
どうも最近は便秘と下痢を繰り返し、体調がすこぶる悪い。これも自粛生活のツケが大きいのだろうか?
人類は、元々お天道様の日差しを沢山浴びて、はしゃぎ回る生き物なのだろう。
部屋の中にばかりいると、全てのバランスが崩れるのだろうか。
そこで今日は、少し早いですが、”夏の日の思い出”というテーマで話を進めます。
夏の海辺での思い出
夢の舞台は、真夏の海水浴場でした。
中学生の私は、テニス部の夏合宿の貴重な休日を、とある海水浴場で過ごしていた。
私たちは、灼熱の中の地獄の猛練習から逃げる様にして、海水浴場に来ていたのだ。
遊ぶとか楽しむとかいう目的もなく、たまたま逃げこんだ場所が海水浴場だっただけである。
皆が皆、放心状態のような有り様で、砂辺にグタっとなり寝込んでいた。
私たちはしばらくの間、口一つきかなかった。それだけ毎日の長時間に渡る特訓に疲れ果ていたのだ。
私の隣には、元プロ野球選手の秋山幸二(西武、ソフトバンク)さんが寝そべっていた。
因みに、私と秋山さんとは同級であるが上に、誕生月も同じである。
私は秋山さんに力なく声を掛けた。
”故郷は熊本の八代でしたっけ?この時期は海水浴場で賑わうんでしょ?”
秋山さんはとても大きく見えた。TVで見るのと同じくらいに大きく見えた。
”街の方に行けば賑わうけど、田舎じゃパッとしないね”
私は遠くでビーチバレーをする女達を見ていた。
”いいですね、ビーチバレー。私なんかテニスなんかやらなくて、ビーチバレーやってればよかった”
秋山さんは笑った。
”その身長じゃ無理だよ。俺だって小さいくらいだから”
私も笑った。そして皆も笑っていた。
トップレスの女
みんなは私と同じ様に、ビーチバレーではしゃぎまわる女の子に視線を集中していた。
二十歳前後の女の子たちであろうか?思春期の妄想を膨らますには十分過ぎる程だった。
私は、ある女性と目があった。
女のグラマラスな肉体が太陽の日差しを浴び、黄金の彫像のような輝きを放っていた。
女はおもむろに、そして何の恥じらいもなくブラを外した。
私は今までの自分の人生が馬鹿らしくなった。これまで頑張ってきた事がアホらしく思えてきた。
トップレスの女は私に、”人生は楽しむものよ、苦しむものじゃないわ”とでも囁いてるように思えた。
この時私は、扱かれるだけの苦労に耐えるだけの人生が真の勝者ではなく、単なる”愚か者の敗北”を意味する事を悟りつつあった。
我らがテニス部は、地方大会の連覇が掛かっていた。
もともと弱小で万年最下位の貧相なテニス部だった。周りからは”オカマの毛腐れ”とバカにされ、猛練習の後の帰り道ではイジメに遭う事もしばしばだった。
しかし、1人の鬼先輩の異次元の扱きが全てをひっくり返した。私達はその先輩に必死でついていった。
先輩が言う1から10までの全てを信じ、奴隷船で運ばれた黒人の如く、超絶した鍛錬に耐え忍んだ。
地獄の日々
そう、中学生の頃の真夏の地獄の日々のツラい思い出が夢になって現れたのだ。
”忍耐・根性・精神力”
中学校の時の私には、この3つの言葉しか頭になかった。学校ではイジメられ、軟式テニスの部活では極限にまで扱かれ、家に帰れば、兄から毎晩の様に殴られ、叩きつけられた。
黒いビニール袋を顔に被せられ、殴られた事もあった。ゴザを身体中に巻かれ、馬乗りになって殴られた事もあった。
まるで、TVで映し出されるイスラム過激派の壮絶で残酷なリンチを彷彿させるかの様だった。
それでも私は生きていた。
不思議と死のうとは思わなかった。いや、もう1人の自分は既に死んでたのかもしれない。
夢の舞台は、とある合宿場のロッカーに移った。
私は練習を放棄し、ロッカーの奥にある洗し場で時間を弄んでいた。するとそこに、かの鬼先輩がやってきた。
高校に進級した先輩は、連覇が掛かった私達の練習を密かに監視していたのだ。
”アイツらだけではまともな練習は出来ない。俺がいないと何も出来ない奴らだ”とでも言いたげそうな表情だった。
先輩は私を、殺気走った凄さまじい形相で睨みつけた。
私は、それ以上の凄まじさで先輩を睨み倒した。先輩の鬼の形相が一瞬怯んだ。
私は先輩の頭髪を鷲掴みにすると、渾身の力を込めて、鬼の頭を洗面台に叩きつけた。そして、もう一度叩きつけた。
