日曜日に隣組の総会に出かけた。
総会とはいっても、部落単位のこじんまりとしたもので僅か10人ほどの集まりであった。
普段なら大方参加しない私だが、少し言いたい事があったのであえて参加した。
少し遅刻したのだが、”隣組を離れたい”と怒ってる人がいたらしく、その人をどうするかでザワザワと揉めている。
少し話を聞いてた私だが、生意気にもいきなり口を挟んだ。
”元々、隣組の世話ごとの大半は神事や仏事であり、法的にも明確な根拠もない任意的なものです。そんな隣組の世話に何か意味があるのだろうか?少なくとも強制や拘束はないですよね。それに・・・”
すると、参加者らは少し戸惑ったらしく、”いま問題にしてるのは、隣組を離れると怒ってる人の処遇なんですが・・・”
私は吠える
私は半ば呆れた様に答えた。
”離れたきゃ離れればいいじゃないか。何か明確な根拠があって怒ってるかもしれないから、隣組からすぐにでも外してやればいい”
(非情にも聞こえるが)あえてこう答えたのは、私も隣組を離れたかったし、隣組会費の大半を占める仏事や神事のアホ臭な費用を払いたくなかったからだ。それに腐れかけたお宮の掃除もしたくはない。
周りは納得した様に、皆うなずいていたみたいで、少なくとも反対する者はいなかった。
”でも、外灯代や消防費などの必要な経費は払ってもらわないと・・・”
私は興奮し掛けた自分を慰めるように、言い方を少し変えた。
”消防費は少し微妙だけど、隣組を離れても街灯費や公民館費くらいは払ってもらう様に伝えるべきです。それ位は要求する権利がこちらにはある”
”ゴミ出しの当番はどうしましょうか?”
”来てくれと要求しても無理でしょうね。外しても構わないと思います”
流石に、ここら辺まで来ると、私も集まった人たちも冷静さを取り戻してはいた。
消防費に関しては、会計をした経験から少し厳しい指摘をしたが、取り扱ってはもらえなかった。が、これは想定内でもあった。
ただ、赤い羽根と緑の羽根募金は、私が言う様に”任意である”として”外しても構わないのでは・・・”という事になった。事実、この募金に関しては不正決算があったとされ、来年は削除するらしい。
冷静さを取り戻した私は更に、年に二回(春と秋)もある初午祭についても不満を述べたが、ツル頭の糞爺が”昔からやってる事なので外せない”と(予想通り)反対してきた。それに年に1度に変更するにしても、隣の部落側と話し合う必要があるから”面倒くさいのでは”という事だった。
全くのアホ臭だが、これに関しては周りも同意してるらしく、流石に私も反論する気になれなかった。
司会の世話役さんが”冠婚葬祭に関してのお世話はどうしましょうか?”と切り込んできたので、私は”外しても構わんでしょう”と冷たく跳ねつけた。
周りはキョトンとして、誰も反論しなかったから、それがそのまま結論となった。不満タラタラの総会では唯一の収穫でもある。
横にいた爺さんが”初午祭のしめ縄作りは面倒くさくないか?みんな不安に思ってるようだけど”と釘を刺す。
すると、先程のツル禿爺が”私の倉庫に藁は沢山あるし、知り合いにしめ縄に詳しいのがいるから教えてもらえばいい。数千円払えば教えてくれますよ”と自慢げに言い放つ。
私は”しめ縄くらいはアマゾンで売ってないのか?”と切り替えした。
すると、”値段はピンキリだが、ある事にはある”とある者は言う。
”だったら、安いのを買った方が負担が少なくていいのでは”と私が言うと、それで周りは納得したらしく、”それで行こう”という事になる。
隣にいた爺さんもホッとしたらしく、一方でツル禿爺は不満げな表情をしていた。
私は、このツル禿爺にとどめを刺したかった。このクソ爺が初午祭をやりたがってるのは明白だった。
特に、年に2回のお宮掃除と初午祭はこのクソ爺が経営する田舎店の僅かな収入源になるからだ。
私は何度か食い下がったが、これだけは跳ね返された。結果的には、1勝1敗1分けの勝ち点4という形になったが、少し言い方が強引すぎたかなと深く反省もした。
