1979年のかなり古い映画で、借りるとき正直迷った。
エラリー・クイーンの推理小説「災厄の町(CalamityTown)」を野村芳太郎監督が映画化した作品で、新藤兼人が脚本を執筆した。
舞台を山口県萩市に移し替え、地方の上流家庭の美しい3人姉妹の葛藤から恐ろしい殺人事件が起こるという設定に変更する。
映画業界では、昔から翻訳物は成功しないといわれてたが、新藤と野村は”そのジンクスを破ってみせる”と意気込んでいた(ウィキ)。
事実、海外の著名な推理小説をパクって失敗した日本映画は数多く存在する。
地味なタイトルもあってか、どうせ「Wの悲劇」みたいな”お嬢様向け”の薄っぺらな作品なのかなと勘繰りつつも、栗原小巻や佐分利信や音羽信子に加え、片岡孝夫に竹下景子に松坂慶子らの超豪華キャスト群に惹かれ、思わず手にとってしまう。
何度も何度もしつこいが、年末年始は「ゴジラVSコング」で大きく裏切られた為に、(昭和生まれの映画通としては)何とかリベンジを果たしたかった。
結果から言えば、大の大の大正解だった。
シナリオもキャストもスタッフも完璧だった。全てが傑作揃いである。これ以上の至福が何処にあろう。見終わった後も、ずっと余韻に浸っていられた。
傑作と言われる作品は、オープニングの段階ですぐに判る。DVDをセットした早々、”気合が入ってるな”と唸らせる独特のオーラが、画面から十二分に伝わってきた。
数学の公式もそうだが、パッと見でその凄みと威力は大体において想像できる。
一方で、駄作とされる映画は(「タイタニック」がそうであった様に)、幕が開いた時点で(簡単な因数分解みたいに)すぐにその粗と結末が露呈する。
毒殺か?純愛か?
大まかな展開としては、山口県にある旧家の唐沢家には、父・光政と妻・みつ江と麗子・紀子・恵子の美人3人姉妹が暮らしている。
2女の紀子(栗原小巻)は父(佐分利信)が経営する大手銀行の社員である藤村敏行(片岡孝夫)と結婚する事になっていた。が、3年前に敏行が突然失踪し、以来、紀子は部屋に籠り、魂の抜けた様な生活を送っていた。
しかしある日、敏行が突然帰って来る。紀子は大喜びし、久々に笑顔が戻る。父の大反対を押し切り、二人はめでたく結婚するのだが・・・
それから数日後、紀子は敏行の本の間に挟まれた(結局は配達されなかった)3通の手紙を見つけ、それを読んで驚いた表情を見せる。その手紙は敏行の妹?の智子(松坂慶子)に宛てられたものだったが、内容は恐るべきものであったからだ。
やがて、その手紙に書かれた通りの事件が起こり、紀子が嘔吐し、更に智子が・・・
これ以上書くと(もろ)ネタバレとなるが、展開としてはとてもシンプルで、個々の人間ドラマを深く掘り下げた傑作に仕上がっている。
勘のいい人は、智子が強引に唐沢家に現れた時に、ある程度のシナリオは読めた筈だ。しかし、唯一の不満を言えば、松坂慶子にはもう少し大人し目の優雅で魅惑的な悪女を演じてほしかった。
それに対し、栗原小巻の縁起は圧巻で熟成されていた。佐分利信も(その存在感をもってして)終始、スクリーンを圧倒している。
それに、イケメン片岡孝夫の(脆弱だが)高質で冷酷な一面を、微妙に絶妙にさらけ出す辺りも実に憎い。
結果から言えば、敏行は(手紙通りに)妻・紀子を毒殺する計画だったが、父・光政の目は節穴ではない。
しかし、幸運?にも何らかの手違いで(憎き)智子が死ぬ事で、光政の思惑通りにはなると思いきや、愛娘の紀子までもが息を引き取ってしまう。最後には、犯人とみなされた敏行が逃亡中に墜落死する。
