日本がスペインに勝利した時、日本中は歓喜に塗れた。一方で、敗れたスペインは手厳しかった。
”国家の恥晒しだ。相手はコスタリカ戦で1点も取れなかった相手だぞ!スペイン人である事が嫌になった”
スペインのメディアは、日本がコスタリカに負けた時よりも遥かに痛烈だった。が(結果論だが)、ベスト16でモロッコに敗れたのを見れば、酷すぎると思われた誹謗や中傷は正解だったのだろう。
世界の殆どのメディアが日本を称賛する中、”日本代表はアジアの光だ”という中国メディアの言葉が心に突き刺さる。
オッズでは、日本がドイツに勝つ確率は17%、コスタリカに負ける確率は18%、スペインに勝つ確率は13%であった。
大雑把に言えば、3試合ともオッズを裏切った形となったが、決勝トーナメント初戦のクロアチア戦もオッズの裏を描くかもしれない。事実、試合直前では日本が6対4ほどで有利だったから、日本の敗戦もオッズの裏をかいたと言えなくもない。
そう、80年代のバブル期の浮かれた日本の様に大空を翔ぶ事もあろう。やがて歓喜に浮かれた日本は、待ち構えている絶望に気づかずに邁進する。
そう、無邪気な若者と天井知らずの情熱というものは怖さをを知らない。
やがて、現実はオッズ通りに突き進み、日常は慢性的で冷酷なアルゴリズムに沿って進んでいく。そう、アナタがたが最も毛嫌いする数学の堅苦しい方程式である。
オッズと数学は嘘をつかない
日本のバブルが崩壊すると予測した人は、当時はどれ程いただろうか?
今みたいに賭けの対象になってたら、海外の多くのブックメーカーは1倍に近い数字を予測しただろう。
闇社会に生息する地上げ屋により、都心の土地だけが異常なまでに高騰し、貧富の格差は広がるばかりで、実質の経済力と国力は殆ど変わっちゃいない。
六本木のディスコで我が物顔で踊りまくる女たちも、銀座の高級クラブで浮かれまくるホステスらも、今で言うデリヘルと言う名の腐った風俗嬢と何ら変わりはない。
いつかは負けると判ってはいても、それを認める事が出来ない自分がいる。
いつかは終りが来ると解ってはいても、それを認めたがらない自分がいる。
そう、人間というものは自分に都合の悪い事は認めたくないものだ。
日本のバブル崩壊は、既に暴落していた日本の株に気づかずに爆買いを続けた結果の悲劇である。ケリー基準で言えば、天井知らずの株価に浮かれ過ぎた日本が日本自身に投資しすぎただけの惨劇である。
因みに、日本がバブルで吐き出した損失は1400兆円。これは太平洋戦争での損失800兆円を大きく上回り、”第2の無条件降伏”とも呼ばれる。
勿論、日本がドイツやスペインに勝ったのはバブルじゃない。自らの力で勝ち取った正真正銘の真実である。しかし、この歓喜と衝撃は”ブラボー”という行き過ぎた過信に変わり、やがては喪失へと変わるのだろうか。
森保監督が掲げたベスト8という目標は、今や現実のものとなろうとしている。しかし、それは喪失と紙一重なのかもしれない。
もし、ベスト8がバブルの頂点だとしたら、ブラジル戦ではバブル崩壊後の日本みたいに跡形もなく敗れ去るのだろうか。それとも、バブル崩壊後の日本をあざ笑うかのように勝ち続けるのだろうか。
個人的には、今のままで時間がストップしてくれれば理想的だが、時間というものは前へ進むだけだ。だから現実は残酷なんだが、日本の為にはオッズ通りにブラジルに完膚無きまでに敗れ去った方がいいのかもしれない。
経験ではベスト8は超えられない
スペインに勝利した直後に書いた記事だが、案の定だが”喪失”が待ち構えていた。
私の青写真としては、苦戦しながらもクロアチアに勝ち、ベスト4でブラジルにドン底に突き落とされるというイメージしか沸かなかった。が、現実はクロアチアに全てを奪われた形となった。
喪失というより失望の底と言った方がいいのだろう。むしろ、これで日本列島のバカ騒ぎが収まれば悪い事ばかりでもないのだが・・・
いい事も悪い事も、全てには終わりがある。
同じ様に、歓喜の後には深く暗い喪失が待ち構えている。そして歓喜や喪失は過去のものとなり、当り前の様に日常生活が再開される。
こういう単純なルールを改めて教えられた様な気がした。
ただ、厳しい言い方をすれば、2度のサプライズを持ってしても、今の日本にはベスト8に入る力はなかった。少なくともベテランの長友を先発に起用する様では、ベスト16が限度だろう。
事実、(毎回思ってた事だが)彼がピッチに立つ姿を見て嫌な予感がしていた。
