ノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンは僅か15歳の時に、オイラーの公式eⁱˣ=cosx+isinxを”世界で一番凄い式”と日記に書き記し、その証明をも記している。
青年(いや少年か)はまず、以下の様に指数関数と三角関数の級数展開に着目した。
eˣ=1+x/1!+x²/2!+x³/3!+x⁴/4!+x⁵/5!+・・・
sinx=x−x³/3+x⁵/5!−x⁷/7!+・・・
cosx=1−x²/2!+x⁴/4!−x⁶/6!+・・・
これは(偶然か?必然か?)、41歳のオイラーが記した「無限解析序説」(1748年)の第7章”指数と対数の級数表示”と同じ発想である。
そこで、オイラーが大胆(無謀)にもヤッた様に、15歳のこのガキは”eˣのxをixに置き換え”たのだ。
i=√(-1)より、i²=-1となるから、
eⁱˣ=1+x/1!−x²/2!−x³/3!+x⁴/4!+x⁵/5!−x⁶/6−x⁷/7+・・・とかけ、以下の様に(各項を入れ替え)分離すれば、
=(1−x²/2!+x⁴/4!−x⁶/6!+・・・)+i(x−x³/3+x⁵/5!−x⁷/7!+・・・)=cosx+isinxと、何の苦もなく証明してしまう。
ここでx=πとすれば、美しい等式”e^(iπ)+1=0”になる。メデタシ!メデタシ!
”美しい等式”の証明
但し、この大胆無敵な証明には厳密な説明が必要だ(が、間違いじゃない)。
というのも、指数関数と三角関数の級数展開は、(複素数上ではなく)実数上でのマクロリン展開であり、それに、各項を入れ替えた時の収束性を確かめる必要がある。事実、項の入替えの仕方では発散または収束する級数がある。
しかし、これらべき級数の収束半径が∞である事は(「ダランベールの収束判定法」により)判っているから、これらの級数は複素数上でも拡張でき、広義一様収束する。
故に、”整関数”(複素全域で定義される正則函数)である事が判る。更に解析接続すれば、”一致の定理”により(正則関数の拡張は一意的であり)複素数全体での収束べき級数で表される。
つまり、eⁱˣのべき級数が絶対収束する事より、級数の各項は入替え可能であるから、上の証明は(結果的には)正しいとなる。
この絶対収束の説明は、ウィキやその他を一部参考にしましたが、様々な手法で証明がなされてますから、どうしても抽象的になりますね。
そこで、実領域の級数展開を使わずに、複素数上でも指数法則”eᵃeᵇ=eᵃ⁺ᵇ”と微分法則”(eᵃˣ)’=aeᵃˣ”を満たすと仮定し、オイラーの公式を導き出してみる。
まず、実数xに対し、f(x)=(cosx+isinx)e⁻ⁱˣー①とおく(コレ重要)。
この両辺をxで微分すると、f’(x)=(cosx+isinx)’e⁻ⁱˣ+(cosx+isinx)(e⁻ⁱˣ)’=(−cosx+isinx)e⁻ⁱˣ−(cosx+isinx)(ie⁻ⁱˣ)=0を得る。
そこで、f’(x)=0よりf(x)=定数となるので、f(0)=e⁰=1からf(x)=1を得る。
故に、①は(cosx+isinx)e⁻ⁱˣ=1と書ける。この両辺にeⁱˣを掛けると、(cosx+isinx)e⁻ⁱˣeⁱˣ=eⁱˣとなり、複素数上で仮定した指数法則により、e⁻ⁱˣeⁱˣ=e⁻ⁱˣ⁺ⁱˣ=e⁰=1となる。
よって、オイラーの公式”cosx+isinx=eⁱˣ”が示せた。
そこで、この公式が複素数上で仮定した定義式を満たしてるかを確認する。
eⁱˣ⁺ⁱʸ=eⁱ⁽ˣ⁺ʸ⁾=cos(x+y)+isin(x+y)
=(cosx・cosy−sinx・siny)+i(sinx・cosy+cosx・siny)=(cosx+isinx)(cosy+isiny)=eⁱˣeⁱʸ。
また、公式の両辺を微分すれば、(eⁱˣ)'=(cosx+isinx)'=−sinx+icosx=i(cosx+isinx)=ieⁱˣと仮定した定義式が確認出来た。
故に、eᶻ=eˣ⁺ⁱʸ=eˣeⁱʸ=eˣ(cosy+isiny)となり、複素数z=x+iyの指数関数eᶻの定義もできますね。
という事で”オイラーの公式”は、級数展開を使わずとも、三角関数と指数関数の微分だけで証明出来ました。
他にも様々な証明法がありますが、これが一番シンプルで”セクシー”みたいだ。
自然を理解するには数学を理解しろ
これまでの抽象的な話から脱線しますが、ファインマンは今は物理学者として有名だが、才能豊かな数学者でもあった事は以下の言葉に見て取れる。
