完璧のエンディング!
これこそがSキングの真骨頂!
「1922」(邦題)というタイトルからは想像し得ない”荒涼たる犯罪小説”に仕上がった作品だと言える。
サスペンス&ミステリーでありながら、家庭とは、夫とは妻とは、子供とは愛とは、どうあるべきかを問う。
そこにはキング独自の人生哲学が重く鎮座する。自分勝手な信念を押し通せば、大きなしっぺ返しを食らう。信念がなければ単に人生の奴隷に過ぎない。そういう事を彼は言いたかったのだ。
”法というのは金持ちに味方する。黒い企みや汚い野心がなければ、人生は虚しいだけさ” そういう事を、この作品で言いたかったのだろう。
世界恐慌とアメリカの黒い影
因みに、原題は「NoDark、NoStars」で、”真っ暗で星すら見えない”と、最悪の人生と救いのない家族を描いてはいるが。企みや野心が人生を豊かにし、同時に人を虚しく醜い残酷な化け物に変貌する様を、何処にでもある等身大の危機として、実に繊細に図太く逞しく描いてる。
1922年といえば、第一次世界大戦に勝利し、アメリカが世界一の大国として"永遠の繁栄"を謳歌してた頃。そのアメリカも、この最悪の物語の主人公であるウィルフレッド・ジェームス同様、世界恐慌というしっぺ返しを食らう羽目になる。
その1922年。ジェームスの妻アルレットは父から相続した百エーカー(約4000㎡、東京ドーム8.5個分)の土地を巡って対立し、夫のジェームスは、彼女の喉を搔き切って殺害する。
その反動で14歳になる息子とその恋人までも死に追いやってしまう。結果、彼はその後の8年間を暗黒無比で壮絶無残な幻想に悩まされ、1929年の世界恐慌から1年後、ジェームス自身も手首を噛み切り自殺する。
何という残酷で暗い無味乾燥なエンディングだろうか。ここまで行き着くと、逆に恍惚すら覚えてしまう。
遺産を巡る夫婦の確執
遺産を巡り、それまで仲良かった夫婦が対立する事はよくある事だが。
男は、ただ”鼻先で笑い、顎を突き出す”小生意気な妻の、”愚飩な仕草”が我慢ならなかった。”諍い好きで怒りっぽい”妻とのうんざりする確執は一生続くのだ。
男は最悪の事態を想定した。そして、それ以上酷い事にはならないという思いが、彼を支えた。いやそのつもりだった。
しかし最悪の事態は、妻を殺した事でもなく、男自身の狂気そのものだった。男の狂気が息子に伝染し、犯罪に走らせ、命を奪ってしまう。そう、最初に自分が死ねばよかったのだ。
でも、そうは解ってはいても、死ねないんだよな。狂気と殺気は何時の世も、周りの人に向けられる。
男は何かにつけ癪に障る、この淫売なメス狸を殺すに迷いはなかった。息子のヘンリーすら心の奥底では、父親の妻殺害を密かに支持していた。
しかし14歳になる彼には、結婚を誓う恋人シャノンがいる。当然の事だが、母親よりもずっと愛らしく綺麗で聡明で頭もいい。”たとえ母が死んでも、農場がもたらす大地の恵みと愛する父とシャノンがいれば全く不自由なく暮らせる”
ただ罪の意識という負の幻想を克服できてればの話だが。こうなると、狂気という名の親子の暴走列車は止まる筈もない。
妻アルレットの言い分
この手の女は、時とともに自ら崩壊し腐敗する運命にあるから、わざわざ殺す必要もなかった筈だが。キング先生はここで一気に勝負をかける。短編小説では早い時期での仕掛けが明暗を分けるのだ。
因みに、キングは典型の短編小説家だと思う。キング定番の早い仕掛けは、すぐさま世界中の読者を虜にし、一気に闇の世界へと誘い込む。
しかし妻のアルレットは、大都会での理想郷を夢見ていた。彼女が遺産として譲り受けた100エーカーの土地も80エーカーの夫の農場も大企業に売り払って大都市に移り住み、悠々自適な生活を送る、という彼女の大陸的傲慢な考えは、至極理に適ってる。
舞台はネブラスカ州のとある農場だが、こうした内陸部の荒涼たる雑風景の中で、毎日を何の刺激も目標も夢もロマンスもなく、悶々と死ぬまで送るのだ。
”こんなのは人生じゃないわ、堕落という名の惰性よ”って声が聞こえてきそうですな。
夫ジェームスの狂気と破壊
男にとっては妻の存在が最悪の事態であった様に、女にとってはこの生活こそが最悪の事態だったのだ。茶褐色の相容れない互いの感情と、乾燥し殺気じみた互いの憂鬱から逃れたいという、女の気持ちもすごく理解できる。
ただ夫ジェームスは、この恵まれた自然に支えられて育ち、息子もこの地を愛してる。この土地が大企業に買収され、無味乾燥な豚肉工場に変貌し、犯される事を絶対に許す訳にはいかない。
”土地は生き物だ、手放したらその瞬間に死んでしまう”との男の叫びが聞こえそうだ。