それでも前半は1-0で折り返し、理想の展開にも思えたが、長友のパフォーマンスは全てが及び腰にも思える。無難にボールを回すだけで、左DFという重要なポジションを務めてるとは思えなかった。まるで、彼を除く10人で戦ってるような気がした。
勿論、ベテランや経験値に頼るのは悪い事ではない。しかし、新しい見た事もない風景を見たければ、古いコートは脱ぎ捨てるべきだった。ただでさえ分厚いベスト8の壁が更に分厚くなっていく。
私的に言えば、ドイツやスペイン戦同様に、後半開始から一気に仕掛けるべきだった。2-0にしてればクロアチアは自滅してた筈(多分)。
試合直前のオッズでも6対4でほどで日本が有利となっていた。勿論、実力的にはその逆ほどだろうが、それだけ日本の勢いは凄まじかった。それに前半を見る限りは、(岡田サンも言ってた様に)クロアチアに前大会ほどの力はなかった様に思えた。
後半の開始も日本はメンバーを変えなかった事で、スピードの驚異から放たれたクロアチアの同点ゴールを許す形となる。
日本は後半の19分に三苫と浅野を投入したが、最後まで日本のスピードを活かしきれないまま90分が終わった。
結果はPKで敗れたが、経験値ではクロアチアが上なのは明らかだった。日本が勝つには、90分以内で、いや後半開始早々でクロアチアを仕留めるべきだった。
森保監督がクロアチアをリスペクトし過ぎた訳でもないが、後半から延長にかけてダラダラとクロアチアの経験値に付き合わされた感じもなくはない。
森保監督が経験値やベテランに頼る気持ちも解らなくもない。しかし今大会に限っては、若手とベテランのパフォーマンスと勢いの差は歴然としていた。
エッジと優位性
先にも言った様に、当初のオッズでは日本がクロアチアに勝つ確率は4割ほどだったが、試合直前になって6割に跳ね上がった。
これが意味するものとして、エッジ(期待値)が跳ね上がったものと考えられる。
つまり、多くの専門家(投資家)が日本のスピード溢れるサッカーに大きな期待を寄せた。
ケリー基準では”期待値=優位性”だから、日本は何も考えずにそのままの勢いでクロアチアを打破する事は出来たはずだ。
しかし、森保監督は延長戦の事まで考えた。つまり、延長に入ればクロアチアの運動量が落ちるから、そこで仕掛ければ日本のスピードには追いつけない・・・と
が、現実は殆ど攻めきれなかったし、逆にクロアチアの運動量が落ちる事もなかった。
エッジからすれば、日本は明らかに優位に立っていた筈だ。だが日本はクロアチアを警戒しすぎて、その優位性(エッジ)を活かしきれなかった。
若者の躍動やその場の勢いは偶然やまぐれではない。立派な戦力であり、それは明確な優位性をもたらす。
そういう事を信じきれなかった森保監督の失策かもしれない。
何度も言うようだが、数学とオッズは嘘をつかなかった。そして、若者の躍動はオッズをもひっくり返した。
エッジ(期待)は更に膨らみ、オッズは日本有利に傾いた。ケリー基準から言えば、クロアチア戦は最高の投資をするチャンスでもあったのだが・・・
結果は、経験値に頼る無難な投資に終わった。あえてベスト8を掲げるのなら、それなりのリスクを背負うべきだったが、ベテランの経験という最悪のリスクを背負ってしまった。
(大会を通じ)長友の”ブラボー”がやけに目立ったが、”アイツがいなかったら”と思う若い選手も少なくはないだろう。
事実、長友のウザすぎる程のブラボー連射は(落選確実だった彼を)代表に選んでくれた森保監督への”忖度”とも一部では噂されている。
つまり、彼を代表に選んだ時点で、ベスト8は超えられない壁だったのかもしれない。しかし、”長友をスタメンから排除する”という選択肢は残ってた筈だ。
勝てた筈のゲームだったクロアチア戦。
指揮官はそれを解ってはいた筈だ。自らが(最後まで迷った挙げ句)選んだ選手を排除してまでも勝ちに行くべきだった。
長友が監督に忖度した様に、監督もまた長友に忖度したのかもしれない。いや、そんな事はある筈がないのかもしれない。
そんな事をダラダラと考えてたら、これといった見せ場もなく試合が終わっていた。
グループリーグの3試合がとてもファンタジックだっただけに、負けるにしても何かアクセントが欲しかった。
しかし、戦い終えた若い選手たちの顔には(やり切れない感で満たされた)喪失だけがにじみ出ていた。そういう私も、喪失の縁に取り残されたように感じた。
時は常に前進し続ける。どんな貴重な経験も時が経てば腐り果てる。
そう、我らは歓喜と喪失の間で生かされてるのかもしれない。