隣組と村八分と五人組
こうした”邪魔者排除”の仕組みは、日本古来の慣習である隣組や村八分に繋がるとされる”五人組”だが、これは相互監視体制の歴史でもある。
日本における五人組及びその後継である隣組制度や、その掟を守らなかった住民に加えられる制裁である村八分などの慣習は、古くは戦国時代や江戸時代から始まり、互助制度と相互監視がセットとなった警察的組織と懲罰とされる。前者が隣組で後者が村八分と見れば理解しやすいですね。
因みに五人組とは、江戸時代に幕府が町や村に作らせた”近隣5家1組”の組織の事です。
以下、「五人組とは」(日本史辞典.com)を参考にです。
この組織は年貢の徴収・犯罪取り締まりなどで連絡責任を負わせると共に、相互の組での協力体制や監視体制を作り上げていた。互助制度と言えば聞こえはいいが、実際には相互監視や懲罰が主だったのではないか。それに”年貢”に相当するのが隣組会費というのも、背筋が凍り付く様な現実でもありますね。
五人組は、元々キリシタンや盗人や浮浪人の発見など、組内に幕府から追われてる者がいないか、または犯罪が起きないように互いに見張るといった警察的な懲罰の要素が非常に大きく、犯罪人が組内で出た場合は連帯責任を負わされた。
この”五人組”が戦時中には”隣組”となり、そして現代では、コミュニティ(縄張り)の中に不都合な人間や危険人物がいないかを監視し密告するという奇怪な監視システムへと繋がっている。
現在では、それらが利権化&権益化し、彼らはこぞって自警団を気取り、”危険人物探し”に躍起になってるのが実態である。そして、危険人物に認定された者は”村八分”という不可解で歪んだ制裁を受ける事になる。
一方で村八分とは、五人組帳に記載された掟や村のしきたり等を破ってしまった場合の制裁的な罰である。
実際は、村の10ある付き合い(冠・婚・葬・火事・病気・建築・年忌・水害・出産・旅行)のうち”葬式と火事以外は協力しない”という罰だったので、8つの付き合いがなくなる事から”村8分”と呼ばれた。
つまり、この罰が与えられると村落生活が困難になり、その村にいられなくなるという状態になった。やがて、地域やコミュニティから追い出す為に、住民が一体となって邪魔者を付け回し、嫌がらせをして排除する。これこそまさに”集団ストーカー”そのものである。
しかし、いくら自警団や防犯パトロールを標榜しようと、犯罪を犯した訳でもなく、裁判で有罪判決を下された訳でもない、一個人を寄って集って追いかけ回し、自殺に追い込むなどは明らかに違法行為である。
憲法で保障されてる基本的人権を侵害し、人間関係を破壊し、耐えがたい苦痛を与え、命すら奪う正当な理由と法的根拠はどこにもない筈だ。
私が隣組の存在が”明確で法的根拠がない”と疑うのもそこにある。むしろ、職権濫用であり、犯罪行為をしてる側こそが隣組であり、”ミイラ取りがミイラになる”ではないが、隣組自体が村八分になる可能性がなくもない。
つまり、隣組に依存し、村八分を強引に行使しようとする者達こそが厳しい懲罰を受けるべきかもしれない。
最後に〜隣組は誰がためにある
そこまでは大げさではないものの、一時の感情がら出た言葉とはいえ、その人にとっては悲痛な訴えであり、救いを求める叫びでもある。
それを単に、”裏切り者”とか”村八分”とかに言いくるめるのは如何なものだろう。
実は、私の母もこの隣組制度(特に老人会)には苦しめられていた。本人は一生懸命に世話をしたつもりだったが、周りから見れば不足に感じた事だろう。私が不満をぶちまけたのも亡き母親の復讐の意味もあったのだろうか・・・
今では、饅頭を配るだけの廃墟と化した老人会だが、当時は村八分に直結する大きなコミュニティ(仲間内)でもあったのだ。
勿論、今では隣組と言えど大半が形骸化し、村八分と恐れられた言葉も死語となりつつある。
ただ私が隣組が気に入らないのは、その歴史でも存在でもない。