つまり、愛人を巻き込んだ夫婦の無理心中(事件)という事になる。
結局、犯人は誰だ
ここら辺の解釈は個人差があると思うが、盛大なる敏行の誕生パーティーの裏側を光政は薄々見抜いてはいた。そして、(毒殺による)殺人事件が起きる。
唯一の誤算だったのは、智子の気まぐれな行動だが、この映画の最大のクライマックスでもある。
一方で、腹の中に5ヶ月の子を孕んでる紀子は(自分を毒殺しようとした)敏行を庇った。
逆に、警察から取り調べを受けた敏行は子供の事を知らされ、動揺する。つまり、妻は(配達されなかった)手紙の事を知ってて、子供の事を内緒にしてたのだ。
確かに、愛する旦那に殺されるくらいなら、高家の気高い妻は自殺する事を考えたかもしれない。
敏行は、そんな純朴な紀子を愛する様になってしまった。しかし皮肉にも、敏行が考えた計画を、妻の紀子が自ら実行しようとしたのだ。
事実、紀子は自分で毒を入れ、死のうとしたが、そのグラスを(酔っ払った)智子が奪い飲んでしまった為に、紀子の計画が狂った。
矛盾と矛盾が重なり合った結果、智子が毒殺された形となる。
”アナタごめんなさい。私が全て悪いのよ”
紀子のこの言葉が、全てを表している。
敏行は愛する妻を庇う為に、全ての犯行を自分か計画し実行したと(嘘の)自白する。しかし、妻が死んだ今、刑務所内で生きてても意味はない。
結局、敏行の大学の後輩として新聞記者に扮し、実の兄をかばい続けた妹(竹下景子)が予め用意してた車に乗り、敏行は逃亡する。そして(決まった様に)転落死を遂げた。
一方で、光政のお抱え判事の峰岸(渡瀬恒彦)は、以下の様に分析する。
”藤村は自分の書いた手紙通りの事が、次々と起こるのを見て、誰がやっているか?ある時に気付いたんだ。それで、自分が罪を全部被ろうと決めた。
しかし、こういう形で終止符を打つとは思わなかった。そのきっかけを作ったのは彼女(敏行の妹)だ。兄の紀子さんへの激しい愛を感じ、兄に逃亡の手助けをする事を決めたんだよ”
”あなたの仕事は真実を見つける事ですが、この事を公表しますか?”と甥のボブ。
”いや、これを公表した所で、救われる人は誰もいない。逆に傷つく人はいるがね”
”真実を知っているのは私たちだけね”と三女の恵子(神崎愛)。
”いや、もうひとり・・・”
峰岸の目は、光政の方を見つめていた。
因みに、セリフは「日本の女優さん22」を参考にしました。
最後に
結局は、思いきりネタバレになってしまいましたが(笑)、”ジンクスを破ってみせる”とのスタッフの意気込みは本当でした。
しかし、”謎の妹”が2人も登場するのはちょっと不自然?というご指摘もある。
確かに、戸籍を調べればすぐに判る事だ。でもあくまで映画上の出来事である。行き過ぎたリアリズムは、作品を陳腐に平坦化するだけだろう。
一方で、敏行の3年間の失踪は少し説明が欲しかったし、その期間に起きた智子との際どい描写も必要だったのではとも思う。
それに、敏行の妻殺害計画を智子がどこまで詳しく知ってたか?の描写も曖昧である。事実、(配達されなかった)手紙の内容は、妻の悪化した病状と死ぬ予定の日付だけである。
智子の(イライラした)捨てばちの態度からは、(当初は)敏行と共策して紀子を殺す計画だった事は明らかで、その後、敏行の殺意が紀子から智子に向けられていくのも明らかであった。
つまり失踪した3年間と、敏行と智子の過去に起きた淫蜜な関係を(時間を割いて)明確に描くべきだった。一方で、甥のボブの登場や恵子との”探偵ごっこ”は、今から思うと余計に思える。
”あなたのせいよ!
