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日ソ戦争とウクライナ侵攻〜2つの全面戦争がもたらしたものとは・・

2024年10月30日 14時58分50秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 某フォロワーの記事に、「日ソ戦争」(麻田雅文著)の紹介がなされていた。
 第二次世界大戦にて、ソ連の名のつく戦争は”独ソ戦”だけかと思ってたから”日ソ戦争”という言葉に何かを感じ取った。
 なかでも特に”ソ連側の死傷者が意外に多く、(一方的に蹂躙された筈の)日本軍はかなり善戦していた”との言葉に思わず関心をそそられる。
 事実(ウィキによれば)、ソ連兵の戦死者は22694人で、日本兵の戦死者は33900人。兵員は1577725人(ソ連)と700000人(日本)だから、損耗率では2.1%(ソ)と4.8%(日)と、確かに”一方的”と言うよりかは、かなりの”善戦”である。

 因みに本書には、様々な誤算に加え、太平洋戦争末期の瀕死に近い状態であったにも関わらず、関東軍は特攻をも使い、北や東からのソ連軍には善戦したが、西部の砂漠地帯を突進してきた主力機甲部隊に一気に押し込まれ敗戦を迎えたとある。しかも、民間人保護を考慮せず降伏した為に、ソ連軍の残虐行為と暴力に直接晒された。
 僅か1ヶ月余の戦闘で、朝鮮分断・日本の北方領土問題・残留孤児・シベリア抑留など今日も残る多くの戦後処理問題が確定した”日ソ戦争”の内幕とも言える書物だが、プーチン政権のウクライナ侵攻の悪意と残忍性を等身大に理解するには、格好の書でもあろう。


最後の全面戦争

 1945年8月9日から同月末まで、日ソ両国が砲火を交えた事を知ってる日本人は少ない。逆も真なりで、ロシアも同様らしい。
 だが、近年のロシアでは、この”日ソ戦争”が政治的に利用されている。
 背景には、プーチン政権が2014年のウクライナ危機を巡る国際的孤立や、石油価格の下落による経済の停滞の為に支持率が過去最低水準にまで下がり、政権の求心力を強める為に、大戦の勝利を誇る国民の愛国心に訴える現状があった。
 事実、今年6月にプーチン大統領が朝鮮労働党機関紙に寄稿した文には”1945年8月、ソ連軍は朝鮮の愛国者たちと共に戦い、関東軍を打ち破り、朝鮮半島を植民地支配から解放し、朝鮮人民が独立して発展する道を開いた”とあった。
 史実よりも美化した戦勝の歴史を外交の道具にするプーチンの策略には呆れかえるが、アメリカも自国の正義を主張する時は、 この類の常套手段を使う。 
 一方で、日ソ戦争中にソ連軍が千島列島へ侵攻した事が現在の北方領土問題に繋がっているが、プーチンもこれと同じ様な事をウクライナに対しても行い、現在のウクライナ侵攻に繋がっている。

 長崎に原爆が投下された1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日宣戦布告を行い、翌9日には150万の軍が満州国に侵攻。これは米英の要請を受けて合意したヤルタ協定に基づいての行動でもあった。中立条約を破棄したソ連は8/8にポツダム宣言に署名し、対日戦後処理として連合国として参加する権利を得ていたのである。
 満洲を守っていた関東軍は殆ど抵抗できず敗北し、日本側は10万人の死傷者と20万が捕虜となり、シベリアに抑留された。但し、この数字は不確定で、民間人を含め、約24万5千人がこの戦争で亡くなったとされる。
 同じく千島列島にもソ連は侵攻し、戦闘は無条件降伏の8/15以降も継続し、日本固有の領土であった歯舞・色丹・国後・択促の4島を占領。その後も戦闘は9/3まで行われ、ソ連は満州・樺太・千島列島(北方4島含む)全域を制圧した。
 その間、ソ連兵は日本の民間人に対して多くの残虐行為を行い、多数の日本将兵が捕虜としてシベリアに送られた。
 

楽観過ぎる対応が招く惨劇

 「日ソ戦争」の著者の麻田氏は、”認知バイアス”の面から日ソ戦争を再考する。
 因みに、認知バイアスとは心の歪みや油断により非合理的な選択をする事をいう。”正常性バイアス”はその一例で、人は滅多にない出来事に対しては鈍感になる。
 つまり、災害や事件事故などが予測される状況でも”まだ大丈夫”とか”今回は大丈夫”など、都合の悪い情報を無視又は過小評価する。
 例えば、2011年に起きた東日本大震災でもすぐに避難すれば助かった筈の命も正常性バイアスが働き、予想外に多くの犠牲者を出したとされる。

