2月9日(現地)、第92回アカデミー賞授賞式が米ロサンゼルスのドルビーシアターで行われ、松たか子さんが映画「アナと雪の女王2」のメイン楽曲を、世界各国のエルサ声優陣と共に熱唱した。
映画の本場ハリウッドのど真ん中でも、彼女の存在感は”特殊”なものがあった。
彼女以外の女優陣が”スラムの女”に見えた。それほど彼女の気品は静かなオーラを放ってた様に思う。
逆を言えば、それだけハリウッドが腐敗しかけてる事の裏返しでもある。
昔のハリウッド女優は育ちがよくないとなれなかった。庶民にとっては”高嶺の花”すぎる職業だったのだ。
しかし、マリリン•モンローの登場で”スラムの娼婦”でもハリウッド女優になれる様になった。勿論、モンローは偉大だし、ヘップバーンがブスだと言うつもりは毛頭ない。
昔のハリウッドを知ってる連中からすれば、女優とは”優れた女”であるべきだし、それが理想だろうか。
しかし悲しいかな、今のハリウッド女優は”腐った女”の羅列にしか思えない。
事実、レッドカーペットでの写真を見ると、松たか子さん以外は、表現は悪いが”クズ肉”的な女ばかりである。
目一杯めかし込んだハリウッドの女優群には失礼だが、少なくとも私にはそう見えた。
私にとって、松たか子とは
アニメ映画「アナと雪の女王2」の日本語版に出演した事から、米アカデミー賞の授賞式に登場し、同作の曲をリレー形式で歌唱する企画に参加した。
一方で、1月に公開された主演映画「ラストレター」も好評で、今や押しも押されもせぬトップ女優である。
私にとって松たか子さんといえば、キムタクと共演した「ロンバケ」(1996)と「ラブジェネ」(1997)の印象がとても強い。
そこには、私が理想とする女優像がハッキリと存在していた。
彼女が20前後の一番輝いてた頃だったからそう思えたかもだが、演技の質や次元やその繊細さの、どれをとっても特級品であった。
八方美人でもないし、極端に可愛くもエロい訳でもない。美空ひばりや吉永小百合さんみたいに、他を圧倒する様なオーラや存在感がある訳でもない。
ドラマの名は忘れたが、松たか子が不良女の役でポツリと漏らすシーンがある。
”オマエに明日あんのかよ”
この瞬間この言葉は、私の生きる座右の銘になった。そう、”俺には明日はない”のだ。
それ以来私は、”明日の見えない男”として生きる事にした。私が頑張らないのはその為だ。
私の夢に松たか子さんが3度登場してくれたのも、そういった印象がとても強かったからかもしれない。
私にとって、松さんのあの捨て台詞は人生の聖書になってるのだから。
松たか子パッシングの真相と
そんな松さんがかつて、バッシングに晒された。97年の事だ。
彼女は前年、月9ドラマ「ロングバケーション」や大河ドラマ「秀吉」に出演し、暮れには紅白歌合戦の紅組司会を史上最年少の19歳で務めた。明けて正月には、「僕が僕である為に」でSMAPと共演。3月には「明日、春が来たら」で歌手デビューを果たし、暮れには”紅白”に歌手として初出場した。
以下、”松たか子が猛バッシングを浴びていた時代”より抜粋です。
そして、この時期の彼女を何より印象づけたのが、97年10月の「ラブジェネレーション」でヒロインを演じた事だ。
平均視聴率30.8%という大ヒットは、彼女の代表作になっただけでなく、バッシングをよりエスカレートさせた。人気絶頂期の木村拓哉の相手役を務めた事が女性ファンの嫉妬を買った。
バッシングの急先鋒は女性週刊誌「週刊女性」だった。その激しさやしつこさに、他のメディアは以下の様に皮肉った。
”この雑誌は確信犯的に松叩きに精を出している。根拠に信憑性が欠け、聖子叩きの面白さや一頃の明菜ウォッチングのバカバカしさがない。幸四郎一家、或いは、松をよく思わない人物が背景にいる様でもある”
しかし実際は、バッシング記事の読者ウケがよかっただけだ。
でもなぜ、”松叩き”が読者にウケたのか?
