象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ウクライナ女性兵士が見た戦場のリアル〜絶望と喪失のその先に

2025年02月26日 14時22分08秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 NHKは、平和ボンボンな日本人の為に、こうしたシリアスなドキュメントを少なくとも週に一度は放送すべきだ。
 朝ドラも紅白もお笑い番組もグルメバラエティも要らない。後は朝晩のニュースだけでいい。すれば、受信料は今の1/10で済むだろう。そう思わせる報道番組でもあった。


今日のウクライナは明日の日本

 ロシア=ウクライナ戦争の停戦終結の仕方如何では、台湾有事は日本有事に直結する可能性が高い。日米同盟を強化する軍事費は天文学的な数字を示すだろうし、それでも中国から日本を守れる保証はどこにもない。
 日本に来る中国人観光客には”どうせ日本は中国の一部になるんだから、マナーが悪いからって一々注意するな”って暴言を吐く輩がいるが、悲しいかな、これこそ日本の”今そこにある危機”的な現状である。

 そんな中、トランプが再選した事で日本の裏側で行われてる戦争の状況が一変しつつある。トランプはゼレンスキー大統領を”選挙なき独裁者”と批判を繰り返し、ロシア寄りの発言を強めている。これに対し、ゼレンスキーは”平和が実現できるのなら辞任する覚悟がある”と発言し、国内外で物議を醸している。
 ウクライナ国内では、停戦に偏りつつあった世論がここに来て、国民の結束を促す勢いにあるが、EU諸国はウクライナ支援を巡り、真っ二つに分かれつつある。一方、プーチン大統領は”時間はロシアに味方する”と、力の論理による強気の姿勢をを崩さない。
 そんな複雑で厳しい状況の中、ウクライナでは自国の危機を察した女性たちが次々と自らの意志で軍隊に志願し、戦場の現場へと向かっている。

 NHKスペシャル「女性兵士 絶望の戦場」では、ウクライナの女性たちが自ら志願して兵士となり、戦闘機のパイロットや歩兵や狙撃手として戦う女性が描かれてはいるが、そんな最前線で戦闘に加わる彼女たちの覚悟と憔悴と喪失とはどんなに壮絶なものであろう。
 女性兵士の数はこの3年で急増し、ウクライナ軍は世界でもトップクラスの“女性の軍隊”になった。彼女たちは全員が徴兵ではなく、志願して軍に入り、が故に士気が高い。
 最前線の危険な現場で命をむき出しにして戦う女性も多いが、その中でもウクライナの英雄とされ、愛国心の象徴となる女性兵士もいる。絶望の戦場がさらけ出すむき出しの暴力の中で、人知れず喪失と憔悴と落胆に打ちひしがれる女性兵士たちの本音に迫るドキュメンタリーである。

 副題は”ON THE EDGE”(臨界世界)だが、まさに極限状態に置かれた女性たちの喪失と絶望の物語である。
 思わず、我を忘れて見入ってしまった。戦場で自国を守るという行為が如何に残酷で無謀で、そして落胆や挫折を伴うのか。普段は”戦争はよくない”と叫ぶ一般女性が自らの意志で戦場に向かう。そこには、一切の迷いも疑いもなく、本能で動いてる様にも思えた。
 彼女たちを国家の英雄と呼ぶのは簡単だが、それにしても失うものが多すぎる。
 戦争はそういうものだと判ってても、到底受け入れられない自分がいる。それでも、彼女たちは戦場へと向かうのだが、得体の知れないやりきれなさが深く濃く広く、私の全てを包み込む。
 これこそが見終わっての感想である。


もう一つの戦場

 画面には、戦場に看護兵として向かった3人の子を持つ母親が映し出されているが、一番下の娘がノイローゼになり、髪の毛をむしり始めた。急遽、戦争の現場から自宅に戻った母親は娘を”自国を守る為に私達は命を懸けて戦ってるの、それはあなた達家族の為でもあるのよ”と説得するも、”<ママがいない>と泣き叫ぶ娘の母親にだけはなりたくない”と娘は反発。
 途方に暮れる母親だが、”自国が亡くなったらママだけでなく、あたなも誰もいなくなるのよ。だからこうして必死で戦ってるの”と諭すも、”もうウクライナには住みたくない。どうせロシアは(本気を出せば)この国の半分を占領するんでしょ”と娘はやり返す。
 この後、カメラが回ってるにも関わらず、母娘の微妙な沈黙が続く・・

