事はないままです。
騙される国民が悪いのか?騙す政治家が悪いのか?
何度選挙に足を運んでも、国民の声が政府に届く事はなく、”一票がアナタの声になる”と言われても、所詮は自民に潰されます。
死票をなくし投票の有効率を高めるには、名簿式比例代表ではなく候補者を全てオープンにし、政党ではなく”人を選ぶ”比例代表制にするべきだと思います。
この数字は毎日もほぼ同じで
読売は多くても150を超えるくらい。
比例が50〜60と考えると、合計では文春が最終予測した197議席程度が妥当な線かもしれませんね。
つまり各メディアや週刊誌も同じような統計モデルを利用してますから、似たり寄ったりですよ。
でも立憲が単独で自民を追い抜くのはまだ無理でしょうが、自公民が過半数割れするのは現実的になってはきましたね。
基本的に各政党の公約は信じない方ですが、多くの党が明言する”時給1500”公約も政治上の賭けとされてますから、選挙後には覆る可能性が大きいです。
政治家にとって、自民党ではないですが”公約とは裏切る為にある”となるんですよ。
そこで、自民独占の69年間の歴史を振り返れば、政権交代したのは1993年と2009年の僅か2回だけで、特に93年は自民と共産以外の野党が連立を組み、過半数を確保しました。
単独で政権交代したのは09年の民主党ですが、前者(細川-羽田内閣)は1年、後者は3年と共に短命で終り、政権内は常に混乱し、足並みを揃える事は不可能でした。
故に、今回仮に政権交代があったとして、金権政治は克服できても、政権内の不満や混乱は続くでしょうね。
一方で自民党は”汚い”イメージを刷新する為に、小泉や安倍と外面よくする事で対応しましたが、税金バラマキの体質は酷くなるばかりで・・・
かつては、投票率が低いと組織票で優位に立つ自公民が有利でしたが、裏金問題などでその流れも変わりつつあります。
事実、前回21年の衆院選の投票率56%でしたが、若年層(特に20代)は36.5%で、投票率の低さが深刻な問題とあり、高齢者のみが関心を持つ選挙では、折角の議会政治も老化し腐ってしまい、若者の声は全く届きませんね。
たとえ、理念が合致する政党や候補者を見つけても、少数派だと簡単に権力や派閥で潰される。
”選挙に行こう”と綺麗事を言っても、限界と矛盾がありすぎる。そう考えると、どうしても鬱になりますよね。
政治家も有権者も高齢化が進み、130歳になる議会政治もそろそろ寿命なんでしょうか。
2022年の参院選の的中率が96%というから、各新聞社もメディアもこぞって採用してるでしょうね。
でないと、各社とも同じ様な数字にはならない筈です。
でも、今回の”2000万”疑惑を国民がどう判断するか?ですよね。
確かに石破は、2000万は活動費として支部へ送ったもので、非公認の候補者に送ったのではないと弁明してますが、敢えて公認にしてるのは明白で、言い訳する程に質が悪い。
故に、ここら辺をどうシュミレートするかでも変わってきますから、これからも目が離せません。
投票なんて紙くず同然
そういう事を若者は感覚で察知してる
アナタの一票が政治を変える
なんて事は最初から絵空事で、組織票を固める理由に過ぎない
政治家とその政治を支える選挙に足を運ぶ有権者も老人という悲しい現実
もはや、議会政治というのは既に寿命が来てるのか、裏金や汚職を生むだけの無用の長物に過ぎないのか?
確かに・・そういう見方も出来ますよね。
政治家も有権者も高齢化し、挙げ句は議会政治そのものも寿命が来る。
若者にそっぽを向かれた老いた政治は死滅し、やがて、自由な共同体が誕生する。
そこには、格差も差別も権力も支配もない。
”選挙に足を運ぼう”と説教垂れるよりも
議会政治の必要性の有無を議論した方がいいのかもしれませんね。
今回に限っては
ほぼJX通信社のシミュレータ通りになった。
自民の小選挙区が140前後で、比例が50〜60と予測してたみたいだから、合計195議席でほぼ的中となる。
JX通信社は22年参院選(大選挙区)も96%の的中率だったが、今回もその有効性を証明した形となった。
また各メディアや新聞社も200前後と予想してたから、誤差は5%ほどでこれもほぼ的中した。
数理アルゴリズムは嘘をつかない結果となったけど、正直言うと自民はもっと酷い形で惨敗すると思っていたのだが
自民派閥の裏金議員に限って言えば
46名中18当28落で勝率4割
非公認に至っては3当8落で勝率2割7分
まだまだ農民はアマ〜い