上で述べた様に、キムタクの相手役を演じた事が大きな原因だが、それなら「ロンバケ」の山口智子や「ビューティフルライフ」の常盤貴子はもっと嫌われた筈だ。
つまりこれには、芸能人としての松たか子の”特殊性”が関係してる。それはズバリ、”梨園の娘”というやつだ。
松たか子の父は、高麗屋の松本白鸚で兄は松本幸四郎。デビューとなった94年の大河「花の乱」では、主人公の少女時代を演じ、”七光り”どころか、歌舞伎界全体からの”光のシャワー”に包まれ、世に出た感があった。
そんな彼女が歌手としても成功した事について、白鸚はこんな思い出を語る。
”うれしいですね。小さい頃に母がこの子は歌が上手いから歌手にしたら?ってよく言ってました”
これはよくある親バカ的な夢物語ではない。”梨園の娘”に生まれた以上、何らかの芸能活動はするだろう。そして、祖母の見立て通り、松は歌でも成果を上げた。
世間から見れば、生まれながらの芸能人が何不自由なく成功を重ねていった様にも映る。松自身は”名門の娘”と呼ばれるのがいやで、ピアニストになろうと考えた事もある。
つまり、庶民には理解され難い悩みが松にもあったのだ。
キムタクをも驚かせた圧巻の演技力
松たか子の”特殊性”を強く感じさせたやりとりがある。「HERO」(01)の時、テレビ誌で”やりたい仕事しかやってないし”と発言し、対談相手の木村を驚かせた。
叩き上げのアイドルとして、何でもやらなくてはいけなかった木村との違いが際立つやりとりだった。
つまり、”天下のキムタク”さえも驚かせる”自由で恵まれてる感じ”というものが、バッシングに繋がったのではと。
ただその対談の頃は木村は結婚し、妻となった工藤静香がやっかみを買う立場になっていた。一方で松は、元々”やりたくない仕事はしない”人だから、活動の中心をじっくり取り組める映画や舞台に移した印象がある。
07年にはミュージシャンと結婚。日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞に輝いた映画「ヴィヨンの妻」(09)や「告白」(10)を経て、15年に長女を出産。
そして、出産前後には芸能生活2度目のピークを迎える事となる。14年、アニメ「アナと雪の女王」の日本語版で歌った「レット•イット•ゴー」が大ヒット。17年には主演ドラマ「カルテット」が高い評価を受け、更に「明日はどこから」で3度目の紅白出場を果たす。これは自ら作詞作曲を手がけ、夫が編曲した朝ドラ「わろてんか」の主題歌である。
このあたりで、松たか子は”雲の上の人”になったといえる。もはや、バッシングを寄せつけない芸能界でも”超然”とした存在だ。
ただ本人は、”皆を圧倒させる大女優”より”忘れてもらえる女優”が理想だとし、こんな理由を語ってる。
”作品を見ようという動機自体は、俳優や女優目当てでもいいんですけど、大切なのは作品の鑑賞後、心が動く事。私の名前が頭に残る事が大事ではない。その人の心が動く時間になればいいなと思いますし、そんな演技ができる女優になりたいです”
こういう演技観も”ガツガツしないで済む”立場ならではだ。また、こんな人だからこそ、バッシングにも崩されなかった。
当時、事務所はかなり不愉快に感じていたが、彼女自身がキレる事はなかったらしい。いわば”金持ちケンカせず”的なスタンスを貫いた事も、このシンデレラストーリーを成功に導いたとも言える。
ガツガツしない生き方
そんな”ガツガツしない”彼女らしさを、芝居や歌以上に感じられるのが、ヤマザキパンのCM。
94年から途切れる事なく出演中で、最初にオファーしてもらったスポンサーなので本人が恩義を感じ、安めのギャラで継続してるという。
平成を象徴するヒーローがキムタクだとしたら、松はヒロインの最有力候補である。ふたつの作品でその相手役をこなし、どちらも大ヒットさせた実績はもっと評価されていい筈。
にも拘らず、彼女がそこまで王道を行ってる様に見えないのは、”梨園の娘”だからかもしれない。江戸期以来の”高麗屋のDNA”がそうさせるのか?