あなたが紀子を殺したのよ”と、訪ねてきた長女の麗子(小川真由美)は光政に言い放つ。
”何しに来た?出てゆけ!”と怒鳴る光政。
”あなたには分らないわよね”
と言って、麗子は部屋を飛び出して行く。
つまり、何が起こるか?を薄々知っていて、敢えて光政は(敏行の為に?)盛大な誕生パーティーを開いた。
もし、このパーティーが行われていなかったら、紀子も智子も死ぬ事はなかったし、敏行の憶測と紀子の計画も流れてたかもしれない。
「配達されなかった3通の手紙」は、そのまま実行されずに、闇に消えたかもしれない。
しかし、これはあくまで結果論に過ぎない。
だが、それら欠点を包めても、昭和の良き時代の優雅で高質な香りのする作品でもあった。
今年は「ナイル殺人事件」(2/25公開)が、1978年以来44年ぶりに復活する。
今から期待でワクワクだが、ぜひとも、70年代の崇高で熟成した香りがする作品である事を、ただただ望むばかりである。
でもオリエント急行殺人の練回しのような気がしないでもない。それだけが心配ですが。
エラリークィーンの「災厄の街」では名探偵が殺人事件を未然に防ごうとしますが
この映画ではその名探偵役がいない。
ボブと三女が探偵役となるが、とても代わりにはならない。
誰が犯人か?というのではなく、深く掘り下げられるべき人間ドラマをじっくりと楽しめる推理ドラマって、いつの時代でも受け入れられます。
転んだ君のこの記事も、深く煮詰まった人間ドラマそのものだと思う。アッパレです。
私には女優さん達の名前だけでも懐かしさと魅力を感じる映画です。この映画に出演した往年の女優さん達は今どうしていられるでしょうね。
推理小説は絶妙な人間ドラマに限りますよね。
でもこの映画は、犯人なんてどうでもよくなるんですが。かと言って、最後には誰だったのかなって疑ってしまう。
ここでは誰だとは言いかねますが・・・
「ナイル殺人事件」(2022)は探偵役が「オリエント急行殺人事件」(2017)のケネス・ブラナーで、実質の続編になりますから。
そういう意味では練返しになるかもですね。
人間の静かに深い欲望が絶妙に隠されてる。
ここまで繊細で冷酷な推理映画とは思わなかったです。
でも、往年の女優たちは当時は眩いばかりの存在でした。今はただのオバサンかもですが、私にとっては永遠のマドンナです。
間接的にはですが
唐沢家のドンである光政が犯人です。
あえて敏行の誕生パーティーを大掛かりに開催して娘紀子の毒殺を防ごうとした。
最初から殺人犯を敏行に絞っていた。
ギリギリの所で紀子を救い出し
敏行が殺人罪で逮捕され離婚が成立すれば
唐沢家には何の傷もつかない。
しかし敏行は妻毒殺を実行できず代りに愛人の智子が死んだ。
ここまでは光政の計画通りでしたが
智子が死んだのは紀子が自殺するために用意した毒でした。
それでも紀子が生きてれば完全犯罪に近い形で終えれたでしょうが、死んでしまったために敏行まで自決した。
結局、唐沢家に残されたのは5ヶ月になる紀子の子供だけです。
この映画の続編が見て見たいです。
光政としては敏行と智子の共策として、二人まとめて豚箱行きとしたかったんでしょうが。
敏行に心変わりが生じ、全てがパーになったような気がします。
妻の紀子が敏行に代わり計画を実行し、自らを毒殺するとまでは、流石の光政も考えもしなかった。
それでも紀子さえ生きてたら、自殺未遂の毒を智子が知らずに飲んで死に至った事で、敏行も釈放され、全てが万々歳の筈でしたが、それではつまらなさ過ぎる。
エンディングとしては絶妙でしたよね。
コメントありがとうございます。