象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

”恵方巻き”ビジネスと食品ロスに潜む悲しい現実

2024年02月12日 14時59分56秒 | 芸能&三面記事

 フォロワーの記事に”256万本もの恵方巻きが食品ロスになった”というのがあった。
 何にでも縁起を担ぎたがる、ムラ社会の全くバカげた話ではある。一方で、こうしたヒット商品に群がるビジネスも見ててウンザリする。
 日本では、正月のお節料理と年賀状の次は、恵方巻と節分豆。その次はバレンタインデーに桃の節句と卒業式と入学祝い・・・こうして季節ごとに次々と派手なイベントを打ち、売り手側はそれら商品の売れ行きに一喜一憂する。
 つまり、一発当たれば大きく儲かるし、急成長もできる。昨今は、この様な丁半賭博的ビジネスをB2Cビジネスと呼ぶそうだ。勿論外れれば大損し、故に、こうした市場予測にもAIが使われる。
 悲しいかな、そうした”ハイエナ”系ビジネスに、私達は翻弄され続けてるのである。これに関しては、後ほど述べる事にする。


恵方巻きビジネスの失墜と食品ロス

 恵方巻きとは、2月3日の節分に、その年の恵方を向いて食べる太巻き寿司の事だ。が、これにも色んな噂がある。
 一方で、毎年大量に販売される恵方巻きの売れ残りが大きな問題となり、昨年だけでも256万本もの恵方巻きが食品ロスになったという。恵方巻きが大量に販売され、大量に売れ残る現象は環境だけでなく、経済にも社会にも大きな影響を及ぼす。
 経済面では、売れ残りによる損失は約12億円以上とされ、環境面では、135人分の年間CO2を排出し、更に25mプール570杯分の水の浪費に相当する。勿論、ロスにならなければ約256万人が恵方巻きを食べられた計算にはなる。
 一方で、廃棄される恵方巻きの処理には、売り手の企業だけでなく、(殆どの場合)市民の税金が使われている。世界中では食事が満足にとれない人が増える中、CO2を大量に排出し、大量の水を消費し、市民の税金を使って誰かが食べられた筈の食品を廃棄する。
 それこそが現在の恵方巻き文化の悲しい実態である。
 以下、「恵方巻きの隠された現実」を参考に主観を混ぜてまとめます。 

 だったら、節分の日に恵方巻きを食べなきゃいい。私はそう思うのだが、ムラ社会の島民はそれが出来ないのだ。
 ”昔からの伝統行事だから”と無駄や無用を承知で、仕方なくダラダラと続けてるのだ。一方で、インスタやTwitterにも節分となれば、恵方巻きの色鮮やかな写真や記事が日本中を占め尽くす。
 これじゃ、恵方巻きの売れ残りはなくならない。
 他方で、企業や売り手には不都合な事情がある。販売する側としては、節分に恵方巻きを買い求める事は一般的いや慣習的である限り、商品を店頭に揃える必要がある。が、当日の販売見通しは立ち難く、日持ちし難い食品な為、消費者のニーズに応えるには食品ロスが避けられない。
 近年は、農林水産省の予約販売の推奨があり、予約受付を行う販売店が増えてはいるが、単価が低い食品の予約販売効果が限定的であり、値下げでの売切りには限界がある。
 

腐った伝統行事と哀れな食文化

 日本の食品ロスは年間523万トンに及ぶ(農林省)。これは日本人一人当り、1日に茶碗一杯のご飯に相当し、年間では一年に食べるご飯と同じ量が廃棄されてる計算だ。
 世界では10人に1人(8億1000万人)が飢餓に苦しんでるのに、食べ物の30%は捨てられている。つまり、飢餓の原因は食糧不足ではなく、公正に分配されてない事にある。
 温暖化を進めるCO2排出の約10%は食品ロスに由来するとされるが、食品ロスが多くなる程に気候危機は深刻化する。
 日本政府は、2030年までに(2000年比で)サプライチェーン全体で食品ロスを半減するという⽬標を掲げてるが・・・

