象が転んだ

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自由を追い求め、自由を見失う〜ミグ25で亡命したペレンコは何を思ったか

2024年11月25日 04時51分11秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 自由とその自由を振る舞う事は全くの別物だ。今のアメリカがそうであるように、この超大陸には見た目の自由はあっても、真の自由は存在しない。
 それは、かつてミグ25で函館に不時着し、アメリカに亡命したペレンコが夢見た自由の残骸ではなかったか・・・
 事実彼は、アメリカに真の自由を求めてアメリカへ亡命したのは良かったが、やがてそのアメリカの自由に幻滅を感じる事となる。まさに、”自由を追い求め、自由を見失った”悲しいパイロットとなってしまった。
 エリート・パイロットとは言え、所詮は国家の為に命を差し出す軍人に過ぎない。だが、一体彼は何をどう勘違いしたのだろうか?


自由には覚悟と責任が必要だ

 NHKBSでは「ミグ25亡命事件の衝撃 〜米ソ冷戦 知られざる攻防」が再放送されていたが、当時の衝撃と懐かしさを覚えた。
 1976年、旧ソ連の戦闘機ミグ25が突如、函館空港に強行着陸し、パイロットのヴィクトル・ベレンコ中尉は米国への亡命を要求・・・高校時代に函館でミグ25の飛来を目撃した芥川賞作家の辻仁成は、亡命後のベレンコ氏に直接会って対談し、「世界は幻なんかじゃない」(2001)の中で紹介している。
 国家と自由と個人とは何か?辻のこの今でも続く問いに加え、亡命受け入れに動いたアメリカの思惑にも迫るドキュメンタリーである。

 辻仁成氏は自著「クラウディア」の中でも、ペレンコと対談した影響からか、”自由になる為には自由の中に飛びこむ覚悟が必要だ”と説くが、その"覚悟"とは、何も無い状態である自由の海に飛び込む決死の勇気でもある。
 更に、何も無い状態の自由には”自己責任”という覚悟をもついてまわる。言い換えれば、自由を獲得するとは(その対価として)責任を被る覚悟の事となる。
 だが、ペレンコにはその覚悟が、いや責任を被る事が出来なかったのか。彼はひたすら見た目の薄っぺらな自由を追い求め、責任を果たす事もなくアメリカを彷徨っただけであった。言い換えれば、”アメリカの淵を彷徨う1人のソ連人”といった所だったろう。

 因みに、「クラウディア」に登場する主人公はペレンコ同様に亡命を夢想するが、女性の愛により亡命を諦める。一方で、当のペレンコは妻の方から離婚を請求されてたから、現実は小説の様には上手く行かないのだろう。
 勿論、ペレンコ氏が亡命した理由は他にも様々にあったとされる。事実、軍規違反を理由に拘禁され独房に送られたり、劣悪な生活環境や軍内部の不正の横行に加え、家庭では浪費家の妻との不和など幾重にも悪条件が重なり、祖国に見切りをつけた29歳の彼は、アメリカへの亡命を決意し、入念な計画を練り始めたという。
 但し、ベレンコが2歳の時に両親が離婚し、継母から陰湿な嫌がらせを受ける過酷な少年時代を送っていたが、家庭に安らぎを得る事に絶望した少年は、強靭な肉体と優秀な頭脳を培い、将来は、その逆境を覆す事を期する。
 そんな少年時代を過ごした彼が、アメリカの自由に夢想したとしても、何ら不思議も矛盾もない。

 不遇な少年時代の夢を命がけで実現したペレンコだが、亡命後は米国籍を取得し、アメリカ人女性と結婚。2男をもうけ、一時はアメリカ国防省やCIAのコンサルタントで活動した。しかしその後、再び離婚してアル中に陥り、”アメリカの自由”に失望し、故郷のロシアに帰りたがっていたという。その後、2023年9月、イリノイ州の老人ホームで病気の為に死去(享年76歳)。


亡命は正解だったのか?

