象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

いま、アジアが注目すべきミステリー〜「トーキョーキル」

2023年11月09日 00時26分13秒 | 読書

 私立探偵ジム・ブロディーの第二弾という事で、前述した「ジャパンタウン」の凄みと悍ましさを期待したが、プロットが複雑すぎなせいか、読んでて少し食傷気味にも思えた。
 とはいっても、バリー・ランセットらしさは存分に発揮され、今回の作品は背筋が凍りそうな恐怖というより、濃密でシリアスなアクション活劇というフィクションの要素を強く感じる。
 事実、今作はフォーブス誌のアジア諸国首脳の必読書にも選ばれ、”この優れたミステリーはその卓越した物語性ゆえに、独立した読み物として成立している。が、今日の緊張に満ちた状況に関する日中関係についての微妙な解釈も示している”とのフォーブスの評価には、賛否両論の微妙な匂いがしないでもない。


日中戦争とミステリー

 前作は、サンフランシスコと日本が舞台であったがあったが、今回は横浜・フロリダ・バルパドスを縦横に駆け巡り、知られざる日中戦争の歴史の闇にも大胆に迫っていく。
 故に今作では、日中戦争での旧日本軍の中国への所業(残虐行為)が批判的かつ露骨に描かれてはいる。
 勿論、これらは歴史的事実に基づいた話であり、戦時中は中国や東南アジアで多くの略奪行為が行われた。が、実は旧日本軍関係者だけではなく、数多くの地方権力者も同様の略奪行為を行った。各地の軍閥や反目し合う軍事勢力、山賊や地方の政治屋に至るまで・・・
 これら奪われた大量の財宝の在り処は様々な憶測をうみ、時おり散発的報道も成されたが、全体を見通せる様な記録は発見されてはいない。

 事実、”西欧精神では(いかなる時も)答えを追い求め、論理的バランスを必要とする。一方で日本の精神は(必要とあらば)信念を棚上げに出来る。また判断を停止したまま、互いに矛盾し合う真実を受け入れる事が出来る”と、日本精神の”静”の要素と西欧の”動”の要素のコントラストを著者は強調するが、”動”の要素なくしては今作は語れない。
 特に、剣の達人が無防備なブロディを一方的に襲うシーンは流石に鳥肌が立ったが、静と動が混在する剣の世界では、極限状態での阿吽の呼吸こそがその場を支配する。

 一方で、中国人スパイとブロディの延々と続く曖昧模糊な会話に微妙な違和感を覚えなくもなかったが、著者が実際に知り合ったロシア人スパイから仕入れたものと述べてるから、(時代は変わっても)昔ながらのアナログ的な会話(情報交換)が今もなお重要な戦術になるのだろう。
 ただ、こうした中国人スパイや中国の秘密結社の存在は、ブロディの事件解決には直接的な影響を及ぼさないし、更に、(三合会も含め)中国の裏社会を描くスペースが見当たらないようにも感じた。
 勿論、戦時生き残りの横浜在住の中国人老医師が語り聞かせる、旧日本陸軍が犯した残虐行為の物語は非常に聞きごたえがあり、展開を濃密にするには十分すぎるものでもあった。
 それに、(日本に原爆を投下した)アメリカ白人から見た日中間の複雑で微妙な歴史観にも興味深いものを覚えた。つまり、戦争には残虐や略奪は付きものでもある。

 しかし、”ラストエンペラー”とされた満州国皇帝の溥儀の財宝とフロリダやバルバドスとの接点には、違和感を覚えなくもない。
 それに今作では、様々な要素が所狭しと詰め込まれてるので、読む側はいちいち展開を振り返り、確認する必要がある。
 勿論、謎解き大好きな日本人にとってはそれはそれで嬉しい限りなのだろうが、シンプルな展開を好む私には、前作の様な素朴で悍しい恐怖が遠のいていくようで、物足りなくも感じなくはない。


皇帝溥儀の財宝と旧日本軍の罠

 依頼人が事務所のドアを叩いた時、”すでに死者は八人を数えていた”という印象的な書き出しで始まる今作は(前作以上に)、スピーディーで展開も劇的に思えた。
 休暇を娘と過ごす為に、日本に戻ってたブローディの元に老人が現れ、”命を狙われているので身辺警護をしてほしい”と訴える。
 男は旧日本陸軍の兵士で、既に戦友二人が殺され、その手口は中国の秘密結社に類似している。一方で美術商でもあるブローディは、高名な禅僧にして絵師である仙厓義凡の幻の逸品の行方を追っていた。
 一見異なるこの二つの出来事が、実は第二次世界大戦中の日中間の秘められた歴史と繋がってる事が判明する・・・