奇怪に腫れ上がった男の顔には、何も残ってはいない様だった。
只々、力ない眼差しをこちらに向け、まるで”俺が何をした。俺は全てを犠牲にして、お前たちをここまで強くしてやったんだ”とでも言いたげそうだった。
そして、男の悲しい視線が私の心を揺さぶった。
真の敗北とは
先輩は力なくフラフラと立ち上がり、テニスコートへと向かう。
他の部員たちも練習はしていなかった。
かつて、鬼と形容され、伝説にもなりかけた男が顔を見せても、皆はベンチに座り、遠くを眺めてるだけであった。
部員の1人が、傷ついたその”伝説の男”に殴り掛かった。そしてまた1人と、先輩を殴りつけた。
男は立ち上がる力すら持ち合わせてはいなかった。
”これがかつて鬼と恐れられた男の最後なのか”
私は男に手を差し伸べ、ベンチに座らせた。
”真の敗北とは何もしない事を恐れる事だ”
私は紙に記してあった言葉を先輩に告げた。他の部員たちもその言葉を繰り返した。
この時点で、大会連覇の夢は消え去った。
夢の舞台は試合会場へと移った。
勿論、私らがチームは既に敗れ去っていた。
会場では、決勝戦が行われていた。
計4人の選手が白い球を必死で追いかけている。それも若い女性の乳房よりも柔らかそうな真っ白の空洞のボールだ。
それを見て、アホらしくなった。
私が死ぬような思いをして、全てを犠牲にして必死で追いかけてたのは、スポンジボール程の軽く白いふわふわの球だったのだ。
枯れ枝みたいに扱き抜かれた選手が、爪楊枝でできたロボットの如く走り回る姿が異常なまでに滑稽に映る。
急に虚しくなった私は、1人でその会場を後にした。勿論、先輩がそこにいる筈もなかった。
その時、夢から覚めた。
再び、トップレスの女
こういう夢を見るのが一番ツラい。
昔の嫌な過去が増幅されて蘇る。これ程の不幸がどこにあろう。
しかし、そんな不幸な私を救ったのがトップレスの女である。
ビーチバレーとトップレスがなぜに夢に出てきたのか?
ゆっくりと過去を振り返ると、確かに思い当たるフシがある。
軟式テニスの練習試合で久留米市の某中学校に出掛けた時、試合はそっちのけで、バレーボールの練習をしてた女子たちをずっと眺めてた事がある。
久留米でNo.1のチームという事で、同僚はテニスの試合に集中していた。しかし私は彼女たちに導かれる様に、女たちとバレーボールを楽しんでいたのだ。
自分の番が来たら知らせに来る様、後輩に手配はしてたから、何ら問題はなかった。
当然の事だが、練習試合には殆ど力が入らない。試合中も頭の中は女の子とバレーの事で充満してたからだ。
それでも練習試合だが、殆どが圧勝だった。相手には悪いが、目を瞑ってでも勝てる相手だった。
あの”夏の日のバレーボール”はまさに最高だった。まるでカルフォルニアの日差しを浴びながら、ブロンド娘とビーチバレーをしてる様な気分だった。
正直言うと、私はバレーボールがしたかった。でも身長が足りないから、軟式テニスを仕方なくやってただけである。
お陰で、死ぬ一歩手前まで扱かれた挙げ句、ちっとも上達しなかった。その上、心臓を悪くし、精神面のバランスも性格も、それに頭も悪くなった。
あの時、夢に出てきた言葉にあった様に、”真の敗北とは何もしない事を恐れる事”を実践してたら、どんな人生を送ってたろうか?
まさかトップレスの女と結婚して、平和な家庭を築いてたかどうかは分からないが、少なくとも不幸な運命だけは回避できた様にも思う。
過去の嫌な事が夢に出る度に、つくづくツキと運のない人生だと思う。
驚かすわけではありませんが、大腸癌の特徴に便秘と下痢の繰り返しがあります。一度検査をしてもらったほうがいいかもしれません。
豆乳ヨーグルトを飲んでからある程度は良くはなってますが。注意も必要ですね。
人間は欲望のまま生きたほうが結果的にはいいことがあるような気もするんです
転んだサンが見た夢は
神様が本能のままに生きたほうがきっといいことがあるよって暗示だと思います
トップレスは出来過ぎですがねぇ(^^)
夢に出たトップレスの女は、神様が与えてくれたプレゼントであり、私の欲望でもあったんですね。
そう思えば悪くはない夢だったのかな。