隣組というコミッティーが脊椎反射系の動物の集まりに見えるからだ。
私はどうしても条件反射系のバカが好きになれない。同じバカでも考える癖を持つホモサピエンス系のバカは好きだが、過去に何ら疑問を持たず、そのまま全てを未来に引き継ぐバカが好きになれない。
私は、そんな幸せ?な脊椎系動物に囲まれて生きている。できるだけ仲間外れにならないように生きてきたつもりだが、既に限界を通り越している。
つまり、このド田舎で”村八分”にされた方がどれだけ幸せであろうか。
そういう事を改めて考えさせてくれた隣組の総会でもあった。
象様 拍手
大部こちらも簡素になりましたが
似たようなものです
役員は周り当番の自治会の班長のみ
老人会なるもの 3人ほどが入会勧めに見えましたが
パス よっぽど老人会が少ないのか
会費集めも乏しいのか・・・・・・
煩わしさが先に立つ
しかし、日本人はこういうふうに仲間を干渉することが好きな傾向がありますね。
一番新しいコミュニティであるはずのネット社会でも既に相互監視体制ができあがっているように感じられるときがあります。
それでも隣組という存在自体が煩わしいし、癪に触る。
みんな思ってる事は同じな筈ですが、うちのド田舎の住人は何の疑問も不満も抱かずに続けてる。
多分、これだけ言っても理解してたのは何人いたでしょうか?
人はこうやって隣組の奴隷のまま、死を迎えるんでしょうね。
こうしてみると、昔の高齢者の方がずっと賢かったような気もしますね。
高齢者のオモチャじゃないんだから、それに付き合う身にもなってくれと言いたいです。
そういうのが好きなら、好きもの同士だけでやればいい。
”老害あって一理なし”と言えばそれまでですが(笑)、老害に付き合う身にもなって欲しいですよね。
転んだサンの怒りのお叫びがこっちまで聞こえそうです。
リスクと隣組はすぐにでも排除しちまえってとこでしょうか。
話は変わりますが
結果は殆どオッズ通りになりました。
転んだサンはあくまで長友の老害を指摘されてましたが、クロアチアのベテランのモドリッチは素晴らしい仕事してました。
日本のスピードを1つ1つ潰してたようにも思います。
PKではクロアチアの経験値が日本を打ち負かしたんですが
決勝トーナメントはオッズ通りになるんでしょうね。韓国もブラジルにはフルボコでしたから。
そんな年寄の暇潰しに付き合う金も時間もないってのが、本音です。
PKは残念でした。
でも、長友が先発してた時点で”ここまで来て役立たずのベテランを”と森保監督の消極的なプランが見え隠れしてました。
今大会は監督の采配というより、若手選手の躍動の方が上回ってた様に感じます。
試合直前になり、オッズが日本有利になってただけに、その勢いで攻めこんでたら、クロアチアは撃破出来てたかもです。
でも、そういうのを含め、実力なんでしょうが、若い選手には気の毒に思えました。
だれを部落の村八分にするかっていうのが根底にあり、が故に相互監視や懲罰という2つの柱で成り立ってるとも言えます。
転んださんが総会に参加した時には既に”誰を村八分にするか?”が議論されてたみたいですね。
それを躊躇なく遮った転んださんも見事ですが、戸惑いを隠せなかった世話人たちの表情を見てみたかったです。
”隣組がミイラになる”という喩えもですが、”老害あって一理なし”という諺も見事ですね。
私も隣組を離れるつもりです。
勿論条件付きで、外灯代や水路委員やゴミ出し当番、消防費や公民館費は払うつもりですが、それ以外の仏事や神事の経費やお宮掃除は一切辞退するつもりです。
”村四分”ってとこですが(笑)・・・
老害という名の集団ストーキングって感じ
いち早く抜け出したほうが身のためかもね
その前に隣組なんて
すぐに死滅するかもしんないけど^^;
一応は愛着はあるんですよ。
でも、今の時代に隣組というのは(大げさですが)危険要素に過ぎないんですね。
言われる通り、早く抜け出さないと確実にトラブルに見舞われます(多分)。
心配下さってありがとうです。