昭和世代の素朴な疑問だが、何故これ程までに科学技術が進歩しても、自動車だけが安くならないのだろうか?
昔は50インチの液晶テレビは100万円を優に超えてたのに、今では1/20以下の4万円程で買える様になったし、100万を超える様なハイスペックなデスクトップPCを遥かに凌駕したノートPCが数万で買えたりもする。
教科書的に言えば、車の性能が高まり、安全や燃費や排ガスの基準も厳しくなるから、それに伴い開発費や部材費や人件費も高騰する。それに、出生率低下による人口の減少や若者の車離れによる車の販売台数の大幅な減少により、開発費の回収が難しくなった事も挙げられるだろう。
一方で、自動車は高価格な方が偉く優越感に浸れて、安全だと感じる傾向にあるのも事実ではある。
勿論、自動車だけでなく炊飯器も高価な奴がよく売れる時代だが、”失われた30年”の間に日本人の実質な給与水準はバブル以降の90年代後半のままで、車の性能と価格だけが高くなり続けてるのも、これまた皮肉な現実でもある。
因みに給与水準で考えると、昔の大卒の初任給2年分で軽四が買えたし、今は半年分の給与で普通乗用車の中間グレードが買える。一方、日本を除いた先進国の給与水準は日本の2倍以上で、それを考えると車の価格はそこまでは高くなってるとも言えない。
つまり、”車が高くなってる”と感じるのは日本だけが先進国の中で取り残されてる証拠とも言える。
但し統計で言えば、車の高額化に比例するかの如く交通事故の死者数は減り続けている。逆を言えば、人の命を無視すれば(安全を度外視すればだが)車は安く作れるとも言える。
トヨタのケース
ただ、”自動車を作る”という技術的な視点で言えば、少し事情が変わってくる。
以下、「なぜ自動車は安くならないのか」から簡単に纏めます。
例えば、パソコンの性能はCPUやメモリなどの性能で決まる。つまり、メインパーツが揃えば、誰でも組み立てる事が出来る。故に、時代と共に安く提供できるのだ。
だが、自動車は違う。勿論、エンジンにサスペンションにシャーシなどの主要な構成要素があるが、個々の性能以上に重要なのは要素間の相互作用。つまり、組み立てる技術ではなく、部品を開発する時に各部品間の相性を最適化するプロセス(いわば部品同士を擦り合わせる技術)が重要となる。
ただ、この”擦り合わせ”技術は容易ではない。高度な職人技を必要とし、社内外で沢山の部品開発チームが絡み合い、その技術は完全な機密扱いとなる。
こうした特殊技術の長年の蓄積があるから、トヨタはガソリン車で世界一になり得たし、多くの部品供給元が系列化し、統合化されてるトヨタは圧倒的に強かったのだ。
しかし、昨今の様なEV(電気自動車)の時代になると、その構造はPCに近く、以上の様な高度な技術がガソリン車程には要らない。だが、EVもリチウムバッテリーに明確な限界があるし、レアメタルを原料とする為に安くはならない。いや、むしろ高価になる。
但し、トヨタの弱点はその組織が大きすぎる事で、命令系統が複雑な為に新しい事業や技術に素早く移行できない。つまり、ガソリン車の擦り合わせ技術で世界一になった会社がその技術を捨てられる訳がない。
従って、過去の古臭い成功体験に取り憑かれた亡霊を一掃する為にも全くの別会社を作り、新世代の電気自動車を開発する必要がある。事実トヨタは現行のEV車に見切りをつけ、新世代の全固定電池や水素電池自動車の開発を行っている。勿論、それらプロジェクトが過去になし得た様に成功する保証はどこにもないのだが・・
とは言え、トヨタの本質は”地上最強のガソリン車屋さん”である。つまり、ガソリン車とEVを融合させたハイブリット車を作り続ける理由が、今のトヨタには明確に存在する。
以上、”世界の普通から”からでした。
勿論、こうした技術上の理由もあろうが、”車だけが安くならない”本質的な原因を知りたくもなる。
そこで今度は、冒頭でも述べた様に、過去に遡って社会情勢を踏まえ、その理由を紐解いていく。
以下、「クルマの価格はなぜ高くなったのか?・・」から一部抜粋です。
カローラのケース
