最近は、劇場で映画を観る事がめっきり少なくなった。それに今やレンタルして見る気すら起こらない。夜中にぼーっと起きて、ごく偶に深夜のTV映画を眺めるくらいだ。
そんな中「ハミングバード」(英 2013年)という映画を見た。ヘビーマニアの評価はそこそこ高いが、典型のブラックエンド系で、中途に後味の悪い作品に映った。
そういう私も惨めな人生を送ってるので、こういった惨め連発の空虚なアクションスリラーには、不思議と興味を覚え、深い郷愁に駆られる。まるで自分の人生と人生の終焉を見てるみたいだ。
一言で言えば、”愚者の様に生き、愚者の様に死ぬ”
復讐する程に反発する程に、自らを追い詰める。まさに”負のダッチロール”を地で行く虚しい生き様。
人生は一度でも汚れたら挽回は効かない。
爽快アクションというより、生々しい虚無の暴力と不幸な出来事が、主人公の人生に延々と折り重なる。それでも男は戦い続ける。
最近のイギリス映画は、こういった郷愁を誘う曖昧なグレー色の、バッドエンドの作品がチラホラと目立つ気がしないでもない。
それかと言って、昨今の雑でインスタントなハリウッド作品とは一味違う何かがある。その何かとは?
アフガンの戦場で、5人の仲間を目の前で殺された特殊部隊のジョセフ(J•ステイサム)は、その報復として民間人5人を独断で殺害する。軍法違反となった彼は、その姿を無人偵察機「ハミングバード」により監視され、軍からの逃亡を余儀なくされた。
殺害容疑の軍法会議から逃亡したジョゼフは、ロンドンでホームレスに姿を隠す。惨めな彼の境遇を慰めてくれるのは、唯一心を開いた同じホームレスの少女であった。
ドラッグと酒に溺れたジョゼフはギャングに追われ、たまたま逃げ込んだ高級アパートに隠れたが。そこの住人は半年以上も不在だった為、住人を装って生活をはじめる。
一方ホームレスの少女は、ギャングの一味に捕まり、ドラッグ漬けにされた上、売春婦として風俗店に立たされていた。
ジョゼフは、怪我をした時に助けてくれた修道女に、悲しくも淡い恋心を抱く。その修道女もバレエーを夢見てた10歳の頃、自分を17度もレイプした体操の先生を18回目のレイプの時に殺したが為に、修道院に入れられた苦い記憶を持つ。
故に2人は、互いの傷を舐め合い励ましあい、そして助けあう。
と、ここまでは何だか微妙な展開ですな。
裏社会の仕事をしながら、ホームレスの少女を捜してたジョゼフに最悪の知らせが届く。少女が変わり果てた姿で殺されたのだ。
怒りが沸点に達した彼は、再び復讐の鬼となり、少女を殺害した者への報復を決意する。
少女殺害の男を高層ビルの屋上から突き落とし、何とか目的を成し遂げたジョゼフだが、一緒に逃げようと修道女を誘うも断られる。
再びアル中になり自暴自棄になった所を、上空から監視していた偵察機”ハミングバード”に見つかった所で幕が閉じる。
”復讐と恋は破れ去る為にある”という事を痛感させられる映画だが、やはり惨めさが曖昧すぎた。修道女役のアガタ•ブセクは病的で、実に艶っぽい女優さんだが、アウトロー役のステイサムがハードボイルドにしては地味すぎた。
好きな俳優さんだが、もっと派手な役者を選ぶべきだった。
Wフォークナーの「サンクチュアリ」(1931)を彷彿させる筈もないが、惨めさの描写と表現が中途過ぎて、消化不良がない訳でもない。
編集次第では傑作にもなりかけた作品かもだが、大人し目の秀作に終わった感がある。
しかし、英国らしいユーモラスな部分もある。特に高級アパートの住人に成り済ます所や、殺人歴のある修道女の存在はとてもファンタジックに感じた。
惨めさも表現のしようでは芸術になる。「表現の不自由展」ではないが、惨めさや憎しみをそのまま露出しても芸術にはなり得ない。そう思わせる映画だった。
映画も芸術にも、明白な答えが必要なのだ。
この映画は見た事ないんですが、転んだサンの解説でどっぷりとハマってしまいました。
ヨーロッパの映画にアメリカのようなハッピーエンドのものは少ないですね。観たあと、考えさせられる映画が多いように思います。私から見れば、むしろそのほうが自然で、リアルだと感じます。私は、人生は、しんどくて暗いものだと思っていますから、こういう暗い映画のほうに癒やされるかもしれません。
特に最近の英国映画は、気のせいか自虐的なものが多いような気が。
ビコさんの様に、人生はシンドイものと割り切れればいいんですが、私めは根性が足りないようで(笑)。