久しぶりに図書館へ行ったら、「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」という本のタイトルが目に飛び込んだ。
”ほめられたくないし、目立ちたくない、ただ埋もれていたい・・・。今、こんな若者が激増している”そうだ。
褒められた事なんて殆ど記憶にない私からすれば、羨ましい話だが、社会人育成や教育の現場から見たら、令和の重大異変とまで囁かれているとか。
”いい子症候群”と呼ばれる、ごく普通の能力の若者は巧みなリスク管理で動く。その結果が、本書の”人前で私を褒めないで”となる。
しかし(レビューの指摘の様に)、若者の”楽はしたいし、面倒くさい事はしたくない”という負のモチベーションの考察が、この本の著者には欠けている。
若者の(”いい子”にも見える)この繊細でネガティブな感情の理解が必要なのだが、成り上がり系教授に往々にして見られる(単調な)モチベーションで人を動かそうとするポジティブな人種には、到底理解できないのかも知れない。
ネガティブな感情がそんなに悪いのか?
事実、著者の(学力や知力はともかく)経歴や著書だけ見れば、風俗街のド派手な看板群を見てるみたいで、全てをポジティブに考えようとする気持ちも理解できなくはない。
しかし、こうした単調なポジティブ系人種に”ABC予想”でも取り組んでもらえば、僅か数分でネガティブな人種に様変わりするだろうか?
事実、天才数学者には今の若者の様に”目立ちたくない”系が多い。つまり、”(褒められなくてもいいから)証明が正しければそれだけでいい”という人種が多いのだ。
確かに、ポアンカレ予想やフェルマー予想といった難題に立ち向かう為に、屋根裏部屋に何年も籠もったペレルマンやワイルズのケースもある様に、彼らは超の付く”目立ちたくない”いや”褒められたくない”症候群なのかも知れない。
“いい子症候群”の若者に著者の金間氏は、”一生出世は望まない超強力な指示待ち集団でも、一見さわやかで若者らしく協調性がある様に見える。しかし目立ちたくないし、自分の意見も言いたくない。<100人中の1人で埋もれていたい>という感情のギャップが掴み所がない様に見える所以ではないか”とその特徴を語る。
しかし私から見れば、単に”最近の若者は”っていう頑固親父の愚痴や難グセにしか聞こえない。
こうしたサイレントマジョリティとも呼ばれる、若者らの表面的な爽やかさや協調性の良さが、ある種の自己防衛や生存本能として表現されてるなら、それは自然の流れでもあろう。いや、決して悪い事ばかりでもない筈だ。
現代数学とギリシャ数学は全く異なる様に、現代の若者だけを吊し上げ、大げさな話題にし、(学者風に)やんわりと難グセをつけるというのも??ではある。
確かに、自分を積極的に主張し、その時は褒められ称賛されても、後になってケチや中傷をつけられるのがオチである。結局、ポジティブとても幼稚な自己満足と同値であろうか。
事実、今の若者がプーチンみたいな強欲さらけ出し系のポジティブ人種ばかりだったら、そっちの方がずっと恐ろしい。それこそ、”令和の脅威”なのである。
そこで、”人を褒めてはいけない”理由をアドラー心理学の視点から眺めてみる。
人は褒めたらダメになる
アナタの部下が、あるプロジェクトを大過なく完遂した。部下を成長させたいと願うアナタは、この部下に対してどの様な言葉をかけるべきか?
①よくやった。アンタは偉い。
②組織の為に貢献してくれて有難う。感謝する。
一般的に、人を育てるには”褒める”事が有効とされる。誰でも褒められれば嬉しいし、1度褒められれば再び褒められ様と努力する。
故に、多くの上司は①を選ぶだろう。
だがアドラー心理学では、”褒める”事を徹底的に否定する。それどころか”叱る”事も”教える”事さえもいけないと。
理由は、”褒める事は相手の自律心を阻害し、褒められる事に依存する人間をつくり出すからだ”と、アドラーは言う。
”もう一度褒められたい”と願う事は、褒められる事への依存であり、褒められる事ばかりやる姿は自律性を欠いた状態に他ならない。裏返せば、人を褒めるという行為は相手の自律性を奪い、コントロールし易い”都合のいい人間”を作る行為という事になる。
故にアドラー的に言えば、正解は②となる。
以下、「アドラー心理学が教える”人を褒めてはいけない”理由」より一部抜粋です。
アドラー心理学では、人を育てるには”上から褒める”ではなく、”横から勇気づける”事が有効だと考える。
褒める事の正体は(依存心を育て)自律性を奪う事で”勇気くじき”に他ならないからだ。
では、人はどんな時に最も勇気が湧くかといえば、組織や共同体への貢献を”横から感謝された”時である。こうした感謝を何度も受け取る事によってのみ、人は自律的に成長し、勇気を獲得できるとアドラーは言う。
アドラーが賞罰教育(=アメとムチの教育)を徹底的に否定した理由がここにある。
前述の金間氏とは考察の視点が違いますね。
人は褒められると”攻撃的”になる
アドラー心理学の祖であるアルフレッド・アドラー(オーストリア)は、フロイトやユングと並ぶ偉大な心理学者ともされるが、アドラー心理学は2つの点で際立った特徴を持つ。
1つは(今見た様に)常識的な考え方を尽く覆してしまう点。もう1つはフロイトやユングが主に精神病者を研究対象としたのに対し、健常者を対象としてる点である。
健常者を対象とするアドラー心理学は、子供の教育だけでなく、社員教育や人材教育にも応用が利き、極めて実効性が高いとされる。
アドラーは”人を褒める”行為こそが相手の自律性を奪うと言ったが、例えば、フェイスブックに投稿して、”いいね”がつかないと不安になる人が多いのは何故だろうか?