 まさに、これももう1つの戦場である。
 家族を置き去りにしてまでも、自国と家族の為に命を晒してまでも現場に向かい、限られた戦力と不足しがちな支援とで、物量共に勝るロシア軍と対峙する。
 正直今のままじゃ、娘が反発する様に、勝ち目はないかも知れない。それでも母親は家族を守る為に戦場へと向かおうとする。
 確かに、娘が言う様に、国外に移住し、家族と共に平和に暮らした方が、ずっと効率よく合理的かも知れない。だが、母親にとって生まれ育った自国(故郷)抜きでの幸せなんて考えられる筈もない。つまり、故郷と幸せは連動してるのだ。
 そこでカメラは、母国の英雄へと切り変わる。 

 ”私は前線の塹壕の中であらゆる残酷な事、そして地獄を見ました”と語るのは、オレーナ・イワネンコ(写真)さんで、ロシアと戦うウクライナの兵士だが、彼女は42歳で、ロシアの軍事侵攻が始まる前までは、飲食業界のコンサルタントの仕事をしていたという。
 ロシア軍が攻め入ってからは、避難する人たちを支援するボランティア活動に従事したが、22年12月、自ら志願して兵士になった。ウクライナでは男性は原則として徴兵の対象だが、女性であるイワネンコさんは”祖国を守りたい”との一心で自ら申し出たのだ。
 ”意思・自由・命・ウクライナの為、それしかありませんでした。だから前線で戦おう”と決意した。彼女は精鋭とされる<第47独立機械化旅団>配属となり、南部の激戦地ザポリージャ州に派遣。ロシアに占領された地域を奪還する為のウクライナ軍の反転攻勢が行われてる最前線だ。
 以下、「ロシアと戦う女性兵士”塹壕で地獄を見た”・・」より一部抜粋し、大まかに纏めます。
 
 
平和な日常が重荷になる?

 人の肩幅ほどの狭い塹壕の中で、男性でも重たい大きな機関銃を抱え、塹壕に身を潜める彼女だが、その息づかいを打ち消す様に”ヒューーーン”という砲弾が飛んでくる音がすると、その瞬間、乾いた爆発音が続き、その衝撃に彼女が表情を歪む。
 まさに、死と隣り合わせで、これこそが戦場なのだ。
 射撃手として前線で戦っていた彼女だが、23年6月に露軍戦車からの砲弾が至近距離に着弾し、幸い命は取り留めたが、右足のふくらはぎに砲弾の破片が深く食い込んだ。
 実はこの時、一緒に戦ってた仲間の兵士の多くが死亡。この絶望的な状況を現実として受け止めようと、彼女は必死にもがいていた。
 ”覚えてて、戦争はまだ続いてるの!”

 その1ヶ月後、怪我の治療の為に戦場を離れ、キーウに戻ってたイワネンコさんだが、心理カウンセラーに会う為、国防省のプレスセンターに表われた。
 ”私たち兵士は戦場で傷を負う。戦場から帰ってきた時、様々な困難に直面する、それが普通の事をこれから戦場に行く兵士に教えてほしい。現場の指揮官は精神的にも強かったが、人の心に手を差し伸べられる専門家ではない。だから、(精神的な)支援が必要です”と開口一番に語ってくれた。
 彼女の発言は、国防省や軍への批判のトーンを含み、戦場での自らの経験を踏まえ、兵士への精神面での支援が不十分だと訴えたのだ。

