前回”その4”ではハミルトンの挫折について述べました。
寄せられたコメント群を元に、簡単に振り返りますと、リッチフローとは速度(時間)と計量(体積)の関係で言えば、多様体のどの点でも曲率に逆比例した速度で連続的に変化する多様体の発展を記述し、この事は、変形される物体が定曲率の状態を見つける事を可能にします。或いは、多様体が幾つかの成分に分割される事も許します。
そこでハミルトンは、曲率が正という条件の元で、これらの成分がサーストンが予想(仮定)した8つの形しか取り得ない事を証明しました。
ただ、このサーストン予想は3次元多様体が基本要素に分解できるというサーストンの命題とは異なり、ポアンカレ予想よりもずっと野心的な企てでした。
つまり、ポアンカレ予想は単に”多様体が球と同値”である事ですから、そういう意味でもハミルトンの証明は、あくまでサーストンの仮定の上で成り立つ為に不完全だったんですね。
故に、過去の数学者の挑戦はみなサーストン予想の分厚い壁の前で弾かれた。
そこで以下でも述べますが、ペレルマンがポアンカレ予想を証明する為に、特別な2つの道具を用意したんです。それこそが放物型リスケーリングと統計物理学で使うエントロピー(計量)でした。
ポアンカレ予想は、”弱いサーストンの仮定”とも言えますから、ペレルマンがサーストンの予想を回避したのは正解だったんです。
言い換えれば、ペレルマンはサーストンの野心の背後に回り、”葉巻型特異点は実は存在しない”との大胆な仮定をし、それを見事に証明した。
そして、他の特異点も有限時間内に消滅できる事も証明しました。つまり、ペレルマンの大胆な予想と奇抜なアイデアが生んだ偉業とも言えます。
事実、ペレルマンが友人に送った最初のメールでは”サーストン予想を証明した”と書いてました。そしてその後の論文で、そのサーストンの野心をギリギリの所で回避した。
これはリーマンの素数公式がリーマン予想を回避しても導出できたり、弱いリーマン予想から素数定理が証明されたのとよく似てます。
歴史は繰り返すといいますが、難題に奇悲劇というのは常に憑いて回るんですね。
再び、ペレルマン登場
ハミルトンはここに来て、どんなに奮闘しても前に進めなくなってました。これまでの20年間はとても順調に進んでたのだが、葉巻型特異点こそが大きな障害になっていた。
そこに、グリゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマン(写真)というロシア人数学者が突然現れたのだ。
ペレルマンの大まかな生い立ちは”その1”でも述べましたが、元々は活発で社交的な性格だった彼は、かつてのガウスやリーマン同様に、論争に巻き込まれるのが嫌で、気難しくも清廉で孤高な人間へと変貌していく。
レニングラード大学で博士号を取得し、幾何学とトポロジーと偏微分方程式を研究していたペレルマンは、1992年の26歳の時NYへ渡り、ハミルトンのリッチフローの講義に出会い、ポアンカレ予想に興味を抱き始める。
彼は証明など些細な事を発表する必要はないと考えていた。栄誉の為だけに論文を発表する事は自らの信念に反していた。昨今の”論文を出さずば去れ”の風潮の中で、ペレルマンは爽やかな例外でもある。
アメリカでの彼は無口でも反社会的でもなかったが、車嫌いは筋金入りだった。生活は超のつく程質素で、研究奨励金の大半はある”将来の挑戦”の為の貯金に、一部はサンクトペテルブルクに住む母と妹の為に送っていた。