ベタな芸能界の時間とは、別の流れを生きてる感もあり、それが世間には”負の違和感”と伴って、かつてのバッシングにも繋がった。
その違和感を完全な”特別感”に変える事こそが、松たか子のシンデレラストーリーだったのである。
以上、AERAdotからでした。
最後に〜松たか子の総て
「燃えよドラゴン」(1973)では、当時のワーナーブラザースの会長であったテッド•アシュレイが、スタッフの前で一喝した。
”いいか、この映画は一人の中国人の為だけにある。ブルース•リーがいてこその作品なんだ”
スタッフが中国人を主役にした映画に不満と反発を重ねてた頃の事だ。特に、脚本のマイケル•オーリンはブルース•リーが苦手とするR(の発音)を多く入れ、彼を露骨にパッシングした。
しかし結果は、世界中で空前の大ヒットを飛ばし、会長とブルース•リーの予言通りとなった。
同じ様に、「ロンバケ」も「ラブジェネ」も松たか子あっての作品だった。
天下のキムタクには悪いが、彼女に比べたら木村はどうでもよかった。
勿論、(平民の)木村は頑張った。(特殊な)松たか子に負けない様に必死で頑張った。
しかし二人の(演技の)間には、そもそも次元が違う何かが感じられた。いや次元というより、”特殊性”が根本的に異なる様に感じた。
そして今、二人の今の立ち位置を考えると、答えは明らかな様な気がする。キムタクのファンには悪いが、映画「マスカレードホテル」を見たら納得してもらえそうだが。
一方で松たか子にしたら、木村は”格好いいだけの俳優”に映ったかもしれない。
しかし、初共演となった「ロンバケ」では、木村拓哉は松たか子と対等に演じてた様にも思える。
木村が恋人役の山口智子の静止を振り切り、松に会いに行くシーンがある。だが、松は竹野内豊とデキてたのだ。
唖然とするキムタク・・・
木村の全てがそこにはあったし、松の凄みはそれ以上に全開だった。そして、彼女がこの作品を支配した瞬間でもあった。
私の理想とする松たか子がそこには存在した。そして、私にとっての松たか子の全てが、この時点で完結した。
松たか子が理想とする、”心を動かす”女優とは、こういう事を言うのだろうか。
ヘンなメッセージ書いて
不評を買っている
滝クリに消費期限切れの
レッテル貼られ
彼自身がゴミ袋に入れられ
ポイ捨てされるのに
ガツガツしないガッツのある
松たか子を選ばなかったのが
小泉進次郎の運の尽きだった
コロナ明けの安倍政権は大荒れのような気がします。全く自粛続きで元気ないです。
自粛は延長されそうですが、マイペースでね。
でも若いねぇ〜可憐さも健在だし、
多くの中年女優がアンチエイジングと戦い、そして敗れ去り、劣化&老化を余儀なくされる中、しなやかに躍動する。その無理をしない自然さがいいんだね。
木村拓哉は無理しちゃったから、ガツガツしちゃったから、30過ぎたら一気に劣化したんだよ。
日本だけでなく世界の殆どの女優がボロボロに風化していくんですが、松さんだけは可憐なままですもんね。
結局、頑張らないとは最良のアンチエイジングかもですね。
今コロナ渦で犠牲になってる業種は
その大半がガツガツ系の業種だよ
特に、製造業や飲食業や施設は
叩き上げ型だから余計にキツイ
今まで日本の経済を支えてきた
製造業や飲食業が壊滅するのは
コロナ渦がなかったとしても
当然の成り行きだったかもしれない
結局、製造業系の肉体労働者が
夜の街に溢れ出すんだから
製造業が半壊すれば
飲食業も夜の街も半壊する
それでも夜の娯楽系産業は
逃げ道もそれなりにあろうが
所詮はガツガツ頑張る系だから
松たか子サンみたいに
やりたくない事はしない人の方が
今からは理想の生き方じゃないのか
そういう私も製造業で長らく働いてましたが、ガツガツ系には既に限界がありましたね。同じ製造業でも品質を重視したガツガツしない穏やか系が生き延びるような気がします。
そういう意味でも、松たか子さんには生き方を教えられた気がします。