確かに、大企業は最期には必ず勝つ。強欲と野心は何時の世も大衆を支配する。しかし男は、何とか奴らを出し抜けると考えた。ただ自らの安直で稚弱な愚行のおかげで、愛する者たちが多くの代償を支払った事は、男の大失策と言っていい。
読者の中には、このジェームスの愚行に共感した人も多いだろうか。バカで哀れな事をと思いながらも、心の中でこの愚行を応援する私がいたのも事実だ。
矛盾とタブーが渦巻くミステリー
キングのミステリーには矛盾とタブーは不可欠である。超現実な行為を日常の現実に限りなく近づけ、読者に共感と混乱を奮い立たせ、キングの才気と狂気を呼び覚ます。
事実、夫ジェームスは自らに狂い、妻アルレットは酒に狂う。そして息子のヘンリーは恋に狂った。結果、夫と酒で狂った妻は息子を追い詰める。行き場のなくなったヘンリーは、妊娠したシャノンと駆け落ちし、強盗に自らを狂わせた。
自分の壁を破壊するには、自らが狂うしかない。そう、狂う事は自らを破壊する事なんです。狂ったDNAを持つジェームス一家には、破壊の道しか残されてなかったのか。
特にヘンリーとシャノンの、”恋する強盗”の二人が死に至るシーンは、とても純朴で愛らしく感動的だし、極上のロマンスを醸し出す。キングにラブドラマを書かせたら、カポーティも真っ青だろうか。
まさに1922年版「マイ•ロスト•ファミリー」を思わせる傑作に、しばらく酔いしれ、茫然自失となってしまった。
最期に〜移動か破壊か
タラレバだが、もし妻の言う通りにしてたら、狂った筈の一家はどちらに転んだろうか。少なくとも「NoDark、NoStars」という最悪の事態はなかったろうか。
男が”破壊”ではなく”移動”を選択してたら、狂う事なく自らを周りを破滅する事なく、生き延びてたろうか?いや移動先でも同じ事が起きたろうか?
事実、大英帝国のピューリタンは故郷を捨て、移動する事で生き延び、新大陸アメリカを作り上げた。彼らが母国に留まっていたなら、革命という破壊を選択し、狂った挙げ句の果てに自滅してたであろうか?
それとも、狂気に踊らされる事なく、最悪の事態を避けれたであろうか?
人間の持つ狂気を描かせたら、Sキングの右に出る者はいないと、再認識させられた。
因みにデモは勇気と行動である。その行動が暴徒化し、破壊を生んだ。そして、その破壊は自らに向けられ、デモは呆気なく収束した。
香港デモのリーダーや主導者だちは再び、革命という破壊を選択するのか?それとも亡命という移動を選択するのか?(補足)
はまった人には魅力無限だけど、普通の人には、なかなか理解されない域に達していると思う。
ただランキングを狙うだけだったら、もっと大衆受けする書き方というか、モチーフの選び方はあると思う。
私も、ときどき付いていけないときがある。
それは、私の年齢からくるものかもしれないけれども。
話は変わって、
私は、いま21歳で自殺してしまった岸上大作という歌人の評伝を読んでいるけれども、彼は自分が女性にふられるような行動をとりながら、ふられて自死してしまう。まるで破滅(破壊)するために行動したような若者でした。が、それが結果的に魅力でもあるのですが、ふつうの人には理解されませんね。
もっとモテるような行動をとればよかったと思うし、もっと言えば、嫌われる行動をとらなければ、嫌われることもなかったのにと思います。
彼の女性に対する行動は、まるでストーカーでしたから。
それだけ純粋だったということの証しなんんでしょうが。
あら、自分の書きたいことばかり書いちゃった。
このコメントは消してくださってもいいですよ。
よくパット見だけでコメントを残す人がいますが、内心ムカつく時があります。最後までちゃんと読んで下さいって言いたくもなる。
どの記事にアクセしてるかで、大体解りますね、ちゃんと読んでるかクリックだけして終わりかってのは。
Sキングの小説は入りはパッとしないんですが、そこから一気に悪夢の世界に引きずり込む。読者は逃げ出したくても逃げれない。異様な世界過ぎて金縛りに合うんです。それでいてベストセラー連発ですから、日本の作家には到底真似の出来ない芸当ですね。
一言で言えば、オチの鋭さと深さが全く違うんです。東野圭吾なんかも日本ではベストセラー連発ですが、次元が違うというか。
しかし天才奇才のキングも欠点があります。それは長編を書かせたら間延びするんです。仕掛けが早すぎて失速する。でも短編を書かせたら、バルザックを凌ぐか。
因みに、岸上大作さんは「叶えられた祈り」のカポーティに似てますね。あえて嫌われる行動をとり、文壇から消された。でもカポーティは、真実を追いかけ真相を見つけ、そこに幻想を見出したんです。そういう意味では岸上さんも世界レベルの奇才かもしれません。つまり彼の行為はストーカーではなく、真実を超えた幻想だったんですかね。