”数学を知らない人には自然の美や最も深い美を本当に感じ取る事は困難にも思われる・・・自然を理解し鑑賞したいとおっしゃるのなら、自然が話す言葉(数学)を理解する必要がある”
つまり、自然を理解するには数学を理解する必要がある。そして、数学を理解するには、その数学の奥深くに秘められてる”美”そのものを注意深く考察する必要がある。
更に、その美とはセクシーでエロくなければならない。
こうしてオイラーの美しい公式を眺めてると、「オイラー博士の美しい数式」の仮タイトルであった”複素数は実(数)なるもの”という言葉が、この美しい公式を全て凝縮してる様に思える。
この”美しい公式”は、歴史的には全く起源の異なる”指数関数と三角関数が複素数の世界では密接に結びつく”事を見事に表してます。
因みに、この公式の最初の発見者はロジャー・コーツ(1682-1716)でした。
彼は1714年に”log(cosx+isinx)=ix”を発見ました。が、(証明は不明瞭で)三角関数の周期性による複素対数関数の多価性(1つの変数xに対し、多数の変数yを持つ)を見逃してました。
確かに、右辺=iθ=log(eⁱᶿ)と出来れば、コーツの等式はオイラーの公式”cosθ+isinθ=eⁱᶿ”になりそうだが、e^(iθ)=e^i(θ+2nπ)は多価となり、このコーツの等式は成り立たない。
そこで、z=cosθ+isinθとおき、zを(半径1の)極座標で表せば、z=eⁱᶿとなり、logz=log(eⁱᶿ)=iθ=log(cosθ+isinθ)、但し、θ=θ+2nπ。故に(矛盾をなくすには)θの範囲を予め決めておく必要があった。
そこでオイラーは(冒頭での述べた様に)、”コーツの公式”を基に指数関数と三角関数の級数展開を比較する事で、オイラーの公式に結びつけますから、実に30年以上掛かった事になる。
因みに、ネイビア数は後で説明するとして先に進みます。
ガリレオからニュートン、そしてオイラーへ
この様にオイラーの(離れ業とも言える)公式は、一見異なる挙動を示す三角関数と指数関数を結びつけるものです。
天才オイラーの3世代前ほどの天文学者であるガリレオ(1564-1642)は、”自然という書物は数学の言葉で書かれている”との言葉を残し、あらゆる自然現象は数学的に導く事ができるという世界観を呈示した。
この現代科学の根底にある世界観は、ニュートン(1642-1727)が微分法を発見する事でガリレオの主張を実現し、ニュートン力学という理論体型を創り上げ、自然を支配する法則を明らかにした。
ガリレオやニュートンが扱ったボールの落下速度や惑星の軌道といった問題は、2つのものが力を及ぼし合う運動だが、オイラーは(水のような)無数の物体が力を及ぼし合い運動する場合にも、ニュートン力学を適用した。こういう所は、同じくガリレオの慣性法則やニュートン力学を応用した、アインシュタインとよく似てます。
”オイラー=ラグランジュ方程式”や”オイラーの渦流”など、彼の名を冠する物理科学用語は多い。
また、整数論に関しても驚くべき活躍を果たし、ゼータ関数の特殊値を含め、(ゼータ関数の)オイラー積表示を発見し、多重ゼータまでをも考察した。その他にもオイラー標数や分割数などあらゆる分野で現代につながる大きな礎を築く。
こうしたオイラーの仕事の1つ1つは結果だけを見れば感嘆するばかりだが、その発見に至る道筋が実に自然でわかりやすい。
彼は虚空から真理を摘み上げたんではなく、目一杯計算し考え、更に計算し考え、更に計算し、その中に埋もれてる真理に気付いたのだ。
オイラーの公式は級数と複素数という2つの概念によりその発見がもたらされた。が、その裏にはオイラーの濃密で深い思考と神業的な計算力が横たわっていたのだ。因みに、8桁×8桁の計算すらも暗算で出来たという。
それに比べれば、プーチンの時代遅れの(帝国主義的)野望なんて、おママゴトみたいなもんである。
生粋のロシア人ですらない(ポーランド国王の娘である)エカチェリーナ2世(1729-1796)は、旧ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナにまで拡大し、大帝(ヴェリーカヤ)と称された。
元旦那のピョートル3世に対し果敢にもクーデターを行い、女帝として君臨する。そのエカテリーナ2世の治世に生きた数学者こそがオイラーであった事は有名な話である。
