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私は某映画祭の授賞式に、ある脚本家の助手として招待されていた。いや、本当はそうなる筈だった。
勿論、夢の中での話である。
実は、その(友人でもある)脚本家だが、21世紀を代表する超大作と評されつつあった映画がクランクインする直前に、彼の脚本が盗作である事が判明し、ドタキャンとなっていた。
スポンサーからも多額の支援を受け、(ここぞとばかり意気込んでた)製作者側もスタッフやキャストらも、このまま引き下がるという訳には行かない。
ただでさえ、日本の映画界は斜陽に差し掛かってるのだ。本場アメリカのアカデミー賞では憎き韓国にも抜かれ、中国もハリウッドと並ぶ映画大国になりつつある。
そんな中での起死回生の作品だったが故に、今回の事件は大きな衝撃であり、関係者らにはショックでもあった。
もう時間がない。
”ミスとスキャンダルは熱いうちに打て”じゃないが、監督は散々悩んだ挙げ句、私があるコラムに書いてた未完成な脚本を採用する事を決めた。
私は急遽、脚本を担当する事になり、元の脚本家はそのサポートに周る羽目になる。
勿論、彼は面白くはない。
男は直接的行為に出る。つまり、私を殺そうと計画したのだ。が、監督らが事前に察知し、男をなだめすかし、大きな問題に発展する事にはならなかった。
脚本家の男は製作補助という肩書に変更されたが、実質上のクビである。
新たな脚本
私は必死で脚本を完成させ、何とかクランクインに漕ぎ着けた。製作者側もスタッフらも一安心した様で、私の評価は鰻登りになっていく。とてもシンプルで素朴な脚本だったから、キャストらも(急造の脚本家とはいえ)ストレスが溜まる事はなかったようだ。
制作が終盤に近づき、完成間近になった頃、クビになった筈の脚本家の男が監督に近づいてきた。
”女との濡れ場のシーンが残ってるだろ。その相手役にオレを使ってくれ!そのくらいのワガママは許せるだろう。なぁ、頼むよ”
監督は首をひねる。
”オレとお前は十年来の付き合いだ。お前の実績は今でも高く評価している。しかし、それは脚本家としてであって、俳優としてではない。酷な言い方だが、君はこの作品には必要ないんだ。これ以上、スタッフやキャストを混乱させる様な真似は一切してほしくない”
男は言葉を失った。
逃げ場を失った男は、私に頼った。
”最悪だ。濡れ場のシーンがダメなら、女を犯すシーンでも脚本に入れてくれ。その位は出来るだろう。元々、この作品は俺のものなんだ。そんなオレの気持ちはお前だって理解できるだろ?”
私は断る訳にも行かなくなった。というのも、男の無念さは私にも経験があったからだ。
今では映画のコラムを書いてるが、元は俳優志望だった。しかし、ある大物監督から私の微妙な田舎臭い仕草を嫌われ、俳優は諦めた。
今目の前には、脚本家をクビになった男がいる。昔の私とそっくりである。
私は、彼が女を犯し損ねるシーンを脚本に忍びこませた。そうする事で、塗れ場のシーンがより盛り上がると期待した。監督も渋々と受け入れ、ほんの数分間の絡みのシーンを挿入する事で合意する。
がしかし、今度は相手になる女優が男との共演を嫌がった。キュートで不可思議な魅力を持つ彼女は、まだ若いが主役級の女優の一人であり、プライドもある。
”なんで、あんな変態クソ爺と絡まなきゃいけないのよ。〇〇さんとの絡みだから何とか引き受けたのに・・・”
監督は渋々説得する。
”いや、何もしなくていいんだよ。抱きつかれるだけで、君は嫌がって逃げるだけでいいんだから”
女は表情を変えた。
”そんなの絶対にいやよ!触れられるだけで寒気がするわ。でなければ、私はこの作品から降ろさせて頂きます”
クライマックス
私も女を説得した。
”その嫌がる表情こそが、この作品のクライマックスには必要なんだ。でないと、肝心の濡れ場のシーンが盛り上がらないんだよ”
彼女は少し考えてた風だった。
”演技でなく、本気で嫌がってもいいの?私本気で抵抗するわよ。それでもいいの?”
私はホッとした。
”ああ、それでいい。もし少しでも男が間違った事をしようとしたら、すぐに私と監督で止めるから・・・全ては保証する”
女は私をずっと見つめている。
”信じていいの?”