 食品ロスを避ける為にできる事として、①売り切りを徹底している店で買う②自分で作る③”食べない”という選択肢が挙げられている。
 が私としては、”恵方巻き”ビジネスに群がる企業にも責任はあるが、ムラ社会の古く臭った伝統や硬直化した慣習や掟(おきて)を廃止ではなく”排除する”というのはどうだろう。
 少なくとも”食べない&買わない”という選択よりも残酷ではないと思うのだが・・
 言い換えれば、日本人は未だにムラ社会の構造を固く保持し続けている。硬直化し過ぎてるが故に、廃止したくても出来ないのだ。伝統とか掟とか言えば聞こえはいいが、単なる村民の自己満足に過ぎないし、そこには根拠も何もないのだから・・・

 一方で、”一発勝負”の儲け(賭け)を狙った企業の戦略が,地方の伝統や文化を利用してるケースも少なくない。伝統行事に敬意を払う事と、それらにハイエナの如く縋り続ける事は独立して考えるべきだろう。
 事実、恵方巻きも起源には諸説あるが、地方の一部に広まってた風習を企業やマーケターが広めたとの噂もある。”恵方巻き”との名前も大手コンビニが行なったとされ、金儲けの為に偽造された伝統や文化と言えなくもない。
 こうした節分の”恵方巻き商戦”は今や、クリスマスケーキやバレンタインチョコ、ハロウィンのお菓子などと同様に、高い経済的利益を狙ったマーケティング戦略となってしまった。
 つまり、伝統も文化もハイエナ・ビジネスの格好の餌になる時代である。
 この様に、多種多様に成長してきた日本の食文化だが、過ぎた企業戦略により食品ロスという哀れな実態が見えてくる。
 

恵方巻きとB2Cビジネス

 事実、節分になると”恵方巻き”を数多くのコンビニやスーパーでも売る様になった。しかも、宣伝を始めるタイミングが毎年早くなっている。まだ年が明けて間もないのに恵方巻のポスターが既に並んでいる。
 今や、こうしたB2Cビジネスが日本列島を覆い尽くす時代である。因みに、B2Cとは”Business-to-Consumer”の略で、一般消費者を対称としたビジネスモデルの事だ。
 これは、ビジネス関係者よりも一般消費者の方がマーケティングしやすい事から生まれた業界用語でもある。つまり、ビジネスでは大衆は扇動しやすいカモなのだ。
 以下、「恵方巻きとB2Cビジネスの混沌」から大まかに纏めます。

 B2Cビジネスとは、大衆の頭の中を読み、感覚的な好き嫌いを推測するビジネスでもある。感覚的な事が好きで他人の気持ちを読むのが上手な人は、新しい商品の企画を作り、次々とヒットを狙う。こうしたヒット商品とブームこそがB2Cビジネスの花形であり、一発当たれば大きく儲かるし急成長もできる。

 話は変わるが、AIを使って商品の価格予測ができるのか。つまり、バランスのとれた消費と供給を実現できないだろうか。そうすれば、食品ロスは確実に防げる。
 因みに自由市場では、価格は対数的なランダムウォークを辿る。これは、経済学者サミュエルソンが証明したもので、ランダムウォークは平均値の周りに正規分布を作る。つまり、”突飛な事は滅多に起こらない”
 が現実には、希にだが突飛な事が市場では起きるのだ。1998年8月のアジア通貨危機による暴落はリーマン後から見ると、カワイくも思えるが、あの様な変動が起きる確率は、ランダムウォーク理論から言うと10万年に1度に起こる現象という。

 一方で、フラクタル理論の提唱者で数学者のマンデルブロは、”価格の予想は無理だが、ボラティリティ(価格の暴れ方の指標)なら予測可能だ”と自著「禁断の市場」の中で語っている。
 では市場価格はなぜ暴れるのか?
 それは、単純な消費量と供給量だけではなく、値段の上下に関する思惑が売買の量に影響するからだ。
 例えば、ある商品又は株式の価格が上昇基調にあるとする。すると売買で利ざやを得ようと買い手が集まり、益々価格が上がる。他人がその株の値上りを期待すると、自分も買う事が合理化される。つまり、集中強化現象が起きるのだ。
 もしこれが逆に働けば、価格は一定水準を安定的に上下するだけだろう。が、ここには原因と結果の一種のループが生じ、これが不安定性を生み出す。
 このプロセスは、化学でいう一種の自己触媒反応とも言える。これはA→Bという反応において、生成されたBが反応の触媒の役目を果たし、反応速度を速め、更にBができる。
 こうして反応に加速がつく。が、フラスコ内の化学反応では、(原料がなくなり)化学平衡に達すれば、反応は落ち着く。だが大きな市場の様に、外部から供給が続く流通系では、ボラティリティ(化学用語で揮発性)は簡単には収まらない。