 日ソ戦争の開戦前にも”正常性バイアス”が日本の指導者層に蔓延していた。
 1945年4月、ソ連は日ソ中立条約を”延長しない”と日本に通告。だが、中立条約は46年4月まで”有効である”と、日本人の多くは信じ切っていた。
 当時の駐ソ大使も条約の不延長の通告は1つのジェスチャーに過ぎないと東京へ打電。これをスターリンに通告したモロトフ外務委員は、ヤルタ会談で対日参戦を米英に約束した張本人であった。
 勿論、ソ連の動向は”厳戒を要す”と警告した外交官もいた。が、極東にソ連軍が集結するのに気づいてた軍部も(認知バイアスではないが)慢性的にソ連に和平仲介を期待し続けてしまう。
 一方で、当初からソ連に期待してなかった東郷外相も、終戦へ導く手段として対ソ交渉を利用した。が、手段だった筈の対ソ交渉が目的と化した事で選択肢を狭め、日本軍は自分で自身の首を絞める事になる。
 言い換えれば、ソ連に対する楽観過ぎる対応が致命的な国家戦略の失墜に繋がったのだ。

 広島への原爆投下から2日後の8月8日、東郷はポツダム宣言の受諾を昭和天皇に進言。天皇も”速やかに戦争を終結せしめる”事を望んだ。だが、仲介依頼に対するソ連側からの最終的な回答が数時間後に迫っていた。
 日本軍上層部に、ソ連側の回答を待たずに終戦しようとした経緯は見られず、結局はソ連は宣戦布告に踏み切る。もしソ連が宣戦布告ではなく、仲介拒否の回答だけに留めてたら、ポツダム宣言を受諾したのではないか。
 だが、その場合でも8月9日の長崎への原爆投下の前に決断できたかは疑わしく、3回目の(東京への)核投下と時間の勝負になっただろう。
 以上、「中央公論.JP」からでした。
 
 「日ソ戦争」は、日米が直接対峙した太平洋戦争とは別に、ソ連の満州侵攻開始以降を”日ソ戦争”という全面戦争として捉え、その推移を詳細に追った報告書でもある。
 スターリンはポツダム会議には出席したが、ポツダム宣言が出た時には宣言にも署名してない。更に、9/2のミズーリ―号艦上の降伏文書調印式にもソ連は参加しておらず、サンフランシスコ講和条約にも調印してもいない。
 故に、未だに日露間には平和条約は締結されていないのだ。つまり”日ソ戦争”はまだ終わっていない。
 本書は、太平洋戦争にてソ連が如何に特殊な立場に立ち、その特殊性を利用して如何に悪辣な行動をとったかを明確に抜き出している。更に、このソ連の”侵略戦争”の歴史は、今日のプーチン政権にも引き継がれている。
 一方で日本は、既に敗色濃厚だったにも拘らず、7月に出されたポツダム宣言を直ちに受諾せずにダラダラと引き伸ばし、既に参戦する腹でいたソ連に講和の仲介を依頼するという愚かな行動をとった。結果、2発の原爆投下とソ連の参戦を許した旧日本軍の上層部たちが、如何に愚かであった事を物語る。
 

日ソ戦争の内幕と本質

 そこで、日ソ戦争の経緯をレヴュー群をも参考に、大まかに振り返ってみる。
 1941年4月に日ソ中立条約が調印。その後、同年12月8日、真珠湾攻撃により日本は米英と太平洋戦争をはじめた。だが、あまりにも無謀な戦争での日本軍の優勢はほんの序盤のみで、その後は米軍に太平洋の拠点を次々と攻略され、日本は終戦の幕引きを探り始める。
 そこで、日本は(事もあろうに)腹黒いソ連に和平の仲介を依頼。だが、その数年前からアメリカのルーズベルト大統領はスターリンに対日開戦を度々要請していたのだ。
 ソ連はアメリカの要請に応えなかったが、当時のソ連はドイツ・日本との2正面作戦を避けたかったのが理由である。

 しかし、45年5月にドイツがソ連に無条件降伏すると、残る敵は日本だけだ。8月6日、アメリカが広島に原爆を投下すると、日本はソ連に対し、米英に対する和平の仲介依頼を加速。だが、ソ連の答えは対日宣戦布告(8/9)と満州の一斉攻撃であった。
 同日、アメリカは長崎に2発目の原爆を投下。その後、満州はソ連によって暴虐の限りを尽くされ、日本は8月15日に無条件降伏(ポツダム宣言)を受諾した。同日にアメリカは対日戦争を終結したが、ソ連は満州の他に朝鮮や南樺太、千島列島に対する攻撃を続けた。
 日本の更なる悲劇は、当時は対米戦争を主体に考えてたが為に、ソ連軍に対する守りは手薄になっていた事だ。更にアメリカの援助もあり、ソ連軍の圧倒的な火力の前になす術もなく、日本政府と軍はソ連に対する降伏文書に調印した(9/2)。