 ”こんな知らせにどうやって慣れればいいのか。こんな事には慣れたくない”と涙声でカウンセラーに訴えた。実は、負傷してキーウに戻ってからの2か月半程の間に、彼女は3人の仲間の葬儀に立ち会っていた。
 一方、カウンセラーは彼女に”貴女は今、喪失に次ぐ喪失を経験している。市民が暮らす環境に身を置く事がその辛さを和らげる機会になる”と助言。だが、それは彼女にはそう簡単な事ではなかった。
 ロシアの軍事侵攻が続くとはいえ、キーウでは多くの商店が営業し、日常生活が戻ってる様に見えるが、その”日常が重荷になる”というのだ。
 例えば、友人と入った飲食店で客と店員が口論をしてるが、ほんの些細な事で言い争ってるのだ。戦場では生きるか死ぬかの戦いを繰り広げているというのに・・・
 ”兵士は、こんな人たちを守る為に前線で命を賭けてる訳ではない”という感情がわいてきた。”キーウは自分がいるべき街ではない。戦場の仲間の元に戻りたい”
 キーウの日常に抱いた落胆に似た感情が、命の危険を顧みず前線で戦う仲間たちの存在が、彼女を戦場へと駆り立てていた。


なぜ、そこまでして戦うのか?

 1週間ほどを家族と共に故郷のオデーサで過ごし、再び戦場に向かうという意志を曲げない娘を、怒った様な厳しい表情で送り出した母がいたが、これもまた、家族の強くも逞しい愛情である。一方、彼女が心の支えにするのは家族だけでなく、友人たちの存在もあった。
 友人達の写真を見る度に、”自分には守るべき人や故郷がある”という思いを強くするのだ。ただ、彼女のリュックに星条旗のワッペンが貼り付いてるが、なぜアメリカなのか?
 ”軍に志願した後、訓練を受けが、その時の教官が米国人で、ワッペンはお守りとして彼がくれたものです”
 星条旗は、この”戦争”のもう1つの側面を象徴していた。欧米はウクライナに武器や弾薬などを供与し支えている。ウクライナ兵に訓練を施してる事も周知の事実だが、彼女もまさにその当事者の1人なのだ。

 ”恐怖は常にある。どんな人にも私にも・・2022年2月24日までは自分を生きてきました。ドンバスなど東部で起きてた紛争には関心がなかった。しかし今は、家・家族・自分自身・都市を守る。そして、ウクライナを守るべい時が来たのです”
 NHKの取材陣がイワネンコさんと別れ、キーうを離れた、その年の9月初め、前線に立つ彼女の至近距離に、またも砲弾が着弾。”やられた!やられた!”と叫ぶ彼女の声が映像と共に届いたが、彼女は今度も無事だった。
 ”なぜ戦場に戻るのか”幾度となく繰り返される問いに、彼女は以下の様に応える。
 ”前線の塹壕の中で私は、あらゆる残酷な事、そして地獄を見た。私はそこで敵は絶対にいなくなる事はないと思い知りました”とした上で”(ロシア)を完全に打ち負かす必要がある。力によってのみ、敵を私たちの土地から追い出す事ができるのです”

 仲間を失い、自らも傷つきながらも戦場に戻っていくイワネンコさんの姿は、”戦争は1人1人の兵士の命と引き換えでしか成り立たない”という重い現実を突きつけている。
 以上、NHK NEWS WEBからでした。

 プーチンの本音は”力の外交”にある。つまり、”力のない国は大人しく超大国に従え”って事だ。言い換えれば、力のある国だけが世界を牛耳れる。今のアメリカもその典型である。
 そして今、絶望と喪失の極地にある戦場を経験したイワネンコさんは、いまプーチンと同じ”力の論理”を叫んでいる。
 ただ私には、彼女の言葉には、ある種の違和感を覚えた。それは、力で支配すれば、同じ様に力で支配されるからだ。

 かつてヨーロッパでは、そうした”力の論理”で戦闘や紛争や戦争が長年に渡り、幾度となく繰り返されてきた。だが、”力でやられたら力でやり返す”事に、その結果もたらされる喪失を考えると、どれだけの意義と意味があるのだろう。つまり、力の論理が通じない世界で生きる事は不可能なのだろうか?
 先に紹介した娘の様に、そんな世界があれば、戦場と化した故郷を捨て、その地へ向かおうとするのも人の情けである。一方で、母国の為に最後まで戦い抜くというのもまた、人の情けである。

 ただ、情けというものは(衝動や直感と同じく)時として正確な判断を曇らせる。これは過去の戦争の歴史が証明してる事だ。それでも人は女性までもが戦争と言う絶望の淵に晒されると、本能的に戦場に向かおうとする。
 そうした行為が正義なのか?正しいのか?私にはわからない。ただ言えるのは、以下でも述べる様に、絶望と喪失だけが待ち構えているだけかも知れない。


