散弾銃を持った男が医師を人質に自宅に立てこもった。その結果は誰もが知る通り、最悪の結果となる。
一人で母を介護する男は、本当は”イイ人”だったかもしれない。でも、殺人は殺人である。それもお世話になり続けていた医者を(それも前もって用意してた)散弾銃で殺したのだから・・・
サイコパスも冷徹で凶悪な生き物だが、イイ人もそれに負けないくらいの恐ろしく迷惑な存在だとしたら?
イイ人なのに、やたら腹が立つ。
イイ人な筈なのに、心底ムカつく。
イイ人には違いないのに、一緒にいると疲れるし、ストレスがどっと溜まる。
イイ人だったのに悪い人に成り下がり、凶悪犯罪に手を染める。
最後に、イイ人ほどバカである。
イイ人ほど、恐ろしい
アナタには、こんな経験はないだろうか?
”一見いい人”が厄介なのは、多くの場合、(悪意がない事に)自分の善意で他人が傷ついてるのに、全く気が付いてない事にある。
相手は”心底良かれ”と思ってやってるのだから、”自分も同調すべきだ”と自分を抑え込んでしまうが故に、余計にイライラしてしまう。
こういうイイ人ほど、人を家に誘いたがるし、そのオモテナシも度がすぎる。場の空気を読みすぎるから、こっちが余計に疲れる。
またこういう人種ほど、祭り好き・世話好き・面倒見好きの3刀流でもある(多分)。
「一見いい人が、一番ヤバい」(下園壮太 著)では、いい人と会って”考え方がネガティブになる”、或いは”ソワソワして落ち着かなくなる”や”些細な事で怒りっぽくなる”とかの症状に陥ったら、とても危険な兆候であると説く。
つまり、”一見いい人”に接した時のイライラ感に気づいたら、手遅れにならない内に対処しようと。
実にユニークな視点で、いい人を捉えてると思う。
日本では”いい人”というだけで、それは信用となり、出世の大きな武器となる。
同じ様に、ブログでも”イイね”を沢山押す事でフォロワーの信頼を得て、ランキングでも優位に立てる(多分)。
そういう私も、煩雑に”イイね”を押す人にストレスやイライラを感じ始めている。”イイねを押すくらいなら(反論でもいいから)コメントをよこせ”って言いたくもなる。
無記名のやんわりとした脅迫状を送りつけられる様な気がして、正直いい気はしない。
勿論、”イイね”を押す側は心底良かれと思ってやってるのだろうが、(私も日本人だから)返さなければならないと思うと、流石にストレスが溜まる。
しかしどうしたら、この”イイ人”や”イイね”から逃れられるのか?
パターン1=”これ見つけたの、食べてみて”と、やたらとモノをくれるが本音が怖い。
パターン2=”あなたの事が心配で”と用もなく押しかけ、強引に尽くしたがるオバさん。
パターン3=”それ、めっちゃ最高!”と常にハイテンションで、そばにいるだけで疲れるキラキラな中年女子。
パターン4=”アルアル、絶対にアル”の何でも同調型。全てに同調する事で浅薄な一体感を確かめ合う。
パターン5="被害者が可哀そー、それに加害者も可哀そー"と何にでも同情を示し、自分をも憐れんで欲しいと願う。
パターン6=批判やシリアスなネタを回避し、ペットや料理など無難なネタでアクセスや”イイね”を稼ぎまくる。
以上に当てはまる”イイ人”は、アナタの近くにもきっといる筈だ。いや、イイ人という仮面を被ってるだけかもしれない。
因みに、本に書かれてるのは上3つのパターンで、残り3つは自分で勝手に予測したものである(悪しからず)。
イイ人という名の吸血鬼
そうしたイイ人が横にいるだけで消耗し、普段以上に警戒し、最後には自己嫌悪に陥る。
この負のループはエネルギー損耗の中核をなし、”いい人”という名の”エナジーバンパイヤ”に食い潰される。
結局、イイ人とは距離をとる。”イイね”を無差別に送る人とも距離をとる。
親戚や家族ぐるみの付き合いなどに多い、こうした厄介な人種。なぜか会った後には本当に疲れ果て、最後には自分嫌いになってしまう。
故に、自分が何か悪い事をしたかの様な錯覚に陥る。しかし、相手は決して悪い人ではない(むしろ、いい人だ)。だから余計に疲れる。
”低温やけど”みたいに、じんわりと襲ってくる穏やかな恐怖。そして知らず内にエネルギーを吸い付くす、人生の最悪の吸血鬼。
私が親戚(特に母方)が嫌いなのはそこにある。まさしく彼ら彼女らは親戚という名の吸血鬼である。
十字架を突きつけ、聖水を浴びせ、自死するのを待つか?それとも自ら逃げ去るか?