”ああ。そういう私だって元は俳優志望だったんだ。嫌がる女優の気持ちは腐る程に知り尽くしてるつもりだ”
女はクスッと笑う。
”次の作品では、アナタとの濡れ場のシーンで決まりね”
私も笑った。
”脚本家と俳優の二刀流というのも悪くはないか・・・”
私は監督にOKのサインを出し、女はすっかり機嫌を良くし、控室に戻っていく。
しかし、問題はここからが大変だった。
クビになった男は、女との僅か数分の絡みのシーンでも逆上した。
私は女との約束通り、男の乱暴な行為と野望を僅か一発の右フックで打ち砕いた。
”暴力には暴力で、が私の流儀なんだ。悪く思わんでくれ”
男の左半分の頬は大きく膨れ上がり、左目は殆ど塞がりかけていた。
”ああ、わかったよ。もうオレは何もしないし、何も残っちゃいない。作品が完成するまで、このまま大人しくしてるさ”
やがて作品は完成し、私と監督と元脚本家の男は、レッドカーペットを悠々と歩いていた。
周りから大きな歓声と喝采が沸き起こり、作品の大成功を物語るかのようだった。
未だに腫れが引かない男の表情はやや引き攣ってたようだが、満足感にあふれていた。
私は監督と目を合わせ、クスクスと笑っている。
”この映画は最初から彼のものだったんだですね”
”ああ、最初からこうなると思ってたよ。色々あったけど、全ては結果なのさ”
”結果オーライというのも、シンプルでいいですね”
実は、私が男を殴りつけたシーンはそのまま採用され、クライマックスの女との濡れ場のシーンも私が演じた。
テロップには、クビになった筈の男が脚本家として、一方で私は俳優兼脚本助手として紹介されていた。
最後に〜夢から覚めて
不思議なことに、濡れ場のシーンを演じた女優を思い出す事が出来ない。
夢の中では色んな事を話したと思う。彼女の悩みや思いを全て聞いてあげたし、彼女も全てを私に曝け出してくれた。
雰囲気は、「ドライブ・マイ・カー」で運転手役を演じた三浦透子さんに似てた様な気もするが、夢の中での私の脚本は、薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」(1984)よりもユニークで奇抜だった様な気がする。
「Wの悲劇」は、若い舞台女優が劇団のスキャンダルに巻き込まれながら、それを逆手に取って成り上がっていく展開だが、私の「Wの奇劇」では、急遽脚本家に抜擢された男が主役をも演じ、奇抜なクライマックスを完成させるという笑えそうで笑えない展開ではある。
2つの奇跡が重なり幕を下ろす訳だが、最近の日本映画にはこうしたシンプルな奇抜さに欠けると思えなくもない。
(当時アイドル女優に過ぎなかった)薬師丸ひろ子を演技派女優に押し上げた「Wの悲劇」だが、所詮は”謎解きミステリー”の範疇に過ぎず、少し見ただけで消化不良を起こしそうな作品に映った。
一方、本場アカデミー賞で作品賞にノミネートされ、アメリカで注目を浴びた「ドライブ・マイ・カー」ですら(元妻との)絡みのシーンは中途半端で、前半のシナリオは必要なかったようにも思えた。後半も煮えきらないヒューマンドラマの様な展開が続き、全体としてインパクトに欠ける作品のようにも感じた。
勿論、”だからいいんだ”と思う人たちもいる訳で、そういう私も西島秀俊が出てたからこそ興味を持った作品でもある。
同じ様に、初めてアジアの作品でオスカーを獲得した韓国作品の「パラサイト~半地下の家族」(2019)も最初から観る気すら起こらなかった。
勿論、それだけハリウッドが”朽ちた”とも言えるが、そのきっかけを作ったのは「タイタニック」(1997)だと(私は)思う。
ここら辺からハリウッドは静かに堕ちていく。派手なCGが脚本を食い潰す様になり、「アバター」(2007)が歴代最高の収益を上げた時は、アメリカ映画の全てが終わったと感じた。
つまり、淀川さんが”CG満載の作品に映画界の将来を憂う”と危惧した事が全て現実となったのだ。
どんなに出来のいいポルノ映画ですら、毎日見続けたら吐き気を催す。しかし昨今のハリウッド映画は、オープニングを見ただけで吐き気がする。
やはり、映画は(基本的にはだが)脚本で決まるのだろうか?
お邪魔します。
映画の出来映えの良し悪しを左右する一番は、
やはり「脚本」かと考えます。
二番は「監督(編集)」。
三番は「演者」と「舞台設定」。
ではないでしょうか。
確かに最近の“CG紙芝居”は頂けませんね。
本物そっくりとは言え、
背景やシーンが偽物では
大切な要素が欠けた絵に映ります。
何よりグリーンバックでの演技は薄っぺら。
脚本もCGの絵ありきが多い様な。
淀川さんの予言は当たったいると思います。
ではまた。
3番目の舞台設定というのもとても重要ですよね。
かのSスティルバーグも言ってた様に、”セッテイングがないと(CGでは)アイデアが浮かばない”と。
言われる通り、無機質なグリーンバックの中でリアルに演じろって無理ですよね。
事実、「8時だよ全員集合」もセットが売りでしたから。
結局、脚本がCGに食われてしまい、全体として薄っぺらな映画に傾斜してんですよね。
こんな夢なら毎日でもいいですね。
私も愉しませていただきました。
転象さんは今からでも俳優に転職されればと思いますが…。
女優さんとは長く色んな話をしてた様に思います。
しかし不思議と、その女優さんが思い浮かばない。でも、シナリオとしては面白かったですね。
コメント有難うございます。