 この復讐殺人と思われる事件は中国の伝統的犯罪組織である三合会の手口に酷似していた。その線からブロディは捜査を進めていくが、様々な美術品が事件の影にある事を突き止める。
 お陰で事件の構造が立体的になり、新装にある歴史的背景も立ち上がってくる。
 それに今回はアクションのディテールが豊かで、臨場感も抜群である。この絶体絶命の危機を描く著者の筆腕には、何時も圧倒される。

 著者のバリー・ランセットは日本の講談社で多くの書籍編集に携わった。小説内でしつこい程に繰り返されるウンチクだが、この頃に仕込んだのだろう。大げさに言えば、小説の半分はこうしたアメリカ白人特有の知見に覆われていると言えなくもない。
 例えば、作中に日本の事物や考え方の講釈が一々入る。串カツを食べれば”串カツとは魚介類や肉や野菜などの食材をひと口大にカットし、それを手際よく串に刺して油で揚げたものだ”というウンチクだ。
 それに、今回は満州や日中戦争での個人的な講釈がある。日本人としては少し目に痛い話だが、本作では中庸な視点である。こうした歴史的事象を下敷きに大きく空想を膨らませ、バリーランセットの世界がスピーディーに展開するのだから、面白くない訳がない。

 更に、(前作もそうだったが)一部の企業や組織名を実名で登場させる事でリアルな物語に仕立て上げる。やがてそれは、現実を超越した虚構の世界へと突き進んでいくが、我ら読者は現実と虚構の間を彷徨い、ただただ精神が混乱してしまう。
 しかし、我らがブロディーだけはどんな状況下に置かれようと、混乱する事なく冷静に行動し、最後にはどんな難解な事件をも解決する。

 これも著者の筆才の奥義とも言えるが、主人公のブロディをもう1人の自分が観察する語り手として描く事で、激しい動きの中にも自己批判を欠かさない。常にリスクを背負い、そのリクスを計算しながら殺し屋と対峙する。
 ”一粒で二度美味しい”とはこういう事である。フィクションなのに現実。しかし、何処か浮世離れした異世界を感じさせる、ランセットの不思議な犯罪小説とも言える。
 つまり、ハードボイルドとは探偵の行動を描く文学だが、同時に、探偵の優れた洞察がみせる観察者の文学でもある。 その視線は犯罪のみならず芸術や文化にも及ぶが、日中戦争の残虐な歴史を掘り起こし、海外に住む中国人たちの祖国の歴史に対する複雑な心情をも映し出し、実に濃密で厚みがある。
 特に、”ろくでなし男を次々情夫にしてしまい、子供たちを見る時間をなくした母親だね”という中国人の(戦時に何も出来なかった)祖国に対する皮肉な回想には、深く考えさせるものがある。


追記

 少し気になったのが、前作「ジャパンタウン」(2013)も今作の「トーキョーキル」(2014)も出版されて翻訳されるまでに、2019年と2022年と、それぞれ6年と8年もの時間が掛かっている。
 前作はハリー賞優秀新人賞ほか「サスペンスマガジン」誌の最優秀デビュー作品の1つにも選ばれた。更に今作は、アメリカ私立探偵作家クラブのシェイマス賞の最優秀長編賞にもノミネートされた。
 そんな秀作にも関わらず、翻訳されるのに時間が掛かりすぎとも思えなくもない。
 確かに、読んでて思うに、日本を知り尽くしてるランセットの英文は(ウンチクが多いせいかはわからないが)和訳するに難しい所でもあるのだろうかと勘ぐってしまう。

 翻訳者の白石朗氏は、SキングやPハイスミスなど、多くの著名な犯罪ミステリー小説を翻訳されている。小難しさを感じさせるバリー・ランセットの小説だが、斬新さと新鮮味がある分、これからの活躍にも期待したい。
 第3作「PacificBurn」(2016)や第4作「The Spy Across the Table」(2017)、そして短編「Three-Star Sushi」(2018)も是非翻訳が望まれる所である。



2 コメント

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曽我十条の殺し屋 (tomas)
2023-11-09 15:10:18
「ジャパンタウン」
昨夜読み始めました。
村社会の殺し屋ってチョー怖いですね。
でもブロディー探偵の伝家の宝刀である後ろ回し蹴りが凄すぎる。
まるで一撃必殺じゃないですかぁ

目に見えない恐怖とスリル満点のアクション劇。
思った以上に楽しめてます。 
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tomasさん (象が転んだ)
2023-11-09 23:54:31
ようこそ
バリーランセットの世界へ
彼のハードボイルド・ミステリーは、とても神秘で奇妙な怖さがあるんですよ。
決して派手じゃないけど、糸を引く様な悍ましさと凶気が混在する。
前半は間延びした所がないでもないですが、後半は一気に急降下します。

今はマイクルコナリーを読んでますが、こっちはこっちで理屈っぽいけど、シリアスとリアルでは負けてませんね。
という事で、読破したら感想お願いです。
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