
新着ブログでよく目にするのが、猫自慢とラーメン自慢。
特に昨今のラーメンは、大衆の食を超え、高級食になりつつある。平気で千円以上もする高価なラーメンを美味しいと興奮して食い漁る。
私にとってラーメンとはインスタントな大衆のエサであり、安くて美味しければそれ以上は望まない。80円の生麺タイプのインスタントでも贅沢すぎる程であり、5袋で160円の格安なラーメンも美味しく感じる。
つまり、「連続体仮説」ではないが”大衆の食に次元という概念は存在しない”し、エサは所詮エサに過ぎない。美味しいエサも高価なエサも贅沢なエサも、餌という次元では同じである。いや、そう思いたい。
しかし、ラーメンマニアがこんな意見を聞いたら、多くは逆上するかもしれない。彼ら彼女らにとって、ラーメンには格差が明確に存在し、様々な次元のラーメンが存在して何処が悪いとなるだろう。
そこで今日は(今更感がありますが)、大衆の食から脱皮しようとする高級ラーメンをテーマです。
1000円の壁
ラーメン業界には古くから”1000円の壁”なるものが存在するそうだ。
2000年以降、ラーメンの売価は年々上昇傾向にあり、今では都心部の(ごく普通のラーメンが)700円から800円台にあるという。
今から20年以上も前に東京の神田町で食べた野菜ラーメンは、手打ちだった事もあり(700円ほどしたが)とても美味しかった。当時では高価に思えたが、それに見合うラーメンでもあった。
その一方で、”ラーメンは安い簡易食”と捉えてる年配者も(私を含め)多くいる。
ラーメンが僅か数百円で食えた世代からすれば、1000円ラーメンなんて少し異常にも映る。
逆に千円も出せば、海鮮定食や豪華版の幕の内弁当が食えるかもしれない。
外食に煩い評論家は、”ラーメンはこの数十年で驚く程に進化を遂げ、かつてのラーメンとは別の食べ物と言っても良い。しかし、その進化や変化に多くの消費者の意識が追いついていないのが現状である”と持論を語る。
事実、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
神奈川の某人気ラーメン店が”1600円ラーメン”を発表したそうだ。勿論、この価格をどう捉えるか?は人それぞれだが、意外にも好感寄りの声が多い。
しかし私に言わせれば、(貧しい日本島民の)高級を履き違えた食にも思えてしまう。
1600円もあれば、高質な大トロ弁当が食えるではないか。いや上質のヒレ肉が買えるではないか。
ラーメンに高級を求めるのなら、(その時点で)ラーメンは”安くて美味い庶民の食”という本質から大きく外れてる気がする。
一方で、日本島民は”高級”というものに群がる習性がある。コールガールもクラブもスナックもデリヘルもソープランドも高級という名が付けば、エロ親父は盲目になる。借金をしてでも背伸びをしてでも、年金を使い果たしてでも、高級に血眼になる。
我ら敗戦国の農耕民は、”厳選”とか”洗練”とかいうフレーズに極端に脆い。
”厳選された材料に洗練された店内、充実したサービス、全てがラーメン店の常識を覆した”と宣伝しようもんなら、1600円なんて安く映るだろう。
だが(たけし監督も言ってたが)、ドブロクを何杯呑もうがウィスキーにはなれない。
つまり、(無理に値を釣り上げた)1600円のラーメンが同価格帯の牛ステーキに対抗できるのだろうか?
ステーキがメインディッシュなら、所詮ラーメンは(高級と胸を張ろうが)パスタと並ぶ前菜に過ぎないと言ったら、ラーメンマニアに怒られるだろうか?
そう考えると、安くて美味しいからラーメンなのである。今までもこれからも、庶民のラーメンに対するこうした思いは変わらないのではないだろうか。
豪華と進化は違う
(個人的な意見を言わせてもらえばだが)いくら食材が良くなり、食としての地位が上がり、その結果ラーメンが進化したとても、かつては僅か300円で食えたラーメンが1600円とは?少し度を過ぎてやしないか。
冒頭で述べた様に、インスタントなら100円も出せば(生麺タイプの)進化した即席ラーメンを堪能できる。
私は、”食に贅沢を求めるべきではない”という立場である。胃袋に入れば、あとは臭いウンチになって排出される食い物に、贅沢や娯楽を求めるべきではないと思う。
つまり、食は健康を保つ為の美味しい”エサ”であるべきだ。言い換えれば、”食欲と性欲を満たすに余計なお金をかけるべきではない”というのが私の持論である。
多くのラーメン屋は”薄利多売”が主流であるとされる。値上げしてまでも”庶民を敵に回したくはない”というのが多くの店主の本音だろう。つまり、ラーメン屋と庶民はお互いに支え合い、ラーメンという庶民の食を育んできたのだ。
しかし、一部の超人気店は”自信があれば値上げしても売れる”と胸を張る。
果たしてそうだろうか?
貧乏な島国のニッポンで、1000円ラーメンが根付くとは思えない。
一部のラーメンマニアや食道楽の金持ちなら脚しげに通うかもだが、食費と稼ぎのバランスを理解してる人は”たかがラーメン”一杯に1000円以上も投資するだろうか?
(コロナ渦でなくとも)ただでさえ、外食産業に陰りが見える中、麺とスープで出来た(前菜に近い)簡易フードに、そこまでの価値を見いだせるのだろうか?