数字は裏切らないんですね。
にわかですが、クロアチア戦を語れば、組織戦ではクロアチアと対等に戦えたが、個人戦(PK)では個人の実力差が出てしまった結果でしょうか。
組織力で戦う時には乗数で、何倍もの力が出せたんでしょうね。
「ブラボー」は「すごい」という形容詞になるのでしょうが、おっしゃるとおり、形容詞は頼りないんですよね。
状況が変われば、たちまち霧散してしまう。
確かなのは、やはり数字です。
個人的には数学もサッカーも詳しくなく、
貴ブログを拝読し感心するばかりです。
結びの言葉---
“時は常に前進し続ける。
どんな貴重な経験も時が経てば腐り果てる。
そう、我らは歓喜と喪失の間で
生かされてるのかもしれない。”
--- には、大いに感じ入りました。
現在働いている会社(組織)は、
新陳代謝がなく、滅亡必至。
老兵である自分も辞める潮時。
私生活ではそんなことを考えています。
では、また。
言われる通り、個の力の総和ではブラジルが圧倒する筈ですが、個が集結した力となるとクロアチアの方が効率よくコンパクトにまとまってたんでしょうか。
ただ、森保監督が大会を通じて長友選手の先発起用に拘ってたのが唯一残念でした。
時というのは、経験や栄光や屈辱も含め、全てを洗い流し、残るのはその瞬間に脳裏に深く刻まれた感傷だけなんでしょうね。
森保ジャパンは若き躍動が目立ってた為に、世代交代の大きな投機だった筈ですが、”大舞台では経験が物を言う”時代はとっくに過ぎたような気がします。
今大会のW杯はオッズの裏をかくケースが目立ちますが、ベスト4くらいはオッズ通りに進んでほしいもんですね。
日本的忖度は日本の強みであり、同時に弱みでもあるということなのでしょうか?
この記事で、スポーツ音痴の私も、試合のことが少し理解できたような気がします。
髪を赤く染めた選手(名前は知らなかった)がブラボーと叫んで、日本中の喝采の真っ只中に立った時、なんかおかしい…と思いました。
ブラボーは劇場などで、最後に「観客」が演者に向かって「素晴らしかった!」と褒め称える時の賞賛の叫び声です。
それなのに、自分で褒めてらあ〜と赤髪で目立ちたい選手に同感するものは何も感じませんでした。なんか間違ってると。この選手に同調して、日本中でブラボーと馬鹿騒ぎ。あの辺りからうんざり…。
もちろん、🇯🇵日本のチーム応援してましたけど。いつも水を差す様なコメントばかりでスミマセンです。
>クロアチアには前回ほどの力はない様に思われる(岡田サンの言葉)
>どんな貴重な経験も時が経てば腐りはてる
本当に日本はクロアチアに勝てたのでしょうか?
敗因は、日本に、モドリッチ選手のようなパフォーマンスができる選手がいなかった様に思います。走りきる力、特に柔軟な思考と不屈の精神力が・・・これらは、ローマは一日して成らずの諺のように貴重な経験から得たものではないでしょうか?
残念ながら日本の選手にはこれ等がまだ足りなかった様に思います。岡田さんも、監督、スタッフ、選手全てにおいて、経験の継承が大事だ、とお話されていますね。
あの長友選手のブラボーも、元々は故オシム監督の言葉でしたね。
オッズが勝敗にどう絡むのか?それを見てるだけでも楽しいです・
忖度で言えば、長友選手が先発出場した時から薄々感じてました。
監督も選手もお互いに忖度し合ってたんでしょうが、日本サッカー協会もこんなんでは、ベスト8になれる力があっても無理ですかね。
あのオヤジは何をボケた事言ってんのか?と。
監督が(選手に向かって)ブラボーはアリですが、選手が言っちゃアカンです。
ロッカーの掃除も千羽鶴も、欧米では”不思議な国の日本”でしたよね。
私も日本人ながらアホ臭な感覚を覚えました。多分、チーム内でも動揺や混乱は少なからずあったでしょうね。
しかし、これが長友選手の監督に対する忖度だと判った時点ですぐに排除すべきでした。
優勝はオッズ通りフランスでしょうね。
感心しきりです。
でもブラジル戦のクロアチアはともかく、ベスト16のクロアチアは勝てたであろう相手でした。
モドリッチは関係なかったかな(多分)。結果で言えば、監督のプランを含めたチーム全体の勝利だと思います。
後半先にカードを切られたお陰で、クロアチアのペースのまま試合が終わりました。
経験値では敵わない相手だっただけに、ケリー基準の視点で見れば少し残念でしたかね。
ベスト4ではモロッコが何処まで健闘するのか?何処までオッズを裏切ってくれるのか?
今から楽しみです。