1960年代の高度成長期に日本のモータリゼーション(車社会)が始まった。66年に初代カローラがデビューし、クルマは”1家に1台”というマイカーブームを牽引してきた。
その後、2003年に登場した2代目プリウスはそれまで販売台数トップを記録し続けたカローラからその座を奪ったが、そのプリウスとて新世代のカローラに変わりはないし、高級車のクラウンだって”裏に返せばカローラ”にすぎない。故に、カローラが日本人の”国民車”である事に疑問の余地はないだろう。
そこで、歴代カローラの新車車両価格と日本人の平均年収を元に調べてみる(上図参照)。
初代カローラの価格(49万5千円)は年収1年分(約55万)に近かったものの、2代目は(オイルショック始まりの時期と重なったが)ほぼ価格は据え置きで、年収が倍近い上昇により、車の価格は実質半額ぐらいになる。その後、70年代の経済成長期から80年代のバブル景気を迎える頃までは、鰻登りに年収が上昇するが、カローラの価格はモデルチェンジ毎に約20万程づつ値上りするものの、年収対比(=車価格/年収)0.3~0.33は変わらず、実質上の価格据え置き状態となっていた。
因みに、バブル後の2000年はセダンG1.5で約145万円で、平均年収は460万程でピークを迎える。
一方、車両価格が高くなったのは2000年代後半からで、06年のカローラ(アクシオ1.5Gで170万)に限らず、この頃から車価格が上昇していく。2010年代後半になると、その価格上昇は顕著になるが、単に車両価格が高くなっただけでなく、車両価格が高いHV車が多くを占める様になったとの背景もある。
2019年のHV車(HYBRIDG-X)だが、カローラ価格/年収比率は240万/436万=0.55と、70年の昭和オイルショック時と同等の水準に戻ってしまった。但し、2025年のHYBRIDG-Xは500万を優に超える事を考慮すると、車価格/年収比率は1.0を優に超える勢いである。
この様に、”車だけが安くならない”理由には、こうした全く笑えない現実が大きく横たわっていたのだ。
因みに、平成元年(1989)は名車の豊作年で、R32スカイラインGT-R、ユーノスロードスター、日産180SX、スバルレガシィ、トヨタセルシオなど大ヒットモデルが次々と誕生した。この時期はモデルチェンジ毎のクルマの進化が著しく、買い易い価格のクルマも多く、自動車市場は大いに賑わう。
ロードスターやシルビア、180SX、ホンダプレリュードなどの当時の若者に人気の新車価格だが、100万円台後半~200万円台前半が中心で、高級車シーマ(日産)ですら300~400万円台が主流だった。
だが現在は、マツダロードスターは最安でも約262万円で中心販売価格帯は300万円台。平成元年当時のトヨタクラウンのエントリー価格は約275万円だったが、今年デビューした新型クラウンは同435万円と、名車が豊作だった頃と比べると約2倍に跳ね上がる。
”失われた30年”と日本人の給与水準
冒頭でも書いた様に、クルマ価格が高くなった理由は、原材料費の高騰と安全および環境性能が厳しくなり、昔の基準ではクルマが設計・販売できなくなったという、主な2つの事情がある。
例えば、1989年前後の1トンあたりの鉄鋼価格は6万円台後半で推移し、90年前半は5万円台と安くなり、2000年代に入ると4万円前半と更に安くなるが、04年に急騰し一気に8万円台となると08年には12万円台に。21年から再び高騰し13万円前後へ、22年秋には14万6000円と史上最高値をつけた。
一方で、クルマの衝突安全性能や厳しい燃費基準に排気ガス規制は、クルマをモデルチェンジする度に開発陣を悩ませる。エンジンは改良を加えても、年々厳しくなる燃費基準や排ガス規制に対応ができなく、新開発を迫られた。更に、ボディやプラットフォームも高い安全基準をクリアする必要があり、昭和時代に旺盛を誇った箱型のクルマが作れなくなっていく。
こうした開発費や性能強化に伴うコストは販売価格に転嫁され、車両価格を押し上げる。
だが、以上の事だけで”車の価格が上がった”と決めつける訳にも行かない。
国税庁が発表する直近の平均年収は400万円台前半とされるが、実質は”年収300万円の時代”とも言われている。