 価格のボラティリティー(変動)が大きくなると、そこには一種の博打性が生じる。博打は一攫千金の夢を与えるから多くの人を惹きつける。
 一部のB2Cビジネスがヒット商品やブームに傾斜するのは、”一発大儲け”の夢があるからだ。'87年~'95年頃のバブル時代は、ボラティリティの魔性に惑わされた時代でもあった。故に、それまでの産業界や日本人のコツコツ真面目な文化が”賭けの文化”に変貌した。
 バブル崩壊後の”失われた30年”は希望のない時代でもある。故に、夢を追い続けるだけの”賭けビジネス”に傾斜する。
 今や、株式投資もヒット商品狙いも、SNSでの”いいね”集めも、価格変動の高い市場での一種の賭けと取れる。メディアはこの博打を安心して後押しをするが、メディア自体がボラタイルな夢を常に追いかけるビジネスだからだ。

 現代のビジネス界では、GAFAが巨人として君臨し、メディアも畏怖しつつ動向を注視するが、彼ら大企業も、一般消費者向けのB2Cビジネスを基盤としている。が故に、大量のデータを集め、AIを駆使し、少ない労力で大きく急成長できたのだ。 
 というのも、B2Cは消費者という形で多量のデータ源を持つから、AI(機械学習)はB2Cビジネスと相性がいい。つまり、AIは学習データの量が生命線なのである。
 昨今の様に、ボラティリティの大きな博打の横行する社会では、情報のコントロールが最も重要になる。情報により人を惹きつける事も、大衆の裏をかく事もできる。
 私達の社会では、情報をコントロールして大衆を誘導し、囲う力が大きくなり過ぎるリスクを抱える。現代では情報コントロールこそが絶対権力なのだろう。
 以上、エキサイトブログから長々とでした。


最後に

 今年の恵方は丙の方角(東北東)である。
 これが何を意味すののか?どんな縁起をもたらすのか?は、私には全く分からない。
 一方、恵方巻きビジネスで、一発勝負に賭ける業者の気持ちも判らなくもない。
 ただ消費者ニーズの裏を掻いたつもりが、”256万本もの食品ロスを生んだだけ”という現実も覚えておく必要がある。

 大量のデータを集め、AIを駆使し、消費者の動向を探ったつもりが、逆にその消費者に裏を付かれてしまった形となった。
 但し、大衆が節分に恵方巻きを買い求める確率と期待値の計算をどの様にして求めてたか?にもよる。つまり、高価な恵方巻きを用意しても、購入する大衆は限られる。一方で安価な恵方巻きを沢山用意しても、その多くが売れ残る事も予測できる。
 結局、両方を選択しても莫大なロスが出る事は想定済みだった筈だ。しかし、どの価格帯が一番売れ易いかの最適値を数理モデルで探る必要があるのだが、多くの企業はそこまで頭が回らない。つまりデータを集め、AIに集計させるだけで精の山なのだろうか。 

 データを幾ら集めても、数の集合でしかない。情報に翻弄され、”暴れやすい”需要と供給を数理モデルで収束させ、何度も修正し、シュミレートする必要があった筈だ。 
 多分、業者は来年も同じ様に莫大な数の恵方巻きを店頭に並べるだろう。そして決まった様に売れ残りが出る。そうやって、恵方巻きビジネスの負のスパイラルは永遠に続く。

 つまり、丙の方角を向い、恵方巻きを食べたくらいでは縁起どころか時代すらも良くならない。
 そういう基本的な事に気づかないと、日本というムラ社会は恵方巻きの食品ロスと同じく廃棄されるだけである。  



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