昨日は、私にしては珍しく皇族に関する記事を建てましたが、やはり慣れない事はするもんじゃないですね。少し反省してます。
逆に、色んなコメントを頂き、とても勉強になりました。”雅子様の華麗なるキャリア”の後編を続けて書こうとも思いましたが。今の雅子様のやや上向き?の状況を考えると、そっとしておこうかなとも思います。
ブログとは不思議なもので、ユニークな視点で上手く書いたかなと思った記事ほど、誤解を生む。雅子さんの出来過ぎの学歴が大きな誤解を生んでる様に、頑張るほどに誤解を生む。
雅子さんが他人に思えないのはその為です。何だかもう一人の自分の哀れな運命を見てる様で、昨夜は書いててブルーに、且つメルヘンチックになったもんです。
そこで今日は、軽めのどうでもいい記事です。
先日、”無償ボランティア”のブログで、”人間、悪いくらいで丁度いい。人生は汚いくらいで丁度いい。お金にはガツガツするくらいで丁度いい”と締め括ったが、それを地で行く様な映画だった。
因みに、”肴は炙ったイカがいい”ですかな(笑)。
果たして俺も、脚本家としての才能があるんだろうか?そうでもないか。
90歳の老人はなぜ麻薬カルテルの仕事を引き受けたのか?なぜ10年もの間、たった一人で“運び屋”としての危険な仕事を続けたのか?
この映画のベースになったのは、2014年6月に「NYタイムズ•マガジン」に掲載された、”シナロア•カルテルの90歳の運び屋”という1本の“仰天”記事だった。
メキシコからデトロイトへ大量のコカインが運びこまれた。麻薬取締局が必死の捜査の末に掴んだのは、たった一人で大量のコカインを運ぶ伝説の“運び屋”の存在だった。
アール•ストーン(クリント•イーストウッド)は金もなく、家族にも嫌われた孤独な90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえらた時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。アールはすんなり引き受けるが、それがメキシコの麻薬カルテルの”運び屋”だという事を知らなかった・・・。
悲しい男の哀しい最後?
時間は売れるが時間は買えない。失ってから大切なものに気づくのは遅い。
逆を言えば、若い時の時間はとても貴重だという事。それ以上に、家族と過ごす時間は私達が思ってる以上に大切だという事だ。
私達は生活の為とか、暮らしていく為にとか、ローンを返す為にとか、家族を養う為にとか、様々な理由で家族と過ごす時間を犠牲にする。つまり、色んな言い訳を見つけては、生きる理由にしてるのだ。
そういう私も、時間とお金と才能?を相当無駄にしてきた様な気がする。そしてそれを、哀しい運命のせいにする。
主人公アールも、あまりにも仕事に夢中になり過ぎて、家族を蔑ろにしてきた。勿論、仕事がなければ生活は出来ない。でも家族を亡くしては、生きる支えも意味もない。
仕事か?家族か?は永遠の課題だが。哀しい老人を演じるイーストウッドの存在感は、吸引力が強すぎて、時空を歪ませる程の存在感がある。
それに、モーテルと車を背景にゆっくりとドラマが展開する所も、実に心憎い。
まさに、”店には飾りがないがいい。窓から港が見えりゃいい”的な渋い展開でしたな。
ただ90歳近くになって、主演と監督を同時にこなすという設定には、流石に無理はあるが。サポートする側は大変だったろうね。
監督は”名前貸し”だろうが、俳優としてはまだまだ特急品だ。
映画はキャストを支えるスタッフと、展開を支える背景で決まると思う。そしてメインを張る俳優たち。
人生の幕引きとは?