オイラーが20歳の時(1727年)、ペテルブルクの科学学士院に赴任し、14年程そこで過ごし、数学と力学の約80の論文を書いた。その後、ベルリンアカデミーに移るが、エカチェリーナ2世が帝位についた1766年に、オイラーはベルリンよりも遥かに高い給与で招聘され、今度は家族と共に再びペテルブルクに戻る。以後、亡くなる迄の17年間で約400点の論文を書き上げた。
因みに、エカチェリーナは典型の啓蒙専制君主であり、領土拡大主義者でもあったが、一方でロシアの文化・教育にも力を注ぎ、ロシア文学発展の基盤を造った人物でもある。
補足〜オイラーの公式の起源
オイラーは、ネイビア数eを指数の形で現れる簡素な式”(1+1/∞)^∞=e=2.71828182845…”と表現しました(「無限小解析入門」1748)。
因みに、ネイビア数の起源ですが。ジョン•ネイビア(1550〜1617)は、x=10⁷(1−10⁻⁷)ᵖを満たす実数pが唯一つ定まる事を発見した(1614年)。
このpこそがネイビア数eであり、この公式では、ネイビアは7ケタ(e=2.718281)までしか発見できなかった。但し、lnx=logₑxで記される”自然対数”(Natural Logarithms)の底をeと呼ぶ。
その後、ネイピアの対数(Logarithms)は、天文学者ブリッグスに引き継がれ(10を底とした)”常用対数表”が作られた。しかし理解される事なく普及する事もなかった。
ずっと忘れ去られていたネイピア数だが、1614年の130年後、上述した様にオイラーの手によりネイピア数の正体が明らかになる。
オイラーはまず、a^∞=(1+kω)^∞、(ω:無限小)の式から”出発”します。
でもなぜ、この式が出てくるのか?
オイラーは「無限解析序説」の第7章<指数と対数の級数表示>で、”1+1/1000000の対数を考えよう”と書いてます。
そこで、aᶻ=(1+kz/∞)^∞という等式を考えた。a=1+1/1000000とすれば(この形は)理出来ます。
そこでオイラーは、∞を有限nとしてニュートンの二項定理”(a+b)ⁿ=Σₖ[0.n]nCk・aᵏbⁿ⁻ᵏ”を用い、右辺を展開する。
aᶻ=(1+kz/n)ⁿ=1+kz/1+k²z²/2!+k³z³/3!+・・・+nⁿzⁿ/n!となり、これにz=1を入れると、a=1+k/1+k²/2!+k³/3!+・・・+kⁿ/n!を得る。
オイラーは上の式で、”k=1としたaをeと表す”と記している。
つまり、e=2+1/2!+1/3!+・・・+1/n!を得る。これだけを見ても、e=2.7…と容易に算出できますが、オイラーはガチの手計算で、e=2.71828182845904523536028を自力で算出し、”一番最後の数字もまた正しい”と述べました。
オイラーは、eᶻ=(1+z/∞)^∞=1+z/1+z²/2!+z³/3!+•••と表現し、故にz=1とすると、e=(1+1/∞)^∞になる。これこそが、ネイピア数eと指数関数eᶻの誕生の瞬間です。
オイラーは第8章<円から生じる超越量>で、”半径が1の円周の半周が3.14159265358979323846264338327950288…である”と述べ、表記を簡単にする為に”これをπと書く事にしよう”と述べている。
これこそが、πの誕生の瞬間でした。
ここでオイラーは、sinとcosの最も基本的な関係式”cosz²+sinz²=1”を虚数iを用いて因数分解し、(cosz+isinz)(cosz−isinz)=1を得る。
ここで、(cosz+isinz)ⁿ=cos(nz)+isin(nz)ー①、(cosz−isinz)ⁿ=cos(nz)−isin(nz)ー②を使う。これは”ド•モアブルの公式”と呼ばれ、証明は、cos(2z)=(cosz)²−(sinz)²とsin(2z)=sinzcosz−coszsinzを使い、(cosz+isinz)²=cos(2z)+isin(2z)となり、帰納的に導ける。
そこで、上の①②式より、
cos(nz)=((cosz+isinz)ⁿ+(cosz−isinz)ⁿ)/2、
sin(nz)=((cosz+isinz)ⁿ+(cosz−isinz)ⁿ)/2i、を得る。
ここで、nを無限大、zを無限小、nz=x(xは有限値)とすると。cosz=cos0=1、sinz=sin(x/n)=sin(x/∞)=x/∞。但し、sinz=0としない様にです。0を使うと、上の2式がオジャンになります。
これを上の2式に代入し、
cosx=((1+ix/∞)^∞+(1+(−ix)/∞)^∞)/2、