 我々日本人は、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連ばかりに非があると思い込んでるが、アメリカは太平洋戦争序盤からソ連に対し何度も参戦を要請し、勝利の際には南樺太と(北半分の)千島列島をソ連領にする事で合意していた。だが、(樺太に加え)千島列島全域をも完全支配する為に、ソ連は対日攻撃をやめなかったのである。
 但し、千島列島は国後・択捉までの南千島が日本固有の領土で、それ以外の北千島(ウルップ島以北)はロシア領に分けられてた(上図)。
 事実、1855年の日露通商条約では、その確認も自然に成されていた。故に、南千島を旧ソ連が一方的に攻め込み、自国の領土にした事が北方領土返還要求の根拠である。
 勢いづいたソ連は、北海道の北半分の占領と東京の分割統治のプランまで要求したが、流石にこれは、アメリカに断固拒否された。


最後に〜日ソ戦争とウクライナ侵攻

 この様に、ソ連には2国間条約どころか(戦後のドイツみたいに)日本を分割支配する事しか頭になかった。そんな悪質な考えを持つ独裁国家を最後まで仲介役として頼りにした日本政府の希望的観測には只々呆れる。
 少なくとも(誰とは言わないが)、一国の主が”ウラジミール、君と僕は同じ未来を見てる”などと平和ボケした寝言は、絶対に口にすべきではない。

 更にソ連は、手に入れた土地の収奪や婦女子に対する暴行を一種の”報奨金”とみなして黙認し、対ソ連和平交渉をした外交官や軍人を含む60万人をシベリア送りにした事も、日本人は記憶に留める必要がある。
 一方でアメリカは、日本を徹底的に追い詰める為に、ソ連はともかく、中国共産党や国民党(現台湾)にも多大な援助をした挙げ句、南千島に加え、北海道もソ連に奪われそうになり、更に満州の利益は共産党(中国)に奪われ、と現在の極東の危険な縮図を自ら作ってしまった。 
 だがこれは、今も繰り返されており、アメリカのウクライナやイスラエルの軍事物資の援助は、民間人の大量殺戮にも使用されている。

 「日ソ戦争」は、①開戦までの国家戦略②満洲の蹂躙と関東軍の壊滅③南樺太と千島列島への侵攻④日本の復讐を恐れたスターリンとの4つの章からなるが、副題の”最後の全面戦争”では、既に衰弱しきった関東軍は、対ソ戦こそが存在意義だった筈だった。
 だが、ソ連が一気に満州に侵攻すると、関東軍は徹底抗戦の建前から住民の保護は後回しとなり、結果的には軍人の家族が優先された。
 ソ連軍の民間人への大量虐待と無残な蛮行はこうして行われたものだが、戦後の”悪名高き”関東軍のイメージを決定的なものにした。しかし、日本側の失態の本質は、こうした関東軍の行為ではなく、(反故にされると判ってて)敢えてソ連に仲介を依存した無能・無策とも言える国家戦略そのものにある。

 一方でソ連(ロシア)は、戦後を見据えた闘いを狡猾に進めていく。
 これは、今のプーチンによるにウクライナ侵攻と同質・同類の匂いがする。つまり、相手の領土が自分のものになる為には平気で嘘もつくし、国家間の条約も協定も破る。事実ロシアは、そうやって大国にのし上がってきた。
 従って、これからのロシア=ウクライナ戦争を予測するには、”日ソ戦争”を振り返る必要がある。
 つまり、今のロシアは確実に日ソ戦争の韻を踏んでいるのだから・・・



2 コメント

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Unknown (tokotokoto)
2024-10-31 14:20:00
ムック本「いまこそ知りたい日ソ戦争」とのタイトルで図表付きのカラー版が出てますが早速注文しました。
10月に出版したばかりなので1540円と少し高価ですが、僅か96ページで手っ取り早く理解するには丁度いいサイズだと思います。
4月に出版された新書の方は、その詳細バージョンとのことで歴史に詳しい人はこっちを選ぶでしょうね。
ロシア-ウクライナ戦争やイスラエル-ハマス戦争が勃発した今だから”いまこそ知るべき日ソ戦争”を忠実に描いた本とも言えますし
目からウロコ的な歴史本です。 
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tokoさん (象が転んだ)
2024-10-31 15:27:50
目から鱗で言えば
過去に記事にもした「ノモンハンの戦い」でした。
知らない事ばかりで、全てが新鮮でした。
ドイツ軍と共同開発した重厚壮大な新兵器で向かってくるソ連軍に対し、質量で劣る関東軍は、旧式の軽武装で応戦します。
この戦争を大本営部は秘密裏にしてましたが、損耗率からすれば日本の勝利に近いものでした。
つまり、勝てたかもしれない日ソ戦だったんですね。

因みに、関東軍を”世界一の歩兵”と評価したスターリンからすれば、ノモンハンで味わった屈辱をこの日ソ戦争で晴らしたかったのではないでしょうか。
ともあれ、この戦いで関東軍の評判は地に落ち、まるで太平洋戦争の起点になった様な扱いを受けました。
実に残念ですが、これも含め戦争なんですよね。
いつもコメント有り難うです。
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