これをアドラー流に言えば、こうした不安感は”賞罰教育を受けて育った人が褒めてもらえずに陥る負の精神状態”という事になる。更に言えば、”攻撃的な人”の多くは過剰に褒められたり、思った通りに褒めてもらえなかった人々の成れの果てなのだ。
アドラー心理学にて「劣等感と優越」は最も重要な理論の1つである。
人間は誰でも劣等感を持つが、それを建設的に乗り越ええる人と非建設的な方向に走る人の2種類が存在する。
前者はいわゆる”劣等感をバネにする”人種で、後者は非行に走り、犯罪に手を染める事で目立とうとする人種だ。一見、方向は真逆だが、”劣等感を優越したい”という目的(=攻撃的野心)は同じである。
では、何がこの2種類の人間を生み出す原因になってるのか?
それは”褒める”と”勇気づける”の違いである。アドラーによれば、”上から評価”して褒める事は、劣等感を建設的に超克するバネを与える事にはならない。むしろ、劣等感を刺激されると反射的に怒る人間や、劣等感を隠蔽する為に常に自慢をし続ける人間を生み出してしまう。
それこそがまさに”攻撃的な人”の正体なのであり、いずれも賞罰教育がつくり出した”哀れな人格”という事になる。
更に、アドラーのもう1つの重要な理論に「目的論」がある。
人間の感情(怒り)は自然に湧き上がるものでなく、ある目的を達成する為につくり出されるものだという。当然、怒りの感情にも目的がある。攻撃的な人は、決して生まれながらに怒りっぽい訳ではなく、ある目的を達成する為に怒りという感情をつくり出し、それを”使っている”にすぎない。
アドラー心理学ではこれを”使用の心理学”と呼び、攻撃的な人への正しい対処法は”怒りの使用”という観点から眺める事で初めて見えてくる。
最後に〜攻撃的な人への対処法
「職場の困った人へ・・・」では、”攻撃的な人”への対処法をアドラー心理学から説明する。
因みに、困った人には①(何事も)全力否定型②見下し自慢型③怒り不機嫌型④正論KYタイプの4つがあるという。
(一番頑固な)少し意見しただけで逆切れする①の人種は、一見攻撃的に見えるが、中身は攻撃的ではない。つまり、劣等感が異常に強い為に、自分とは異なる意見に対し”自分の存在が否定された”と受け取り、怒ってしまう。
策としては、”YES・BUT技法”を用いて一旦発言を認め、”なる程それも一理あります。因みに私の意見は・・・”と”上書き”せずに、こちらの意見を”横に並べる”のだ。
言い争いになりそうな時は”バスルームテクニック”を使い、トイレに行くふりをしてクールダウンさせる。
議論の内容より勝敗が主題になる状態をアドラーは”権力闘争”と呼んだが、こうなると人間関係の修復は難しい。
以上は、登録が必要なので読めなかったが、興味ある人は登録しても損はないと思う。
人前で”褒める”事が依存症を引き起こし、やがて自律神経を奪い去り、逆に隠されていた劣等感を逆撫でする。
最悪は(プーチンみたいな)狂暴的な人種を作り出し、権力闘争を巻き起こし、隣国に侵攻を仕掛ける。
「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」の著者である金間大介氏の”いい子症候群”の視点で考察しただけでは、こうした攻撃的人種の本質までは見抜けない。
金間氏によれば、”10代後半から20代前半くらいまでをZ世代と呼び、ネットを使いこなすスマホネイティブとも言われ、社会貢献意欲も高いとされる世代だ。私が提唱する<いい子症候群>Z世代全体の半分はいる”と警戒心を強めるが、昔ながらの脊椎反射系の攻撃的オヤジの方がもっと警戒を要すだろうか。
プーチンを見れば答えは明らかだが、Z世代の若者よりも、旧ソ連時代の攻撃的な若者の方が人類にはずっと脅威な筈である。
Z世代の若者は自身のリスクや生存適正を考え、敢えて”目立たなく、埋もれていたい”という静かな行動をとってるだけの事である。
少なくとも、プーチンみたいな狂った独裁者を排出させない為にも、安易に人前で”褒めない”いや”叱らない”事は、攻撃的な人種を作り出さない為にも重要な事だろう。
人は褒められると狂暴になる。
つまり、”飴とムチ”は破滅を呼ぶだけである。
狂暴になる
依存症が強くなり
自律神経を潰し
褒められることだけを
目的に生きる
やがて称賛は強欲に変わり
強欲は権力闘争に代わる
世界の狂暴な独裁者は
そうやって排出される
著者の金間大介には
アドラーの心理学的な考察が抜けていた
Z世代の若者を議題にするでなく
称賛と懲罰に依存する
人間の攻撃性を
一番最初に問題視すべきだった
アドラー心理学が閃いたんですよ。
しかし少し読んだら、全然視点と考察が違ってた(ガックリ)。
でも多くの日本人は、こんな絵本のレベルで満足するんですよね。
言われる通り、一見大人しい若者が秘めた攻撃性を最初に議題にすべきですよね。
でもこの本の著者には”いい子”にしか見えない。
とても悲しい本だと思いました。
コメントどうもです。
骨抜きにする
これこそが
”いい子症候群”の甘いワナという事だ
ガッテン
大人になったら奴隷みたいにこき使う。
21世紀の国民総奴隷化は、こうやって成し遂げられる。
若者は明らかにそういう事を危惧している。
褒められなくてもいいから、自分のやりたい事をしたい・・・
つまり、”いい子症候群”なんてのは
大人が勝手につけた(自分に)都合のいい口実なんですよ。
コメントありがとうです。