1995年にロシアに戻ると、その2年後にヨーロッパ数学界は、4年に1度、10名の若い数学者に与えられる賞を授与したが、”対象となった論文は未完成であり、自分は賞に相応しくない”として辞退する。
かつてペレルマンは、ハミルトンの講義の後で、自らのアイデアの幾つかをハミルトンに伝えた。ハミルトンはそれらが葉巻型特異点の解消に使えそうだと考えてたが、それらはハミルトンの理解を大きく超えたものだったとされる。
3次元トポロジーはペレルマンの専門じゃなかったが、微分方程式との関連が明らかになった為に、この分野に興味を持ち始めた。そして、20世紀を通じて多くの第一級の数学者を挫折させてきた、90年来の難問であるポアンカレ予想だった。
これこそがペレルマンが探し求めていた、人生を掛けた”挑戦”でもあったのだ。
彼はスタンフォードやプリンストンらのオファーを断り、1995年にロシアに戻った。
サンクトペテルブルクのステクロフ研究所に戻ると、一人行方をくらまし、ポアンカレ予想の研究にのめり込んだ。米国での安月給を密かに貯金してたのは、実はこの為だったのだ。
以降6年間、ペレルマンは秘密を誰にも伝えずに、研究に没頭した。
この酷く寒い小屋でプライバシーが漏れる事はなかった。この研究に没頭して7年後、機は熟したのだ。ペレルマンはポアンカレ予想を解く、連続した3つの論文を書き上げる。
彼がarXivに投稿した3つの論文は、「リッチフローに関するエントロピーの公式とその幾何的応用」「3次元多様体上の手術付きリッチフロー」「3次元多様体上のリッチフローの解に対する有限消滅時間」というタイトルで、それぞれ39P+22P+7Pでした。
この僅か68Pの論文には、余計な単語はなかったが、重要なものが欠けてる事もなかった。
ペレルマンの手術
ペレルマンは、基本的にはハミルトンのプログラムに従ったが、ハミルトンの手法は特定(滑らかな)の多様体の”集合”にしか作用しない為に、あらゆる多様体に作用する様に、その手法を改良した。
それはコンパクト(有界閉集合)な単連結多様体上でリッチフローを作用させる事と、特異点が生じるギリギリまで観察する事を組み合わせたものだった。
生じうる特異点のリストは既にハミルトンにより、分類され絞られていた。前回”その4”で説明した様に、葉巻型以外に存在する特異点は球面と円筒の2種類だけ。
サーストンにより予想された基本構成要素の1つである球面は、問題を起こさない為に簡単に取り除ける。
しかし、円筒は少し面倒になる。円筒は多様体の2つの部分を連結する部分か、または一方の端で多様体に接続され、もう一方の端にキャップを被せられた付属物である。これはダンベルをイメージすればわかり易い。
ペレルマンの手術の手順は、円筒を終端近くで切り離し、全ての開口部にキャップを被せて閉じる。その後、球面特異点を取り除き、円筒型特異点を切断し、開口部には球面状のキャップをし、”標準解”と呼ばれるものを貼って閉じ、リッチフローを再開する。
この手順は永久に繰り返されるかもしれないが、切り離した部分がサーストンの素多様体の1つである事を確認する。これ以上特異点が生成されなくなったら、多様体の残りを検査し、サーストンの幾何構造のうちの1つである事を確認して、作業は終了だ。
つまり、多様体から取り除かれた全ての断片は、サーストンによって予測されたタイプの何れかであり、故に元の多様体はサーストンの素多様体から構築され、もしそれが”自明な基本群”を持ってれば、それは球面に違いない事が判る。よって、ポアンカレ予想が成立する。参ったか!ポアンカレ!