最後は、奥さんと死に別れ、罪を全て認め、刑務所暮らしとなるが、お陰で家族には受け入れられる。
決してハッピーエンドとは言えないが、理想的な人生の幕引きだと思う。
人は信じるから救われる。同時に、信じるから捨てられる。殆どの人が何を信じていいか解らずに、死んでいく。
アールは、自分を家族を信じたかった。でも、経済的な理由から仕方なく、悪事”運び屋”に手を染めた。勿論、悪事を働けばいつかは逮捕される。
アールは、罪を運び屋の大元に擦り付ければ、司法取引で無罪も勝ち取れた。
それでも最後に彼は、全てを正面から受け止めた。彼の本当の罪は、運び屋ではなく、家族に背を向け続けた事であった。家族に与え続けた罪は、擦り付ける事は出来ない。
罪を認める事で人は強くなれる。家族から認められる事で成長する。
人は罪を犯す生き物だ。罪を犯すには勇気がいるが、罪を認めるにはもっと勇気がいる。
ブログも同じで、人を悪く書くには勇気がいるが、自分を悪く書くにはもっと勇気がいる。
八代亜紀の「舟歌」をBGMに流しながら、見たかった映画でもあった。
私も若い奴を少しナメてました。
どうせ若者の浅儚なドサクサ紛れの感情の暴露と見下してたんですが。ここまで大きく広がるとは?
当初は、アメリカの関与やデモ隊の分裂&抗争等も囁かれたんですが、香港警察のまずい対応もあり、逆に団結を強くしたみたいです。
”アグネスチョウ”ブログでは、若者をナメた様な事を書いたんですが、少し外れました。
ただ、このデモは失敗する確率が高いように思えます。所詮は、若者の無謀で緻密な計画性のない暴動に過ぎないから。でも、これが中国共産党崩壊の蜂の一刺しにでもなるとしたら、私達は考えを改めざるを得ませんね。
これに関しては、”米中貿易摩擦よりも危険な香港デモ”でブログ立てようと昔から思ってたんですが。これに関しては少しは予想が当たったみたいで。
俺たちは”中国人じゃない香港人”だってお叫びが聞こえてきそうです。
そんなことはないですよ。若さというのは勢いはありますが、全てを見通そうとするには年季が必要です。最近は、若い人を甘やかしすぎると私は思っています。
>香港デモの暴動じゃないけど、若いのが怒るとホント怖いです。
年寄が本気で怒るともっと怖いですよ。
でも、水掛け論になるから、これくらいで。
おやすみなさい。
これだけの大きな暴動になるとは誰が予測できたでしょうか。まるで天安門事件を見てるみたいです。殆どの人が当時のように中国共産党が武力支配するだろうと考えてたのではないでしょうか。
でも今回は到底武力では鎮圧できそうにない。ここまで若者の恨みに火がついちゃうと。
火に油を注ぐという言葉がありますが、その油が若く純度が高いが為に、一気に燃え広がったんだと思います。転んだサンがいう若いのが怒ると本当に怖い。
私達ロートルが怒っても、嫉妬や妬みが殆どですからすぐに消え去るんですが。
1989年の天安門事件で民主化運動の多くの学生たちが中国公安局に追われましたが。その時彼らを支援したのが、英国のMI6やアメリカのCIAと言われます。
今回もそうなのかと少し疑ってしまいますが。
若者の反発は買うもんじゃないですね。安倍長期政権も慢性的に様々の反発を受けてますが、これが若者の怒りを買うような事になると、日本でも民主化運動みたいなのが起こるんでしょうか?何だか怖くなってきました。
香港デモの暴動じゃないけど、若いのが怒るとホント怖いです。
そんなことを言っていると、言っている人がそうなりますよ。
信用あるプロのコラムを見ても、やはり極論に過ぎなく、皇室問題の複雑さと奥深さを改めて痛感しました。とても庶民が書けるネタではない。
それに、「流星ひとつ」の沢木耕太郎の迷いが何となく理解できた。ブログでも述べたんですが、沢木氏は藤圭子の内幕をインサイドストーリー風に記した出来に満足してましたが、藤圭子の崩壊も予感してました。それで出版を中止したんですね。
雅子さんがこれから先どうなるか判りませんが、今はそっとしておく事が一番かと思います。