最後に

 数字で見れば、軍事侵攻が始まった3年前の2月24日から今日まで、ウクライナでは少なくとも1万2654人の市民が空爆や砲撃などによって死亡したとされる(OHCHR調べ)。また、ロシア軍の攻撃で、医療機関は790の施設が、教育関連では1670の施設が破壊・損傷した。
 一方で、侵攻開始前の人口の約1/4にあたる1060万人が住む家を追われたという(同調べ)。このうち国外に避難した人は約690万人で9割以上はヨーロッパに逃れ、国内に避難してる人は約366万人。更に、ウクライナから日本に避難した人は1982人となっている。
 ゼレンスキー大統領は今月16日に、ウクライナ軍の死者が4万6000人に上るとした。去年2月時点では3万1000人だったから、この1年間で1万5000人が死亡した事になる。また、負傷兵は約38万人に上り、行方不明になった兵士も数万人いるとの見方を示した。
 一方、ロシア軍の死者について、ロシアの独立系メディアとBBC(英)は、今月14日時点で確認されただけでも約9万3000人に上るとされる。

 こうした数字を見でも、戦争が”力の論理”によるものだとしても、犠牲と喪失しか生みださない事が見て取れる。
 それでも、ウクライナの女性たちは少なくとも5万人近くは、戦場の真っ只中で戦う事を自らの意志で決意し、選択した。
 因みに、軍務に就く女性軍人は4万8000人で、前線で戦う女性兵は約5000人とされてたが、現在では既に1万人以上にも達する。これは、戦場にいる女性兵士数としては”世界の歴史上最多”と国防次官は指摘し、ロシアによる侵攻前の21年に比べ40%増加したという。翌年には、軍における”男女の機会均等”を8割の国民が支持したとの調査もある。
 但し、ボランティアや看護や搬送など様々な形で活動する人も多く、実際の数はもっと多いとされ、現在ではウクライナ軍の約20%が女性だとの声もある。

 勿論だが、ロシアにも女性兵士は存在した。第2次世界大戦中のソ連軍には、女性兵士が100万人近くいたとされる。深い愛国心と敵に復讐したいとの抑え難い欲望が彼女たちを前線に向かわせたのだ。
 また、女性は男性よりも忍耐力があり、細かい作業が得意な為、より正確に銃を発射させる事が出来たから、狙撃兵を志願する若い女性が多かったという。だが、ソ連軍専属のスナイパーになれたのは僅かに1900人足らずで、大半は養成所内の厳しい訓練で挫折した。
 但し、”深い愛国心と抑え難い復讐心”という点では、ウクライナの女性兵にもその思いは共通する。ただ、2000人以上のドイツ兵を殺したとされる女性狙撃兵たちが戦場で見たものは、勝利の美酒と咆哮というよりも、絶望と喪失の淵だったかも知れない。

 今、ロシアのウクライナ侵攻から約3年が過ぎようとしてるが、両国は消耗し切った兵力の補強という深刻なジレンマに直面する。
 ”欧州を戦争から救う為に女性を徴兵する必要があるなら、私たちは必ずそうする”と、同国軍前総司令官のザルジニー駐英大使が演説した様に、首都キーウが陥落すればロシアの攻撃は欧州諸国に及ぶ事は必至であろう。
 これは台湾が中国に堕ちれば、日本も同様である事を示唆している。
 悲しいかな、こうした”女性の徴兵”までもが欧州の標準になる時代に、日本という弱小な島国は、戦争という絶望と喪失の淵にどう対処すればいいのだろう。
 これも悲しいかな、(私も含め)多くの日本人はそんな勇気も覚悟も出来ていないのが実情である。だが、最悪を想定する事で最悪を免れる事は不可能ではない筈だ。

 ウクライナの女性兵士が絶望と喪失の中で奮闘する姿が”ウクライナの今”を変えてくれる事を願うばかりだが、事はそんなに単純でもない。だが、今はそれに縋るしか他にアテはないのだろうか・・ 



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