因みに、”単連結な3次元閉多様体は3次元球面に同相である”というポアンカレ予想は、”自明な基本群を備えた3次元閉多様体は3次元球面に違いない”と言い換える事が出来る。
以上が、球面と円筒の特異点のペレルマン流の解消法(手術)である。
葉巻型特異点を駆逐する2つの道具
そこで残るのは、葉巻型だ。
この葉巻型特異点はハミルトンの手術で取り除く事が出来なかった。が故に、もしこれらの特異点が出来てしまえば、彼のプログラムでは頓挫する事をペレルマンも十分に了解していた。
ペレルマンは、その様な特異点が生じない事を強く願った。医学では信頼と希望が何かの役に立つが、数学では証明が必要なのだ。
そこで彼は何と、そんな葉巻型特異点が出現しない事を証明した。
ペレルマンは、特別な2つの道具を使った。”放物型リスケーリング”と統計物理学で使う”エントロピー(計量)”である。流石に、この2つの道具は一流のトポロジストでも理解できなかった。
まず、放物型リスケーリングはハミルトンも使ってた十数年前からの手法で、多様体の変化する様子を顕微鏡を用いて撮影する様なものだ。つまり、多様体が縮小するにつれ、映像はスローになり、同時に拡大する。
スローも拡大も連続して続くが、そこには偏りが生じる。それぞれの時間スケールでの拡大率は2倍3倍4倍・・・と線形的に増加するが、距離は1/√2、1/√3、1/√4・・・と非線形にスケールダウンする。
これは冒頭で述べた、”多様体のどの点でも曲率に逆比例した速度で連続的に変化する”との事ですね。
次にペレルマンは、多様体が放物型リスケーリングを受ける時に不変となる計量(エントロピー)を考案しました。彼がエントロピーと名付けたのは、この定曲率の多様体の数学的特性が統計物理学のエントロピーに似てる事に由来します。
これも、冒頭で述べた”変形される物体が定曲率の状態を見つける”の事ですね。
物体が加熱されると分子の不規則性が増加する様に、多様体がリッチフローにより変形されるとペレルマンのエントロピー(計量)は漸次増加する。多くの数学者が放物型リスケーリングの元でも”不変で便利な計量”を求めてたが、最初にそれを発見したのはペレルマンだ。
そこで彼はクールなトリックでこれを行う。リッチフローが熱の”流れ”を記述する微分方程式から求められる様に、逆転されたリッチフロー(つまり時間を遡る)を観察し、多様体の”温度”がどう変化するかを調べたのだ。
例えば、時間を遡った時、部屋は均等な温度から始まり、次第に熱はラジエターに集中し、スイッチが切れて終わり。
これこそが新たなエントロピーの概念である。これで葉巻と対決する準備が整ったのだ。
少し長くなったので、今日はこれでお終いです。次回の”その6”では、ペレルマンの手術の総仕上げについて述べたいと思います。
過去、ポアンカレ予想に挑んだ数学者はみな、その脅しにやられました。サーストン予想がモンスターと呼ばれるのもそのせいでしょうが。ペレルマンはその脅しに屈せず、背後に回ることでポアンカレ予想の分厚い壁を砕きました。
これは現実社会の中でも同じことが言えます。
脅しの裏側は意外にも脆いものです。こういう事を教えてくれただけでも、ペレルマンには感謝します。
コメント引用、アリガト
野心と脅しって、同じようなもんですよね。
ペレルマンにも野心はあったんでしょうが、サーストンの脅しには乗らなかったという所でしょうか。こういった駆け引きも実に面白い。
ポアンカレ予想の奇悲劇というタイトルで政界だったかもです。
脅しの裏側には意外にも甘い蜜が隠されてるのかもしれませんね。
縮小し時間はスローになる
逆に多様体の曲率が負のときは
膨張し時間は早送りになる
つまり多様体が縮小と膨張を繰り返し
時間の進み方が遅くなり、速くなったりする
そこで多様体を
定曲率の不変な計量の状態にすれば
多様体の変化はリッチフロー上でも
安定し観察しやすくなり
特異点も解消しやすいということかな
そういう私もペレルマンの生の論文を見た事もないし、実際に微分方程式を解いて確かめた訳でもないので、100%正確には言えないんですが。
とにかく、リッチフローにより複雑に変化する多様体を、リスケーリングとエントロピーの2つの道具を使い、安定した多様体にして、観察しながら1つ1つ特異点を潰していったんでしょうか。
ペレルマンの証明はとても簡潔ですが、その概念を掴むことだけでも一苦労ですね。