これは超高額年収者が平均を押し上げてるからで、バブル崩壊後の”失われた30年”の間は殆ど給与水準が上がっていないのが実情である。これに対し、欧米の給与水準は30年前に比べてほぼ倍になり、日本の賃金はアメリカの半分以下に落ち込んだ。結果、OECDに属する先進38ヵ国の中では最下位グループとなってしまう。
因みに、米国トヨタのプリウスの販売価格は約250ドル(約388万円)からで、2万ドル後半が販売の主流となっている(1ドル155円で計算)。一方、アメリカの平均年収は7万ドル(約1090万円)とされる。
これを前述の車両価格/年収指数で同様に計算すると、エントリー価格で0.36となり、日本のクルマがまだ安かったバブル期の0.33
より少し高いくらいの指数だ。
米国でも日本と同様に、安全・環境性能の高い基準を満たす必要があり、HV車によるコスト増を考慮しても、アメリカでは”クルマは高くなってない”といえる。つまり、物価の上昇に伴って給与が上がれば、車両価格が高くなっても実質的には価格据え置きとなる。
しかし日本では、バブル崩壊後に給与水準がほぼ変わらない状況なままで、クルマの価格は世界的な原材料価格などと連動して定められる為、日本ではクルマの価格だけが跳ね上がった結果になってしまった。
今、NYでは普通のランチを食べても、日本円で5000円以上もするという。これはアメリカのインフレと円安が深く関係してるが、NYのアルバイト時給も5000円程度が主流となり、アルバイトの平均時給とランチの平均価格は同じと考えると納得がいく。
昨今の慢性化した円安報道と並行し、日本国内の物価上昇に対する政府や自治体の金銭的支援のニュースを連日の様に目にすると、税金を物価高上昇ではなく、給与水準上昇の為に使わない必要がある。
でないと、車の価格だけが高騰するという矛盾は何時までもなくならない。
以上、オートナビガイドからでした。
最後に
確かに、ガッテンである。
そういう私も平成元年のバブル期末に車を買った世代である。生まれて初めて買った新車がスカイラインR32の4ドアセダンだった。
当時は2ドアクーペが人気だったから、田舎のディーラーでも15万近く値引いた記憶がするが、総額160万円程であのクラスの車が買えたのだから、今に思うと安い買い物だったのだ。
あの頃は、どんな貧乏でも高級セダンが買えた時代である。私の周りには300万以上のローンを組んで新車を買う者も珍しくはなかった。更に値引き合戦も活発で、若者に人気のシルビアなんか70~80万の値引きなんて当り前の様に行われていた。
今とは違い、当時の若者は車に目がなかったから、どんなに借金をしてでも車に夢中になっていたのだ。
”時代が違う”と言えばそれまでだが、やはり”安い”というのは購買における必須条件ではある。確かに、あの頃は何でも安かった。日常の物価は勿論の事、飲み代もキャバ代も安く、風俗も手頃な価格で遊べた。
しかし今は、実質の給与水準は平均年収300万程と低いままだし、自動車だけが欧米並みに値上がりする。
年金を叩いて新型プリウスを買う老人も多いだろうが、逆走して人でもハネたら一巻の終りだ。現役を退いた高年齢層を多く顧客に持つトヨタだが、今や”プリウスミサイル”と揶揄される程で、売れれば売れる程に笑えない現実がある。
そういう私もプリウス購入世代だが、未だにHV車には抵抗を感じる所がある。エンジン音は殆どしないし、見た目やパワー以上に重く大きく感じるのだ。それに、手足みたいに自在に動くのだろうか?と勘ぐってしまう。
勿論、ノロノロ運転に徹底すれば燃費はいいだろうが、だったら早足で歩いた方が健康にもいいではないか。そう考えると、コンパクトなガソリン車のリッターカーを大切に乗った方が対費用効果もいいのでは?と思わなくもない。
勿論、車なんか所有せずに公共の交通機関を利用すれば、ずっと安く付くのは十分に承知の上だが・・
という事で、”失われた0年”がもたらした”車だけがなぜか安くならない”という奇悲劇のお話でした。
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