いくら長年の親友でも、会話が微妙に(これ大事)噛み合わなくなり、発言に傷つく事が増えてきたら、切り捨てるチャンスである。相手は、アナタの全てを吸取ろうとしてるのかもしれない。
しかし、イイ人とは自分の中にも存在する。自分が弱い人間であるからこそ、イイ人になりたがる。イイ人同士で纏まりあい、心の平穏を作り出す。
何とおめでたい危険で残酷なシステムであろうか。ブログやSNSやTwitterなんて、その典型かもしれない。
毒性の弱いイイ人を増産させ、蔓延させるネットの海のコミュニティ。
知らず内に、アナタはイイ人という名の猛毒な凶悪犯になってたとしたら?
そうならないという保証は、どこにあるのだろうか?
最後に〜一番怖いのは自分かもしれない
実は、(何を隠そう)そういう私もイイ人ではある(多分)。
しかし、イイ人なのに人を殺した事も薬物に手を染めた事もないし、勿論犯罪歴もない。
なぜだろうか?
よく思う事だが、私がイイ人でなかったら、凄く出世してたと思う。自分がイイ人である事に気付く度に深く落ち込んでしまう。
サイコパスインサイドではないが、自分の中にイイ人という危険な素因子が存在する間は、散弾銃をぶっ放す狂人になる可能性は十二分にある。
イイ人が悪い人でなくなる日。
そういう時代が果たして訪れるのだろうか?
そういう私は、(自分も含め)イイ人はどうも信用できない。危険でなくともストレスが溜まる。イイねに苛つく様に疲れるのだ。だから、私自身にもウンザリする時がある。
そう思うのは、私だけではない筈だ。
結局、イイ人とは何処にでも何時でも存在する(日常的に)そこにある恐怖なのかもしれない。
そういう意味では、日本人はいい人であり悪い人なんでしょうね。
でもリンクするほどの記事でもないような・・・いやそうでもないか
いやね、これがなかなか外せないんですよ。
唯でさえ過疎ブログなのに、コメントもない、いいねもないじゃ、あまりにも寂しすぎますからね。
でも計った様な3連ポチだけは何とかならんのかと思いますが・・・
全て同意です。
自分のイイ人の感情を押し込めバブル中。
年賀状も2年前から止め、、、
退職してから縛られるものがなく、ウンザリする疲れから距離をとっています。
ついつい「イイ人」が出ることもあるが(笑)
「苦手」だと思っている事実には、スーッと距離をとって、、、
>一番怖いのは自分かもしれない
⇒ホントに凄いエネルギーがいるよね。
日本古来の風習やしきたりは全て、日本人がイイ人であろうとした結果、作り出されたように思います。
つまり、日本では”イイ人=美徳”なんですよ。
表向きのオモテナシも礼儀正しさも勤勉も、全てはイイ人である為の偽善ですよね。
イイ人を演じるだけでも相当のエネルギーが要りますから。故に、日本人であるとはそれだけストレスが溜まる。
今の日本人はイイ人の鎧を脱ぐべきだと思いますが・・・
何でも陰謀説と結びつける人
マスクやワクチン接種に異常なまでに神経質になる人
小学生になってもサンタを信じてた人
あとはスケベな時の転んだサン!なんちゃって👅
などなど
いい人の例を挙げればキリがないんだけど
世の中っていい人で溢れてんるんじゃないかしら
ユリゲラーは今でも英雄ですよ。引田天功も良かったけど・・・
酔うとスケベになるのはイイ人の証拠ですよね。でも夢の中でスケベになるのは悪い人の証拠です。
言われる通り、世の中はいい人で溢れています。だから怖いんですよ。