sinx=((1+ix/∞)^∞−(1+(−ix)/∞)^∞)/2i。
ここで、(第7章で)オイラーが発見したネイビア数の公式”eᶻ=(1+z/∞)^∞”を思い出そう。
そこで、zをix及び−ixに置き換えると、上の2式は、cosx=(eⁱˣ+e⁻ⁱˣ)/2、sinx=(eⁱˣ−e⁻ⁱˣ)/2iと表現出来る。この2式から、オイラーの美しい等式”eⁱˣ=cosx+isinx”が得られる。
結局、オイラーはネイビア数の完璧無比な公式を発見し、精度の高いネイビア数とπを計算しただけでなく、ニュートンの二項定理と三角関数の基本的な関係式を用いただけで、この美しいオイラーの公式を生み出した。
この記事は3年前ほどに書いたものだが、こうしたオイラーの一連の偉業は書く程にキリがなく、頭の中は混乱するばかりである。
しかし、久しぶりに振り返ってみると、数学の美しさが数学を拡張した結果が故の一般化に繋がってると思えば、不思議とスムーズに理解できる。
つまり、物理者のファインマンは数学のそういう所に美しさを見出したのではないだろうか・・
オイラーは、(a+b^n)/n=xという神が作った数式を男に突きつけ、<これを解いてみろ>と迫った。
だけど、数学の知識のないディドロは反論できずに逃げ去ってしまう。
というエピソードだが、勿論この数式はデタラメである。
男には、この数式がとても崇高で美しく思えたんだろうね。
当時は、”神の不在証明”が曖昧な背理法で成されてましたから・・
例えば、全知全能の神が存在すると仮定します。すると、神は全知全能だから自分より強い存在を作り出す事ができる。
しかし、全知全能である筈の神は、新たに生み出された神より劣ってしまうから、全知全能ではなくなる。故に矛盾する。
つまり、こういう事をディドロは哲学者っぽく吹聴してたんでしょうね。
勿論、こうした背理法も数学的に見れば矛盾してますが、オイラーはそれを逆手に取って問いかけました。
これも”デタラメにはデタラメで返す”というオイラーの美しい公式でしょうか(笑)。
級数展開はとても便利な近似式ですが、複素領域で”オイラーの公式”が正しい事を導く為にも使われました。
マクローリン展開はテイラー展開の特殊形であり、有限項でのテイラー展開の関係式を「テイラーの定理」と呼びますが、これは展開式がn次の主要項と剰余項とに分かれた状態となります。また、上記の関数がその級数展開の有限個の項を用いて近似する事を可能にしました。
証明には「コーシーの平均値」の定理を使いますが、nが無限大の時、つまり無限級数の時は「テイラーの定理」が成立し、かつ剰余項が0に収束する事が条件となります。
こうした級数展開が収束し、元の関数fに一致する時に、関数fは”(x=aで)テイラー展開可能”と呼び、”解析的”と言います。
しかし、関数fがx=aで無限回微分可能(=解析的)だとしても、その級数展開がx≠aで収束するとは限らず、収束したとしても一致するとは限らないし、一致するかどうかは、剰余項が0に収束するか否かにより判定できます。
簡単に言えば、x=aでの微分値が判れば関数のほぼ全てが判るとなりますが、数学が美しくある為には、こうした複雑な仕組みを理解する必要があるのでしょうか。
関数fの振る舞いをx=aでのn階微分係数により決定し、無限級数として、xのべき乗の形で表したもので、一般化で言えば、f(a),f′(a),f′′(a),⋯が分かれば、関数fの振る舞いが大方分かるというトリックでもありますね。
結論から言えば、テイラー展開はとても美しい級数展開が奏でる近似式とも言えますが
ご指摘の様に、例外がある為に万能という訳ではありません。
つまり、「コーシーの定理」を使い、剰余項が0に収束するか否かを1つ1つ判別する必要があります。
ここら辺が複雑で多くの学生を悩ませるんですが、sinxとcosxとe^xの級数展開を使うだけで、テイラー展開を知らなくとも”オイラーの美しい等式”が簡単に導き出せる。
勿論、これには厳密な証明が必要ですが、結論から逆算して数学の美しさを堪能する事も可能ですね。
つまり、小難しい証明とか理解は後からついてくる。
そんな風に気楽に思った方が、人生も数学もハッピーなのかも知れません。
”神は全知全能だから自分より強い存在を作り出す事ができる”
としましたが
”どんな強い神でも作る事ができる”とした方が正確ですかね。
ま、どっちみち、デタラメだからどうでもいいのでしょうが・・・