”(1000円ラーメンがそんなに嫌なら)家で棒ラーメンでも食ってろ”と反感を喰らいそうだが、市販の棒ラーメンが1600円に値上がりしたら、ラーメンマニアは何と言い訳するのだろうか。
勿論、ラーメン屋も商売だから、正当な利益を取れる売価をつけるべきだし、高い原価に高い売値は、店主の正当な権利でもある。
しかし、それがラーメンの進化と言えるのだろうか?
高品質な食材を使い、接客やサービスを充実させ、器も特注のものを使い、店内も豪華で、高級レストランに匹敵するような食の質感とサービスを提供する。
そういうのが進化と言えるのか?
私から見れば、俗物根性にしか思えない。
豪華や高級と、進化は違うはずだ。
大衆の食としてのラーメンが豪華にかつ高価になり、結果としてそれが進化に繋がるとはとても思えない。
正当な利益や適正な価格を言うのであれば、”シンプルで無駄のない大衆の食”としてのラーメンを追求すべきでないか?
”美味しいものをシンプルに安く”というのも立派な進化である筈だ。
一方で闇雲に経費を掛け、高級感を煽り、高価なラーメンという俗物なイメージを全面にさらけ出す。
これは明らかに進化ではなく、(高給コールガールと同じく)無駄に豪華なだけである。
ラーメンの食としての本質
ラーメンの本質は(不特定多数の)”大衆の食”の中にある。少なくとも、一部の金持ちの食やマニアの贅沢ではない筈だ。
こうした食の本質を無視して、1000円ラーメンが語れる筈がない。故に、1000円の壁は偶然ではなく、必然の壁とも言える。
つまり、ラーメンは安くて旨い(庶民の味方の)食べ物という消費者の心理は永久なのであろうか。
しかし、店の利益より客の満足度を無理には優先させる必要もない。故に、ラーメンには適正(と思われる)価格は存在しない筈だが、大衆の許容範囲の中での価格帯は存在する筈だ。
”いくら美味しくてもいい材料を使ってるとても、これじゃ高すぎる”というのは誰にもある潜在的な心理である。
こうした大衆の微妙な心理を無視して、商売としてのラーメンは成立しない。
先述した”1600円ラーメン”も、そうした微妙な消費者の心理を蹂躙したものと言えなくもない。
つまり、ラーメンの適正価格は店側の一方的な独断では決めれらる筈もない。提供する側と食する側の微妙な呼吸も必要なのだろう。
ラーメンに(多様性はともかく)豪華さや格差やランク付けを持ち込む事自体に無理があり、”庶民の食”という領域の壁を超えてはならない筈だ。
”ラーメンは美味しくて安いもの”という消費者のニーズは長い歴史の中で育まれたものであり、圧倒的な人気を誇る店だからとて、ラーメン一杯が1000円であろうが2000円であろうが、簡単に受け入れられるとも思えない。
ここ数年、確かに個人店などでラーメン一杯1000円以上の価格で提供してる店が増えているとは言え、それが大きなうねりにならないのはやはり必然に近い理由があるからだろう。
寿司もハンバーガーも圧倒的なシェアを持つのは、”安くて美味しい”という庶民的な食の業態である。
ラーメンという食べ物は、本質的に見ても(10分以内で食べ終える)ファストフードであり、カテゴリが多層化するのは無理がある。
ラーメンが多種多様な棲み分けを持つ食のカテゴリとは思えない。あくまでも店主と庶民が時間を掛けて育て上げたシンプルでインスタントな食であるべきだ。
そこら辺を勘違いすると、ラーメンの行き場所はなくなるような気がする。
しかし、一度食ったら病みつきになる千円ラーメンというのも、千円だから許せるのだろうか。そう言われれば、食ってみたい気もするが・・・
ラーメンの麺は小麦粉だけでできているから材料費は安いはず。
じゃ何が高いのかと言えば、スープなんでしょうが、どんなにおいしく作ったといっても、これも本来廃棄される豚の骨などでとったスープです。
それなのに、一杯1000円超えとはべらぼうです。
ラーメンは本来、間食です。正式な食事ではありません。それにそんなお金を使う人の気がしれません。
麺とか具とかは、たかが知れてます。
しかし、美味しいスープほど刺激の強い化学調味料が含まれるというから、だから衝撃的に感じるんでしょうが・・・
そういう事が判ってても、高価な美味しいラーメンに群がるんでしょうね。
でも味覚を麻痺させ、中毒に追い込むとされる高級ラーメンの戦略には、我々も十分に気を付ける必要があります。
まさに、”たかがラーメンされどラーメン”ですかね。
‹行列の出来る店›として宣伝すると一気に大勢の客でごった返す。
大した店でもないのに、TVで紹介されただけで大衆は重宝がる。
特に宣伝に力を入れる全国チェーン店ら
は、インスタ映えする派手なメニューで大衆を惹き付ける。
偽善と言えばそれまでだけど
‹大衆の食›という盲点をついた見事な戦略かもしれない。
でもいくら美味しいとても、500円は出せても1000円は出せないね。
しかし現実は、そうした高級ラーメンに群がるマニアもいます。娼婦やクラブに高級志向を求めるように、ラーメンにも同じ様な現象が起きても不思議はないんですかね。
大衆にも格差が存在するように、ラーメンにも格差が存在する時代。格安のインスタントで済ませるか?1000円以上も払って高級感に浸るか?
この二極化は連続体仮説と同じで、その中間が空洞化し、格差をさらに加速させる。
何だか嫌な時代ですね。