 結局、自由を夢見た不遇の少年は、家族にも見放され、たった1人で死んでいく。
 ひたすら自由を夢見たペレンコだが、家族という安らぎを知らないまま死に絶えた。でも、一瞬だけ自由の残骸を目にし体験できた事は、彼の生涯を通じ、大きな財産になり得たのかもしれない。
 勿論、亡命せずに旧ソ連に居残り、軍の再教育を受け、我慢してたなら、エリートとして復活し、更には再婚して普通の暮らしを送っていたかもしれない。
 そこには、アメリカみたいな見せかけだけの派手な自由はないが、家庭の温もりは存在した筈だ。

 その一方で、現在のロシア軍はウクライナへ侵攻をしかけ、その侵略戦争は3年近くに及ぼうとしている。そう考えると、ペレンコの亡命は正解だったのだろうか?
 いや、現在のアメリカも本来なら収監されるべき犯罪者が大統領に再選してしまった。そんなアメリカに、かつてペレンコが夢想した自由はないし、自由の残骸すらも存在しない。
 あるのは、トランプ帝国という名の悪名高い独裁国家だけである。

 ベレンコ中尉はミグ25を操縦し、レーダーに掛からない様に日本海を低空飛行した。その時に彼は何を考えていたのだろう? 
 目の前に広がる自由か、新たなる希望か、それとも絶望と故郷との別れだったのか。少なくとも、逃亡というネガティブな動機ではなく、”自由への脱出”というポジティブな動機に覆われていた筈だ。
 故に何ら迷う事なく、亡命を実行出来たのも頷ける。つまり、”迷ったら行動に移すな”という人生の教訓でもあるが、”機を見て敏”とは”迷いが全くない”という前提での諺とも言える。

 因みに、不時着した機体はバラバラに分解され、徹底して調べ上げられた。その結果、肝心の電子機器には真空管が使われ、更に主翼や胴体には耐熱用のチタニウム合金ではなく、ステンレス鋼が多用され、高高度の高速戦闘には優れるが、戦闘機としては時代遅れの産物である事が判明した。
 これには異論もあるが、再度組み立てられた機体には多量のボルトが余ったというから、言われてる事の信憑性は高いと言える。
 但し、ペレンコの亡命は国家への反逆であり、当時のソ連にしては痛い所を突かれた訳だが、その代償は大きく、ソ連崩壊に繋がった要因の1つになったと言えなくもない。


最後に

 そもそもペレンコ氏は、旧ソ連という故郷に何を見ていたのか?一方で亡命先のアメリカに何を見たのか?
 今のロシアが掲げる”支配”とは、かつてのアメリカの掲げるた”自由”とは・・そこにはどんな違いがあったのだろうか?
 ひょっとしたら、晩年のペレンコが悔いた様に、殆ど何も違いはなかったのかもしれないが、一方で彼は(兵士としてはなく)何を得て、何を失ったのだろう。

 ただ言える事は、アメリカの自由は思う以上に制限が多く、実質は支配に近い。逆に、ロシアの支配は思った以上にユルユルで開放的であったのだろうか。
 つまり自由とは、覚悟や自己責任という十字架であり、アメリカ国民はその
背負う国家に支配された大衆に過ぎない。アメリカ人は国家の奴隷とは気づかずに一生を銃と差別社会の中で戦い、悲しく死に絶える生き物なのだろうか。
 仮に、これが自由の本質だとしたら、これほど滑稽で悲しい事もない。

 ”夢を追い求めて辿り着いた所が実は悪夢だった”という話はよく聞くが、ペレンコ氏の場合、悪夢ではなかったにしても、アメリカは失望するには十分過ぎる土地であったのだろうか。
 自由には当然ながら制限がある。
 その制限を無視して自由を行使すれば、その自由の負の対価は自分自身に跳ね返るが、自己責任という覚悟の下で自由を行使するとは、つまりそういう事なのだろう。
 ペレンコ氏の亡命も命を賭けた決死の覚悟の賜物ではあったが、アメリカではその覚悟が欠けていたのだろう。アメリカという見知らぬ地でも”亡命の選択も自由への夢想も自己責任である”という認識があったなら、彼の人生は少しは違ったものになったであろうか。

 同じ様に、アメリカもまた無制限に自由を行使してきたが故に、2つの世界大戦に勝利した後は、自国が策謀した戦争に巻き込まれ、多くの犠牲を払い、それに見合うだけの自由をも失ってしまった。
 つまり、今のアメリカに真の自由はない。
 今やアメリカの自由はその残骸に過ぎず、ペレンコ少年が夢見た自由ではなく、自由という名の幻影に過ぎないのであろう。



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